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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
フィリピン戦線編

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エピソード48 南方へ飛ぶ翼

夕陽が霞ヶ浦の格納庫のコンクリートを赤く染め上げる頃、二機目の「蓮華」がようやくその全貌を現していた。


機体の最終確認を行う蓮の隣で、響子は設計図を丸めながら、どこか複雑な表情で窓の外を見つめている。


「これで、一通りの調整は終わりだな。響子さん、君がイチから組んだ骨組みも完璧そうだね」


蓮の労うような言葉に、響子はふっと視線を落とし、小さく息を吐いた。


「……別に、私一人でやったわけじゃないし。お父さん達も手伝ってくれたしね」


「それでも、ここまで出来れば量産化の目処がたったと思う」


「それより……明日、行くんでしょ」


急にトーンを落とした響子の声に、蓮は手を止めた。


「ああ、明日フィリピンに向かおうと思ってる。蓮華初号機をフィリピン戦線で使いたいみたいだし、引き渡しも兼ねて乗っていき、そのまま陸軍の津村さんのところへ合流するつもりだよ」


「……そ。まあ向こうで必要とされてるんだったら、行けばいいんじゃない」


相変わらずの少しトゲのある響子の物言いに苦笑いをしていると、響子は急に振り返り、鋭い視線を突き刺してきた。


「何笑ってるの?蒼が居なくなると困るって言ってるのよ!」


その真っ直ぐすぎる問いかけに、蓮は言葉に詰まった。答えられない蓮を見て、響子は少し恥ずかしくなった。


「ち、違うわよ。私はこれから蓮華の量産化が控えているのに、蒼が居なくなると困ると思っただけよ!」


響子は視線を二機目の『蓮華』へと向け、無理やり話題を切り替えるかのように早口でまくし立てた。


「二機目もやっとの思いで作ったんだから。3機目も4機目もちゃんと作ってあげないと、かわいそうじゃない」


「……問題ないよ。響子さんなら作れるさ」


「っ、そういうこと言ってんじゃないでしょ! 蒼って、ほんっと鈍いよね!」


響子が顔を真っ赤にして地団駄を踏む。


「……っ。まだ2機しか作ってないんだから……作った本人がいなくなったら、この後はどうする気よ。困るでしょ!」


必死に取り繕おうとする響子の本音が、かすかに震える声となってこぼれ落ちた。


蓮が少し困ったように

「俺がいなくても、もう一人で製造できるだろ?」

と返すと、響子はもう我慢できないといった様子で声を荒げた。


「そういう意味じゃないって言ってるでしょ……!」


「じゃあ、どういう意味なんだよ」


詰め寄る蓮に、響子はスッと目を逸らし、両腕をきつく抱きしめた。


「……知らない。自分で考えてよ」


しばらくの沈黙のあと、響子は小さく、消え入りそうな声で呟いた。


「……ちゃんと、帰ってきてよ」


その一言に、蓮はわずかに目を見張り、そして静かにうなずいた。


「ああ、約束する。ちゃんと帰ってくるよ」


響子は慌てたように背中を向け、赤い顔を隠すように手をひらひらと振った。


「っ、うるさいなぁ! ほら、いつまで喋ってる気よ! 出発前の最終点検、まだ残ってるんだからさっさと仕事しなさい!」


――翌朝。霞ヶ浦の水上機発着場。


澄み切った朝の光を浴びて、『蓮華』が穏やかな湖面に浮かんでいた。


最終のエンジン点検を行う整備員たちの脇で、今回この機体を南方へ運ぶ海軍航空隊のパイロット・藤原が、緊張と畏怖の入り交じった目つきで機体を見上げている。


「いやはや……これが噂の『蓮華』ですか。本当に今まで見た事がない機体の形状してるんですね」


藤原がゴクリと喉を鳴らしながら蓮に問いかけた。


「そうです。設計から組み立てまで、すべてここでやった新型機ですよ」


「ちなみに奥野さんは……操縦が出来ると聞いていますが、今回は一緒に乗って操縦されるんですか?」


「いや、私は操縦しませんよ。現地へ同行するだけです。操縦はすべて藤原さんに任せますよ、お願いします」


「はっ……任されました」


藤原が気合を入れ直したその時、AIグラスが微かに振動し、視界の端にA.I.D.A.の小さなホログラムが浮かび上がった。


「蓮、最終システムチェック完了です。霞ヶ浦を離水後、高雄を経由してバシー海峡を抜け、ルソン島西岸からスービック湾へ至るルートの気象データも同期しました」


「ありがとう、A.I.D.A.。いよいよだな」


「蓮。……忘れ物はないですか?簡単には取りに帰れませんよ」


「オレは小学生じゃないぞ。心配しすぎだろ」


そんな軽妙な短いやり取りのあと、蓮はタラップを上がり、通信士の席に乗り込んだ。


「それじゃあ、行きますよ。奥野さん」


藤原がスロットルを押し込むと、機体後方からこれまでの航空機とは一線を画す重低音のエンジン音が響き渡った。


水上を滑るように加速し、水飛沫を優しく巻き上げながら、『蓮華』は軽々と霞ヶ浦の空へと舞い上がった。


離水の瞬間から、藤原の息が呑まれる。


「なんだこの浮き上がりは……! 重さを全く感じない……っ!」


そのまま高度を上げつつ、巡航速度に入った。『蓮華』の計器盤を見た藤原は、目を剥いて絶叫する。


「ま、待ってください……! 今、速度計は四百五十キロを指してますよ!? これ、水上哨戒機の速度ですか!?」


「そのままもっと上げても大丈夫ですよ。まだ余裕があるので」


蓮が淡々と告げると、藤原は震える手でさらにスロットルを押し込んだ。


五百キロ。

そして、五百五十キロ。


「嘘だろ……水上機で五百五十キロなんて聞いたことがない……! 奥野さん、この機体はいったい……!」


「次は。高高度へ上がってみましょうか」


藤原は半ばパニックを起こしながらも操縦桿を引いた。


八千メートル、九千メートル、一万メートル――。


空気が急速に冷え、雲の層を突き抜けてなお、『蓮華』の上昇力は衰えない。


「一万二千メートル……! 水上機が、一万二千メートルに到達したぞ……っ!」


「ここからがこの機の真骨頂。その高度で巡航速度を維持して貰えますか」


藤原が恐る恐る計器を確認すると、言葉を失って固まった。


「高度一万二千メートル……速度、四百五十キロ……。嘘だろ、完全に安定している……こんな高空で、何事もなかったように巡航しているぞ……!」


「では、最後に最大速度を試してみましょう。高度八千で六百五十キロまで出るはずです」


藤原はごくりと唾を飲み込み、高度を落とし震える指でさらにスロットルを押し込んだ。


五百五十、六百、そして――六百五十キロ。


機体が圧倒的な風圧を切り裂く轟音の中、計器の針は確かにその数字を指し示していた。

藤原は呆然と正面を見据え、かすれた声を漏らす。


「……六百五十キロ。奥野さん……こんな化物みたいな水上機、世界中のどこを探してもありませんよ……」


その圧倒的な性能を背負い、『蓮華』は紀伊半島を越え、南方の空へと突き進んでいった。



――数時間後。


長距離飛行の末、機体は台湾の高雄基地へ着陸した。


給油と簡単な点検を行う現地整備員たちも、目の前にある『蓮華』の流線型の美しいフォルムと異次元の構造を見るなり、全員が絶句して言葉を失っていた。


「おい、なんだこの機体は……霞ヶ浦から無給油で来たらしい……」


「冗談だろ、こんなの見たことねぇぞ……」


周囲の驚愕をよそに、最小限の補給を済ませた蓮と藤原は、再び飛び立った。


バシー海峡を抜け、ルソン島西岸を南下するにつれ、窓の外の空気が変わっていく。


霞ヶ浦での技術的な高揚感は徐々に薄れ、代わりに肌を刺すような戦場の緊迫感が二人を包み込んでいった。


やがて、眼下に青く穏やかな湾が見えてくる。スービック湾だ。


水面を滑るように『蓮華』が着水し、桟橋へと滑り込んだ。


エンジンが停止し、静寂が戻る中、藤原はぐったりと操縦桿に突っ伏しながらも、どこか晴れやかな顔で振り返った。


「……着きましたね、奥野さん。本当に、信じられない飛行体験でした」


「いえいえ操縦ありがとうございました、藤原大尉。ここからはあなたがこの機体の主だ。頼みます」


「はっ! この機体の性能に見合うだけの働きを、必ずや見せてみせます!」


蓮はタラップを降り、固いコンクリートの地面に足を着けた。


もう二度と、自分がこの機体の操縦席に座ることはない。そう思うと、胸の奥に一抹の寂しさがよぎるが、すぐに頭を切り替えた。



A.I.D.A.のホログラムが、蓮の視界の隅で静かに明滅する。


「お疲れ様でした、蓮。無事にスービック湾への引き渡しが完了しましたね」


「ああ。これで、蓮華とも一旦お別れだな」


「正確には、ここからが南方での実戦運用開始です」


「分かってる。俺が飛ばなくても、あの機体ならきっと南方で役に立つはずさ」


蓮は最後に振り返り、誇らしく佇む『蓮華』の機体に視線を向けた。

――頼んだぞ、蓮華。



「機体に話しかけても返事はしませんよ、蓮」


「お前…..いつから心の中の声まで分かるようになったんだ、A.I.D.A……」


軽口を叩き合いながら、蓮は湾岸から陸路へと足を踏み入れた。


待ち受けていた車両に乗り込み、バターン半島北部へ向けて車を走らせる。


窓の外を流れる景色が変わるにつれて、戦場の現実が嫌でも目の前に突きつけられていく。


そこにあったのは、単なる前線基地などではなかった。


砲兵陣地が幾重にも構築され、要所には重機関銃の巣穴が口を開けている。


頑丈な土嚢と深い塹壕が幾何学模様のように走り、道路という道路はすべて厳重な検問所とバリケードで封鎖されていた。


無数の兵士たちが動き回り、物資の山が積み上げられている。

それは敵を押し返すための「前線」ではない。


まるで巨大な猛獣を鉄格子の中に閉じ込めるがごとく、バターン半島全体を完全に封鎖し、逃がさないための――

恐ろしいほど緻密に計算し尽くされた「巨大な蓋」だった。


車がさらに奥へと進み、ディナルピナン近傍の前方指揮所に差し掛かった時。


砂埃を立てて停まった車両のドアを開けると、見慣れた鋭い眼光の男がそこに立っていた。


「来たか、奥野」


「お久しぶりです、津村さん」


戦場の疲れを微塵も感じさせない足取りで、津村が歩み寄ってくる。


その顔には、圧倒的な重圧を背負いながらも、確かな手応えを掴んだ者の険しくも力強い笑みが浮かんでいた。


「よく来てくれた。二機目の『蓮華』を完成させ、わざわざこの南方まで駆けつけてくれるとはな……感謝する」


「いえ。約束ですからね」


津村は視線を遠くのバターン半島、その厳重な封鎖線の向こうへと向けた。

蓮もまた、それに倣って同じ方向を見据える。


二人が並んで同じ戦線を見つめた瞬間、ここから始まる南方編の本当の戦いが、音もなく幕を開けた。


津村はゆっくりと視線を戻し、蓮の目を真っ直ぐに見据えた。少しの間のあと、低く静かな声で告げる。


「――お前をここへ呼んだ理由はな」

その言葉の続きを待つ間もなく、緊張感が張り詰めた。

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