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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
南方戦線編

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エピソード30 分岐する日常とお団子の約束

夕闇に包まれた東京の住宅街を抜け、二人は津村の自宅へとたどり着いた。


木造の一軒家の引き戸が静かに開き、灯りの漏れる玄関先へ足を踏み入れると、奥から足音が聞こえてきて、津村の妻が出迎えた。


「あなた、お疲れ様です……あら」


夜分の来客に目を丸くする妻に対し、津村は外套を脱ぎながら淡々と告げる。


「先日、夜に来訪してきた奥野だ。顔は覚えているだろう」


「あ……あの時の……」


妻は納得したように表情を和らげ、蓮は深々と頭を下げた。


「夜分に再びお邪魔して申し訳ありません。奥野蒼です」


「津村の妻、澄子と申します。どうぞ、中へお入りください」


澄子が穏やかな笑みで招き入れてくれたことで、蓮のなかにあったわずかな緊張がふっと解けていく。

居間へと通され、二人が腰を下ろすと、津村はさらに言葉を継いだ。


「そうだ、澄子。急で悪いが、今日のところはこの奥野に我が家に泊まっていってもらうことになった」


「まあ、わかりました。今日は早めに帰ってこられたので、今からしっかりとしたお食事を用意しますね」


夫の激務を気遣いながらも温かく受け入れてくれる澄子の背中を見送りながら、津村はふうと小さく息を吐き出し、畳の上にどっしりと腰を落ち着けた。


居間の隅では、あやす澄子の声に合わせて、まだ小さな我が子が愛らしい笑みをこぼしている。

冷徹な実務家・軍人としての表情から一変、津村は我が子をそっとその大きな腕に抱きしめた。


赤ん坊の小さな温もりに触れ、国家の重責で張り詰めていた男の肩の力がゆっくりとほどけていく。


蓮はAIグラスの視界の端で、津村の心拍データの数値が急速に安定していくのを確認し、この小さな命の存在こそが彼を支える絶対的な錨なのだと静かに合点した。


やがて、澄子が手際よくこしらえた、質素ながらも温かくしっかりとした夕食が並ぶ。

緊張感のある会話のあとだからこそ、箸を進める音が心地よい静寂に響いた。

食事が一段落したところで、津村は低い声で問いかける。


「そういえば、明日からお前はどうするんだ?」


「明日、私は帰ります。三日間程出てくると言ってきたので」


「そうか……。そういえば、お前の戸籍上は奈良になっているな。奈良からわざわざ出てきているのか?」


不意を突くような質問に、蓮はわずかに間を置いてから答えた。


「いえ、本籍はあそこですが……現在は秩父のとある集落、知り合いの方の家に身を寄せております」


「なるほどな……。では、後ほど連絡や伝令を送れるように、その秩父の住所を詳しく教えておけ」


水面下の連携に向けた確実な一手を打ち終え、その夜は穏やかな静けさの中に更けていった。



翌朝。

障子越しに差し込む白い陽光と、朝の澄んだ冷たい空気の中、出勤の身支度を整えた津村と、秩父へ発つ準備を終えた蓮は並んで玄関へと降りた。


戸口の明るい外光の中、津村は蓮に向き直り、鋭くも確信に満ちた眼光で告げる。


「――フィリピンの作戦指揮権限を貰った。これより、何としても状況を変える努力をする。何かあれば、すぐ連絡するからな」


「はい。何かあれば、いつでも連絡をください」


短い言葉を交わし、木造の引き戸が閉まる音を背に、二人は同時に家を出る。


朝の静まり返った路上で、言葉なき短い会釈を交わす二人。

津村は重々しい軍靴の音を響かせて陸軍省への坂道へ、蓮はこれから秩父へと帰るための駅へと、それぞれ真逆の方向へと歩き出すのだった。


東京のとある駅の喧騒の中、秩父へ帰る列車を待つ間、蓮はふと思い出したように足を止めた。


――そうだ、ハルから頼まれていた東京の名物。一番美味いお団子を探さなければ。


「ルート検索完了。最も効率的な駅へ向かう最短経路を提示します。……なお、分析の結果、ハルが要求していた「一番美味いお団子」の定義は主観的であり、統計上、駅前の量産型の甘味処が時間対効果において最適解です」


視界の端で、A.I.D.A.が冷徹なアナウンスを始める。蓮はふっと苦笑した。


「いやいや、ハルさんは本物の味を求めているんだ。効率だけじゃなくて、『ここが一番美味そう』っていうロマンが必要なの!」


「ロマンにカロリーは含まれません。それに、蓮が寄り道しようとしているそこの路地裏の店は、衛生管理の観点から推奨しません」


「いいから、あの職人肌のおじいさんが焼いてる醤油の香ばしい匂いを嗅いでみろ。絶対あっちの方が美味いって!」


A.I.D.A.の呆れたようなログの明滅を無視し、蓮は東京の古い路地裏に佇む甘味処の暖簾をくぐった。

香ばしい醤油の匂いに包まれながら包み紙を受け取り、ほくほく顔で駅へ戻ろうとしたその時だ。


「よし、ハルさん用はこれでバッチリと……。神崎さんやトメさん用も、別の物を買っておくか」


「――いえ、久子にも必要ですよ、蓮」


唐突に、A.I.D.A.の分析ログが青白く鋭く明滅した。


「え?」


「これまでのハルの行動パターンおよび久子の対人感情の推移データからの予測です。ハルがあなたに対して抱いている強い親愛の情と、あなたが長期不在にした際における久子の感情的揺らぎの確率を考慮すれば、お土産の選定において彼女を外すことは重大な政治的(あるいは対人関係的)リスクを生じさせます」


脳内に叩き込まれる容赦ない分析データに、蓮は思わずその場で足をとめた。


「お前さ……いつの間にそんな俗人っぽく……というか、人の恋路の内容まで勝手に分析するなよ!」


「私は論理的最適解を提示しているだけです。帰村後に不穏な空気や不利益が生じるのを避けるためのリスク管理に過ぎません」


AIのくせにやけに人間関係の機微に鋭くなった相棒のツッコミに呆れつつも、蓮は苦笑しながら

「わかったよ」と呟き、久子への土産のお煎餅をしっかりと買い足した。


香ばしい包みを抱え、秩父行きの列車に揺られながら、蓮は窓の外へと流れていく東京の景色を眺める。


東京で動き始めた巨大な運命と、秩父で待つ穏やかな日常。

その二つを胸に抱えたまま、蓮を乗せた列車は静かに山間へ向かって走り出した。

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