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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
予告なき翼編

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エピソード62 最後の一機

一九四二年四月十五日、午後。

房総半島南端付近の上空。


眼下には、陽光を反射して青く輝く太平洋が広がっていた。


雲の少ない空を、十二機の九七式戦闘機が飛んでいる。


三機ずつの小隊が四つ。

一定の間隔を保ち、指定された空域をゆっくりと旋回していた。


九七式は一人乗りの戦闘機だ。

機内は狭く、そして静かだった。


彼らの機体には無線が積まれていない。

パイロットたちは互いに声を交わすことなく、周囲の空を警戒していた。


第一迎撃隊がすでに不明機に向かって飛んでいることは出撃前に知らされていた。


しかし、戦況の詳細は一切入ってこない。

何機を撃墜し、何機が生き残っているのか。

敵は今、どこまで迫っているのか。


分からないからこそ、彼らは己の判断で勝手に動くことはしない。


第一迎撃隊を抜けてくる敵を受け止める。

それが、彼らに与えられた任務だった。


先頭を飛ぶ小隊長が、計器盤の時計に目を落とす。

じりじりとした時間が過ぎていく。


その時だった。

一人のパイロットが、前方の空の果てに小さな点を見つけた。


最初は海鳥かと思うほど小さかった。

だが、その黒点は徐々に輪郭を帯びていく。


双発の新型機。

それが、まっすぐこちらへ向かってくる。


十二機の九七式が、無言のまま微妙に隊形を整える。

第一迎撃の空域から、彼らを導く“目”がやってきたのだ。


「敵機五機、こちらは引き続き向かってきています」


蓮華の後席で、上田少尉が電探の緑色の光を見つめながら報告した。


画面には、第一迎撃隊の包囲をすり抜けた五つの光点が映し出されている。見失ってはいない。


「上田少尉、第二迎撃隊が見えました。」


蓮が、前方の空域に待機していた十二機の九七式を目視で捉えた。


蓮華が機体を軽く傾け、翼を振って合図を送る。

無線を持たない彼らに対する、視覚的な誘導だ。


九七式隊が即座に反応し、蓮華が描く航跡の後ろへと滑り込むように編隊を組み直す。


十二機の戦闘機を従え、蓮華は先導役として空の先頭に立った。


「五機とも、このままの進路であれば、東京方面へ向かっていると思われます」


上田少尉の声にも、緊張が滲んでいた。


「……分かりました。第二迎撃隊の優位な位置に誘導しましょう」


そう言うと、蓮はスロットルを押し込む。


蓮華は十二機の九七式を引き連れ、五機のB-25の進路上に真っ直ぐに突き進んでいった。


そして暫く経ったのち、房総半島沖上空。

ついに両者は激突した。


残存する五機のB-25は、互いの死角を補い合うように強固な防御隊形を組んでいた。


そこへ、十二機の九七式が一斉に襲いかかる。


四つの小隊がそれぞれ三機一組となり、四機のB-25へ向かって同時に急降下を仕掛けた。


すると残る一機は一時的に戦闘の外縁へと押し出される形になる。


「撃てッ!」


九七式の七・七ミリ機銃が一斉に火を噴いた。

曳光弾の軌跡が空に無数の線を引く。


銃弾はB-25の機体に次々と吸い込まれていく。

だが――落ちない。


B-25の分厚い装甲と防弾燃料タンクが、七・七ミリの弾幕を耐え凌ぐ。


鈍い火花が散り、機体の一部から煙が噴き出しても、巨大な爆撃機はなおも空を飛び続けていた。


逆にB-25の防御機銃が猛烈な反撃を開始する。


十二・七ミリ機銃の銃弾が、九七式の翼のすぐ脇を掠める。


被弾を避けるため、九七式がたまらず急旋回で離脱し、再び攻撃位置へと這い上がる。


上田が電探の画面から目を上げ、焦燥の声を上げた。


「……九七式では、荷が重いかもしれません……」


上空から戦況を俯瞰していた蓮も、奥歯を噛み締めた。


「やはり旧型機では、あの装甲は簡単には抜けなさそうですね……」


零戦ほどの破壊力がない九七式では、決着までに時間がかかりすぎる。


乱戦が泥沼化し始めたその時だった。


「奥野さん……見てください!」


上田の声が裏返った。


「先頭の一機、集団から離れていきます!」


蓮が視線を走らせる。


四機のB-25が九七式隊の注意を引きつける隙を突き、先頭のB-25一機が、戦域から滑り出るように離脱していくところだった。


十二機の九七式は、目の前の敵に釘付けにされている。


抜け出した一機を追えば、今攻撃している四機を取り逃がすことになる。


「一機、戦闘空域を完全に離脱しました」


電探から目を離さず、上田が報告する。


「進路は?」


「東京方面から進路変更した模様です。南西方向に向かっています!」


上田は息を呑んでから、言葉を継いだ。


「その先には……横浜方面となります」


「……横浜か」


眼下には、日本本土の海岸線が迫っている。

B-25は高度を下げながら、一路横浜を目指していた。


そこには、数え切れないほどの民間人が暮らしている。


蓮は操縦桿を握る手に力を込めた。


「奥野さん。このままの進路と速度であれば、凡そ10分後には横浜に侵入されてしまいます」


上田の切迫した声。

蓮は逃げていくB-25の背中を見続けた。


蓮の脳裏に、二〇五〇年での記憶が蘇る。

そして、この時代で出会った人々の顔が浮かんだ。


蓮は、もう迷わなかった。


「上田少尉……蓮華で撃墜しましょう」



その時だった。


A.I.D.A.の普段は無機質な声とは異なり、叱るような口調で、蓮にだけ語りかける。


「蓮。追撃は推奨できません。あなたはこの時代の人間ではありません」


蓮は驚かなかった。A.I.D.A.が何を言わんとしているか、痛いほど分かっていたからだ。


「……分かってる」


「あなたは二〇五〇年の自衛隊員です。あの機体を自ら攻撃すれば、搭乗員を殺傷する可能性があります。それは、あなたが本来いるべき時代の規範と矛盾します。残存する迎撃部隊に任せるべきです」


ましてや、ここは一九四二年。

過去の人間の命を、未来の人間が直接奪うことの意味


――その重圧が、蓮の胸に重くのしかかる。


「……じゃあ、どうしろっていうんだ」


蓮は呟いた。

B-25が横浜に入れば、爆弾が落とされる。


未来の規範を守るために、今、眼下で生きている人々を見殺しにするのか。


(俺は、守るって決めたんだ)


蓮は深く息を吐き出し、言い切った。


「A.I.D.A.……すまない。それでも、俺は行く。日本国民を守る為には、もう方法がない」


「あいつをこのまま横浜に入れるわけにはいかない」


「……蓮。貴方の選択は合理的ではありません。そして間違った判断だと言わざるを得ません。しかし、残念ながらこの機体は二〇五〇年の哨戒機ではありません。ですので武器の使用は可能です」


そして、蓮はインターコム越しに、上田にも考えを伝えた。


彼もまた、蓮の決意を感じ取り、少しの迷いの後、上田の声が力強く響く。


「……分かりました。奥野さんの意見に賛成します。行きましょう」


「分かっているとは思いますが、危険があります。いいですね?」


「私も軍人の端くれ。問題ありません!」


蓮は操縦桿を倒した。


蓮華が大きく機体を傾け、九七式の戦場を背にして、たった一機で横浜へ向かうB-25を追って空を滑り降りていった。


その頃、逃走を続けるB-25の機内。

機長であるドーリットルは、操縦席から血の気が引いた表情で現在の状況を確認していた。


十六機で出撃した部隊は、今や自分の隊長機しか残っていない。


後方を振り返っても、頼もしいはずの味方の翼はどこにも見当たらない。


「……こんなはずでは……」


焦り、怒り、そして絶望。

だが、ドーリットルはまだ諦めていなかった。


「……まだ終わっていない」


機体の腹には、まだ爆弾が眠っている。

眼下には日本の地が迫っていた。


「一発でいい……一発だけでも、必ず日本に落とす!」


執念だけで、B-25は這うように低空飛行を続けていた。



「奥野さん、目標が真下にいます!」


B-25より上空から追跡していた蓮華の後席で、上田が叫んだ。


蓮も肉眼でその姿を捉えた。

海面すれすれを飛ぶ、巨大な双発機。


「目標、こちらには気づいていません」


「よし……行きます!」


蓮は一気に操縦桿を前へと押し込んだ。

蓮華が機首を下げ、猛烈な速度で急降下を開始する。


重力がのしかかり、風切り音が機外で悲鳴のように唸る。


眼下のB-25が、秒単位でその姿を大きくしていく。


「機長!敵機です!直上!」


B-25の後部銃手が、恐怖に引き攣った声を上げた。

ドーリットルが上空を見上げる。


雲の切れ間から、尋常ではない速度で急降下してくる影があった。


それは零戦でもなく、先ほどの九七式でもない。

見たこともない、流線型の双発機だった。


「……何だ、あれは?」


分析している暇はない。

謎の機体が、真っ直ぐこちらへ猛スピードで向かってきている。


「機銃! 撃ち落とせ!」


後部銃座が、狂ったように蓮華へと向き直った。


「奥野さん! 後部銃座!」


「分かってます!このまま突っ込む!」


蓮は照準器を覗き込んだ。

狙うのは、強固な胴体ではない。


その横にせり出した、動力の心臓部。

照準のど真ん中に、B-25の右エンジンが飛び込んでくる。


(落ちろッ!)

引き金を引いた。


ダダダダダッ!!!


胴体前部左右に搭載された二十ミリ機銃が火を噴く。


放たれた弾丸は寸分の狂いもなく、B-25のエンジンに吸い込まれた。


すると、

爆発音が響き、エンジンから鮮烈な炎が噴き上がる。


直後、もうもうと黒煙が空へとなびいた。


「奥野さん、やりました!撃墜です!」


上田が歓喜の声を上げる。


致命傷を受けたB-25は、ガクンと大きく傾き、高度を急激に失い始めた。


だが、彼らもただでは死ななかった。

炎上し、墜落していくその最中。


後部銃座が最後の意地で引き金を引いた。

放たれた十二・七ミリ機銃の銃弾が、すれ違いざまの蓮華へ襲いかかる。


弾丸の雨が機体の周囲をかすめ飛ぶ中――


ガンッ!!!


鼓膜を破るような硬質な衝撃音が、コックピットに響き渡った。


機体が激しく揺さぶられる。蓮は歯を食いしばり、必死に操縦桿を抑え込んで機体を立て直した。


黒煙を引いたB-25は、横浜に届くことなく、海岸の浅瀬へと墜落していった。


激しい波飛沫が上がり、機体はバラけ飛ぶ。

上田は後席から、その一部始終を見届けていた。


「……やった……守れたぞ」


張り詰めていた緊張が解け、純粋な喜びが一気に胸に込み上げてくる。


新兵器である水上哨戒機で、あの巨大な爆撃機を一撃で仕留めたのだ。


「奥野さん……!」


上田は身を乗り出すようにして前席へ声をかけた。


「やりました! あの爆撃機を……一撃で撃墜できました!」


興奮に震える声。



だが――

前席からは、何の応答もなかった。


無線特有のノイズだけが、耳元で虚しく鳴っている。


「……奥野さん?」


先ほどまでの歓喜が、サッと音を立てて引いていく。

氷のような冷たい不安が、上田の背筋を痛いほど這い上がった。


エンジン音だけが響く機内が、不気味なほど静かに感じられた。


上田は恐る恐る、前席のコックピットへ視線を向けた。


キャノピーに、不自然な亀裂と穴が開いていた。

すれ違いざまに受けた、敵の最後の一撃。


その穴の周囲と、操縦席の計器盤に――

赤い飛沫が飛び散っていた。


「……血?」


上田の表情が、凍りついたように固まる。

前席の蓮は、わずかに首を傾けたまま、動かない。


「奥野さんッ! 奥野さんッ!大丈夫ですか!?」


悲鳴のような上田の声が、空の彼方へ吸い込まれていった。

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