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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
転移編

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エピソード5 選択と出会い

「おい、そこの若いの。こんな早朝から、お社の陰で一体何をしてるんだ?」


石段の下から投げかけられた初老の男の声音には、隠し切れない警戒心が滲んでいた。


視界の端で、A.I.D.A.のUIが瞬時に青から黄色の警戒色へと切り替わる。


「――対象の解析完了。衣服のすり減り具合や日焼けの傾向から、この集落の古くからの自作農と推測されます。周囲への警戒度は標準レベルですが、見慣れない若者に対する探りを入れるような気配が濃厚です」


A.I.D.A.の冷静な囁きを聞きながら、蓮はぎこちなさを消し去り、あらかじめシミュレーションしていた「東京からの転居者」という偽の人生を纏ってゆっくりと社殿の陰から姿を現した。


「あ……すみません。驚かせてしまいましたか」


意識して少し疲労の色を濃く浮かべた表情を作り、頭を下げる。


荷車を引いた老人は、蓮が着ている詰襟の国民服と布靴を一瞥し、さらにその顔立ちや姿勢を値踏みするようにじろりと見据えた。


「見ねえ顔だな。……おめえ、どこから来た? この辺の者じゃねえな?」


物腰は穏やかだが、言葉の端には確かな探るような響きがある。


隣組の監視の目が厳しく、「よそ者」や「不審者」に対して敏感にならざるを得ない昭和十六年の空気感が、ひりつくような緊張感となって蓮の肌を撫でた。


「はい……。実は、東京の方で暮らしていたんですが、いよいよ生活がままならなくなってしまいまして。親戚を頼って、この秩父の山中へ流れてきたんです。昨日の夜遅くにこっちに着いたんですが、当てにしていた親戚の家が見つからなくって……行き場を失って、このお社で一夜を明かしていました」


蓮の言葉に、老人はふむ、と険しい顔のまま顎に手をやった。


だが、その目はただの警戒というよりは、東京という大都会から流れてきたという境遇への好奇心と値踏みが入り混じった光を帯びていた。


「東京からねえ……。おめえ、都心のほうかい? 今じゃあっちも物不足で、すったもんだって聞くが、若いもんなのに徴用逃れってわけでもなさそうだしな……。で、その頼るはずの親戚ってのは、どこのどなただい? この集落の者かい、それとも向こうの山を越えた先のほうか?」


財布の紐を解くように探りをいれてくる平蔵の追及に、蓮の言葉がわずかに詰まる。


その瞬間、蓮の耳元でA.I.D.A.の淡々とした音声が響いた。


「――音声データベースおよび周辺戸籍の予測演算を開始。この地域で一般的な旧家および「親戚を頼る」という文脈に適合する、最も矛盾のない家号の候補を2件抽出しました。「小鹿野の親戚」「吉田町の叔父」のいずれかを提示することを推奨します」


(助かる……っ!)


蓮はA.I.D.A.のサポートに内心で安堵しつつも、咄嗟に出てきた名字にわずかな動揺と戸惑いを隠せず、はにかみ笑顔を貼り付けながら言葉を継いだ。


「あ、ええと……吉田町のほうにいる、母方の叔父で……た,確か……佐藤、と言いますが……」


「佐藤かい? この辺じゃああまり聞かねえ苗字だな……」


平蔵が面白がるように声を張り上げたせいで、その声を聞きつけたのか、近所の農家や通りがかりの村人たちが、足袋の音を鳴らしながら次々と石段の下へと集まってきた。


少しのうちに五、六人の男女が蓮を取り囲むような形になってしまったのだ。


「佐藤の若旦那って言やあ、お前……小川町のほうの畑持ちだったか?」


「いや、吉田町の佐藤と言ったら、お前、あそこの雑貨商の親戚じゃねえのか?」


「でもよ、今時こんな立派な国民服を着て、しかも東京から足繁く歩いてくるか? もしかして、どこかの工場の徴用を逃れてトンズラしてきた口なんじゃねえのか……?」


次々に飛び交う憶測と推測の嵐。


平蔵が「佐藤だってよ」と野次馬たちに言いふらしたことで、集落の住民たちの頭の中で勝手に蓮の「経歴」が組み立てられ、都合の良いように歪められていく。


「警告:野次馬の人数が7人に増加。群衆心理による同調圧力が急激に高まっています。このままでは個別の質問の矛盾点を突かれるリスクが急上昇します。作戦変更――速やかな離脱の準備を」


A.I.D.A.の警告音が頭の中で激しく明滅する。


「まて、お前たち。まずは落ち着かんか……にしても若いの、親戚の佐藤なんて名前、肝心なところでそんなに歯切れ悪くどもるもんだろ? もしかして、その名前も今しがた頭の中でこねくり回した隠しごとかい?」


平蔵がニヤリと面白がるような、しかし鋭い笑みを浮かべたその時だった。


集落のメインストリート側から、自転車のベルの音と、荒々しい足音が響いてきた。


「なんだ、朝っぱらから大声を出して。静かにしないか」


割って入ってきたのは、黒い制服に身を包み、腰にサーベルを帯びた村の駐在だった。


駐在は集落の秩序を乱す野次馬たちを厳しく一瞥し、自転車を脇の柵に立てかけると、威圧感を放ちながら石段の下へと歩み寄ってくる。


「警告:対象の階級および職責データを照合。国家警察の巡査。所持するサーベルおよび尋問権限に対する警戒レベルを最大に引き上げます」


「平蔵、お前さんだな。大声を出してまた何か騒ぎを起こしておるのは……おや、見ない顔だな」


駐在は、野次馬の中心にぽつんと立っている蓮の姿に気づき、スッと目を細めた。


地方の小さな駐在所を任されているだけあって、村中の人間はすべて把握しているのだろう。


一目で「この集落の者ではない」ことを見抜き、蓮へと鋭い視線を移す。


「おい、そこの若いの。貴様、どこの者だ。……平蔵、こいつは一体どういうことだ」


駐在が問うと、平蔵は恭しく頭を下げながら答えた。


「いやね、巡査さん。このお社の陰でうずくまっておるところをあたしが見かけたんで声をかけたんだが、東京から流れてきたと言うし、身寄りの名前を出すにもどうも歯切れが悪くてよ。不審な者ではないかと、みんなで話していたところでさ」


「東京から、か……」


駐在の顔色が一層険しくなる。戦時下において、大都市からの移動者や疎開者は厳しく管理されるべき対象だ。駐在は腰のサーベルの柄に軽く手をかけながら、蓮へと一歩詰め寄った。


「おい、君。平蔵の言う通りか。……身分証を提示しなさい」


逃げ場のないプレッシャーが蓮を襲う。


視界の隅で、A.I.D.A.のテキストが狂ったように点滅を始めた。


「警告:現在の所持品および生体データに、この時代の公的身分証明を提示できません。このまま尋問を継続した場合、七十七パーセントの確率で警察署への連行、および憲兵隊への身柄引き渡しに発展します」


(わかってるよ……! 何か、この時代でも通じる言い訳はないのか!?)


蓮が冷や汗を拭う暇もなく、A.I.D.A.の冷静な演算音声が脳内に響く。


「――状況を再分析。身分証の物理的欠損に対する最も有効な代替論理を構築します。「火事による混乱で家財ごと焼失した」、あるいは「移動の最中に路銀や荷物とともにスリに盗まれた」のいずれかの主張を推奨。なお、現状の状況をスムーズに説明するには、後者の「荷物の盗難」による説明構築を推奨します」


(よし、それで行く……!)


A.I.D.A.のバックアップを得て、蓮はわずかに震えていた肩を落ち着かせ、必死に作り上げた苦渋の色を顔に浮かべて駐在に向き直った。


「す、すみません……。実は、昨夜この山に入る手前で、暗がりの中で荷車ごと荷物を引ったくられてしまいまして……その中に、身分証明の書類や国民服の替えもまとめて入っていたんです……!」


「なんだと? 荷物を盗まれただと?」


駐在の眉間がさらに深く寄り、鋭い眼光が蓮の全身を射抜くように凝縮される。


周囲の野次馬たちからも、「へえ、このご時世に盗人とはねえ」「怪しい話だな」とひそひそ声が漏れ始めた。


「そうだ、証拠はあるのか? 今時、身分証を持たずに歩いているなど、それ自体が隣組法に触れる重罪だぞ。お前、本当に東京から来たのか、それともどこかの――」


駐在が語気を強め、いよいよ懐のノートに手を伸ばそうとしていた。


「――警告。ここで強制的に逃走した場合、逃亡犯となり今後の生存活動に支障がきたす恐れがあります。その場に踏み止まり、駐在の指示に従うことを推奨」


(わかってる、逃げたらおしまいだ……!)


蓮が脳内でA.I.D.A.の助言を即座に飲み込んだのと同じタイミングで、駐在はふっと懐から手を離し、険しい顔のまま言い放った。


「まあ、ここで立ち話をしていても拉致があかん。おい、若いの。おとなしく駐在所までついてこい。そこでしっかり話を聞かせてもらう」


「……わかりました」


蓮はあえて素直に従う姿勢を見せ、野次馬たちの好奇の視線を背中に浴びながら、駐在に連れられて集落の中にある駐在所へと足を踏み入れた。



薄暗い駐在所の板張りの一室。


駐在は椅子に腰掛けると、厳しい眼光を蓮に向け、身元についての細かな詰問を始めた。


「ふむ……東京のどのあたりだ。疎開か、それとも単なる上京からの流れ者か。お前の言う佐藤という叔父の詳細な住所は……」


次々と飛んでくる鋭い質問に対し、蓮はA.I.D.A.が瞬時に裏で生成する戸籍データベースや当時の時勢に沿った情報を巧みに引き出し、冷や汗をにじませながらも何とかギリギリのところで受け答えを続けていた。


(危なかった……今の返答で、なんとか怪しまれずに通じたか……?)


その時だった。


駐在所の奥に続いている私室の戸が激しく開き、血相を変えた駐在の妻が飛び込んできた。


「――あなたっ!」


そのただならぬ気配に、駐在は椅子からガタッと立ち上がる。


「どうした、そんなに慌てて……」


「た、大変なの……っ! 昨夜から熱を出していたハルの様子が、さっきからますますおかしくなって……息が荒くなって、呼んでも返事をしないのよっ!」


ピクリと駐在の顔が大きく強ばった。


駐在は昨日からハルが高熱を出していることを当然把握しており、今朝も気がかりなまま仕事に出ていたのだ。その胸のざわめきが最悪の形で現実となり、顔から血の気がサーッと引いていく。


「なんだって……!? おい、医者を呼んだのか!」


「呼ぼうとしたけど、この辺りじゃ今、先生は別の村の診察で出払っていてすぐには戻れないって……! お願い、どうしたらいいの、ハルが……っ!」


絶望に染まった妻の叫びに、駐在の拳が固く握りしめられる。医療体制が脆弱なこの山間部において、医師不在の状況下での急変が何を意味するか、誰よりも彼自身が一番よく分かっていた。


(くそっ……! なぜこんな時に……!)


駐在が苦悶の表情で頭を抱えかけたその瞬間、蓮の耳元でA.I.D.A.の淡々とした、しかし決定的な音声が響いた。


「――対象の状況を再スキャン。ハルの病名は「重度の肺炎」、生存予測時間は二十四時間以内です。なお、蓮、貴方が所持している医療キット内の広域スペクトル抗生物質「ペニシリン」の合成製剤を使用すれば、劇的な回復が見込めます」


(おい、A.I.D.A.……! それって、俺が医者に化ければ、あの少女を救えるってことか……?)


「蓮。その通りです。ただし、この昭和の時代においてペニシリンは未承認の超技術物質です。使用すれば、貴方の正体や所持品に関する致命的な矛盾が、この国家警察の巡査に露見するリスクが急上昇します。歴史への不可逆な介入となるため、慎重な判断を推奨します」


頭の中で響くA.I.D.A.の警告と、目の前で愛娘の危機に打ちひしがれる駐在の背中。


不審者としての尋問の最中でありながら、蓮は意を決して駐在へと一歩踏み出した。


「……お巡りさん。私に、その娘さんを診させてくれませんか」


「……はっ?」


駐在がはっと顔を上げ、信じられないものを見るような目で蓮を凝視する。


「な、何を言っている……」


「私は、こう見えても東京で少しばかり近代医学や衛生学の知識をかじっていました。このまま医者を待っていては手遅れになるかもしれない……。すがりたい思いなら、私にだってわかるはずだ。確かに身分証はないが、不審者ではありません。もし不審者だと言うなら、この腕を見て欲しい。診察だけでもさせてほしい」


緊迫した空気の中、蓮の真っ直ぐな瞳を見た駐在の顔に、激しい葛藤の色が浮かび上がった。


身元も知れぬ怪しい若者に我が子を委ねるなど本来ならあり得ない。


だが、目の前で苦しんでいる我が子の命を救いたいという親心と、他に手立てがない絶望が、その理性を揺さぶる。


「……本当に、お前には何が分かるというのか……」


「信じてくれとは言いません。ですが、このまま医師を待っていたら間に合わないのではありませんか?」


わずかな沈黙の後、駐在は歯噛みしながらも力なくうなずいた。


「……わかった。そこまで言うなら……頼む、うちの娘を救ってくれ!」


駐在に促されるまま、蓮はA.I.D.A.のバックアップを背負い、熱にうなされるハルが待つ奥の部屋へと足を踏み入れた。

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