あっちがわの仮面 2.仮面と詠唱
みち子の家なら、ご近所です。
いったん、家に帰ってカバンをおいてくることも考えましたが、六歳の自分を今の自分の家につれて帰るなんて、ヤヤコシイことにもなりかねません。
そのまま、直接、向かいました。
ピン、ポーン
インターホンが古典的な音をたてましたが、返事はありません。
ピンポンピンポンピンポン――
連打しても、同じです。
「まだ帰ってないのか?」
鍵っ子のみち子です。まだ学校から戻っていないか、買い物にでもいっているか。そうでないなら、おばあさんの家かもしれません。
健太郎にとっては、ただそれだけのことでしたが、六歳児は不安そうな顔になりました。
「ママさん、いない?」
つぶやいて、ぎゅっと、健太郎のズボンのわきを、にぎってきます。
さっきのやりとりを、思いだしたのでしょうか。「いない」ということばには、たんなる「留守」以上の意味がこもっているようにもきこえました。幼いながらに、いまおかれている状況が、ふつうではない、と、感じているのかもしれません。
(われながらカンの鋭いことで……)
健太郎は、かるく幼児の頭をなでながら、
「買い物にでも行ってんだろ」
主語をはぶいて、そういいました。
「それか、ばあちゃんちかもしれないぞ」
「ばあちゃん?」
六歳児の顔がぱあっと明るくなりました。
「おう。場所、わかるか」
「うん! こっち!」
六歳児は、ぐいぐいと、健太郎の手をひっぱりました。
健太郎は、引かれるままに、ついていこうとしました。
でも、たどりつくことは、できませんでした。
「あれ? なんだ、この道?」
みち子の家の、すぐとなりに、路地というか、通路みたいな、細い道があるのでした。
人ひとりがやっと通れるくらいの、道というより、すき間といったほうがいいような狭さです。
「こんなところに、こんなの、あったっけ?」
いいえ。あるはずがありません。
幼いころから、何度も、それこそかぞえきれないくらい来ている場所なのですから、まちがえようもありません。
そんな場所に、そんな道など、なかったはずです。
にもかかわらず……
「……みち子じゃん」
ひょいとのぞきこんだ、その細い道の奥のほうに、見なれた女の子の後ろ姿が、見えたのです。
それもまた、小さいころから、何度も何度も、かぞえきれないくらい見てきた背中です。やっぱり、まちがえようがありません。
それに、顔だって――横顔でしたけど――ちゃんと見えました。
道は、みち子のいるそのあたりで、十字路になっているらしいのです。みち子はそこで立ち止まって、きょろきょろ、左右を見まわしているのでした。
そうして、ときどき、手にもった何かを見下ろしたりもしているのでした。
まるで、コンパスかなにかで、方角をチェックしてでもいるかのように……。
(でも、こんな町なかで……?)
健太郎が首をひねっているあいだにも、みち子は、行く先をきめたようでした。すっと、曲がり角の向こうに、姿を消してしまいました。
「あ、おい」
健太郎はあわてました。
「こっちだ」
六歳児の手をひっぱって、路地に足をふみいれました。
六歳児は、まだおばあさんの家にいくつもりで、抵抗します。
でも、健太郎がふりかえりざま、
「こっちにみち子がいるんだよ!」
と、叫ぶと、「ほんと?」と、こちらも叫んで、走りだしました。
それどころか、あせって、健太郎を追いぬこうとします。
でも、道がせまくて、うまくいきません。ムキになった六歳児が「んー」とうなって、うしろから押してきます。
「こらこら」
われながら必死だな、と、苦笑しながら、健太郎は、押されるままに走りました。
あやうく、十字路を通りすぎそうになったのは、ご愛敬というところでしょう。
「こらこら、ここだここだ」
六歳児にストップをかけ、左右を見まわします。
でも……
「あれ?」
みち子の姿は、どこにもありませんでした。
右も左も、とくにカーヴしているわけでもない、一本道です。
道幅は狭いですが、ずっと先まで見とおせます。
そうそう見失うこともなさそうなものですが……
どこかにまた曲がり角でもあるのでしょうか?
どこか建物のなかにでも入ったのでしょうか?
でも、道の左右は、住宅地の裏道らしく、ブロック塀や板壁や、生垣なんかがつづいていて、そうそう入りこめそうな場所もありません。
「勝手口でもあるのか?」
健太郎は首をひねりました。
そのあいだにも、「みっちゃんは?」と、六歳児がきいてきます。
「ねえ、みっちゃんは!」
しびれをきらしたように、声は高くなっていきました。
ああ、それがだな……と、健太郎が歯切れの悪い返事をすると、六歳児は、うーっと、うなって、パンチなんかもくりだしてくるのでした。
幼児とはいえ、それなりにこしゃくな威力です。
「こらこら、やめんかっ!」
いいながら、バランスをくずしそうになって、つい、曲がり角に、足をふみこんでしまいました。
その瞬間でした。
「あれ?」
さっきまでのせまくるしい道はもうどこにもなくて、二人の健太郎は、見わたすかぎりだだっ広い荒野みたいなところに、立ちつくしているのでした。
*
「あづい……」
健太郎は、うめきながら、よろよろと足をはこびました。
六歳児は、やけに静かです。
手をひいているのですが、とくに抵抗がないということは、ちゃんと歩いてはいるのでしょう。
でも、声をだす元気は、ないようでした。
最初は、そうではありませんでした。
暑い、と、わめいて、健太郎がかしてやったジャージも、元から着ていたセーターも脱いでしまって、ほうっておいたら、そのまま裸にでもなりそうな勢いでした。
健太郎も、上着を脱ぎました。
そこは、見わたすかぎり、木の一本も生えていないような、ただひたすらだだっ広い荒野でした。容赦のない太陽がギラギラと照りつけ、地面はかわききって、ひび割れています。日かげひとつありません。
さっきまでの十二月の寒さからすると、頭がおかしくなるような落差でした。
「どこだよ、ここ……」
見まわしても、目印になるようなものは何もありません。
ひび割れた大地に、ところどころ、緑というより茶色にちかい草が、ぽつり、ぽつり、生えているだけです。
みち子の姿だって、そんなもの、どこにもないのでした。
しばらくは、何を考えることもできず、ただぼうぜんと立ちつくしていました。
でも、やがて、それもできなくなっていきました。
ジリジリと照りつけてくる太陽は、暑いというより、熱いのでした。やけどでも負ったように、背中や手足が痛くなってくるのでした。
流れた汗が、すぐにかわいて、塩になって、なおさらひりひりするのでした。
のどがかわきました。
暑さは、外だけでなく、からだの内がわからもやってくるようでした。
(そういえば……)
砂漠の民は皮膚をださない。全身をすっぽり覆って、一見、暑苦しそうな厚着をしている。それというのも……。
どこかで読むか、社会科の授業のときの、先生の雑談か何かだったか――そんな豆知識みたいなものを、思いだしました。
ここは、地面が砂というわけではないのですが、殺人的な直射日光は、砂漠にも負けていないのではないでしょうか。
健太郎は、あわてて、六歳の自分をふりかえりました。
六歳児は、口をあけて、しゃがみこみ、はあはあ、あえいでいました。顔がまっ赤です。
「いかん、これ着ろ!」
健太郎は、ぬぎ捨ててあったジャージを着せなおすと、さらに体操服もひっぱりだし、六歳児の頭に、頭巾のようにかぶせました。
そんなもので間に合うのかどうかわかりませんが……何もないよりはマシであることを祈るしかありません。
(ジャージなら通気性もある……といいなあ)
それとも遮光や断熱という意味では、健太郎のジャケットのほうがいいのでしょうか……?
ききかじりの雑学知識なんかでは、どちらが正しいのか、どちらも見当はずれなのか、判断しようがありませんでした。
(とにかく、日かげをさがさないと)
それに、水だ――健太郎は、六歳児をはげまし、はげまし、歩きだしたのでした。
*
それが、ついさっきのことでした。
いいえ、もうずっとまえのことだったかもしれません。
どれくらい歩きつづけているのか、健太郎にはわかりません。
ただ、最初のうちは文句をいっていた六歳児が、いまはすっかり黙りこんでしまっている――それは危険な兆候なのだ、と、そのことだけは、頭のすみで意識することができました。
だからといって、どうしてやろう、と、考える余裕はありません。
健太郎だって、まいっているのは、同じです。
六歳児には、デタラメでも、多少はそれっぽい装備をつくってやることができました。
でも、健太郎自身は、冬物のセーターにダウンジャケット。通気性が悪すぎて、さすがに着ていられませんでした。
それらを脱いでも、下も長袖・長ズボンだったのが、せめてもでしたが……
しょせん、長つづきするはずは、ないのでした。
最初のうちは、あれこれ、いそがしく考えていたような気がします。
ここはどこだ。どうしてこうなった。みち子のせいか。あいつは何者なんだ。見つけたらただじゃおかねえ……
でも、そのうちに、頭がぼーっとして、何もかもオックウになっていきました。
ただ、みち子の名前だけを、呪詛みたいに、つぶやきつづけました。
でも、それもだんだん、意味がわからなくなっていきました。
ただ、ひと目、会いたい。それだけのような気もしてくるのでした。
(やばいな。本格的にどうかしてきた……)
最終的に意識を失ったのが、いつのことだったのか……。
健太郎にはそれもわかりませんでした。
……。
…………。
………………。
「にーちゃん、みずっ!」
パシャンッ!
「うおあっ!?」
突然の水しぶきに、健太郎はとび起きました。
目を開けると、六歳の自分が、茶色い革袋みたいなものをかかえて、健太郎の顔をのぞきこんでいます。
革袋のはしっこは、細くなって、そこから、水がしたたりおちています。
「水!」
健太郎は、ひったくるように革袋をうけとると、むさぼるように飲みました。そして、むせました。
六歳児がおろおろしています。
でも、その痛さも苦しさも、ある意味、生きている証拠でした。
(あのあと、どうなったんだ……?)
ひと息ついて、口をぬぐって、健太郎は、あらためて、あたりを見まわしました。
そこは、あいかわらず、むきだしの地面の上ではありました。
でも、日かげには、なっています。
見れば、たたみなら一、二畳くらいのせまい範囲ですが、四隅に木の棒が立てられ、そのうえに、布のようなものがかぶせてあります。
布……なのか、何か動物の皮革なのでしょうか。そのシートは、側面にも垂らされて、壁になってもいるのでした。
粗雑な、まにあわせの、天幕――というか、日よけ的なもののようです。天井は、子どもでもまっすぐには立てないくらいの高さしかありません。
「ここは……?」
健太郎がきくと、六歳児は、だまって、天幕の一面をゆびさしました。そこだけ布の一部がはねあげられています。
赤銅色の背中が見えました。
天幕のすぐ外で、上半身裸の男の人が、こちらに背を向けて座っているようです。
パチパチと火のはぜる音がします。たき火のようです。
その人は、たき火の前にすわって、火にかけた鍋の中身を、ヘラか何かでかきまぜているのでした。
そうして、ゆっくりと上半身をゆらしながら、なにか、声をだしているのでした。
ムーだとか、ンーだとか、あるいは、アーとか、ウーとか……言葉とは思えない低い声を、ふしぎな抑揚をつけながら、だしているのでした。
歌うようでもあり、唱えるようでもありました(「詠唱」というのだと、あとで、健太郎にもわかりました)。
あたりは、さっきまでの真昼のまぶしさではなく、すこし暗くなりかけていました。空は金色にかがやいて、その色もすこし赤みをおびています。まもなく、日が沈むのでしょう。
夕方の光のなかで詠唱する、半裸の男。文明の香りのしない粗雑なテント。まるで秘境物の映画にでも迷いこんだみたいです。
「なんだ、こりゃ?」
思わず、声をあげました。
いいえ。半分は意識的に、自分の正気をたしかめるためだったかもしれません。
けれど、その声に、男の人がふりかえったとき……
健太郎は、なおいっそう狂気じみた世界に、はまりこんでしまうような気がしたのでした。
その人は仮面をつけていました。
かたそうな、たぶん、木製の仮面でした。
一面にびっしりと彫刻がほどこされ、あざやかに彩色されています。
全体を覆うのは白と黒のひし形模様。まるいギョロ目に、キバのある口。
その口からは、先っぽが二股にわかれた青い舌が、のぞいているのでした。




