あっちがわの海 1~3
みっちゃんは、夢を見ました。
ひさしぶりに見る夢でした。
とても、いやな、夢でした。
夢のなかで、みっちゃんは、五、六歳くらいの、うんと小さいころに、もどっていました。
そして、ママといっしょに歩いていました。
スーパーにお買い物にいった、帰り道でした。
ママの両手は、荷物でふさがっていて、手をつなぐことができません。
だから、みっちゃんは、あっちへ行ったり、こっちへ寄ったり、ママのまわりを、ふらふら、歩きまわっているのでした。
そしたら、そのとき、ママが、ふと立ちどまって、いうのでした。
『あら、ここに、こんな道、あったかしら?』
とたんに、チッチッチッチッ――みっちゃんのポケットで、懐中時計が鳴りだすのでした。
おどろいてふりかえると、ママは、もう、その《道》のずっと先まで、行ってしまっているのでした。
『あら? あらあらあら?』
ママがおどろいたような、困ったような声をあげました。
ママがじぶんで歩いているというよりは、《道》のほうが、動く歩道みたいになって、かってに、ママをつれていくみたい。
みっちゃんは、あわてて、ママを追いかけようとしました。
でも、なんででしょう。足はぴたっと地面にはりついて、一歩も、うごくことができないのでした。
『ママ! ママ!』
みっちゃんは、叫んで、手をのばしました。
そのあいだにも、ママはどんどん遠ざかっていきます。
『だめ! そっち、行っちゃ、だめ!』
みっちゃんは、いっしょうけんめい、叫びました。でも、もうどうしたって、ママにはとどかないのでした。
気がつくと、《道》はぐにゃあっと、いくつもの絵の具をまぜたみたいに、ゆがんで、とけて、消えていくのでした。
それといっしょに、あたりの風景も、とけて、くずれて、消えてしまって……あとはただ、のっぺりとした暗やみのなかに、みっちゃんだけが、とりのこされているのでした。
そこへ――
『なにをしてもムダさ』
どこからか、声が、きこえてくるのでした。
地の底からわいてくるみたいに――
天からふりそそいでくるみたいに――
まるで、変えようのない、うんめいの宣告みたいに、きこえるのでした。
みっちゃんは、ぞっとして、息がつまって、汗ぐっしょりになって、目をさましたのでした。
目をさますと、だれもいない、リビングの、ソファの上でした。
時刻は、夜、八時ちょっと前。
天井の照明があかるく光って、エアコンがしずかな音をたてています。
汗ぐっしょりになった、みっちゃんは、息をととのえ、壁にかかった鏡をみつめました。
鏡にうつっているのは、小学校五年生の女の子。五年生のみっちゃん。ここは、みっちゃんの家。うん、まちがいない。
それだけたしかめると、みっちゃんは、ふうっと、息を吐いて、ソファにもたれました。
額に手をあてて、思いだします。
あの長い荒野の旅から帰って、健太郎とわかれたあと、ひとりで晩ごはんをすませて、お風呂にはいって、スマホなんかいじっているうちに――うとうと、してしまったのでした。
そして、あんな夢をみたのでした。
(あいつが、あんなこと、いうからだ――)
わかれぎわの健太郎が、しんそこ、ふしぎそうに、きいてきた、ひとこと。
『おまえの母ちゃんって……その……いなかった、よな?』
あれが、きっかけだったに、ちがいありません。
みっちゃんは、ソファの上でひざをかかえて、顔をふせました。
だれもいない夜のおうちは、とっても静か。
パパの帰りは、今日も、おそいのでしょう。
1
ママがいなくなったのは、あれは、いつのことだったでしょう。
小学校にあがってすぐ?
もうちょっとたってから?
二年生? 三年生?
それとも、つい、このあいだ……?
いいえ、やっぱり、小学校にあがる前――むじゃきに《あっち》であそんでいた、幼稚園生のころだった気もします。
忘れられないのに、記憶があいまいでした。
きっと、何度も、《あっち》と《こっち》を、行ったり、来たり、しすぎたせいかもしれません。
だって、時間は分岐する。世界は分岐する。可能性は無限大――トカゲ仮面は、そういいました。
まして、いまは、時計塔の暴走中。
時間なんて、わかれて、もつれて、輪になって、わけがわからなくなったって、おかしくありません。
ふつうの人とはちがって、《あっち》と《こっち》を、行ったり来たりできてしまう、みっちゃんなら、なおさらです。
あれは《あっち》だっけ? 《こっち》だっけ? いつ、どこで、だれと、なにが……? いくつもの記憶がごっちゃになって、頭がこんがらがってしまうのです。
ただのかんちがいなんかじゃなくて、そのいくつもの記憶のそれぞれが、みんな、ぜんぶ、ほんとうなのです。
ママがいなくなったのだって、一度や二度じゃなくて、何度も何度も、くりかえし、みっちゃんをおいて、いなくなってしまった気がするのです。
あれはいつ? 一年生? 二年生? 去年? おととし? それとも、つい、このあいだ……?
いいえ、やっぱり、もっとずっと、前のこと……。
幼稚園の卒園式のときには、ママはたしかに、まだ、いてくれたのに。
なのに、同時に、そのころには、とっくのとうに、いなくなっていた気もするのです。
どうしてそうなるのか、わかりません。
たしかなことは、ただひとつ。いま、ここに、ママは、いない。ただ、それだけ。
ママとはぐれたあの日から――それがいつだったのか、わからないけれど――みっちゃんは、ずっとママをさがしているのです。
ずっと、ずっと、迷子なのです。
たしかに、おぼえては、いるのです。
ママがいなくなった日の記憶。
忘れられない、イヤな思い出。
でも、それだって、ひとつだけでは、ないのです。
たとえば、それは、そう、あの砂時計の一件で、おばあちゃんの家から帰るとちゅう、《道》にまよって、未来の自分にであった、あの日――。
おばあちゃんちを出て、あらためて家に帰ると、なぜだか、ママはいなくって。お仏壇のなかでママの写真だけがにっこり笑っていたりして……。
ママのかわりに、ぜんぜん知らないやさしいおばさんが――知らないはずなのに、家政婦さんの高みねさんだって、わかってしまう、おばさんが――晩ごはんのじゅんびをしてくれていたりして……。
さっきまでごきげんさんで、ランドセルのみっちゃんをパシャパシャ写真にとっていたパパが、いまは暗いお顔でぼんやりすわってうごかなかったり……。いいえ、そもそも、朝から、どこかにでかけたっきり、まだ帰っていなかったり……。
そうかと思えば、そのパパが、「ママは? ママは?」ときくみっちゃんに、とつぜん、おこりだしたり、泣きだしたり……。
いわれてみれば、みっちゃんも、病院のベッドでくだにつながれ、ピッピッ、ピッピッ、いってるママを、とうめいなビニールのついたてごしに見ていたことがあったのを、思い出してしまったり……。
そうではなくて、さいしょっから、ママなんて人には、会ったこともなくて、顔もしらないって気がしたり……。
なのに、ついこのあいだも、ママのお手伝いをして、いっしょに晩ごはんをつくった記憶が、ちゃんとあるような気がしたり……。
みっちゃんの記憶は、なんだか、もう、よくわからないことに、なっているのです。
ただ、そのなかでも、ひとつだけ――ほかとはちがう、特別な、けってい的だったように思える記憶が、ないでもありません。
ほんとうのほんとうに、ママがいなくなってしまったのは――その可能性がとりかえしようもなく確定してしまったのは――あの日、あのときだったんじゃないだろうか……そんなふうに思える記憶です。
さっきの夢も、だいぶ変形してはいるけれど、そもそものモトになっているのは、その日の記憶にちがいないのでした。
その日は、そう、夢でみたのと同じように、みっちゃんは、幼稚園生か、一年生くらいの、小さな女の子でした。砂山に行ったあとだったのか、まえだったのか……はっきりはしませんが、そのくらいです。
そして、そう。たしかに、夢と同じで、ママといっしょにお買い物にいった、その帰り道なのでした。
チッチッチッチッ――
ポケットのなかで、懐中時計が、うごきはじめたのです。
そしたら、ママが、立ちどまって、首をかしげて、いったのです。
「へんねえ、ここに、こんな道、あったかしら?」
みっちゃんは、目をかがやかせました。
いまから思えば、じぶんを、ブン殴ってやりたい気もしますが……。
あのころのみっちゃんは――もう何度か、おかしなことにまきこまれてはいたけれど――まだ、ほんとうには、《あっち》のことを、わかっていませんでした。
こっちとはちがう、ふしぎなことのおこる《あっち》を、なにか、たのしい、おとぎの国みたいに、思っていたのです。
しきりに、みっちゃんを、呼ぶ――呼んで、さそいこもうとする――そこを、なつかしい、ふるさとみたいにも、感じていたのです。
だから、そんな《あっち》への道が、ママといっしょのときにあらわれて、思わず、うれしくなってしまったのでした。
ママといっしょなら、きっと、もっとたのしい。
ママといっしょなら、きっと、もっとあんしん。
そう思ってしまったのです。
だから、ママのスカートをひっぱって――ママの両手は荷物でふさがっていたから――その道を行こうなんて、さそってしまったのでした。
「そうねえ、方向は、いつもの曲がり角といっしょだし、もしかしたら、近道かもしれないわねえ」
ママも、そんなふうに、いってくれたのでした。
「たんけん、しちゃおっか?」
みっちゃんは、おおきくうなずいて、ママといっしょに、その《道》に足をふみいれたのでした。
しばらくは、なんのへんてつもない、道でした。
右にも、左にも、ありふれたお家がならんで、足もとは、すこしだらだらした、のぼり坂になっています。
このままふつうに通りぬけて、いつもの住宅街につづいていそうな感じです。
でも、そんな、ふつうの道であるはずは、ありません。
だって、タンマツの懐中時計は――チッチッチッチッ――あいかわらず、一定のリズムをきざんで、うごきつづけているのですもの。
みっちゃんは、タンマツを、方位磁石みたいに手にもって、たんけん気分で、すすみました。
ママが、みっちゃんの手もとをのぞきこんで、目をまるくしました。
「まあ、その時計、うごくの?」
ふっふーん。みっちゃんは、いばって、時計を、かざしてみせました。
それは、おばあちゃんにもらった、懐中時計。《時計塔》とつながるタンマツです。
ふだんは、こわれているみたいに、うごきません。
でも、《あっち》とつながる道があらわれると――そのときだけ、チクタク、うごきはじめるのです。
そうして、みっちゃんを《あっち》につれていってくれるのです。それから、また、つれて帰ってくれるのです。
でも、ママは、そんなこと、知りません。
「てっきり、こわれてるんだと、思ってたわ」
うごいているタンマツをはじめて見たママは、そういいました。
みっちゃんは、いよいよ、ワクワクしてきました。だって、こうなると、タンマツについて、ママにお話しできるかもしれません。そしたら、《あっち》のことも、今度こそ、ちゃんと聞いてもらえるかもしれないのです。
でも、そのときだったのです。
「あら?」
ママが、立ちどまって、目をとじました。
すぅっと、息をすって……とめて。
すこし背のびをして、遠くの音に、耳をすませているみたい。
「波の音だわ」
ママがいいました。
そして、首をひねりました。
「おかしいわねえ、こんな町なかで、海の音がするなんて」
ふしぎそうにつぶやきながら、でも、うっとりと目をとじて、耳をすませつづけているのでした。
でも、みっちゃんには、なんにも、きこえません。
ママのまねして目をとじて、背のびだってしてみましたが、やっぱり海の音なんてしないのです。
きこえるのは、ざわざわ、あたりの街路樹をゆらす、風の音だけ。
みっちゃんは、首をひねりました。
ママにだけきこえる音なのでしょうか? 《あっち》なら、そんなことも、ありそうです。
でも、ママにきこえて、みっちゃんにはきこえないなんて、なんだか、おもしろくありません。
「しつれいしちゃうわ」
みっちゃんは、目をあけて、くちびるをとがらせました。
そして、もいちど、きょろきょろあたりを見まわして――海なんてどこにもありそうにもないことをたしかめて――ママのほうを、見あげたのでした。
そしたら、ママは、もう、どこにも、いなかったのです。
あたりは、ひとっこひとりいない、ただの道。
住宅街の坂道を、風がぴゅっと吹いて、ただそれだけ。
みっちゃんは、ぽかんと、してしまいました。
2
ぽかんとしたあと、総毛だちました。
「ママ! ママ!」
はしって、ママをさがしました。
さがすといっても、一本道です。かくれる場所もありません。
みっちゃんにできるのは、ただ、まっすぐはしることだけでした。そして、ママを呼ぶことだけでした。
呼んで、呼んで。
はしって、はしって。
いつかのぼり坂はきつくなって、左右のたてものはまばらになって――みっちゃんは、ミンミン、シャワシャワ、セミの鳴く、林のなかの道を、はしっているのでした。
そして、林のむこうの、あかるいほうから、ザブン、ザブン、かすかに、波の音がしてくるのでした。
だんだん、潮のかおりだって、してくるのでした。
(海――?)
ほんとうに、海があるのでしょうか。ママがきいていたのは、この音なのでしょうか。ママはそこにいるのでしょうか。
みっちゃんは、足をはやめました。いっきに林をかけぬけました。
木立ちをぬけると、まぶしい光がみっちゃんをつつんで、目がくらんで……
たちどまって、目をしぱしぱさせると、そこはもう白い砂浜でした。
見わたすかぎり……というわけには、いきません。
タテはばも、ヨコはばも、せいぜい、ひゃくメートルそこそこでしょうか。
ちょっとした、うんどう場くらいの、まあるい砂浜。
その外は、こんどこそ、見わたすかぎりの、青い海。
大海ばらのなかに、ぽっかり、とりのこされたみたいにうかぶ、ここは、白い砂の島なのでした。
さっきの林も、もう、ありません。どこかへ消えてしまいました。あの木立ちは、この島ではなくて、あくまで《道》の一部だったのでしょう。みっちゃんを、つれてきてしまえば、あとは、用ずみ、バイバイなのです。
(ま、いつものことよね)
みっちゃんは、肩をすくめて、あたりをみまわしました。
あるのは、ただ、青い海と、白い砂。
あとは、それを鏡にうつしたみたいな、青い空と、白い雲。
ただそれだけ……かというと、そういうわけでもありません。
白い島のまんなかに、ぽつんとひとつ、背のひくい、たてものが、たっています。
(あれは……)
なんだか、見おぼえのある、たたずまいでした。
もくぞう平屋の……お家というより、お店でしょうか? 入り口にドアはなくて、おおきな、よしずみたいな日よけが、かけてあります。
軒先には、ちりん、と、風鈴が鳴って……ビーチボールやうきわがつるしてあったり、上から開けるタイプの、冷凍庫だか冷蔵庫だかが、おいてあったりもするのでした。
かき氷、コインロッカー、貸しボート……それっぽいのぼり旗も、何本か、ならんでいました。
(えっと……海の家?)
まえに、パパにつれていってもらった海で、見たことが、ありました。
それは、それは、たのしい思い出なのだけれど……
こんな、人っ子ひとりいない、《あっち》の島なんかで見ると、場違い感がハンパありません。
(おきゃくさん、くるの……?)
ちょっとあきれながら、でもほかにあてがあるでもありません。みっちゃんは、ぽてぽて、そっちへあるいていきました。
白い砂に、小さな足あとが、のこりました。
お店の中は、ひんやりとした、うす暗がり。四角いテーブルがいくつかならんで、カラフルなビニールのパイプいすがセットしてあります。
帳場の奥には、流しや調理台があって、かき氷やソフトクリームの器械も、おいてあります。
壁には、水着のおねえさんのポスターや、手書きのメニューなんかも、はってあって……
つきあたりの壁ぎわには、奥へつづくドアに、セルフサービスのウォーターサーバーとガラスのコップ。カプセルトイのガチャガチャに、それから……なんででしょう? そこそこ大きな水槽に、一匹のちいさなカメさんが、ゆうゆうと、およいでいたりするのでした。
(カンリニンさんのシュミかしら……?)
首をかしげて、見ると、その「管理人」さんは、客用のパイプいすに、だらしなくもたれて……シュワシュワ、サイダーなんかのんでいるのでした。コップにつがずに、ビンのまま、ぐびぐび、やっているのでした。
みっちゃんののどがゴクッてしました。
セミのなく季節の《道》をはしって、カンカン照りの砂浜をあるいて……ママのことで気持ちがいっぱいで、それどころではなかったけれど、のどはもうさっきからカラカラなのでした。
「飲む?」というみたいに、管理人さんが、ビンをかざしてみせました。
おばあちゃんが、ごちゃごちゃいっていたことなんか、すっかり忘れて、みっちゃんは、いちもにもなく、うなずきました。
まえにパパにつれていってもらった海の家のおじさんは、シャツに短パンみたいな、ラフなかっこうでした。
でも、ここの管理人さんは、絵にかいたカンバンムスメみたいな、若いおねえさんで……この暑いのに、まっ黒なキモノなんかきているのでした。
さすがにそではまくって、背中でバッテンになるヒモでくくっていましたけど……かみの毛なんかも、うしろできちんとまとめて、黒いクシみたいなので、留めているのでした。
見かけは、ずいぶん、上品で、きちんとして……
でも、そのくせ、
「あー、チビに炭酸、まだ早いか?」
なんていう口調は、やけに、めんどくさそうで、ぞんざいなのでした。
(どういう、せってい、なのかしら……?)
ヒョウタンみたいなマークの、しゅわしゅわしない、きいろいジュースをあけてもらって、くぴくぴ飲んで……飲みながら、みっちゃんは、かんさつをつづけました。
管理人さんは、アルミの灰皿をひっぱりよせて、たばこなんか、吸いはじめました。
ママもおばあちゃんも、幼稚園のせんせいも――たばこをすう女の人って、あんまり身ぢかにいないので、みっちゃんは、ちょっとおどろきました。
そのくせ、そのおねえさんには、どこかで会ったことがあるような、よく知っている人のような、知っている人に似ているような……そんな気もするのでした。
ぜんぜん似ていないのに、ママに似ている気もします。
いいえ、似ているのは、まえに会った、記憶の森の管理人さんにでしょうか。
年れいも、たいども、ずいぶん、ちがうのに……
(しんせき……?)
なんでか、そんなふうにも、見えるのです。
みっちゃんは首をひねりました。
すると、管理人さんは、見すかしたみたいに、にやっと、笑いました。
「うまいかい?」
みっちゃんは、こくん。うなずきました。
「そうかい。思い出の味だもんな。ママとさいごにのんだ」
「さいご……?」
みっちゃんは、首をかしげました。
「おや、ちがったかい。じゃあ、こっちか?」
たばこをもみ消して、立ち上がった、おねえさんが、カウンターの下からとりだしたのは、水玉もようの紙につつまれた、ちゃいろいビンでした。
おねえさんは、そのビンのなかのねっとりした白い液を、コップにちょっとつぐと、その上から、ペットボトルの水をそそぎました。
わりばしを一本とって、かきまぜます。
のんでみると、あまくって、ちょっとすっぱくって、さいごに口のなかにネバネバがのこる、みっちゃんものんだことのあるジュースでした。
でも、のんだことがあるのは、さいしょからできあがっている、ペットボトルのやつばっかりで、こんなふうに原液を水でといてのむのは、はじめてでした。
「おもしろーい」
みっちゃんは、足をぱたぱたさせました。
「ふむ。じゃ、これもちがうか。夏の思い出だけどねえ」
まったく、どの時間線から、きたんだよ――おねえさんは、めんどくさそうに、そういうと、またあたらしいたばこに、火をつけるのでした。
「じかんせん……?」
「時間は分岐する。世界は分岐する。だったら人だって分岐する。思い出も。可能性は無限大――なんだろう?」
おおきく、けむりをはいて……
おねえさんは、ふん、と、ばかにしたみたいに、わらいました。
3
「じゃあ、これだ」
おねえさんが、テーブルにおいたのは、あかいシロップをかけた、いちごあじのかき氷。
「思い出の夏。ママが元気だったさいごの夏。いっしょに食べたかき氷。たのしい、さいごの思い出の味。――そういうことにしときなよ」
おねえさんは、うたうみたいに、いいました。
でも、さいごは、やっぱり、めんどくさそうな、ざつなまとめになるみたい。
「可能性が無限だってんなら、どれだっていっしょじゃないか。どれでもあって、どれでもない。なんでもあって、なんにもない」
そういって鼻をならすと、つかれたバイト学生みたいに、テーブルにつっぷすのでした。
そして、かったるそうに、いうのでした。
「たしかなことは、ただひとつ。ママが死んだ、ただそれだけ」
みっちゃんは、びっくりして、おねえさんを見つめました。
おねえさんは、ばかにしたみたいに、にやにやしました。
「ざんねんだねぇ、あんなにやさしいママだったのに、死んでしまって」
口さきだけは、やさしそう。でも、ちっともざんねんがっていないみたい。
みっちゃんは、カッとなって、さけびました。
「しんでないもん! ママ、元気だもん! さっきまでいたもん!」
でも、管理人さんは、肩をすくめて、
「でも、いまはいない」
って、いうだけでした。
みっちゃんは、くちびるをとがらせました。
「ママ、まいごになっただけだもん。見つけてあげるんだもん」
「そうかねえ。そうだったかねえ」
管理人のおねえさんは、どこまでもめんどくさそうでした。みっちゃんのほうを見もしないで、「あちい……」なんて、黒いキモノのむねをパタパタしています。
ちりん、と、風鈴がなりました。
でも、砂浜をわたってきた風はあつくて、音だけではちっともすずしい感じがしません。
「なにが認証ワード《墓守》だよ。この陽気に喪服なんか設定しやがって。だれのしわざだ。トカゲか? トカゲ野郎か? あのクソ王子がっ」
それとも、ババアのほうかねぇ……管理人さんは、ぶつぶつ、ぐちをこぼしました。
「はかもり……?」
「そうさ、墓だよ。この海ぜんぶ。きいてみなよ。波がさ、呼んでるだろう? みっちゃん、みっちゃん、ってさ。ママはあそこにいるのさ。あそこで、夢をみているよ。生きてたころの夢を。のこしてきた子どもの夢を。ママだけじゃない。死んだ人間、みんな、あそこで夢を見ているのさ」
うそだもん。みっちゃんは、くちびるをかんで、つぶやきました。上目づかいに、管理人さんを、にらみました。
いったい、この管理人さんは、何なのでしょう?
ときじくのおじいさんや、森の女の人とは、ずいぶん、ちがいます。砂山のトカゲとだって、ちがいます。
みっちゃんの知らないことをたくさん知っていそうなのは、これまでの管理人さんと同じですが……どうして、こんな、イジワルばかり、いうのでしょう。
「うそだと思うなら、たしかめてみるかい? この子が、つれてってくれるよ――死んだやつらの、ところへさ」
いよいよ憎ったらしく、口のはしをゆがめた管理人さんが、親指を立てて、さししめしてみせたのは、奥の水槽に飼われた、カメさんでした。
みっちゃんは、あらためて、そのカメさんのほうを見ました。
すると、カメさんも、にゅーっと首をのばして、みっちゃんを見て……
目が合った、と、思ったしゅんかん。
ざぶーん!
あっ、とおどろくまもなく、お店の中まで、海の水が押しよせてきたのでした。
ケタケタケタ、と、おねえさんが、おおきな口でわらいました。
「これでやっとすずしくなるねぇ」
そして、ザザーッ!
水は、みっちゃんたちをのみこんで、いっきに、天井まで――もっと上まで――水位をあげていくのでした。
いいえ。水位が上がったというよりは、地面のほうが、下がっているのでした。
みっちゃんには、それが、わかりました。カメさんの目をとおして、ぜんぶ、伝わってきました。
そう。ここは、見わたすかぎりの、海のまんなか。陸地なんか、みんな、とっくに沈んでしまって、海水だけしかない世界。
さっきの島は――さっきまで島だと思っていた砂浜は――その海をおよぐ、おおきな、カメの背中の上に、のっかっていたのでした。
そうして、その巨大なカメさんが、いま、きゅうに、海にもぐりはじめたのでした。
みっちゃんを、管理人さんを、海の家を、のせたまま……どこまでも、深く、もぐっていくのでした。
「波の下にもミヤコのそーろー」
おねえさんが、歌うみたいに、いいました。




