エピソード44 2,500馬力の衝撃
開発室の中央、漆黒の輝きを放つ「高高度水上機用エンジン」の二基目を組み終え、蓮は額の汗を拭いながら深く息を吐き出した。
「まさか、本当に一週間で形にできるとはな……」
「何を言っているんですか、蓮。私が完璧な設計図とリアルタイムの逆算ナビゲートを遂行したんですから、完成して当然ですよ」
視界の隅でレンズを光らせるA.I.D.A.の得意げな声に、蓮は苦笑いを浮かべつつ、
「ところで、このエンジンの性能は具体的にどれくらいなんだ?」
と問いかける。
A.I.D.A.がホログラムのスペック表を展開し、昭和17年当時の主軸である国内エンジンの出力を引き合いに出して解説を始めた。
「出力は約2,500hp級。昭和17年の同クラス水上機用エンジンとしては規格外の出力性能です。型式は成層圏手前の希薄な空気環境でも最高出力を維持する高高度型レシプロエンジン。高空での息継ぎを完全に克服する二段二速過給の過給機を搭載し、その大出力をロスなく推進力に変えるため、高性能な5枚のプロペラを採用しています」
圧倒的な数値を耳にした蓮は、神妙な面持ちで腕を組んだ。
「全然意味がわからないんだけど……」
「蓮。少しは学びをお願いします。分かりやすく言い換えれば、この時代の日本の技術では到達出来なかった高度までいける、ということです」
「知識でAIに勝てるわけ無いだろ。無茶言うな!」
A.I.D.A.からの扱いの悪さに悪態をつきながら、
少し考える蓮。
「これほどのオーバースペックを持ち込んだら、歴史の針が狂うどころか粉々になりそうだな……」
それを受け止めたA.I.D.A.は、少しトーンを落として静かに告げる。
「歴史の波に流されて大切なものを失うより、未来を変えてでも守りたいものを守るための選択です、蓮」
「確かに……そうだな……やるしかない」
蓮が覚悟を新たにした翌朝、ドアをノックする間もなく、勢いよく開発室の扉を押し開けて響子が飛び込んできた。
蓮とA.I.D.A.、そして響子の協力も得て完成した二基のエンジン。
そのエンジンを目撃するやいなや、彼女は目を輝かせ、猛烈な勢いで蓮へと詰め寄る。
「完成してる……? 凄い、本当にあの設計図のエンジンがこんな短期間で完成したのね」
響子は完成したエンジンを見ながら、その先進的なデザインや、構造を隅々まで確認している。
「この部分、一体どうやってこのサイズでこの排気管の取り回しと過給機を……! 教えて、どういう構造になってるのよ!」
身を乗り出して質問攻めにする響子に、蓮はタジタジと後ずさる。
そもそも蓮には上手く説明する知識が無い、そして何より面倒だと判断した蓮が、
「細かい理屈は、実際に動かした方が早い。親父さんを呼んできてくれ」と頼んだ。
響子は、
「なによ、教えてくれてもいいじゃない!」
と文句を言いながらも戸田を呼びに行く。
すぐに戸田が呼び出された。
目の前の漆黒のエンジンに触れ、その重厚な塊からただならぬ気配を察知した戸田は、
「おいおい……冗談だろ、これがたった一週間で……」
と絶句する。
詳細を尋ねようとする戸田に対し、蓮は
「説明で聞くより、実験で見た方が分かりやすいですよ」
と不敵に笑ってみせた。
霞ヶ浦の実験場へとエンジンが厳重に搬送され、緊張感に包まれる中で試運転の点火が開始される。
「今回の実験で、あの職人親子や技術者たちがどんな顔をするか楽しみですね」
「お前、最近だんだん人間らしくなってきたな……」
A.I.D.A.の悪戯な囁きに蓮が呆れていると、轟音とともにエンジンが咆哮し、測定器の針が一気に跳ね上がった。
徐々に出力を上げていく。
そして測定器の針が940hpを超えた。
すると、戸田や響子、そして協力してくれている技術者達の驚きの声が聞こえる。
「嘘だろ、簡単に零式艦上戦闘機21型搭載のエンジン、栄12型の性能を超えたぞ」
そんなざわめきを他所に、エンジン出力をまだ上げる。
測定器の針は、1400hpをも軽々と跳ね上がった。
「おいおい……九七式重爆撃機二型に搭載されている、ハ一〇一型エンジンの出力さえ簡単に超えていったぞ! なんなんだこのエンジンは……」
この試験場にいる全員が、驚きから絶句に変わっていく。
そして、最高出力で叩き出された約2,500hpという前代未聞の数値を目の当たりにし、戸田、響子、そして居合わせた航空廠の技術者全員が硬直し、やがて凄まじい歓声とどよめきに変わる。
混乱と興奮の渦の中、蓮は戸田に向かって
「ここから約2週間、地上での負荷試験とデータ収集をお願いできますか」
と頭を下げた。
「こんな化け物エンジンを触れるなんて技術者冥利に尽きるわ! 全員総出でやり抜いてやるさ!」
戸田が快諾すると、蓮は隣で興奮冷めやらぬ様子の響子を見つめ、
「それと、機体の組み立てと精錬作業の助手として、響子くんをしばらく借りてもいいですか?」
と打診する。
意表を突かれた響子は、カッと顔を真っ赤に染め上げ、
「ちょっと、私を『借りる』って何よ! モノみたいに言わないでよね!」と照れを隠すような声で抗議した。
「はっはっは、良いじゃないか、あのガサツな男たちよりよっぽど役に立つ。遠慮なくこき使ってやってくれ」
戸田の豪快な笑い飛ばしにより、正式に響子の助手入りが決定した。
その後、響子が小型精錬機を駆使して合金の純度管理を完璧にこなし、蓮が切り出したフレームや外板のパーツを的確に組み上げていくという分業体制が構築されていく。
研究室の奥で機体の電子・特機系統に挑む蓮は、A.I.D.A.といつもの皮肉混じりの漫才を繰り広げながら、この時代でも作れる航空電子機器を小さな筐体に押し込んでいった。
その性能は凄まじい。主センサーには、真空管を基礎とし、未来由来の半導体素子を組み合わせた航空捜索レーダー(探知距離:最大120km級)を採用。さらに、この時代にはまだ存在していないMAD(磁気探知機)や、夜間偵察を可能にする暗視装置、長距離通信機も組み込んでいった。
また、機体設計は、双フロート式でありながら飛行抵抗を極限まで削る為、完全引き込み機構と可動フェアリング支柱の設計と防弾仕様の製造も同時に行なっていた。
そんな日が数日続いたある日のこと。
開発の熱気がピークに達していた昼下がり、開発室のドアがリズミカルに叩かれた。
扉を開けると、伝言を預かった事務担当の女性が
「陸軍の津村様より、至急お電話です」
と蓮に告げる。
慌てて共用の事務所へ走り、受話器を取る。
「もしもし、奥野です」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、変わらず低く響く津村の自信に満ちた声だった。
「久しぶりだな、奥野。お前のおかげで、強硬派の連中との面倒な一悶着はあったが――なんとか計画通り、バターン半島の首根っこに強力な防衛線を敷き、敵の補給を完全に断つ『完全包囲・兵糧攻め網』が完成した」
「本当に、強硬派を押し切ってそこまで……!」
息を呑む蓮に対し、視界の隅でA.I.D.A.が素早く津村の政治的・軍事的手腕のデータを再計算し、
「素晴らしいですね、彼の実行力は。私の予測より陸軍の掌握が恐ろしく早いです。今後、津村はこの能力を発揮し政争に抗えば大出世する可能性が出て来ました」
と冷静に評価する。
電話の締めくくり、津村は声を一段と引き締め、かつての密談の核心を口にした。
「そしてな、ここからが本番だ。南方の主力をジャワ方面へ迅速に転用しつつ、肝心の『あの男』――ダグラス・マッカーサーを包囲網に閉じ込めたまま捕虜とする計画を実行する段階に入った。日米の早期講和を成し遂げるため、私も現地フィリピンへ直接赴き、自ら陣頭指揮を執ることにしたので、お前に連絡と思ってな」
歴史が、着実に史実とは異なる道を歩み始めている。
それを実感した蓮は、受話器を握る手に力を込めた。
「津村さん、現地では何が起きるか分かりません……何かあったらいつでも私に連絡してください。こちらで出来ることは、全力で協力します」
津村はわずかに笑みを漏らした。
「あぁ、その言葉通りお前を頼りにさせてもらう。……お前も、本土での機体製造、派手にやれよ」
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