エピソード13 92.3%の分岐点⑤
1941年(昭和16年)12月8日、ハワイ時間午前9時半過ぎ。
紅蓮の炎に包まれ、黒煙を天高く噴き上げる真珠湾を背に、蓮が呟く。
「日本に戻るぞ」
蓮の言葉に、コクピットのコンソールが青白い光を揺らした。
「了解しました。これより帰還ルートへ移行します」
A.I.D.A.の冷静な返答とともに、次世代ステルス機「蒼莱」が圧倒的な加速を見せ、ハワイの空を離れて日本本土へ向けて針路を取る。
静まり返ったコクピット。巡航飛行を続ける機内で、A.I.D.A.がホログラムを展開し、一連の真珠湾攻撃における詳細な戦果とデータを静かに提示した。
「空母『蒼龍』『飛龍』含めた別働隊の成果ですが、米国第8任務部隊の全艦艇を沈没させ、こちらの損耗率はゼロを達成しました。同時に行われた真珠湾攻撃の第一波攻撃隊については、リフレクターの数が不足した影響により2機の損耗は発生したものの、目標とした主要艦船、飛行場の大部分の破壊に成功しています」
A.I.D.A.はデータを切り替え、さらに続ける。
「続いて第二波攻撃の成果です。当機の全リフレクター展開およびビーム砲による精密迎撃支援により、味方機損耗率ゼロを達成。港湾施設や巨大燃料タンク群の完全破壊に成功しました。……これら一連の作戦成功により、今後半年以上に渡る米軍の太平洋における継戦能力を完全に破壊したことを確認しています」
提示された圧倒的な数字の羅列を見つめながら、蓮は静かに息を吐き出した。
未来のただの一自衛官という本来の立場に立ち返り、歴史を大きく動かしてしまったことへの深い葛藤が、胸の内で重く澱んだ。
「これで大きく歴史を変えてしまったな。未来のただの一自衛官として、この判断で本当に良かったのか……分からない。でも、間違いじゃないと思いたい」
呟くような蓮の言葉に、A.I.D.A.の演算コアが刹那の沈黙のあと、柔らかく明滅した。
「…………。未来への帰還方法が未だ見つかっていないこの状況下において、蓮が抱いた『日本人を守りたい』という強い感情に、論理や正誤の証明など不要ではないでしょうか」
人工知能を超えたA.I.D.A.の温かい言葉が、未来への不安を抱える蓮の心をそっと包み込んでいく。
その頃、はるか洋上の日本海軍艦隊――南雲艦隊の司令部では、
南雲は信じられないものを見る目で報告書を見つめ、ぶるりと震える手でこめかみを押さえる。
「……いったい、あいつらはあの空で何を見ていたんだ……」
真珠湾攻撃の第一波攻撃隊が次々と空母へと帰還を果たしていた。
湾内の主要艦艇および飛行場の目標はほぼ全て破壊され、未帰還機もわずか2機に留まるという、かつてない大戦果であるはずだった。
しかし、甲板から戻ってきた搭乗員たちが口を揃えてもたらした報告は、軍人の常識を完全に踏みにじるものだった。
「米軍の対空砲火が、なぜか途中で不自然に違う方向へそれていき、機体に当たることはなかった……」
不可解極まりない怪異の証言が、あまりにも多数の搭乗員たちから真剣な面持ちで寄せられていたのだ。
すると、側近の参謀が戸惑いの色を隠せないまま、どこか引きつった笑みを浮かべて言った。
「はっ……。搭乗員たちの言うことなど到底信じられませんが、戦果は事実です。一体なんのことやら……」
周囲の士官たちからは「ともかく大戦果だ!」「米太平洋艦隊を叩き潰したぞ!」と、歓喜と興奮の声が沸き起こり始める。
だが、南雲長官と、航空参謀である源田実は、手放しで喜ぶことができずにいた。
あまりにも異質すぎるこの勝利を目の当たりにし、二人の背筋には底知れぬ不安と得体の知れない恐怖が這い上がっていたのだ。
(神がかり的な幸運……いや、それすら超えている。我々の知らない何かが、あの空で――)
冷や汗を拭うことも忘れ、源田が固唾を呑んで南雲を見上げる。
南雲は重々しく息を吐き出すと、震える声を押し殺して命じた。
「……総員、気を引き締めろ。本国へ暗号通信にて、この結果を直ちに報告しろ」
同じ頃、太平洋を挟んだ遠くワシントンのホワイトハウス。
大統領執務室。フランクリン・D・ルーズベルトは、ハワイからの絶望的な通信と側近からの報告を受け、血の気が引くような衝撃を受けていた。
真珠湾の中枢および第8任務部隊の全滅。フォード島やヒッカム基地の灰燼化。
そして、数百万バレルにおよぶ重油タンク群の誘爆により、軍港としての機能が完全に根絶やしにされたという現実。
ルーズベルトはガタリと椅子から立ち上がり、信じられないといった面持ちで側近を睨みつけた。
「それは本当か、間違いではないのか……!」
側近は蒼ざめた顔で首を横に振る。
「いえ、間違いありません……。太平洋方面の部隊は壊滅的打撃を受けました。今後半年以上は、我々は太平洋での活動が一切できなくなります」
その残酷な現実を突きつけられ、ルーズベルトはぐっと息を詰まらせた後、力なく椅子に深く座り直した。両手で頭を抱え、苦渋に満ちた唸り声を漏らす。
だが、その絶望の底から、やがて煮えくり返るような激しい怒りが狂気のように突き上げてきた。
ルーズベルトは青筋を浮かべた顔で執務室の机を叩き、拳を固く握りしめると、日本に対する並々ならぬ敵愾心と、徹底抗戦を誓う怒号を執務室に響かせた。
地球の裏側で巨獣のような大国が怒りに狂い始めていることも知らず、蒼莱の機内では、穏やかな空気が戻りつつあった。
「蓮。日本本土への帰還ルート上で、機体の新たな隠し場所について提案があります」
A.I.D.A.がホログラムの地図を拡大しながら切り出す。
「これまで滞在している集落から徒歩2時間かかる洞窟に機体を隠していましたが、かなり遠距離です。ですが、ハルたちのいる集落の近くに、同様の絶好の隠し場所となる洞窟を新たにスキャンしました」
「本当か? それは助かるな。そこにしよう」
蓮は迷うことなく頷いた。
そして、ふっと表情を和らげ、どこか懐かしむような目を細める。
「考えてみれば、あの集落に来てまだ一週間しか経ってないんだよな。なのに、俺の中ではもうすっかりあそこが『自分の居場所』になっている気がするよ」
自嘲気味に笑いながら、蓮の足取りならぬ心はすでに地上へと向かっていた。
「早く帰ってトメさんのおにぎりが食べたいし……それに、今日から『分教場の代用教員』としての仕事が待っているんだ。それが凄く楽しみなんだ」
その弾んだ声を聞き、A.I.D.A.はコクピットの光をリズミカルに明滅させながら、微かに呆れたような、しかしどこか温かいトーンで言い放った。
「蓮、あなたに教師が適任とは微塵も思いませんが……まあ、私が全面的にサポート・フォローしますので安心してください」
蓮は苦笑いしながら、首を横に軽く振った。
「そう言うなよ。分かったよ。任せたぞA.I.D.A.」
機体は静かに、しかし確実に、日本の青空の下へと滑るように帰還していくのだった。
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