エピソード41 新型機始動! 図面地獄と高高度エンジン
第一海軍航空廠の喧騒から少し離れた敷地の隅。
雑草が生い茂る古い倉庫の並びの一角に、田村が案内してくれたその専用の建物はひっそりと佇んでいた。
「鍵はここです。周辺の警備兵には私が厳重に言い含めておきましたから、勝手に人が入ってくることはありません」
田村は重厚な鉄の鍵を蓮に手渡し、周囲の環境や警備の状況を確認すると、ふぅと息をついてネクタイを正した。
「さて、私はこれで東京の軍令部へ戻ります。何か困り事や現場でのいざこざがあれば、迷わず戸田を頼ってください。……それでは、日本の命運を握る研究、期待していますよ」
「はい、お気をつけて中佐」
田村はそう言い残すと、慌ただしい足音を立てて足早に霞ヶ浦を後にしていった。
ガタつく木机と剥き出しのコンクリート床が広がる殺風景な専用室に、蓮は一人残される。
誰もいないことを確認したタイミングで、視界の隅でA.I.D.A.のブルーのインジケータが鮮やかに光り、耳元にクリアな電子音声が響いた。
「それでは始めますよ、蓮。……周囲の盗聴波や不要な電磁ノイズの遮断、完了しました」
「よし、これで外部への情報漏洩の心配はないな。……でだ、A.I.D.A.。いよいよ本格的な開発に入るわけだが、『今回作る機体は零式水上偵察機とは一線を画す新型機』って言ってたよな? 一体、どんな代物を作るつもりなんだ?」
蓮が問いかけると、A.I.D.A.は冷静なトーンで返す。
「機体性能の詳細は後ほど教えますが、まずは手順です。今回、構造が非常に複雑で大掛かりな作業になりますから、あなたの頭の中を整理するためにも、視覚的に構造が分かる立体図面を共同で作製しましょう」
「ほう、立体図面か。……それ、どれくらい時間がかかるんだ?」
嫌な予感を感じつつ蓮が問い詰めると、A.I.D.A.はこともなげに答えた。
「順調にいけば、3日ぐらいで終わりますよ」
「……は? 3日?」
果てしない立体図面作成という地獄の作業量を脳裏に思い描いた瞬間、蓮はガクッとその場に崩れ落ち、深い精神的ダメージを負って白目を剥いた。
――そして、制作開始から数時間が経過した頃。
室内の机の上には、真っ赤なインクや鉛筆の跡まみれになった紙の束が散乱していた。
「違います、ここ線のつながりが逆です! 何度言わせるんですか、蓮。このままでは高周波回路のインピーダンス整合が完全に破綻しますよ。ほら、ここをこう直せば効率が二十二パーセント上がります、書き直しです!」
不器用な蓮が描くデタラメな配線や構造のスケッチに対し、A.I.D.A.はホログラムの赤ペンで容赦なくバシバシとダメ出しや修正指示を飛ばす。
「インピーダンス整合ってなんのことだよ!うおっ、また赤ペン先生が発動した……! 指摘が厳しすぎるだろ、鬼かお前は!」
「AIに感情はありません。ですが、あなたの図面の雑さには多少の不整脈を覚えそうになりますね。さあ、手を動かしてください」
何度も描き直しを命じられ、疲弊しきって机に突っ伏す蓮と、冷徹にスパルタ指導を続けるAIの容赦ないバトルが夜まで続いた。
夜6時を回った頃、開発室のドアがコンコンと無骨にノックされる。
扉を開けると、そこには油まみれの作業着を脱いだ戸田が立っていた。
「おう、奥野。そういえば、晩飯の時間と寝泊まりする宿舎の案内をしてなかったと思ってな。ついて来い」
「あ、戸田さん……ありがとうございます、お願いします」
ぐったりと疲れた体に鞭打ち、蓮はその後についていく。
まず職人用の木造宿舎へ案内され、
「お前の部屋は一階の一番端っこが空いてるから、そこを使え」と無愛想に鍵を投げ渡される。
その後再び薄暗い食堂へ連れ戻され、「朝昼晩の3食共に、必ずここで時間内に食えよ」と厳しく申し渡された。
戸田と無言で粗末ながらも温かい晩御飯をかっこんだ後、研究室にとんぼ返りした蓮は、A.I.D.A.の容赦ない愛の指導を受けながら図面製作の泥沼に再び突入する。
その過酷な生活を3日間睡眠不足で繰り返し――
ついに、予定より丸1日遅れて、全回路と機体構造の立体図面が完成した。
「はぁぁぁ……っ! 終わった……終わったぞ……!」
鉛筆を力なく放り出し、机に突っ伏した蓮が、血涙を流しながら天井に向かって叫ぶ。
「もう二度と、こんな膨大な図面は絶対作らないからな……!」
その絶叫を聞き取った瞬間、A.I.D.A.のインジケータが冷ややかに点滅した。
「……フラグを自ら盛大に立ててどうするんですか、蓮。あなたのその宣言、過去の統計データから見事に逆の結果となると推測されますが」
「うるせぇ、今の俺をそっとしておいてくれ……」
4日目の昼ごはんを食堂でかき込み、開発室で少しお茶を飲んで頭を冷やした蓮は、次に何をすべきか作戦会議を開く。
「図面上では完璧な理論値が出ていますが、蓮。これを実際に動かすためには、新規の高出力エンジンをゼロから作る必要があります。しかし、どれほど図面が正確でも、完成させて実地で実験データを取らなければ意味がありません」
A.I.D.A.が真面目なトーンで指摘する。
「それに、実験にはスケジュール的な時間も足りませんし、全ての製造工程をあなた1人で抱え込むのは明らかに合理性に欠けます。ここは、あなたがパーツの製作や組み立て、全体統括に集中し、実機の稼働テストや、地上試験は戸田たち現場の熟練技術者に協力を仰ぐ、完全な分業体制を構築しましょう」
「それなら大賛成だ。製造全体をたった一人で相手にするなんて、最初から無理な話だしな」
一目散にA.I.D.A.の案に飛びついた蓮は、すぐさま戸田を捕まえるべく、発動機部門の巨大な建屋へと向かった。
発動機部門の油煙と金属音が充満する建屋に入り、汗だくの受付の若い職人に
「戸田さんはどこにいますか?」と声をかけて居場所を聞き出す。
奥の試験装置付近で作業していた戸田は、突然やってきた蓮の姿を見つけると、手を止めて怪訝そうに眉をひそめた。
「ん? どうした、奥野。何か困り事でも持ち上がったか?」
蓮は意を決し、戸田の前に進み出る。
「いえ、実は……これからあの部屋で新型の発動機を作ろうと考えているんですが、その製造した発動機の地上実験とテスト運用を、戸田さんたち現場の腕利きの連中にぜひ任せたいんです」
戸田は「ほう……?」と低く唸り、腕を組んで少し考え込んだ。
そして、鋭い眼光を蓮に向けながら核心を突く質問を投げかける。
「……そもそもお前、いったいどういう代物の発動機を作ろうって企んでいるんだ?」
その瞬間、蓮の耳元でA.I.D.A.の音声フォローが囁かれる。蓮は息を整え、戸田をまっすぐに見据えて答えた。
「――高高度型の、極限まで過給器性能を高めた新型レシプロエンジンです」
それを聞いた瞬間、戸田の顔色が見る見るうちに変わり、大柄な体がピクリと硬直した。
「おい……奥野、お前、本気で言ってるのか……!?」
昭和17年当時の日本航空界における絶望的な技術水準――劣悪な耐熱合金の品質、精密な過給器コントロールの未熟さ、そして高高度で安定稼働する大馬力エンジンなど、到底国産開発不可能な現実。
そのすべてを知る現場の男にとって、それは耳を疑うような狂気の沙汰だった。
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