エピソード35 二度目のハンダ付けは地獄
参謀本部の冷え切った密室。
津村の「軍令部総長の永野に会う」という爆弾発言を受け、蓮の視界の端――AIグラスのインターフェース上で、A.I.D.A.の解析データが凄まじい速度で明滅していた。
脳内で響くA.I.D.A.の声は、どこか冷静かつ合理的だった。
「――津村の覚悟および利害の一致を鑑み、海軍トップとの接触は妥当と判定します。……ですが蓮、一つ懸念があります」
「懸念?何が懸念なんだ、A.I.D.A.?」
津村に聞こえない小さな声で、蓮は呟く。
「言葉やデータだけでは、この時代の頑固な軍人を信用させることは簡単ではありません。であれば、新しい「間者一型」をもう一基、ここで新たに製造して持参するべきです。その方が話の理解と交渉のスピードが圧倒的に早くなります」
その提案に、蓮は内心で盛大にげんなりした。
(えっ、またあのしんどい作業をゼロからやるのかよ……! あの神経をすり減らすハンダ付けをもう一回?)
しかし、この緊迫した局面で最大の効果を出すための最善手だということは、蓮にも痛いほど分かっていた。
蓮はわずかに息を吐き出すと、現実世界の津村に向き直り、腹をくくった表情を作った。
「……分かりました。津村さん、永野さんに会いましょう」
「おお、決断してくれたか」
「ですが、口頭で説明するよりも、実際にその場で新しい『間者一型』を見せたほうが話が早いです。津村さん、秘密裏に作業できる研究室と、そのための材料の準備をもう一度お願いします」
陸軍トップに約束を反故にされたにも関わらず、海軍のトップに見せるための秘密兵器を自ら再製造するという合理的な提案に、津村はハッと目を見張った。
そして、心底救われたような、深い感謝の色をその目に宿す。
「……奥野、そこまで考えてくれるのか。協力してくれて本当にありがとう」
――数時間後。再び用意されたのは、窓のない無機質なコンクリート造りの研究室だった。
机の上には、前回と同じように真空管や配線材、半田ごてが雑然と並べられている。
「蓮。今回は海軍軍令部に持ち運びしないといけません。前回のように完成させたままでは、津村と二人では持ち運び出来ません。ですので、パーツ毎に製作し、向こうで組み立てましょう。」
それを聞いた蓮は、前回の苦闘の記憶が蘇りつつも、半田ごてを握り締め、どこか気負った調子で呟いた。
「ふう、まあ2回目だしさ、勝手は分かってる。サクサクいけるだろ、余裕余裕」
油断しきった蓮の背中に向け、レンズ越しのA.I.D.A.から容赦ないツッコミが飛んだ。
「――蓮、手つきが雑になっています。配線が0.3ミリ右にズレていますよ」
「うっ……いちいち指摘するなよ、これくらい誤差の範囲だろ」
「誤差ではありません。そのズレのままハンダ付けを完了させると、起動した瞬間に盛大にスパークして、参謀本部に小さな花火が打ち上がりますが、どうしますか?」
「わかったよ、直すよ! 今ピンセットで微調整してんだろ!」
焦る蓮に対し、A.I.D.A.の口調はさらに冷徹かつネチっこさを増していく。
「ちなみにあなたの心拍数が前回制作した時より、やや上昇し、口数が荒くなっています。前回の成功体験から生じた慢心、いわゆる「2回目トラップ」に引っかかっていますね」
「あぁ!うるさいよ、A.I.D.A.! お前のせいで余計に手が滑るんだよ……! ていうか、なんか今回やけに当たり厳しくないか!?」
「客観的な事実と、致命的な配線ミスを未然に防ぐための愛ある指導です」
(愛がねえよ、絶対楽しんでやがるなこいつ……!)
心の中で盛大に毒づきながら、蓮は冷や汗を拭い、再び細かいパーツへと視線を戻す。
実はA.I.D.A.の裏側では、前回の命名の際の蓮の仕打ちに対して――
「いつかこの仕返しを、徹底的にさせていただきますからね」
という誓いの実行として、わざと厳しく厳格にこき使って分析と実行をさせていたのだが、それを知る由もない蓮は、ただひたすらスパルタな指導に耐えながら手を動かし続けるしかなかった。
「はあ……はあ……、くそ、終わった……!もう2度と作らないからな!」
悪戦苦闘の果て、最後は執念で集中を切らさず、無事に新しい「間者一型」をパーツ毎に製作した蓮は、机に突っ伏すように力なく息を吐き出した。
その視線の先には、無数の持ち運び出来る単位のパーツが、静かに鈍い光を放っている。
「お疲れ様でした、蓮。文句を言いながらも、見事な手際でしたよ。また、前回製作時より多少の精度が向上しています」
A.I.D.A.のどこか晴れやかな、そしてどこかやり遂げた満足感に満ちた労いの声を聞きながら、蓮は完成した「間者一型」を見つめると、一呼吸おいてA.I.D.A.に言う。
「精度が多少上がったってことは間者一型とは違う電探になったってことだよな」
「違うという程には性能、精度ともに変わっていません。多少改善されたという形ですよ。蓮」
「なるほどね。でも前のより性能向上してるってことは、名前は変えて良いってことだよな。……じゃあ、この電探の名前は、……間者一型改にしよう」
突然、蓮が名前を変えると言い出した。
それに対してA.I.D.A.は物凄い速度で、蓮の言葉を分析して、一つの答えを出した。
「……もしかして、蓮、私への仕返しじゃないですよね?」
「A.I.D.A.、何の事だ?オレはA.I.D.A.に愛のある指導を改善して欲しい、そう思ったから、改善の改を追加しただけだよ」
蓮は澄ました顔でニヤリと笑う。
前回の時と違い悪びれた蓮の声を聞きながら、A.I.D.A.は、蓮には聞こえない周波数とロジックの裏側で、前回同様、小さく電子音を震わせた。
「……蓮。やりますね。でも甘いです。私には人間より記憶力がありますから、再度の仕返し、覚悟してくださいね」
蓮が向かった先は、参謀本部の奥にある津村の執務室だった。
トントン、と扉を軽く叩く。
「入れ」
重厚な扉を開けて中に入ると、机に向かっていた津村がパッと顔を上げた。
「……どうだ、奥野。完成したか?」
蓮は疲れた笑みを浮かべ、津村に言う。
「はい、なんとか無事に出来上がりましたよ。今回は一基だけですが、動作の精度は前回のより多少上がってますよ」
「津村さん、見ますか?」
「勿論だ。奥野。早速見せてくれ」
そう言うと、2人は研究室に向かって歩き出した。
研究室に入るなり、津村は、パーツでバラバラになっている間者一型改を見て、絶句した。
「お……奥野、これは!?」
「あ、これは完成させてしまうと二人では持ち運べないので、部品毎に製作しています。現地で組み立てますのでご安心を」
「そうか……助かった。先ほど、水面下で確認をとってきたが……永野さんは、今日であればいつでも会えると言ってくれている」
「いつでも、ですか」
「そうだ。だが、今は午後8時をまわったところだ。陸軍の連中の目がまだあちこちに光っている……。動き出すなら、人気が完全に消える深夜がいい」
津村の言葉に、蓮は静かに頷いた。
いよいよ、津村にとって最大の賭けに出る時間が近づいている。
「分かりました。……深夜に持っていきましょう」
――そして、夜の帳がすっかり下りた深夜帯。
場面は変わり、参謀本部の裏手にある薄暗い搬出口。
2人は周囲の目を警戒しながら、手配していたトラックの荷台へと、新しく作り上げた「間者一型改」のパーツを慎重に積み込んでいた。
エンジンが静かにアイドリング音を響かせるトラックの荷台の陰で、津村は低く落ち着いた声で、これから対面する大物について語り始めた。
「……奥野。これから会う海軍軍令部総長・永野修身という男について、少し伝えておかなければならない」
「永野さん……どんな人物なんですか?」
荷物の固定を確認しながら、蓮が耳を傾ける。
「一見すると、非常に温厚で、何を考えているのか分からない『のほほんとした』人物に見えるかもしれん。だが、その底には冷徹なまでの現実主義と、組織の勢力バランスを見通す鋭い眼光がある。生半可なハッタリや、大言壮語は一瞬で見抜かれると思え」
津村のその生々しい人物評を聴きながら、蓮の耳の奥で、A.I.D.A.が即座に反応した。
A.I.D.A.は蓄積された膨大な歴史データや心理プロファイルと、津村の言葉をリアルタイムで組み合わせ、超高速の再解析結果を蓮にインカムのように囁く。
「――津村の評価データおよび、私の持つ歴史的記録における永野修身の意思決定パターンを再解析しました。彼は権力闘争の駆け引きよりも「国家の安全と大局的な合理性」を極端に重んじる傾向があります」
「ふむ……つまり、どういうことだ? A.I.D.A.」
「人間の心理を完全に読み切ることは今の私には不可能ですが……。それでも、感情的な揺さぶりよりも、この「間者一型」がもたらす圧倒的な技術的優位性と、海軍にとっての客観的な利益を提示すること――現時点の予測では、それが最も有効である可能性が高いです、蓮」
A.I.D.A.の謙虚でありながらも的確な分析が、蓮の背中をそっと押していく。
蓮は小さく息を吸い込むと、荷台の扉をしっかりと閉め、運転席に乗り込む津村の方へと視線を向けた。
昭和の冷たい深夜の闇の中。
歴史の歯車を狂わせる「最強の手土産」を載せたトラックが、静かに、しかし確かな重みを持って動き出し、暗い夜道へと走り出していった。
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