↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
南方戦線編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/34

エピソード32 不安と温もりのグラデーション

昭和十七年一月二十三日。


身を切るような寒気が山あいの村をすっぽりと包み込む、厳しい真冬の朝だった。


神崎家をあとにして、蓮は少し離れた村役場へと足を向けていた。

新年が明けてから一段と統制の締め付けが厳しくなり、息をするのさえ冷たさが伴う季節である。


「――警告。本日のスケジュールを確認してください。目的は「寄留の手続き」および配給世帯への編入申請です。法的生存基盤の確保は最優先事項ですよ、蓮」


脳内で、A.I.D.A.のいつもの冷静かつ少し呆れたような電子音が響く。息を吸い込むたびに、鼻の奥がツンと痛むような寒さだ。


「わかってるよ。何度も言われなくても、今日が大事な日くらい承知してる。にしても、この寒さはなんだよ……」


蓮は白い息を吐き出しながら、雪化粧をした山道を歩く。


戸籍を手に入れたとはいえ、この時代の日本において、よそ者が勝手に生きることは許されない。神崎家の居候として正式に村の帳面に名を連ね、世帯の一員として配給の網のなかに組み込んでもらうこと。

それが、この真冬の村で息をして生きていくための最低限のパスポートだった。


やがて、杉木立の間に見えてきたのは、古びた木造平屋の村役場だった。


引き戸を開けて中に入ると、外気と同じように冷え切った木の床がギギッと乾いた音を立て、窓口の周辺には何人かの村人たちが防寒着を体に巻きつけたまま集まっていた。


「おい、聞いたか? 今度の衣料切符、新年早々また点数が削られるってよ」


「本当かよ……。ただでさえ綿入れの綿がボロボロだってのに、これ以上どうやって寒さをしのげってんだ」


「若い衆のほうも、また追加の召集が来るって噂がもっぱらだ……」


待合の長椅子に腰掛けた住民たちが、白い息を吐きながら、ひそひそと、しかし切実な響きを含んだ声で愚痴をこぼし合っている。

そのどんよりとした空気を切り裂くように、窓口の役人が無機質な声を上げた。


「――分析データ。国家総動員法および物資統制令に基づく経済動向をポップアップします。末端の農村部へのしわ寄せは本格化するフェーズに入っており、配給の切り下げで住民の生活余力は急速に削り取られているようです、蓮」


「わかってるさ……。なんとかしないとな......」


蓮は心の中でA.I.D.A.の分析を聞きながら、手続きの順番を待った。


やがて窓口に呼ばれ、用意してきた書類を差し出す。対応した役人はかじかんだ手で蓮の書類をめくり、何事かぶつぶつと呟きながら、備え付けの大きな帳簿にペンを走らせた。


淡々とした事務的な手続きの終わりとともに、一枚の控えと、新しく発行された配給手帳が蓮の手に渡された。


「……よし。これで、神崎家への寄留の届け出および、世帯員の追加手続きは受理されたな」


表紙に押された赤い印。その一冊の重みが、かじかんだ指先にずっしりと伝わってくる。

これで晴れて神崎家の「居候」としての身分が公的に認められ、真冬の厳しい割当のなかに組み込まれたのだ。


安心感と、どこか首に縄をかけられたような奇妙な拘束感が入り混じりながら、蓮は役場をあとにした。


帰り道の山道。

頭の上では冬晴れの空がどこまでも冷たく広がっているというのに、足取りはどうにも重かった。


夕方、神崎家に戻ると、囲炉裏のパチパチと爆ぜる心地よい音と温かな煙が、冷え切った蓮の体を迎えてくれた。


「おや、帰ってきたか。役場の手続き、無事に済んだかい? 寒かったろうに」


「はい。なんとか、無事に」


蓮が懐から配給手帳の控えを見せると、奥の間にいた神崎がゆっくりと立ち上がり、目を細めて手帳を見る。


「ほう、見せてみなさい……うん、これで名実ともにうちの居候だな。ご苦労だったね」


「ありがとうございます。神崎さん、トメさん、この寒さの中色々とお世話になります」


「なぁに、気にしないで。どうせ今の世の中、みんなで身を寄せ合わなきゃこの冬は越せないんだからね」


トメさんの暖かい言葉と共に差し出してくれた熱い番茶が、冷えきった五臓六腑に染みわたる。


その日の夕飯の卓には、保存食の根菜をたっぷりと入れた温かい汁物と、わずかな雑穀を混ぜ込んだご飯が並んだ。

贅沢とは程遠いが、囲炉裏の炎に照らされた空間には、凍てつく外気から守られた温かな日常の温度があった。


「ねえ、蒼さん。今日、分教場の帰りにね……」


向かいの席に座るハルが、寒さも忘れたように今日の出来事を嬉しそうに語り始める。

その横顔を見つめながら、蓮は昼間に役場で耳にした住民たちのざわめきや、配給手帳の冷たい重みを思い出す。


戦争の影は、確実にあらゆる隙間からこの村へと忍び寄っている。

けれど、目の前にあるこの囲炉裏の温もりもまた、まぎれもなく現実のひとコマだった。


夜。

自分の部屋に戻り、小さな灯りの下に腰を下ろした蓮の脳内で、再びA.I.D.A.のUIが淡い青の光を揺らした。


「――本日の全ミッション完了です。なお、神崎家の配給カロリー配分データおよび厳冬期の薪の備蓄状況から推測すると、来月以降は防寒および熱量の維持で結構カツカツになる予測ですが……どうしますか、蓮?」


「なぁ、A.I.D.A.」


「――どうかしましたか?、蓮」


「今日は寒さで堪えたんだ。今日くらい、考えさせるのはオフにしてくれ。……せめて、この寒さの中くらい静かに寝かせてくれよ」


「――まったく、すぐに現実逃避をするんですから。ですが、明日の朝の起床アラームは通常通り正確に作動させますからね」


蓮はあきれたように小さく息を吐き出すと、灯りを暗くした。


窓の外には、雪をまとった遠くの山並みが深い夜の闇に静かに沈んでいる。


居場所が定まった安心感と、静かに忍び寄る時代の足音。その二つのグラデーションのなかで、蓮は明日へと続く静かな眠りへと落ちていった。


そして、一月二四日、約束していた朝を迎えるーー


ここまでお読みいただきありがとうございます! 少しでも『面白い、続きが気になる』と思っていただけましたら、下部の【ブックマーク】や【評価】(☆☆☆☆☆)で応援していただけると、執筆の凄すさまじい励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。