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碧のA.I.D.A. ―2050年のステルス戦闘機、昭和16年へ―  作者: 明日葉 優太
真珠湾編

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エピソード14 教室のドタバタと、縁側の嘘

昭和十六年十二月八日午前七時。


秩父の冷え切った朝の空気を震わせるように、神崎の家の勝手口がわずかにきしんだ。


「……っと」


忍び足で中に入ろうとした蓮の背後から、ふわりと穏やかな声がかかる。


「おかえりなさい。昨日の約束を守ってくれましたね」


振り返ると、そこに立っていたのはハルだった。

体調はすっかり良くなったようで、顔色も良く、優しく微笑んでいる。


「ああ、ただいま、ハルさん」


蓮がホッと息をつくと、ハルは「お土産話を後で聞かせて下さいね」と嬉しそうに目を細め、先に母屋の方へと戻っていった。

台所からは、トメさんの威勢の良い声と、香ばしい味噌汁の匂いが漂ってくる。


「おや、おかえり。さ、ご飯の用意が済んでるよ」


神崎も温かく迎え入れてくれ、みんなで朝食を囲む穏やかな時間が流れた。

――もっとも、蓮がかけている「メガネ(オプティカル・アイダ)」のレンズの向こう側では、A.I.D.A.が淡々と時系列データの同期を行っていたが、表向きは平穏そのものだった。


だが、その平和な空気を、一瞬にして凍りつかせる音声が聞こえてきた。

食卓の端に置かれたラジオから、臨時ニュースのチャイム音が鳴り響いたのだ。


『――臨時ニュースを申し上げます。帝国陸海軍は、本日未明、ハワイ・オアフ島周辺の米艦隊に対し、決死の攻撃を敢行、これに大成功せり……!』


「なに……?」


神崎の手から、箸がポトリと落ちた。

ラジオから流れる「真珠湾攻撃の成功」を告げるアナウンサーの興奮した声に、部屋の空気が一変する。


息を呑む神崎夫妻と、ハル。

一家の視線が、一斉に、どことなく落ち着かない様子で座っている蓮に集まった。

蓮は冷や汗を隠しながら、わざと大きく首を傾げて見せる。


「いやあ、成功した事は勿論良いことですが、なんか物騒な話ですね……。で、昨日の親戚探しは、残念ながら今回は見つかりませんでしたよ」


とぼけた調子で平然と答える蓮に、神崎は複雑な目を向けつつも、深く詮索はしなかった。


朝食後、蓮は服装を神崎から借りた服に着替えて――周囲から見ればただの少し変わったメガネをかけた、よそから来たインテリ青年という姿で、山あいの分教場へと向かった。


到着してまずは校長室へ。

扉をノックして中に入ると、老齢の校長の傍らに、もう一人の若い女性教師が立っていた。


「おー。先日の面談以来ですな。ようこそお越し頂きました。こちらは、この分教場でもう1人の先生として手伝ってくれている鈴木久子君です。久子君は二十歳なのに、本当によくしっかり働いてくれてね、非常に頼りにしているんです。」


校長が目を細めて紹介すると、久子は少しはにかみながら、しかし凛とした笑顔で頭を下げた。


「初めまして、鈴木久子です。……あの、来て頂いて本当に良かったです。みんな元気いっぱいで、私ひとりでは手が回らなかったので、本当に助かります……!」


心からの安堵と歓迎が入り混じった久子の言葉に、蓮は少し返答に窮する。


(どう返そうか……?)


わずかに目を泳がせた蓮の視界の端で、A.I.D.A.の文字盤がピカリと光った。


「――ここで好感度を上げる気の利いた返答案です。こうお答えください」


アイダから即座に提示されたカンペの通り、蓮は爽やかな笑みを貼り付けて口を開いた。


「とんでもない。不慣れで足手まといになるかもしれませんが、私も精一杯お手伝いしますよ、鈴木先生」


そのスマートな返しに、久子は少し驚いたように目を丸くし、それからふわりと柔らかく微笑んだ。挨拶は見事に大成功だった。



だが、その直後の教室で、蓮は本当の地獄を見る。


全校生徒23人が待つ教室の引き戸を開けた瞬間、子供たちは初めて見る「新しい先生」を前にガチガチに緊張し、教室中が異様な静寂に包まれた。

教師経験などゼロの蓮は、早くも背中に冷や汗がタラタラと流れるのを感じていた。


その沈黙を破ったのは、クラスのガキ大将・健太だった。

腕を組み、ズケズケと教壇の前に歩み出ると、健太は蓮を指さして大きな声で言い放った。


「おい、先生! 村の大人たちが言ってたぞ、お前、身元不明ってほんとか!?」


「なっ……!?」


突然の直球すぎる質問に、蓮が盛大にフリーズする。


(おいA.I.D.A.、なんて返せばいいんだこれ!?)


心の中で絶叫する蓮に対し、A.I.D.A.が「動揺を抑える大人の返答案を――」と提案するより早く、教壇の脇にいた久子がパッと顔を真っ赤にして割って入った。


「ちょっと、健太くん! 人に対してそんな失礼なこと、言っちゃいけません!」


久子にものすごい剣幕で叱り飛ばされ、健太は「分かったよ、久子先生……冗談だろ……」と気まずそうに自分の席へすごすごと引き下がっていった。


「ふう……助かった……」と胸をなで下ろす蓮の耳に、容赦なくA.I.D.A.の冷徹な(しかし必死の)音声が飛ぶ。


「――感傷に浸っている暇はありません。これより昭和十六年当時の国定教科書に準拠した授業を開始します。視界右側に次の黒板記述コマンドを表示……ハ、ニ、ホ、ヘ、トの書き順は……!」


「ひっ……!」


視界の端で猛スピードで点滅するA.I.D.A.の文字と実況に翻弄されながら、蓮はAIグラスから蓮にしか聞こえない声を必死にオウム返しし、チョークを握りしめて黒板に向かった。


字を書き間違えそうになると「そこは右払い長めです!」とA.I.D.A.に怒られ、生徒からの鋭い(そして時代特有の)質問にはA.I.D.A.の模範解答を全力で噛み噛みにつぶやく。


冷や汗と冷やかしの入り交じる中、代用教員・蒼のドタバタ初授業はなんとか幕を開けたのだった。

午前中の授業を命からがら乗り切り、やがてお昼の時間になった。


最初の緊張はどこへやら、一生懸命だけどどこかポンコツで面白い「新しい先生」に、健太も含めて子どもたちの緊張はすっかり溶けていた。


「先生、これうめえぞ!」「先生、なんでそんな変なメガネかけてるの?」


お弁当を広げた途端、子どもたちがわらわらと蓮の周りに群がり、無邪気な質問攻めにしてくる。

蓮は苦笑いしながらも、子どもたちと一緒におおむすびを頬張り、すっかりその場に溶け込んでいた。



そして――放課後。


子どもたちが全員元気に下校し、静まり返った校舎に、ホウキの音が心地よく響く。

蓮と久子は二人並んで、教室の床を掃いていた。


ふと、久子が手を止め、感心したような目を蓮に向ける。


「あの……奥野先生、失礼ですが、今までもどこかで教師をされていたのでは? 初めてとは思えないほど、すごく上手い授業でしたよ」


「い、いやいやとんでもない! 心臓が口から飛び出るほど緊張していましたって……」


蓮が慌てて手をブンブンと振って謙遜すると、久子はクスッと笑った。


「ふふ、でも子どもたち、途中からすっかり先生のことを慕っていましたよ。みんな、先生が大好きになったみたいです」


そのまっすぐで温かい褒め言葉に、蓮はなんて言おうかと言葉に詰まった。

その瞬間。


「――好感度上昇チャンスです。ここで「鈴木先生が助けてくれたからですよ」と言ってください」


視界の端で、A.I.D.A.が余計な(しかし完璧すぎる)アシスト指令を叩き出した。

反射的に、蓮の口が勝手に動いてしまう。


「い、いや……鈴木先生が助けてくれたからですよ!」


――言った瞬間、自分の発言の恥ずかしさに頭が真っ白になった。

言われた久子は、ぱっと両手を頬に当て、みるみるうちに耳たぶまで真っ赤に染めていく。


「えっ……あ、その……」


(おいアイダァァァーーーッ!! なんて恥ずかしいセリフを勝手に言わせるんだ俺に!!)


心の中で頭を抱え、自分の頭を床に叩きつけたいほどの猛烈な悪態を心の中でつく蓮だった。


夕方。

分教場でのドタバタと恥ずかしい自爆を何とかやり過ごし、蓮は神崎の家へと戻ってきた。


夕ご飯の支度が始まる前の、ほんのひととき。

縁側に腰掛けた蓮の隣には、すっかり元気になったハルがちょこんと並んで座っている。


「蒼さん」


静かな夕暮れの空気を割って、ハルがふふっと微笑んだ。


「本当に……病気を治してくれて、ありがとうございました。お陰様で、もうすっかり全快です」


「いや、本当によかったです。……でも、まだ無理は禁物だ。今度はしっかり体力をつけないとね」


蓮が優しく返すと、ハルは少し遠くの山並みを見つめながら、ぽつりと言った。


「……私、大人になったら、分教場の先生しようかしら」


「お、いいと思いますよ。きっと素敵な先生になるよ」


「ふふ、父が許してくれるかな?」


ハルは悪戯っぽく笑い、それからくるっと蓮の方を向いて、目を輝かせた。


「ねえ、お土産話の続き、聞かせてくれますか?」


昨日の約束をちゃんと覚えていたらしい。

真珠湾攻撃という歴史の重みと、未来から来たという本当の秘密を飲み込み、蓮は少しだけ苦笑いを浮かべた。


「ああ……そうですね。そんなに面白くないですよ。もう大変ったらありゃしない、集落をあちこち回って親戚を探してたんですが、どこに行っても誰も知らないと言われ、挙句は途中ですっかり山道に迷っちゃいました。いやあ、本当に散々な1日だったなぁ」


歴史の裏側を隠すための、苦し紛れの作り話。

それでも、目の前で楽しそうに耳を傾けてくれるハルの笑顔を見ていると、この平和な嘘も悪くないと思えた。


暮れゆく秩父の山々が、夕陽に染まっていく。


歴史の歯車が大きく狂い始めたこの世界で、今、目の前にあるこの温かな日常と、笑い合う少女の笑顔を――蓮は静かに、しかし強く守り抜くと心に誓うのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます! 少しでも『面白い、続きが気になる』と思っていただけましたら、下部の【ブックマーク】や【評価】(☆☆☆☆☆)で応援していただけると、執筆の凄すさまじい励みになります!

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