エピソード60 十二機の零戦
霞ヶ浦の飛行場に、けたたましい警報音が鳴り響く。
格納庫の周囲にいた整備員たちが、一斉に顔を上げた。
つい最近、運用が始まったばかりの緊急発進訓練。
その突然の「本番」が始まったのだ。
「全員、緊急発進の準備をしろっ!」
整備長が、大声で全員に指示を出す。
次の瞬間、全員が走り出し、それぞれの持ち場の零戦のエンジンを始動する。
待機していた十二機の零戦は、次々とエンジンが目覚め始める。
「操縦士はまだかー!」
「今、こっちに向かって走ってきています!」
「よし!搭乗準備にかかれ!」
駆け込んできた十二人の操縦士たちは、急いで搭乗準備を進めていく。
すると、整備長がまたしても大声で確認する。
「霞ヶ浦からの情報は届いているか?」
「はい!ですが、訓練通り、蓮華との会合点に向かえとの指令が出ています」
「分かった。佐久間隊長に伝えとけ!」
「了解しました!」
ものすごい速さで準備を終えた操縦士達が、次々と操縦席に滑り込んでいく。
そして、キャノピーが閉じられた。
「全員、退避しろ!」
整備員たちが機体から離れる。
低く唸っていた音が、次第に大きくなる。
そしてプロペラが回り始める。
霞ヶ浦第一迎撃隊の隊長、佐久間大尉は、部下達全員が準備が終わっている事を確認すると、整備員たちに向かって敬礼した。
「行ってきます」
そういうと、佐久間は零戦を動かし始めた。
そして後に続くように十一機の零戦が、次々と動き始める。
地上員達が大きく手を振った。
「日本を頼むぞ!」
佐久間の零戦が、短い誘導路を通り、そしてゆっくりと滑走を始める。
エンジン音が一段と高まる。
機体が滑走路を駆け、やがて地面からふわりと浮き上がった。
その後ろから、二機目、三機目が続く。
間を置かず、次々と零戦が空へ駆け上がっていく。
飛行場に残った整備員たちは、頭上を見上げた。
十二機。
すべてが空へ上がった。
地上整備員が、司令室に連絡を行う。
「第一迎撃隊、十二機。全機発進しました!」
十二機の零戦は編隊を整えながら、霞ヶ浦の空を離れていく。
その頃。
蓮華は一定の速度を保ちながら、指定された空域へ向かっていた。
操縦席には蓮、そしてその後ろでは、上田が電探の画面を見つめている。
低いエンジン音と、機体を伝わってくる細かな振動。
その中で、蓮は前方を見据えながら操縦桿を握っている。
やがて、機内の長距離通信機に短い声が入った。
『第一迎撃隊、十二機。全機発進』
上田が通信を確認する。
「奥野さん、第一迎撃隊、十二機が緊急発進完了したとのことです」
「上田少尉、わかりました」
蓮が短く答えた。
「……奥野さん」
「どうしました?」
「九時方向に反応あり。機数は12、第一迎撃隊を捉えました」
上田の視線が、電探の画面を走った。
十二機の反応が、少しずつ近づいてくる。
「後、どれくらいで合流出来そうですか?」
「およそ三分後です」
やがて、後方の空に小さな機影が浮かんだ。
一機、その後ろに、また一機と次々と姿を現す。
「奥野さん、全機、合流地点に到着しました」
「分かりました。誘導を開始します」
蓮は操縦桿をわずかに動かした。
機体が、左右へ揺れる。
一度。
そして、もう一度。
先頭の佐久間が搭乗している零戦が、それに応えるように機体を振る。
そして十二機が、蓮華の後方へゆっくりと位置を合わせていく。
上田が振り返った。
「……十二機。全機、こちらに付いてきています」
「よし、零戦の巡航速度まで速度を上げます」
蓮は前方へ視線を戻した。
蓮華が先頭を飛び、そしてその後ろを、十二機の零戦が続く。
ついさっきまで別々に空を飛んでいた機体が、今は一つの隊列になっている。
蓮は、操縦桿を握り直し、前方に視線を向ける。
その先には、まだ何も見えない。
しかし、確実に日本本土に脅威が迫っていた。
太平洋の海面すれすれを、十六機のB-25が飛んでいた。
海が近い。あまりにも近い。
波頭が、すぐ下を流れていく。
ほんのわずかに機体が沈めば、そのまま海面へ叩きつけられかねない。
各機のパイロットは、波間を見つめながら慎重に操縦桿を握っていた。
先頭を飛ぶB-25。
その機内で、ジミー・ドーリットルは窓の外へ目を向けていた。
水平線の向こうには、まだ日本の姿はない。
予定では、三日後だった。
四月十八日。
それが本来の作戦日だった。
だが、今日は四月十五日。
「……予定より三日早くなりましたね」
後ろから声がした。
ドーリットルは前方を見たまま呟くように答える。
「そうだな」
「やはり、マッカーサーの件が影響してるのでしょうか?」
一瞬、機内の空気が重くなる。
マッカーサー。
日本軍の捕虜となった、アメリカ軍を象徴する存在。
その衝撃は、軍だけの問題ではなかった。
アメリカ国内でも、日本への反撃や、停戦など、様々な意見の声が一気に強まっていたのだ。
これ以上の米国内世論の沸騰を防ぐため、日本本土へ攻撃を加える事を、ワシントンは望んでいた。
そして、アメリカはまだ戦えるのだということ。
その事実を、できるだけ早く示す必要があった。
「ワシントンが、急かしているらしい。政治屋どもは、事を急ぎすぎる。」
ドーリットルはそう言って、前方へ視線を戻した。
「まぁ、しかし三日早くなったところで、やることは変わらん。日本本土に衝撃を加えるだけだ」
「分かりました、隊長。このままの高度で日本本土に向かいます」
十六機のB-25は、再び海面すれすれの飛行を続けた。
彼らは、まだ知らない。
その進路の先で、日本側がすでに動き始めていることを。
十二機の零戦。
そして、そのさらに前を飛ぶ一機の見慣れない機体。
日本は、まだ気づいていない。
彼らは、そう思っていた。
蓮華は、なおも前進していた。
後方には十二機の零戦。
上田は電探の画面から目を離さなかった。
「第一迎撃隊、十二機。編隊を維持しながらしっかりとついてきてます」
「了解、上田少尉」
そのとき、長距離通信機から無線が入った。
『未確認機は、現在も予定針路を維持。こちらへ接近中』
上田が通信内容を確認する。
「目標は、まだ予定進路の前方を飛んでいるようです」
「良かった。このままであれば、迎撃体制をしっかり取れそうです」
蓮は速度を維持した。
上田は、もう一度電探へ視線を落とす。
画面に映っているのは、十二機の零戦だけ。
それ以外には、何もない。
「……電探には、まだ敵機の反応はありません」
「まだ距離がありますからね」
蓮は前方へ目を向けた。
青い空、その下に広がる海。
どこにも敵の姿はない。
それでも、敵はいる。
地上から送られてくる情報が、それを示していた。
少しずつ、そして確実に距離が縮まっていく。
そしてしばらく経った頃、電探の画面に一つの反応が現れた。
「……奥野さん!」
上田の声が変わった。
「どうしました?」
「電探に反応あり、距離およそ百二〇キロ」
一つの反応から、もう一つ、さらにその周囲にも反応が増えていく。
「……複数の反応あり」
蓮の表情が変わる。
「機数は何機ですか?」
上田は画面を見つめた。
反応を一つずつ数える。
そして――。
「……十六。機数十六です!」
電探には、確かに十六機が映っていた。
「……十六機。間違いありません」
すると蓮は、史実でのドーリットル隊の機体数を思い出し呟く。
「十六機。ピッタリだな……」
「蓮。やはりドーリットル隊で間違いなさそうです。ですが……どうやら、私たちが知っている歴史とは違う動きになっています」
A.I.D.A.も驚いた様な口調で蓮に伝える。
「ああ、この変化はオレ達の行動が原因なんだろうな」
「まだ、断定するには速すぎます。事実の積み上げが必要と判断します」
蓮とA.I.D.A.は、自分達の行動の結果、歴史が変わった事を肌で感じ取りながら、目の前の作戦へ意識を向ける。
「上田少尉、高度はどうですか?」
「少しお待ちください……かなり低いです。高度百五〇メートル」
「低い。かなりの低空飛行ですね」
「はい。海面近くを飛んでいるようです。この電探が無ければ簡単に発見出来ない所でした。電探の凄さを改めて感じます」
上田は、電探に感謝すると共に、直ぐそこに敵機がいることに対して集中を切らさず画面を見ていた。
「上田少尉、現在高度三五〇〇メートルですが、このままだと高度が高すぎます。そろそろ零戦の高度を落とさせましょう」
「奥野さん、了解しました。後、十分程で会敵します」
蓮は前方へ視線を戻し操縦桿を握り直した。
そして、機体をわずかに左右へ振った。
一度。
もう一度。
緊急警戒網の仕組みで事前に決めていた合図を送る。
すると、後方の零戦隊が反応した。
先頭の佐久間の機体が、ゆっくりと高度を下げる。
続いて、その後ろの機体も降下していく。
やがて十二機すべてが、進行方向は蓮華に合わせ、
高度を下げ始めた。
上田が後方を確認する。
「零戦隊、降下を開始しました」
「分かりました。上田少尉、電探から目を離さない様に」
蓮は前方を見たまま答えた。
十二機の零戦は、みるみる高度を下げて行く。
一方、蓮華も高度を少し落とし、零戦から視認できる上空を飛び続ける。
上田少尉は電探から目を離すことはできない。
敵の位置を追い続ける。
「敵機、針路変わりません」
「距離はどうですか?」
「徐々に縮まっています」
人間の目にはまだ何も映らない。
海面の先の水平線を見る。
そしてその向こうに広がる青空を見つめる為に、蓮は目を細めた。
数秒。
さらに数秒。
「……あ」
上田の声が漏れたのを聞き、蓮も前方へ目を凝らす。
水平線の近くに、小さな黒い点が見えた。
「どこですか?」
「十一時方向。水平線の近くに視認できます!」
黒い点が、少しずつ大きくなっていく。
一つ。
二つ。
その周囲にも、次々と点が浮かび上がった。
やがてそれらは、はっきりとした航空機の姿へ変わっていく。
海面すれすれを飛ぶ機体。
その後ろにも、さらに機体が続いている。
十六機。
蓮華の電探が捉えていた反応と、目の前の光景が重なった。
蓮は、その編隊を静かに見つめた。
そして――。
「……見つけたぞ!」
ここまでお読みいただきありがとうございます! 少しでも『面白い、続きが気になる』と思っていただけましたら、下部の【ブックマーク】や【評価】(☆☆☆☆☆)で応援していただけると、執筆の凄すさまじい励みになります!




