自立を志す。
無理よ。
だって、私の可愛い年下の子分ではないと知ってしまったのよ?
私は静かにエリクを見ると「自立」の言葉で頭を一杯にして踏ん張る。
「今日は、やめておくわ」
私の絞り出した声は、自分でも驚くほど硬く響いた。
扉の前で、いつものように私のすべてを受け止めるべく控えていたエリクの眉が、わずかに動く。
「……何か、お嬢様の機嫌を損ねるようなことをしてしまったでしょうか」
返ってきたのは、非の打ち所のない従者の言葉。けれど、完璧な仮面の下で、地味な色の瞳が迷子になった子供のように揺れている。
そんな顔をしないで……!。昔の可愛いエリクを思い出してしまうわ!
胸が痛む。
彼を傷つけたいわけではない。これまでのように無防備にその体温を感じる余裕がないだけ。私は動揺を隠すように、胸元でぎゅっと手を握りしめ、咄嗟に思いついた理由を捲したてた。
「 もう子供ではないもの。いつまでも貴方にべったりではなく、自立するの」
そうだ、これは成長なのだ。
自立した淑女への第一歩。
18歳にして、遅いにもほどがある淑女の第一歩を踏み出すのだ。
しかし、エリクは静かに訴えかける。
「……しかし、今朝の馬車内でもおっしゃいました。お嬢様がどこのどなたの元へ向かおうとも、私が傍を離れることはないと」
平然と、彼は自分の「使命」を再確認するように言った。
言ったわ。確かに言いました。私がいなければ耐えられないと泣きつく勢いで。
「それでも、部屋に戻るなりこうして……殿方の胸に飛び込んでいては、流石に関係を怪しまれるわ。あらぬ疑いをかけられて、貴方が罰せられるようなことになったら困るでしょう?」
そう。
これは貴方のための配慮なのよ、と私は自分に言い聞かせる。しかし、エリクは引かなかった。彼はあくまで従者として、職務を全うせんとする真摯な面持ちで私を見つめる。
「お言葉ですが、お嬢様。私の最優先すべきお人はお嬢様でございます。心の消耗や恐怖からお守りするのが私の役目でございます。」
彼は淡々と言葉を繋いだ。
「関係を怪しまれることを懸念されるのであれば、より一層、外部に漏れぬよう細心の注意を払うまでです。お嬢様が『自立』を志すのは素晴らしいことですが、それが無理をして心を壊すことに繋がっては、従者として主に申し訳が立ちません。もし罰せられるような事があろうと、それは本望でございます」
「……それは、嫌よ。エリクが私のせいで罰せられるなんてあってはならないわ!!」
言い訳から、思わぬ方向へと話が進んでいく。彼は罰せられる覚悟で私のそばにいると言うのか。つい声を荒げてしまった。深くため息をつき、自分の浅ましさを悔やむ。
そんなの、私が耐えられる訳がない。
「そんな事……、言わないで。そんな覚悟を貴方に求めてないの…」
この状況が良くない事はもちろん分かっていた。しかし、本当の意味で事態の深刻さから私は目を背け、甘えきっていたのだ。
「私は、自立すべきよ。今、容認されいる間に辞めなければ…取り返しのつかない事になるわ」
エリクを失うかもしれない。
切実な思いが口を突いて出た、その時。
「お嬢様! 何かございましたか!」
口論を聞きつけたのだろう。緊迫した空気を破るように、他の従者が勢いよく扉を開けて入ってきた。
突然現れたその人物は、私の目には眩しすぎるほど整った肌を持っていた。途端に、壊れゆく人形の肌がよ記憶の底から蘇る。心構えができていなかった私は、反射的に喉を鳴らし、言葉を失った。
「完璧な淑女」の仮面を被る暇も、自立という決意を思い出す余裕もない。
気がつけば。
私はエリクの背中にひっついていた。
視界を遮る、いつもの地味な色の燕尾服。
鼻先をくすぐる、干したばかりのシーツのような落ち着く香り。
恐怖に縮こまった私の身体をエリクの背中に隠し、額を押し付ける。
エリクの体温が、服越しに私の顔面へと伝わってきた。自立しなさいという心の叱咤は、彼の背中から伝わる安心感の前に、あっけなく霧散してしまった。
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