花の蜜。
昔のエリクを思い出すと、一つの出来事が頭に浮かんだ。幼い頃の彼との思い出の一つ。
「あの蜜を食したあと、二人でお腹を少々痛めましたね」
「そうだったわね。お腹の調子を良くする効果がある蜜…だったかしら。そのまま食べるのはちょっとした毒と同じだと大人に教えられたわね。まさか、エリクに毒を与えてしまうなんて…」
「お嬢様と苦しみを共にできて光栄でした。それに、お嬢様から与えられるものなら毒と分かっていても飲み干しましょう」
「毒と分かってるなら抵抗なさい」
そんな従順すぎる返事に、私は彼の頬をペチッと軽く叩いた。でも、可笑しくなってふふっ、と昔を思い出して笑う。
「あの花。美しかったのに、私がお腹を少し壊しただけで全て刈り取られてしまったのよね。…残念だわ」
「はい、ですがご安心ください。聞いたところによると、庭師がお腹の調子を整える粉薬に加工して倉庫で保管したそうです。奥様に大変喜ばれたとか」
「まぁ、そうだったのね。少し罪悪感が薄れたわ」
私はすっかり満足してフォークを持ち直し、残りの肉を突き刺してごく自然に自分の口へと運んだ。
彼が、まるで弾かれたように一歩前へと踏み出し、私の手元に向けて大きな手を伸ばしかける。
けれど、彼の手が届くよりも早く、肉は私の口内へと収まってしまった。
「……?」
咀嚼しながら不思議に思い、私が振り返ると、エリクは伸ばしかけた手を流れるような動作で背の後ろへと隠し、何事もなかったかのようにスッと元の定位置へと足を戻したところだった。
「何かあったの、エリク?」
「……いえ、何もございません。お嬢様」
エリクは一つ呼吸を置き、いつもの完璧な従者に戻って深く頭を下げた。
そんなエリクに、次はコレ、その次はコレ…と勧めていった。彼の僅かに動く表情から好物や嫌いなものを探っていく。しかし、他はまるで表情にでなかった。やはり肉が一番好き?嫌いなものに関しては今回限りではまるで分からなかった。
「お嬢様。大変美味でございましたが……このような事は、今後はもうおやめください。お嬢様がご自身でお使いのカトラリーで、直に男性に食事を差し出すなど、公爵令嬢として絶対にあってはならない無作法にございます。今回は私以外に誰もいない自室ゆえ不問といたしますが、もし外部の殿方にこのような事をしてしまえば、それこそ取り返しのつかないことになります」
私はナイフとフォークを一度皿へと置き、長椅子の上でこれでもかと背筋を伸ばして、堂々と胸を張って言い放つ。
「エリク以外に、こんなことやるわけないでしょう」
「……そこまで自信たっぷりに仰られては、これ以上お小言を続けるわけにもまいりませんね。お嬢様のその『特別』を賜る光栄は、私だけの秘密とさせていただきます」
自信満々に微笑む私を前に、エリクは深々と頭を下げた。優秀な従者としての、完璧な礼。
少しだけ彼に言い返せた満足感と、美味しい夕食の香りに包まれて、明日もまた完璧な令嬢として頑張ろうと決意を新たにした。
◇ ◇ ◇




