エピソード43 鋼の純度と、縮まる距離
霞ヶ浦の畔に広がる第一海軍航空廠の薄暗い専用開発室。
徹夜での地獄のような図面作成から一夜明け、まだ微睡みの中にいる蓮の元へ、コンコンと荒々しいノックが響いた。
扉を開けた蓮の前に立っていたのは、昭和の軍需工場の殺風景な空気には似つかわしくない、二十歳前後の凛とした美少女だった。
彼女は蓮を真っ直ぐに睨み据えると、開口一番に言い放った。
「あなたが、父が言っていた嘘つき奥野さん?」
「えっ……?」
思いがけない言葉と相手の容姿に蓮が間抜けな声を漏らしていると、視界の隅でレンズ越しのA.I.D.A.が淡々と急かしてきた。
「蓮、固まっている場合ではありません。早く挨拶をしてください」
「あ、ああ……初めまして、奥野蒼です」
慌てて蓮が自己紹介をすると、響子はハッとしたように表情を引き締め、気まずそうに視線を泳がせた。
「っ……失礼なこと言ってごめんなさい。私、思ったことが頭で考えるより先に口に出てしまうので。あ、この航空廠で技師をしている戸田響子です。……あの頑固で強面な戸田の娘です」
その言葉を聞いた瞬間、蓮は脳裏にあの豪快で脂ぎった戸田の顔を思い浮かべ、思わず目の前の美少女と二度見するように見比べてしまった。
「……トンビが鷹を産むとは、まさにこのことだな」
A.I.D.A.にだけ聞こえる大きさで呟いた蓮に対し、視界の端でA.I.D.A.が冷静かつ容赦ない分析を付け加える。
「遺伝子の不思議ですね。父親のガサツで暑苦しい要素は綺麗にそぎ落とされ、顔の優れた部分だけが奇跡的に遺伝したようです」
「コラ、A.I.D.A.、この人に聞こえたらどうするんだ……」
頭の中でA.I.D.A.を軽く嗜めつつ、蓮が苦笑いを浮かべていると、響子は少し頬を赤らめながら本題へと話を戻した。
「父から聞いたんですけど、昨日、あなたが『一週間で高度一万メートルを飛ぶエンジンを作る』なんて大言壮語を吐いたそうね? 父の職人としてのプライドを面白半分で弄ぶペテン師って、あなたのことよね?」
捲し立てるような響子の追及に、蓮は冷や汗を流しながら両手を慌てて横に振った。
「いや、待ってくれ! 大言壮語っていうか、事実というか……確かに一週間で何とかするとは言ったけど、ペテン師のつもりなんて毛頭ないって! 適当なことを言ったわけじゃなくてだな、ちゃんとした算段が……その、今までの実験とかの裏付けがあるから……!」
弁解しようと必死に言葉を紡ぐ蓮であったが、その声を背中に聞きながら、響子はすっと眉をひそめて蓮の体をすり抜けるようにして開発室の中へと踏み込む。
そして、作業台の上に置きっぱなしになっていた「小型精錬機」の立体図面に目を留めた。
一流の腕を持つ彼女は、図面の前で足を止めると、じっと息を呑んで凝視し、何か深い考え事を始める。
背後で蓮がなおも必死に言い訳の続きをまくし立てているが、今の響子の耳にはもう一切届いていなかった。
しばらくの間、文字通り釘付けになって細部を吟味していた響子は、やがてゆっくりと顔を上げ、言葉を失ったような複雑な瞳で蓮を振り返った。
「これ……もの凄く精密な図面だけど、あなた、いったい何を作ろうとしているの……?」
震える声で問う響子に対し、蓮は「高度一万メートルに耐えられるエンジンの元」と苦笑いでかわす。
その時、視界の隅のレンズを通してA.I.D.A.の冷静な声が響いた。
「蓮、この時代の人間には小型精錬機の内部機構を見せるわけにはいきません。機密保持の観点からも、今は忙しいと言って追い返してください」
A.I.D.A.の指示を受けた蓮は、響子に向き直る。
「すまない、今は作業で立て込んでいるんだ。明日には実物が完成する予定だから、詳しい話は明日にしてくれ」
技術者としての猛烈な好奇心と血が疼きながらも、ただならぬ秘密を感じ取った響子は、悔しそうに唇を噛み締めながら
「……わかったわよ。明日また来るから覚悟しなさい!」
と渋々その場を引いていった。
響子の足音が遠ざかると、蓮はドッと疲労感を滲ませて椅子に崩れ落ち、盛大に深いため息をついた。
「海軍の工場に、あんな鋭いお嬢さんがいるなんて聞いてないぞ……」
すると、視界の端のA.I.D.A.のインジケータが軽快に点滅する。
「それにしても、この時代の日本にもあんなに活発的でエネルギー溢れる女性がいたんですね」
「まあ、見てのとおり肝っ玉の据わった職人肌の娘さんさ」
「しかも、かなりの美形の顔立ちであると判断します。……おまけに気が強くて少し理屈っぽいところなんて、見事に蓮の好みのストライクゾーンじゃないですか」
「……おい、誰の好みだって? 俺をからかうなよ、A.I.D.A.。処理能力をそういうことに使うなよ……」
冷徹かつ軽快なトーンでシュールに揶揄うA.I.D.A.に、蓮が軽く白目を剥きながらツッコミを入れる。
そして翌朝、約束通り響子が開発室に現れた。
前夜のうちに徹夜で作り終えていた実物の「小型精錬機」を目の当たりにするやいなや、響子は目を輝かせながら蓮に詰め寄った。
「ねぇ、この凄い機械は何なの? 一体、どういう仕組みになってるのよ!」
「いや、これから作るエンジンには、支給されている素材じゃ純度が悪すぎなんだ。 だから、この精錬機を使って金属の純度を極限まで引き上げたんだよ」
蓮の答えを聞いた響子は、
「こんな滑らかな表面……信じられない、職人技の域を超えてるわ!」
と精錬機をベタ褒めしながら、さらに身を乗り出す。
「それで、これをどうやって動かして、内部で何がどう作用して不純物を抜いてるのよ? 教えて、ねぇ!」
興奮のあまり、響子は蓮に触れてしまいそうになるほど至近距離へと迫り込んできた。
鼻先が触れそうなほどの距離感と、彼女から漂うほのかな甘い香りに、蓮は「うっ……!?」と言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にしながらタジタジと後ろへ身体を引いていく。
「蓮、心拍数が通常の二倍以上に跳ね上がっていますよ。体温も上昇中です。……説明に集中できていないようですが、脳内リソースをそちらの緊張に割いているのですか?」
頭の中で響くA.I.D.A.の冷静なツッコミに、蓮は冷や汗を流しながら
「うるさい、色々と言わないでくれ!」
と心の中で叫ぶしかなかった。
しばらく夢中で質問を投げ続けた響子は、ふとハッと我に返り、両手で自分の頬をパシッと叩いた。
「……って、私ってば何熱くなってるのよ!」
「私、技術のことで夢中になると、つい周りが見えなくなっちゃうから……!」
と、少し恥ずかしがっている。
さらに、昨日の失礼な態度を思い出したのか、響子は気まずそうにちらりと蓮の様子を伺いつつ、バツが悪そうにボソボソと呟いた。
「その……昨日なんて、ろくに調べもしないであなたを嘘つき呼ばわりして……な、納得いかないところはまだあるけど、謝ってあげるわ……。ごめんなさい!」
蓮は動揺を隠しながら困ったように笑い、手を振った。
「いや、気にしてないよ。それだけ父親思いで、そして優秀な職人ってことだろ」
気まずさが和らいだ空気の中、響子は決心したように潤んだ瞳で蓮を見つめた。
「あのさ、お願いがあるの。……私に、このエンジンの開発を手伝わせて欲しいの! あなたのその技術、この目で間近で学びたいの!」
「は……? 手伝うって、君は航空廠の仕事で忙しいだろ……」
蓮が慌てて断ろうとした瞬間、A.I.D.A.が冷静に割って入る。
「蓮、スケジュールはすでにカツカツです。彼女ほどの腕利きが手伝うなら作業効率は三倍に跳ね上がります。ここでこの小型精錬機を使った素材の精錬作業を、彼女に担当してもらいましょう」
「おい、それを他人に丸投げって言うんだろ!」
と突っ込む蓮だったが、確かに時間がないのも事実。
「わかった、じゃあ小型精錬機を用いた素材の純度管理を頼めるか?」
と渋々承諾の意を伝える。
その後、小型精錬機を、近くの大きな工場へ移動させるため、父親である戸田を呼び出すことに。
事情を聞いた戸田は、頭を抱えて大きな声でぼやいた。
「すまん、奥野! あの時オレが言っていた『あいつ』ってのはこの響子のことだ。オレの自慢の娘だが、とにかく気が強くて活発すぎて、親父の俺も手を焼いてるんだ!」
「ちょっとお父さん! 人をまるで厄介者みたいに言わないでよ! 私もう大人なんだから、過保護もいい加減にして!」
響子が戸田の足を踏みつけ、戸田が
「痛っ、足が折れるわ!」と情けない声を上げるという、小競り合いが繰り広げられた。
そんな賑やかなドタバタを経て、響子という天才的な助手が加わったことで、開発現場の歯車は凄まじい勢いで回り始めた。
「この素材の配合比率をこのダイヤルでこう合わせて……!これでいいわよね?」
「蓮、もう少し電磁照射の時間を延ばしてください」
「響子さん、そこはもう少しダイヤルの時間を延ばしてくれ!」
「はあ? なんでよ。今までの記録を見るかぎり、これ以上時間を増やしたら、前回みたいに素材がドロドロになっちゃうじゃない!あなたのその勘、時々狂ってるんだからね!」
「いや、勘じゃなくて……その、これまでの蓄積した記録と計算の裏付けがあるんだよ! 頼むから俺を信じてくれ!」
「っ……もう! あなたがそこまで言うなら試すけど、失敗したら私の特製スパナがあなたの頭に飛んでくるから覚悟しなさいよねっ!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、響子は素早く手際よくダイヤルを回して時間を調整する。
やがて、危なげなく理想的な比率で合金が組み上がっていくのを確認すると、彼女は悔しそうに頬を膨らせた。
「……ふん、またあなたの言う通りになっちゃったじゃない。なんでそんなに先が読めるのよ、気味が悪いんだから……」
「はは、優秀な助手がちゃんと記録してくれているからだよ」
「っ、誰が助手よ! 調子のいいことばかり言って……!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く響子を尻目に、脳内ではA.I.D.A.が冷静に次の指示を飛ばしてくる。
「蓮,彼女との息はぴったりですね。この調子なら予定よりも早く次の工程に進めます」
「おい、からかうなよ、A.I.D.A.……」
A.I.D.A.の精密なナビゲートと、圧倒的な未来の知識、そしてもの凄いスピードで習得していく響子の類まれなる職人としての手腕が見事に噛み合い、不純物の多い昭和の金属は次々と理想的な純度の素材へと生まれ変わっていく。
深夜の静まり返った開発室。
やっと響子が帰宅し、室内に誰もいなくなった静寂の中、蓮はホッと大きく息を吐き出した。
「ふう……やっと帰ったか。やれやれ、相変わらず手のかかる助手だな」
「ですが蓮、先ほどから口元が緩んでいますよ。十分に楽しんでいるのではありませんか?」
「うるさいな、A.I.D.A.。ただ疲れてるだけだよ」
「心拍数も体温も、リラックスした状態を示しています。ですが、彼女と一緒の作業は蓮にとって悪くないデータの推移ですね」
「……まあな。あの勝気で一生懸命な響子に振り回されるのも、悪くはないさ」
苦笑いを浮かべながらも、蓮はどこか楽しそうな笑顔を零しつつ、最後の仕上げへと取り掛かる。
「それでは蓮、最後の仕上げに入りましょう。私に合わせて最後のパーツを調整してください」
「了解だ、A.I.D.A.。頼むぜ」
「はい、一緒に最高のエンジンを完成させましょう、蓮」
A.I.D.A.の的確なナビゲートを受けながら、蓮は手際よく最後のパーツを組み上げていく。
そして――戸田と蓮が最初に交わした「一週間」という途方もない約束の期限が訪れた。
薄暗い開発室の中央、エンジンの製作は一人で行ってきた蓮は、「よし、最後の組み立て完了だ……」と呟いた。
漆黒の輝きを放つ、この世界に存在しなかった「高高度水上機用エンジン」の実物が、静かにその全貌を現していた。
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