エピソード37 海軍の懐と、新たなる盟約②
うっすらと白み始めた、帝都の冷涼な朝。
海軍軍令部のコンクリート造りの屋上には、夜明け特有の引き締まった空気が漂っていた。
前夜から研究室を借り受けた蓮は、A.I.D.A.と共に組み立て作業を進め、夜明け前には作業を完了させていた。
無骨ながらもどこか洗練された佇まいを持つ「間者一型改」が、無線のアンテナや配線一式と共に頑丈な台座の上にしっかりと据えられている。
その周囲には、寒さとこれからの実験に対する緊張感の混ざる中、蓮、津村、そして海軍軍令部総長・永野修身と中佐の田村が立ち並んでいた。
「準備は……整いました」
蓮が短く告げると、永野と田村の視線が一斉に機材へと集中する。
蓮は深く息を吸い込むと、迷いのない手つきで「間者一型改」のメイン電源スイッチをカチリと押し込んだ。
ジジジ……と、低い駆動音を立てて内部の真空管が温まり始める。
それと同時に、蓮の視界の隅――AIグラスのレンズ越しに、A.I.D.A.の冷静なアナウンスが滑り込んできた。
「――起動完了。各系統、正常に稼働しています。組み立て工程にも問題ありません、蓮」
田村は機械の唸りを聞き届け、固唾を呑んで見守る永野の方へと振り返ると、引き締まった声で報告した。
「――閣下。先程、横須賀海軍航空隊の追浜飛行場にいる零式水上偵察機を三機、予定の空域へ向けて飛び立たせました。これより、本機による試験観測を開始します」
「うむ……頼むぞ」
永野が静かに頷いたその瞬間、機材に備え付けられた小型のブラウン管の蛍光面が、ジワリと淡い緑色の光を放ち始めた。
やがて、画面上の波形がピタリと安定し――そこには、暗雲と朝もやに包まれた空域を飛ぶ3機の零式水上偵察機が、それぞれ独立した鮮明な光点として、寸分の狂いもなくくっきりと映し出された。
その光景を目の当たりにした瞬間、永野は息を呑み、思わず感嘆の声を漏らした。
「……凄いな」
それは、軍の最高トップとしての権高な響きではなく、一人の軍人として純粋に圧倒された、偽りのない称賛だった。
永野はその場から一歩も動けぬように、釘付けの目で画面を見つめ続けている。
その横で、田村もまた画面を覗き込み、信じられないものを見るように目を剥いた。
「嘘だろう……こんなにも、機体の位置や数がはっきりと分かるものなのか……!」
従来の聴音機や「一号一型」の不明瞭さとは次元が違う。
画面に映し出された3つの光点は、上空を移動する機影と完全にシンクロし、正確な軌跡を描きながら進んでいく。
永野と田村は言葉を失い、ただ静まり返った屋上で、その緑色の光の点滅を暫くの間、凝視し続けた。
正確に、あまりにも滑らかに移動していくターゲットの軌跡を見届けた後、一通り性能を確信した永野は、ゆっくりと顔を上げて蓮に向き直った。
「津村からは事前に話を聞いていたが……やはり、聞くと見るでは大違いだ。これは私の想像を、遥かに超えた代物だ。これがあれば我が艦隊は……今までとは違う戦いができる」
永野の言葉には、帝国海軍の命運を背負う者としての重みと、未来を切り開く確かな手応えが満ちていた。
そして、実験の成功に深く頷いた田村が、一歩前に出て蓮に声をかける。
「奥野さん、今後の運用について、是非ともあなたとじっくり話し合いたい。……ここでは冷える。疲れているところ本当にすまないが、一度部屋に戻って時間をくれないか」
蓮はわずかに微笑み、その申し出を快く承諾した。
――再び、重厚な木製扉に守られた総長室。
夜明けの冷気から切り離された室内の革張りのソファに4人が腰掛けると、永野がわずかにあごをしゃくって田村に合図を送った。
その合図を受けるように、田村は背筋を正し、蓮を真っ直ぐに見据えて切り出した。
「先程の新型電探の性能、見事の一言に尽きる。我々の想像を遥かに超える代物だ。そこで相談なのだが……奥野さん、この新型電探を、我が海軍のために何基か作ってくれないだろうか」
田村は真剣な眼差しをさらに強め、言葉に切実な重みを乗せた。
蓮は少し考えてから、口を開いた。
「田村さん、ご安心ください。この新型電探の間者一型改の設計書をお渡ししますよ」
「それは助かる。だが、設計書をいただいたところで、今の我が国の技術者ではすぐに量産することは叶わないだろう。だが――津村から聞いている。あなたなら、一晩でこれを作り上げることができると」
「……」
「真珠湾攻撃は成功したが、米国の艦艇製造はこれからが本格的になると我々は分析している。我が日本は、残念ながら米国と同じ物量を生産することはできない。だからこそ、貴重な艦艇を一隻たりとも沈めるわけにはいかないのだ。……一日でも早く、一基でも多く、この装備を前線に配備したい」
田村の熱を帯びた要請に対し、蓮が返答するより早く、視界の隅でAIグラスが淡く点滅した。
A.I.D.A.の冷静かつ高速な計算音声が、蓮の思考へと直接滑り込む。
「――計算完了。田村の判断は的を射ています。蓮は私の補助によって寸分の狂いなく製造できます。しかし、この時代の技術者が設計図だけを受け取っても、すぐに量産することは困難です。日本の継戦能力を維持するためには、当面、日本全海域の主要防衛線を最低限カバーできる十二基が必要と判断します」
A.I.D.A.からのデータを脳内で受け取った蓮は、心の中で
(マジかよ……。また作らないといけないのか、それも12基を……)
とゲンナリしたが、とはいえ言っていることは正しいと理解し、わずかにうなずく。
そして田村と永野を見据えて落ち着いた声で口を開いた。
「分かりました。12基であれば、私の方でご用意しましょう」
蓮の力強い即答に、永野と田村の表情がパッと明るくなり、安堵と期待の色が浮かぶ。
そして二人はどの艦隊にどう配置するか話し合いを始めた。
「田村、その12基、お前ならどう割り振る?具体的な割り振りの案を述べよ」
「はっ」
田村は姿勢を正し、引き締まった表情で壁に貼られている海図を見ながら意見を述べ始めた。
「我が軍の現有戦力と今後の作戦計画を照らし合わせ、この12基の割り振りについて、最適解を算出しました」
田村はまず、海図の最重要海域を指し示す。
「一つ目は、第一艦隊に3基。我が国の誇る戦艦主力の遠距離警戒に充てます。長門や陸奥をはじめとする主力戦艦の砲戦距離を遥かに超えた遠方より、敵機動部隊や索敵機を捉えるための要とします」
「うむ、主力艦隊の盾は不可欠だな。次だ」
永野が静かに頷くと、田村の指が別の海域へと移動した。
「二つ目は、第二艦隊に3基。こちらは夜戦や水上打撃部隊の索敵・運用を支援させます。敵の動静を夜間や悪天候下でも正確に把握できれば、我が水上部隊の優位性は飛躍的に高まります」
「うむ。わしもそう思う。そして……残りの基数だな」
永野の眼光が鋭さを増す。
「はい。三つ目は、南雲長官率いる第一航空艦隊に2基です」
田村は力強い口調で言葉を続けた。
「空母機動部隊の早期警戒。これこそが、先のハワイに続く勝利を確実なものにするための生命線です。敵機動部隊の奇襲を許さず、我々が先手を取るための絶対的な眼として機能させます」
その話を聞いていたA.I.D.A.は、蓮に伝える。
「蓮。彼らの思考を変える必要があります。私の案を彼らに伝えて頂けますか」
「んん?何を伝えるつもりだ」
「艦隊防衛だけに使うのは勿体無い、そういうことです。蓮」
「分かった。指示をくれ」
蓮はA.I.D.A.からの情報を理解しながら真剣なまなざしを向けた。
「閣下。用意は致します――が、12基の配備について、私から一つ提案があります」
「ほう、聞こうか」
永野が興味深そうに眉を上げる。田村もまた、身を乗り出すようにして蓮の次の言葉を待った。
「この新型電探の間者一型改による早期警戒は確かに強力です。ですが……どれほど優れた電探で艦隊の目を補っても、それだけでは日本は救えません」
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