エピソード24 三基の奇跡
窓の外が白み始める頃、参謀本部の研究室は、異様な静けさと熱気に包まれていた。
夜通し作業を続け、ついに「間者一型」と名付けた3基の新型電探を完成させた一室。
蓮の周囲には無数の配線や工具、幾重にも書き殴られた回路図が雑然と散乱している。
仮眠も取らぬまま目の前の難題に没頭し、頭の中で響くA.I.D.A.の的確なサポートを受けながら、ただひたすらに手を動かし続けたその集大成が、今、目の前で静かに起動していた。
蓮が最後の微調整を終え、本体のスイッチを入れる。と、計器のパネルに組み込まれたランプが安定した緑色の光を灯し、調整の完全な完了を告げた。
『――すべての内部回路の同期を確認。システム、正常に稼働しています。流石ですね、蓮。よくぞここまで仕上げました』
脳裏に響くA.I.D.A.の淡々とした、しかしどこか労うような声を聞きながら、蓮は深く息を吐き出した。全身を襲う激しい疲労感と、それを凌駕する確かな達成感が胸を満たす。
だが、余韻に浸っている暇はなかった。ここからが本当の勝負だ。
蓮は研究室の扉を開けて、待機させていた衛兵に声をかける。
「すいません。津村さんを呼んできてもらえますか?」
すると衛兵はピタリと敬礼しながら、「かしこまりました!」と返事をし、事の重大さを察したように足早に廊下の闇へと消えていく。
その後ろ姿を見送ると、蓮は静かに扉を閉め、机の上に並ぶ「間者一型」へと視線を戻した。
一方、朝の凛とした冷気が漂う中、津村少佐はいつも通りに出勤し、自身の執務室のデスクへとついていた。
山のように積まれた書類に次々と目を通していくが、どうにも意識の片隅から離れないのは、昨夕から始まった蓮の「新型電探の開発」という途方もない計画だった。
(昨日の夕方から作り始めて、まだ一日も経っていない……。流石に、どれほど卓越した知識を持っているとはいえ、これほど短期間で形になるはずがない)
津村は持っていた万年筆をカタリと机に置き、険しい表情で眉間に深い皺を寄せる。
昨日の別れ際、蓮の瞳には確かな自信の色があったが、それは見間違いで私を騙そうとしているかもしれないという不安がどうしても拭えない。
もしかしたら、研究室で行き詰まった蓮が、
「やはりできませんでした」と苦渋の表情で弱音を吐きに来るのではないか――。
そんな言い知らぬ不安と心配が、津村の胸を重く締め付けていていた。
そこへ、控えめなノックの音とともに執務室の扉が開き、先ほど蓮が遣わした衛兵が入室する。
衛兵は直立不動でピタリと姿勢を正し、淀みなく告げた。
「失礼します。――奥野様がお呼びです」
その報告を聞いた瞬間、津村の胸の内で何かがピタリと噛み合った。
(もう呼出しがかかった……?)
早すぎる連絡の裏にあるタイミングの良さに驚きつつも、津村は蓮がすでに朝の段階で何らかの決着をつけたのだと察知する。
胸に渦巻く不安と期待を同時に飲み込み、津村は表情を引き締めて重い椅子から立ち上がった。そして、足早に自身の執務室を飛び出し、蓮の待つ研究室へと廊下を駆け抜ける。
ガチャリ、と乱暴に扉を開けた津村の目に飛び込んできたのは、少しやつれた顔をしながらも、どこか晴れやかな笑みを浮かべる蓮の姿だった。
「遅かったですね、津村さん」
「奥野……お前、まさか……」
津村は言葉を失い、蓮の背後にある机へと吸い寄せられるように歩み寄った。
「良い研究室を貸してもらったので、想定より早く作ることができました」
蓮が自信に満ちた仕草で机の上を指し示すと、そこには約束通り、洗練された3つの新型電探――
「間者一型」が整然と並べられていた。
津村は信じられないというように息を呑み、血走った目を大きく見開いて食い下がる。
「昨日の今日でもう完成したのか……! おい、冗談だろう。本当に、こんなものが動くのか!?」
対する蓮は、微塵の揺らぎもない落ち着いたトーンで答えた。
「ええ、外観だけでなく内部の配線もハンダ付けも完璧です。今すぐ、動かしてみせますよ」
その圧倒的なまでの確信に満ちた返答に、津村はごくりと唾を飲み込んだ。
恐る恐る机に歩み寄り、津村はその新型電探を見つめる。これまでの日本軍が配備してきた無骨で巨大な機材とは一線を画す、無駄のない洗練された形状と、工業製品としての美しさすら漂わせる構造に、軍人としての目が釘付けになる。
「……で、性能はどうなんだ。『一号一型』と比べて、どれほどの違いがあるというのだ?」
津村の問いかけに、蓮はA.I.D.A.から教え込まれたデータを思い出しながら、素人にも一目で分かるように明快な数値を告げた。
「従来の『一号一型』とは、もはや比較になりません。探知距離は最大400キロに跳ね上がり、敵機までの距離も数キロ単位の曖昧な測定ではなく、わずか数百メートルの誤差で正確に割り出せます。さらに、複数の目標が密集していても、それぞれを個別の機影としてハッキリと分離して捉えることが可能です」
さらに蓮は、機材に備え付けられた小型のブラウン管の蛍光面を指し示す。
「これまでの電探のように、聴音機のような音の強弱に頼る必要はありません。この画面に、目標の位置が光の波形として直接、視覚的に鮮明に映し出される仕組みになっています」
その説明を聞いた瞬間、津村の背筋にビリリと冷たい戦慄が走った。
これまでの日本軍が抱えていた技術的限界――目標との距離が正確に測れず、数が多いとどれがどれだか分からなくなるという致命的な弱点。
それが、目の前にあるコンパクトな箱一つで完全に解消されているというのだ。
これは絵空事ではない。
蓮の作ったこの機材こそが、今後の戦局をひっくり返す本物の「切り札」であると、津村の直感が叫んでいた。
「……おい」
津村は熱を帯びた瞳で蓮を見据え、唸るように言った。
「今すぐ、性能を試したい。この機材の力を、俺の目で確かめさせてくれ」
「構いませんよ」
蓮は軽く肩をすくめ、不敵な笑みを浮かべる。
「ただ、これでも精密機械ですからね。それにこの大きさです。重くて二人ではとても運べません。津村さん、衛兵の方を呼んで手伝ってもらってください」
「ああ、喜んでな!」
衛兵数人に協力してもらい、重い新型電探を慎重に抱え上げると、参謀本部の屋上へと急ぎ足で移動した。
冷たい朝風が吹き抜ける屋上の隅に機材を据え、二人は手際よく配線と電源、そしてアンテナを繋いでいく。
A.I.D.A.のバックアップによる事前の内部調整が完璧だったおかげで、セットアップは驚くほどスムーズに完了した。
「準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
津村がメインの電源スイッチを押し込むと、ブラウン管の蛍光面がジワリと淡い緑色の光を放ち、微かに発光し始めた。
その瞬間、波形が整い、上空や洋上を飛行する航空機が、従来の電探ではあり得なかったほどシャープで鮮明な反射波として、画面上にくっきりと浮かび上がってきたのだ。
「おお……!」
津村は思わず声を漏らし、ブラウン管の前に顔を近づける。
画面に映し出されているのは、あまりにも正確で美しい位置情報だった。
目標の移動方向、距離、そして速度に至るまで、数値と波形が完璧にシンクロして表示されている。
その精緻な映り込みと、当時の常識を完全に置き去りにした正確無比な結果を目の当たりにし、津村はもはや言葉を失い、ただただ大きく目を見開くことしかできなかった。
しばらくの間、屋上には風の音と電探の微かな稼働音だけが響いていたが、やがて津村はゆっくりと顔を上げ、興奮を抑えきれない荒い息を整えながら蓮に向き直った。
「……凄まじいな」
津村の声音は微かに震えていた。
「お前の話は今の今まで、どこか半信半疑だった。だが……実際にこの目で見て、すべてが真実だと分かった。これほどの代物があれば、日本の防空体制は根本から覆る」
確信を得た津村の目は、かつてない強い光を帯びていた。
彼は力強く拳を握りしめ、蓮に向かって言い放つ。
「これであれば計画していた参謀総長への直談判も可能だ。奥野、待っていろ! 今すぐ参謀総長を呼んでくる」
それだけの言葉を一気にまくし立てると、津村は一礼する間も惜しいとばかりに身を翻し、屋上から階段へと向かって勢いよく駆け出していった。
ガタガタと足音を響かせながら遠ざかっていく津村の後ろ姿を見送りながら、蓮は小さく息をつき、静かに目を細めるのだった。
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