エピソード56 別の手
「……なぜだ?」
沈黙に包まれた研究室の中で、蓮の問いだけが虚しく響いた。
装着しているオプティカルA.I.D.A.のインターフェースが瞬き、視界の空中に蒼莱の三次元機体図が投影される。
全体は緑色のワイヤーフレームで描かれていたが、主砲であるビーム砲の周辺ユニットだけが、警告を示す黄色や赤のハイライトで明滅していた。
「真珠湾での連続稼働による影響です」
A.I.D.A.の淡々とした声が、容赦のない事実を告げる。
「ビーム砲エミッター、冷却系、および出力制御系に想定以上の損耗が確認されています。自己修復機能によって稼働可能な状態は維持していますが、構造的な疲労は拭えません」
「壊れてるってことか?」
「完全に故障しているわけではありません。低出力での発射であれば現時点でも可能です。しかし、爆弾の迎撃に必要な高出力を繰り返せば、各システムに深刻な損傷を与え、使用不能、最悪の場合は恒久的な故障につながる可能性が極めて高いと推算されます」
使えないのではない。
使えば、壊れる可能性が高い。
その宣告に、蓮は奥歯を噛み締めた。
視界に浮かぶ赤い明滅は、無理を重ねた蒼莱の悲鳴のようにも見えた。
それでも、蓮の中には強い焦燥があった。
十日後の四月十八日、確実にアメリカ軍の爆撃機が日本本土の上空へやってくるのだ。
歴史を知っている自分なら、それを防げる。
「……たとえビーム砲が壊れる可能性があったとしても、それで日本本土への空襲を防げるなら、使うべきじゃないのか?」
蓮の声には、自分を納得させようとするような強い響きがあった。真珠湾で多くの命を救えたように、今回も自分が矢面に立てば、誰も死なずに済む。
「今回の空襲を阻止すること『だけ』を目的とするのであれば、その判断は合理的です」
A.I.D.A.は蓮の言葉を否定しなかった。
しかし、その無機質な肯定の中で含まれた一つの単語が、蓮の思考に引っかかった。
「……だけ?」
「はい。戦争は四月十八日では終わりません」
A.I.D.A.の声が、冷水を浴びせるように蓮の感情を冷却していく。
「その後も、新たな空襲、海戦、防空戦、日本本土への攻撃などが発生する可能性があります。もし今回の迎撃でビーム砲が恒久的な故障に至った場合、今後現れるであろう危機に対して、同じ方法で守ることはできなくなります」
「だからって……」
蓮は机の上に置かれた拳を握り込んだ。
「だからって、十日後に爆弾が落ちるのを黙って見てろっていうのか」
一度の勝利のためにすべてを使い果たす危険性は頭では理解できる。
しかし、目の前で失われるかもしれない命を見捨てることなど、蓮には到底受け入れられなかった。
「もう一つ、考慮すべき事項があります」
蓮の葛藤を見透かしたように、A.I.D.A.がさらに一歩踏み込んでくる。
「将来的には、この時代の通常兵器だけでは到底対応できない状況が発生する可能性があります。その時、蒼莱のビーム砲が『真に必要になる』可能性があります」
未来の技術である蒼莱の力は、蓮にとって最後の切り札だ。
もし今それを完全に失ってしまえば、いざという時の選択肢そのものが消滅してしまう。
A.I.D.A.はそれが必ず起こるとは言わなかったが、その可能性を捨てるリスクを冷徹に提示していた。
「……本当に必要になる時、か」
蓮は小さく息を吐き、椅子の背もたれに深く体を預けた。
突きつけられた現実に、思考が重くなる。
「さらに言及するならば、蒼莱は単なる戦闘機ではありません。蓮、あなたが二〇五〇年へ帰還するための手段でもあります」
その言葉に、蓮はハッと顔を上げた。
「ビーム砲そのものが壊れたからといって、蒼莱が飛べなくなるわけではありません。しかし、システムが完全故障すれば、機体全体の戦闘能力や防御能力の低下を引き起こします。それは結果として、あなたが帰還できる可能性を低下させることになります」
人命を見捨てるか、自分が帰るのを諦めるか。
そんな残酷な二択を迫られているわけではない。
だが、蒼莱という機体のコンディションを保つことは、誰かを守る力であると同時に、自分自身の未来へ繋がる翼を守ることでもあるのだ。
その事実が、蓮の肩にずしりと重くのしかかった。
しばらくの間、研究室には微かな換気扇の音だけが流れていた。
蓮は天井を仰ぎ見ながら、ゆっくりと、しかし確かな声で言った。
「……なら、ビーム砲を使わずに守る方法を探すしかない……か」
失うわけにはいかない。誰も死なせたくないし、自分も帰る。
そのためには、別の手段が必要だ。
「……他に方法はないのか? A.I.D.A.」
蓮の問いかけに、AIは即座に応答した。
「あります。蓮が単独で、未来の兵器を用いて迎撃する必要はありません」
視界に浮かんでいた蒼莱の機体図がスッと消え、代わりに日本列島の地図と、いくつかのアイコンが広範囲に展開された。
「すでに存在している要素を組み合わせることで、防空システムを構築します」
A.I.D.A.が提示した図式に、蓮は視線を向けた。
「具体的にどうやるんだ?」
「まず『情報』です」
A.I.D.A.が視界の地図を拡大しながら答える。
「アメリカ軍が四月十八日に日本本土へ攻撃を実施するという予測を、香港の情報網から得た極秘情報という形で、海軍へ警告として流すのです」
「ああ……。俺が未来を知っているとは言えないからな。『香港からの密告』ということにすれば、軍も警戒せざるを得ない」
「次に『早期警戒』です。すでに勝浦などに配備が始まっている電探『間者一型』を使用します」
「間者一型か。従来の一号一型とは比較にならない、最大探知距離約四百キロメートルを誇る広域の『目』だな」
「その通りです。これで、本土へ接近する敵機をいち早く捉えます」
蓮がうなずくと、A.I.D.A.はさらに次のステップへとアイコンを繋げた。
「そして『確認・追跡』。間者一型が異常を検知した後、響子のもとで量産されつつある『蓮華』を向かわせます」
「確かに圧倒的な速度と高度を持つ蓮華なら、敵機に捕捉されにくい空域から敵機を確認できる。接近方向や高度、速度や編隊の規模を正確に把握し続けることも可能だしな」
「はい。最後に『迎撃』です。そこまでのお膳立てが完璧に揃っていれば、迎撃に向かうのは二〇五〇年の蒼莱である必要はありません。現在の日本軍戦闘機でも、迎撃することはできます」
情報から始まり、間者一型で捉え、蓮華で追跡し、戦闘機が落とす。
「……なるほどな」
蓮は展開されたシステム図を見つめながら、その画期的な戦術の意味を理解した。
「これまでの日本軍の防空戦では、敵機の接近を把握しても、その位置や進路を十分に絞り込めないまま迎撃機を上げることが多い状態でした。ですが、この早期警戒運用が機能すれば、迎撃機は誘導されるままに最適な位置へ向かい、待ち伏せるようにして敵を叩くことができます」
「確かにこれなら、蒼莱を出さなくてもいいな」
蓮は深く息を吸い込み、先ほどまでの重苦しい焦燥感が晴れていくのを感じた。
図面を眺めながら、蓮の思考はさらにその先へと及んでいった。
香港の情報網という嘘の建前を信じさせる工作があり、鉄塔の上で間者一型のモニターを睨み続ける人間がいる。
蓮華を操縦し、空中から敵を追跡する搭乗員がいる。
そして、それらの情報を受け取り、迎撃機に乗って空へ上がるパイロットたちがいる。
機体を整備する人間もいる。
自分一人ではない。
これまでは
「自分が未来の技術でどうにかしなければならない」
と、無意識のうちにすべてを背負い込もうとしていた。
真珠湾の成功体験が、その思考をより強固にしていたのかもしれない。
だが、違うのだ。
「俺が全部やる必要はないんだな」
ポツリとこぼした蓮の言葉に、A.I.D.A.が静かに同意する。
「はい。蓮の役割は、すべての敵を自ら撃墜することではありません。情報と技術を提供し、装備を作り、各システムを繋ぎ……この時代の人間が、自らの手で戦える環境を作ることです」
自分が直接守るのではなく、彼らが自らを守るための『仕組み』を作る。
それこそが、歴史を知り、技術を持つ自分が果たすべき本当の役割なのではないか。
その事実に辿り着いたとき、蓮の中で「ビーム砲を温存すること」と「日本を守ること」は、見事に一つに繋がった。
迷いはすでに消えていた。
十日後の空襲を迎撃するための道筋も見えている。
蓮は机に手をつき、静かに立ち上がった。
頭の中には、すでに迎撃へ向けた具体的な青写真が描かれていた。
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