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あっちがわシリーズ(仮)  作者: 七瀬みる


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7/10

あっちがわの仮面 3.太陽とトカゲ


 空の赤みがだんだんと濃くなっていきました。

 それにつれて、地上は、すこしずつ、明るさを失っていくようでした。

 ほのかに赤い夕景のなかに立つ、エキゾチックな仮面をつけた半裸の男。

 真昼の町なかで見かけたら、笑うしかないその姿も、このロケーションだと、一種異様な存在感をかもしだすみたいでした。

 存在感。または、威圧感とも、迫力とも、いうべきだったでしょうか。

「真昼のラームダハッラを歩いてわたろうとは命知らずな子どもたちだ。ましてこの日照りのさなかに」

 詠唱を終え、天幕をのぞきこんだ男は、健太郎を見おろしながらそういいました。

 しずかな口調でしたが、うむをいわせない威厳がありました。

 はあ、どうも、と、健太郎はただひょこっと頭をさげることができただけでした。

 違和感に気づいたのは、そのあとでした。

「あれ? 日本語?」

 秘境物……にしては、あっさり言葉が通じています。夢でも見ているのでしょうか。

 仮面の男は、その疑問には答えず、手にした木製のおわんをさしだしました。

「飲んでおけ」

 さっき、たき火で煮こんでいたものでしょうか、すこし脂のういた液体が湯気をたてています。

「これは……?」

「叡知の水」

「えいち……?」

 ききましたが、答えはありません。

「飲んだらすこし休め。この子より君のほうがダメージが深い」

 それだけいうと、男はまた顔をひっこめようとしました。

 健太郎はあわてて、呼びとめました。

「いや、休んでる場合じゃないって。人をさがしてるんだ」

 すると男は、すこしだけふりかえって、

「あわてなくても、向こうからやってくる。――時守ならばな」

 そういうのでした。

 しずかですが、やっぱり、うむをいわせない口調でした。

 それ以上はなにもいわず、六歳児をつれて出ていきました。

 残された健太郎は、わたされたおわんの中身をみつめて……

 意を決すると、ずずっ――ひと口、すすりました。

 うすい塩味のスープでした。

 汗で塩分を失った体に、しみわたりました。

 ぱさぱさした白い肉みたいなものや、何か香草のようなものも、すこし、はいっているようでした。


  *


 そのあと、すこし眠りました。

 眠っているあいだに、健太郎は、夢を見ました。


 高い山の頂上に、きれいな女の人がすわっていました。

 その全身は光り輝き、熱を発しています。そうやって、下界を照らし、温めているのでした。

(太陽の女神だ)

 と、健太郎は思いました。

 すると、一匹のオオトカゲが、その女の人の足下に這いより、見るまに、するすると、そのからだに巻きついたのでした。

 なにしやがる、と、健太郎は思いました。

 でも、女の人は、平気でした。

 それどころか、トカゲと、女の人は、見つめ合い、口づけなどかわすのでした。

 なにしやがる、と、健太郎はべつの意味で思いました。

 女の人の声が聞こえました。

『焼け死ぬこともなく、わたしを抱ける、あなたはだあれ?』

『オゥブナーガダーシュ。おれのウロコはかたい。かんたんに焼けたりしない』トカゲが答えました。

 そして、いったのです。

『おれの巣穴にきて、おれの子を産んでくれ』

 女の人は承知しました。

 二人は山をおりていきました。

 おりていくにつれて、最初は岩と石しかなかった山肌に、草が生えはじめました。

 けれど、その草は、女の人が近づいてくると、茶色く枯れて、カサカサに干からびて、ついには、火をふいて燃えだすのでした。

 それでも、二人はなお山をくだっていきました。

 草のつぎには、灌木が生えているのが見えてきました。

 けれど、その灌木たちも、女の人が近づいてくると、茶色く干からび、火をふいて燃えはじめるのでした。

 それでも、二人はなお山をくだっていきました。

 やがて、行く手に、林が見えてきました。

 けれどその林の木々たちも、女の人がそばまでくると、やっぱり、火をふいて燃えてしまうのでした。

 あたりはもう山火事です。

 女の人が嘆きました。

『ああ、わたしは、やっぱり、あなたの巣穴に、行けはしない。行けば、すべてを、焼き亡ぼしてしまう』

『かまわない』トカゲはこたえました。『たとえすべてを亡ぼしても、いとしい人、おれはきみをはなしはしない。おれの巣穴にきて、おれの子を産んでくれ』

『いとしい人、あなたの子を産みましょう。でも、それはあなたの巣穴でではない』

 女の人は、トカゲをふりすてると、元きたほうへ走っていきました。

 高い高い山のいただきに走っていきました。

 そのまま、さらにずっと走っていきました。

 上へ上へ――

 女神は、山より高い空の上まで、かけあがっていくのでした。

 トカゲもそのあとを追って、空へ上っていくのでした。


 健太郎の頭に、ふっ、と、ことばがうかびました。


『いまでもトカゲは女神を追いかけている。女神はいまも逃げている。太陽が空を走るようになったのは、そういうわけだ』


『ときどき、トカゲが追いつくこともある。日蝕はそうして起こる。そして子どもが生まれる。子どもたちは地上に落ちて、アオジタトカゲの一族になった。かれらがいつも陽をあびて、空を見あげているのは、母を恋しがっているからだ』


 これは神話だ――

 健太郎は気づきました。

 この世界に生きる人たちが語り伝えてきた神話。

 あるいは伝説。

 そのイメージ、そのことば、その情報が、頭のなかに流れこんでくるのだ、と……なぜか、理屈ではなく、感覚で、そう理解することができるのでした。

(なんで? どうなってる?)

 神話のイメージは、なおも、まだ、あとからあとから、流れこんできました。

 トカゲや太陽だけではありません。空を飛ぶ鳥の神話。地をかける獣の神話。星の、山の、海の、川の、大地の神話。五本指の人間の誕生。狩りの神話。穀物の発見。魔物の神話。英雄の神話。

 さまざまな神話のイメージが、次から次へ、健太郎のなかに流れこみ、語りかけ、そして通りすぎていくのでした。


  *


 目がさめると、あたりはもうだいぶ暗くなっていました。

 でも、空にはまだ焼けこげのような赤い色が残っています。

 たき火もまだ燃えています。

 それらの明かりで、あたりの様子は、それなりに見てとることができました。

 健太郎のとなりには、六歳の健太郎が、大の字になって、すやすやと眠っています。

 仮面の男は、さっきと同じように、たき火のそばにすわっています。でも、もう、詠唱はしていないようでした。

(叡知の水はできあがったからな)

 さっきの詠唱は、叡知の水に呪力をこめるためのものだった――健太郎は、ごく自然に、そう理解しました。できてしまいました。

 なぜ理解できるのか、それも、わかる気がしました。

(なんてこったい)

 かるくため息をついて、起きあがりました。

 ぶるっと、からだにふるえが走りました。

 昼間の暑さがうそのように、気温は急激にさがりはじめているようでした。

 健太郎はダウンジャケットを六歳児の上にかけてやると、自分は肩をさすりながら、たき火に歩みよりました。

 火のそばにすわり、からだをあたためながら、仮面の男を見つめました。

 仮面の人は、うつむいて、小さな刃物で、コリコリ、コツコツ、何か木を削るような作業をしています。

 ずっと、無言でした。

 仮面のせいで、表情もわかりません。

 ただ、わかることもありました。

 仮面に彫られた、白と黒のひし形模様は、ウロコの図案。キバのある口からのぞく青い二股の舌は、ある種の生物の特徴をあらわしているのだ、と……今でははっきり理解できるのでした。

(舌の青い四つ足のヘビ……オゥブナーガダーシュだ)

 仮面の人が、すこし顔をあげました。

 仮面の下の見えないはずの顔が、なぜか、ふっと笑ったように感じられました。

 でも、それだけでした。

 仮面の人はなにもいわず、またすぐに下を向きました。

 コリコリ。コツコツ。たき火のあかりで、作業をつづけています。

 さきに沈黙にたえきれなくなったのは、健太郎のほうでした。

「なあ」と、健太郎は、いいました。

「たすけてもらったことには、礼をいうよ。でも、よかったのかい? 叡知の水って、あれ、トカゲのスープだろう。あんたたちの部族にとっては神聖な生き物じゃないのか、特別な儀式のときにしか食わない……。それを、おれみたいな、部外者に飲ませて――」

 おかげでいろいろわかるようになったけどさ――そう言いかけて、健太郎は口をつぐみました。

 たしかに、さっきからの健太郎は、ほんらい知っているはずのない、この世界についての知識、常識みたいなものが、わかるようになっていました。

 それが、仮面の人に飲まされた「叡知の水」のおかげだということも、知識はもちろん、感覚としても、理解することができました。

 部族の祖先としての特別な生物。その肉を食べることで、霊的に一体化し、その能力を身につけることができる。トカゲのシンボルは「智恵」と「生命」。だから「叡知の水」。それを作ることのできる仮面の男は、部族の呪術師――ムンドゥ=ラングァ――なのだ、と……。

 でも、本来の健太郎の常識が、それを口にだして、はっきりと認めてしまうことを、ためらわせていました。

 それに、叡知の水を飲む前から、言葉が通じていたことも、わすれたわけではありません。

 たすけてもらったからといって、かんたんに信用するわけにはいかない――健太郎はこころのなかでそう身がまえているのでした。

 仮面の呪術師は、見すかしたように、また笑いました(健太郎には、たしかに笑ったと思えました)。

「部外者なら、掟にしばられることもあるまい」

「いや、そうかもしれないけど! ……ただ食っただけじゃない。叡知の水だぞ? ムンドゥ=ラングァだけの秘儀だろう。おれを呪い師にでもするつもりか」

「ムンドゥ=ラングァが決めたことだ。だれも文句はつけぬ」

「だから、なんでだよ……!?」

「必要だろう、これからの君に」

「おれに? なんで?」

 健太郎は目をパチクリさせました。

 呪術師は、喉の奥でわらいました。

「きみの太陽は、まったく、トカゲづかいが、荒いからな」

「おれの……太陽?」

「おでましだ」

 トカゲ仮面が顎をしゃくりました。うしろを見ろ、と、いうことのようです。

 健太郎はふりかえりました。

 いつのまにか日はもうあらかた沈んで、あたりはすっかり暗くなっています。さっきからずっとたき火の明かりに照らされていた目には、ほとんどまっくら闇に見えました。

 でも、逆に、向こうからは、丸見えだったのでしょう。


「ちょっと、アンタ! こんなとこでなにやってんのよ!」


 暗やみのなかから姿をあらわしながら、みち子が、そういって、どなりました。


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