エピソード34 非論理的な選択
土曜日の朝、津村のもとへ向かう列車の中。
車窓を流れる冷たい冬景色を背景に、蓮が重いため息を零した。
「……はあ。昨日の今日じゃ、まだ気持ちの整理もつかないな」
誰に聞かせるでもなくこぼした呟きに続き、神崎やトメさん、ハルたちの顔が脳裏をよぎる。
――神崎さんやトメさん、ハルには変な顔をさせたし、分教場の久子さんにも余計な心配をかけてしまった。そんな昨日から今朝にかけての自責の念が胸を締め付ける中、すぐさま鼓膜の奥から無機質な電子音が重なった。
「――蓮。今回の件で、一つ認識を改める必要があります」
「何をだ、A.I.D.A.」
「人間は、データだけでは予測できません」
「……」
「昨日のバリクパパン沖の件、そして杉山の動向。過去の政治的データや心理プロファイルから導き出した私の予測モデルは、重大な乖離を起こしました。そして私は、その不確実性の高さを過小評価していました」
A.I.D.A.の淡々とした、しかし自身の予測エラーを静かに認めるような言葉に、蓮はわずかに眉をひそめてから、力なく首を横に振った。
「……そうだな。オレは未来ではただの一般人だ。こんな状況、ドラマでしかみた事ないし、人間の嫌なところを全部見てる感じだな」
するとA.I.D.A.は、
「……蓮。我々がこれ以上歴史を変える必要が、本当にありますか? このまま関与を続ければ、あなたの生存確率だけでなく、この世界全体の因果律に計り知れない歪みを生む可能性があります」
問いかけに、蓮は窓の外の白んだ空を見つめ、かじかんでいる自分の手をぎゅっと握りしめた。
「…… A.I.D.A.、理屈は分かっているさ。だけどな、やっぱり無視できないんだ。そもそも誰とも分からないオレを助けてくれた神崎家の皆さん。あの囲炉裏でご飯を食べて、くだらない話をして、皆んなが笑っている姿を……壊されたくないんだ」
「だから歴史に介入するのですか?」
「ああ。だから……今さら見なかったことには出来ない。オレは皆んなを守りたい」
「……合理的ではありません。感情に起因する非論理的な判断です」
「だろうな」
「ですが、蓮がそう判断するに至った経緯は、すべて私のログに記録しています。……私は、あなたを支援する高感度AI A.I.D.A.です。たとえそれが、どのような結末を招くとしても私は貴方を最後まで守り抜きますよ」
その最小限でありながらも確かな伴走の誓いに、蓮はうなずいた。
「ありがとう。これからも頼むぜ。相棒」
その直後、列車が車体をきしませながらゆっくりと減速し、目的地のホームへと滑り込んでいった。
重々しい空気が漂う陸軍参謀本部の受付。
手続きを済ませ、冷え切った待合スペースでしばらく待たされた後、奥の通路から現れたのは、昨日以上に険しく張り詰めた表情をした津村だった。
「……待たせたな、奥野」
「津村さん……その顔、かなり深刻ですね」
「ここで話すのはやめよう。私の執務室へ行こう」
言葉少なく挨拶を交わすと、二人は周囲の目を警戒するように足早に廊下を進み、重厚な扉の向こうへと姿を消した。
――カチリ、と重い金属音がして、扉の鍵が閉まる。室内には、外の喧騒をすこし遮断した緊迫した静けさが落ちた。
椅子に座ると、津村はぐっと拳を握り締め、わずかに震える声を絞り出すように言った。
「……すまない、奥野。私の見通しが甘かった」
蓮はわずかに息を呑み、静かに首を横に振る。
「……私だって、杉山閣下の件はまだ割り切れてませんよ。あんな笑顔の裏で、あんな動きをされていたんじゃ、人を信用するのが怖くなります」
「杉山閣下が、あそこまで自分の権限と立場を優先するとは……私の不甲斐なさが、お前の信頼を踏みにじった」
悔しそうに奥歯を噛みしめる津村の姿に、蓮はふっと息を吐き出し、少しだけ肩の力を抜いてみせた。
「これ以上謝られても困りますよ。……それに、ここで下を向いていても何も始まらない。これからどうするんですか、津村さん」
その蓮のまっすぐな視線を受け止め、津村はぐっと深く息を吐き出すと、深く椅子に座り直した。
そして、意を決したようにデスクに両手を突き、上半身を乗り出す。
「……お前に提案がある。私の先輩にあたる、軍令部総長の永野さんに会わないか?」
その瞬間、蓮の視界の端――AIグラス越しに、A.I.D.A.からの警告と解析データが瞬時に表示される。
「音声および生体反応の解析完了。……予測モデルを再計算します」
A.I.D.A.の短い分析信号を脳内で受け止め、蓮はあえて目を細め、怪訝そうな顔を作って津村を見据えた。
「……なぜ今、私が海軍の軍令部総長に会う必要があるんですか? 津村さん、貴方の考えを教えてくれませんか」
津村は微塵も怯むことなく、むしろその瞳に決意の光を宿して言い放った。
「……今の陸海軍は、あまりにも互いを意識しすぎている。組織の論理が国家の未来を歪めているんだ」
「はい、私もそう思います。ですが、軍令部総長と私が会う事でそれを変えるとは思えないのですが」
「まあ聞け、奥野。私はその組織の論理を変えたい。このままでは日本は内側から腐る」
津村のただならぬ気配に、蓮はさらに静かに続きを促す。
「……どうやって、変えようというのですか?」
「『間者一型』を、海軍に渡す」
「――ッ」
蓮がわずかに息を呑む。
「杉山閣下を飛び越えて、ですか?」
「そうだ。だからこそ、お前をここに呼んだ」
「それでは、杉山閣下の計画を潰すことにもなりますが?」
津村は冷徹な光を帯びた目を細め、静かに言い切った。
「そうだな。でも必要なことだ」
津村は、それ以上何も言わなかった。
蓮は黙って、その引き締まった顔を見つめた。
これ以上の言葉は不要だった。
そのやり取りをすべて傍聴していたA.I.D.A.の視界に、津村の発話と生体反応を解析したデータが一瞬だけ凄まじい速度で走った。
「……津村の思考予測パラメータの修正を完了します。私の計算予測より覚悟を決めた決断をしたようです。蓮」
A.I.D.A.はそれ以上の評価の言葉を発しない。
ただ淡々と、未知数の脅威を含むデータ処理の軌道を修正するのみだった。
蓮は目の前の男の底知れない覚悟を全身で受け止め、静かに頷きを返したのだった。
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