エピソード39 海軍の懐と、新たなる盟約④
――蓮が放った「零式水上偵察機とは一線を画す、新型の水上偵察機を作る」という宣言に、総長室の空気の針がピタリと止まった。
田村は目を丸くして数秒間固まり、
やがて「……水上機を、あなたが作るのですか?」と、信じられないものを見る目で絶句する。
隣にいた津村も、常識ではありえない言葉に呆気にとられ、「おい、奥野……本気か、正気か?」と息を呑んで問い詰めた。
だが、そんな二人の反応をよそに、永野はしばらく呆然としたあと、腹の底から吹き出すように「はははっ!」と豪快に笑い出した。
「いやはや……私の長い軍人人生の中でも、これほど摩訶不思議で、度肝を抜かれる体験は初めてだ。国家の戦略の話をしていたかと思えば、必要だからという理由で今度は水上機をゼロから作ると言い出す……常人には到底たどり着かん発想だな」
永野は涙を拭うような仕草すら見せながら、蓮の規格外の才能を最大級に称えた。
その和やかな空気の裏で、蓮の視界の隅でAIグラスが淡く点滅し、A.I.D.A.からの冷徹な「開発スケジュールと資材リスト」のデータが送り込まれる。
グラスの文字を見た蓮は、
(……おいおい、…… A.I.D.A.、嘘だろっ、間者一型改を11基作った後に哨戒機を作るなんて俺、嫌だぞっ!無理無理!俺は技術者じゃないぞ。勘弁してくれーっ!)
と内心で盛大に肩を落とし、逃げ道を断たれた苦労人としての諦めの表情を浮かべた。
覚悟を決めた蓮が、再び首脳陣へと向き直り、無理矢理作った涼しい顔で凄まじい納期を告げる。
「――霞ケ浦の片隅に、開発のための場所と必要な資材を用意頂ければ、約二ヶ月で完成させます。あ、補助の人員は不要です。説明する時間が勿体無いので、試作機は1人で作り上げますので」
蓮の「二ヶ月」という常識外れのスピード感に、永野は目を輝かせて身を乗り出した。
「君はいったい……まぁ、よい。ところで一体、どのような機体を作るつもりなのだね?」
蓮は静かに、しかし鮮烈な機体の構想を語り始める。
「現役の零式水上偵察機とは異なり、まず目視だけに頼りません。機体に航空機搭載型の電探を搭載します。これにより、広域で水上の敵艦艇を迅速に捕捉します。さらに、見つけた敵の情報を即座に艦隊へ共有するため、長距離通信機も完備します」
その説明に3人が息を呑む中、津村がすかさず腕を組み、鋭い突撃を入れた。
「おい奥野、先程も言ったが……輸送船の脅威である、水中の潜水艦はどうするんだ? 間者一型改では水中は見えんだろ」
その言葉を聞いて、蓮は少しも慌てず、淡々と答える。
「小型磁気探知機(MAD)を機体に搭載します」
その言葉を聞いた瞬間、永野、田村、津村の3人は、揃って椅子から身体を乗り出させた。
「……小型磁気探知機だと!? あれはまだ陸海軍の研究所で研究開発中と聞くが、我が国ではまだ完成していない代物だぞ!」
口々に驚愕の声を上げる3人を前に、蓮は自信を持って言い放つ。
「私なら開発できます。そして、これら全ての装備を組み合わせた新発想――『対潜哨戒機』という新たな分類を提案します。主任務は対潜戦、副任務は海上偵察・哨戒・捜索救難です」
あまりにも先進すぎる発想を聞いた3人は、それぞれが、蓮の言った内容を理解しようと考え込む。そして
「夢のような機体性能だな……」
永野はポツリと呟くと、一瞬だけ鋭く思考を巡らせ、すぐに行動に移った。
「田村。奥野君を海軍技術者として特例で雇い入れ、霞ヶ浦に専用の研究開発場所を設けるよう、早急に手配せよ」
「はっ、了解いたしました!」
田村は力強く答え、調整のためにすぐさま席を立ち、総長室を出ていった。
永野は残った蓮に向き直り、柔らかい口調で告げる。
「津村から、君が本格的に軍籍に入るのを好まないとは聞いている。だが、これほどの開発には当然専用の場所が必要だ。今回は期間限定の海軍技術者という形ではどうかね? 場所は先ほど言った通り、霞ヶ浦に用意する」
蓮は頭を下げた。
「閣下、お気遣いいただきありがとうございます。ご期待に応えられるよう尽力します。これから二ヶ月間、よろしくお願いいたします」
話が綺麗にまとまったところで、津村がニヤリと笑い、蓮をからかうように軽口を叩いた。
「おい奥野、海軍ばかりにいい顔をするなよ。陸軍のお偉方からも、そのうちお前の噂を聞きつけて『うちにも協力しろ』と引っ張りだこになるかもしれんぞ。それに、杉山閣下の件がある。間者一型改の功はあるが、これで独占は出来なくなった。今更、私の立場は変わらんだろうが、お前の価値は一番よく知っている。気をつけろよ」
その後も、三人と今後の機体開発の計画予定や、陸海軍の風通しを良くしていくには、どのように進めていくべきなのか等、重々しいやり取りを終え、蓮は秩父に一度戻り、身支度してから3日後に霞ケ浦にいくことが決まった。
それは、未来の日本を変えるために、それぞれが新たな一歩を踏み出した瞬間だった。
一通り話し合いが終わり、秩父に戻る為、蓮は東京の駅前へとやってきた。
暗い顔のまま、秩父を発ったことで、心配をかけたハルや神崎夫妻へのお土産を買おうと、駅近くの商店街に足を向けたときだった。
突如、AIグラス越しにA.I.D.A.からの淡々とした指示が飛んでくる。
「――蓮。海軍より、支度金をまとまった額頂けました。今すぐ、新品の国民服を1着と、ラジオを購入してください」
「は? 急になんだよ、新品の国民服なんて……」
と眉をひそめた蓮だったが、「国民服」という単語を聞いた瞬間、脳裏にあの夜の記憶が鮮烈に蘇った。
そう、秩父に降り立った初日、農家の作業小屋からこっそり拝借した――いや、「一時借用」した国民服のことが頭をよぎる。
(あ……!!!)
あの時、「のちにこの時代の最高品質の物資や金品を、何倍にもして恩返しする」と自分で誓ったことを思い出し、蓮はハッと息を呑んだ。
「……そういえば、あの時の借りと約束が残ってたっけな。このままじゃ盗人になるとこだった。お詫びも兼ねてちゃんと返しに行かないとな。とはいえ、A.I.D.A.、お前、もっと早く言えよ。完全に忘れてたぞ」
「蓮、借りたものは返す。そしてお礼はしっかりとする。大人として当たり前ですよ」
「……悪かったよ。忘れてて。でも意地悪いぞ、お前」
A.I.D.A.とのたわいもない、やり取りをした蓮は、急ぎ足で呉服店や電気店を巡り、真っ新な上質の国民服一式と、当時としては大変貴重で情報収集にも役立つラジオを購入して荷物に加えた。
無事に買い物を終え、ハルたちへのお土産と、農家への恩返しの品々を両手に抱えた蓮は、疲労の色を隠せないげっそりとした顔で駅に戻る。
そして、長い一日の終わりに秩父行きの電車へと乗り込み、ガタンゴトンと揺れる車内で静かに帰路についたのだった。
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