エピソード12 92.3%の分岐点④
1941年(昭和16年)12月8日、ハワイ時間午前9時半過ぎ。
かつて「太平洋の要塞」と呼ばれたオアフ島・真珠湾は、第一波の奇襲によって黒煙を天高く噴き上げる死の淵と化していた。
フォード島やヒッカム飛行基地の航空機は地上でスクラップと化し、軍港に並ぶ巨艦たちは浅い海底へとその身を横たえている。
生き残った米軍守備隊の兵士たちは、圧倒的な絶望と混乱のなかでも、必死の消火活動や負傷者の救護に奔走していた。
「クソッ……! 一体、どうなってやがるんだ……!」
炎上する艦艇から流れ出た重油の熱気と黒煙に燻され、顔を真っ黒に汚した対空砲手の一人が、燃え盛る機材を必死に消し止めながら悪態をつく。
不意打ちを食らった怒りと、終わりの見えない惨状への恐怖が、兵士たちの心を踏み荒らしていた。
その時――耳をつんざくような甲高い警報のサイレンが、オアフ島の空に再び鳴り響いた。
「なんだ……!? おい、まさかまた来るのか――っ!」
周囲で消火にあたっていた兵士たちが青ざめた顔で手を止め、無線機から飛び込んできた管制の絶叫が周囲に叩きつけられる。
「レーダー網に反応! 方位角北東、敵機の大編隊が接近中――っ! 第二波だ、迎撃急げ……!」
「嘘だろ……もう来やがったのか……ッ!」
呆然とする暇すらなかった。
砲手は手にしていた消火ホースを放り出し、崩れかけた瓦礫を跳ぶようにして、むき出しの対空砲座へと文字通り駆け出した。
間髪入れずに、空の彼方から無数の不気味な影が近づいてくる。九九式艦爆と九七式艦攻からなる、第二波攻撃隊の群れである。
砲手はガタガタと震える手で照準器を掴み、血走った目を上空へと向けながら、憎悪を込めた怒号を吐き捨てた。
「――おのれ、日本軍の奴らを叩き落としてやる!」
米軍の防空網が、復讐に燃える血気盛んな叫びとともに再び対空砲火の迎撃態勢を急ピッチで整え始める。
火を噴く準備を終えた無数の砲身が、一斉に迫りくる日本軍機群を待ち構えていた。
その緊迫した空域の、はるか頭上の成層圏。
音もなく、気配すらも完全に消し去った次世代ステルス機「蒼莱」が、驚異的な速度で第二波の頭上へと滑り込むように到着していた。
「蓮。第二波攻撃隊、敵防空圏の直近に到達。米軍守備隊は迎撃態勢を完了し、全方位からの猛烈な対空砲火を準備中です」
A.I.D.A.が青白い光を揺らしながら、冷徹な報告を上げる。
蓮は凛とした振る舞いで、しかし絶対的な命令を下した。
「……間に合ったな。A.I.D.A.、第二波の全機を対象にリフレクターを全展開しろ。一機の被弾も、一人の負傷者も出さないようにしてくれ。必ず全機守り抜け」
「――了解。第二波攻撃隊へのリフレクター最適配置、高速演算を開始……」
A.I.D.A.の演算回路が跳ね上がり、ミリ単位の精度で空間を歪める見えない光の壁が構築されていく。
しかし、直後、A.I.D.A.の音声にわずかな硬質さが混じった。
「蓮、警告します。真珠湾全域から放たれる膨大な対空砲火の物量は想定を大きく上回っています。現在のリフレクター展開規模のみでは、全機の被弾を完全に防ぎきれません。二十機程度において致命的な被弾が発生する確率が73.2%あります」
「……」
蓮はわずかに眉をひそめ、ホログラムの無数の対空砲を見据えると、少しの間を置いてから静かに問いかけた。
「……蒼莱のビーム砲を使うことはできないか」
「蓮。当機に搭載された武装の行使は交戦規定に反する為、武器の使用許可は下りません。敵陣に対して攻撃兵器を使用した場合、多大な人的・物的被害を生む恐れが――」
A.I.D.A.の毅然とした制止に、蓮は気色ばむ形で言い返した。
「そうじゃない。敵の陣地や兵士を直接攻撃するわけじゃない。向かってくる対空砲火の砲弾をビーム弾で消滅させるだけだ。これは破壊活動ではなく、あくまで護衛任務の延長線上にすぎない」
蓮の言葉に、A.I.D.A.の演算コアが刹那の静寂の後、迷いを断ち切るように明滅した。
「――承知しました。敵兵を直接の標的とせず、飛来する砲弾の迎撃・消滅に限定する場合、それは護衛任務の範疇として認められます。武装の使用を許可。最適軌道の演算、開始」
――第二波の攻撃隊長を務める中田一飛曹は、九九式艦爆の操縦桿を握りしめながら、冷や汗の滲む額を袖で拭った。
眼下には、攻撃意欲を剥き出しにした米軍陣地が広がっている。
複座の機内で、後ろに同乗する偵察員であり機銃手の部下が、眼下の残存艦船を指さしながら興奮した様子で身を乗り出してきた。
「隊長、前方に敵の残存艦船が見えます! あの艦艇を沈めれば、大戦果です!」
部下の熱を帯びた身振りに、中田は歯をくいしばりながら力強く首を横に振った。
「バカもの!我々の攻撃目標は司令部から出ている港湾施設と燃料タンクである!」
そして、中田は確固たる意志を込めた手信号で、目標はそこではないと後方の機体の部下に厳しく制止の合図を送る。
(浮かれ広がるな! 目標は艦船にあらず! 司令部の命令通り、通信施設と軍港施設を叩け……!)
中田の毅然とした指示を背中で受け止め、部下はぐっと息を呑み、引き締まった表情で敬礼の代わりに操縦席の縁を叩いて頷いた。
中田の機体を先頭に、続く部隊の機体群が猛烈な対空砲火の中へと突撃していく。
「来るぞ、撃ち方始め――ッ!」
米軍陣地から数千発の鉛弾が放たれ、日本軍機を文字通り引き裂かんと殺到した。
コクピットのディスプレイ越しにその光景を見据えながら、蓮の視線が一層鋭さを増す。
「米軍対空砲による砲弾の迎撃準備完了しました」
A.I.D.A.より伝えられ蓮は短く、しかし冷徹に言い放った。
「打てっ!!!」
その瞬間、完全な不可視を保ったままの蒼莱の機体から、まばゆい閃光が無数に放たれた。
無数のビーム弾は四方八方に広がりながらものすごい速度で軌跡を描き、米軍陣地から殺到する無数の対空砲弾へと完璧な精度で向かっていく。
次々と放たれるはずの無数の対空砲弾が、空中に走る眩い光る弾丸に次々と撃ち抜かれて消滅していく。
敵弾は一発たりとも掠りもしない。
あまりに異様な光景の連続に、中田は周囲を飛ぶ僚機から絶句するような機動や、驚愕に満ちた身振りが視界の端へと飛び込んでくる。
(敵の砲弾が勝手に消えていく……! 何が起こっている。私は夢でも見ているのか…)
言葉を交わす手段などないはずの空間で、部下たちがそれぞれに恐怖と困惑の入り混じった表情で周囲の空を見上げているのがありありと伝わってきた。
不可解な現象の正体など分かるはずもない。
しかし、ここで部隊を混乱させるわけにはいかなかった。
中田は息を呑み、自らを奮い立たせて操縦桿を強く握りしめると、力強い手信号と機体の動きで背後の部下や周囲の編隊へと強く合図を送った。
(落ち着け! 理由は後だ、今は司令部の命令を完遂することが肝要! 恐れるな、突撃を続けろ!)
隊長の確固たる意志に背中を押され、部下たちは気を取り直すように力強くうなずき返すと、一斉に機体を傾けた。
上空から降り注ぐ不可視の蒼莱による精密な迎撃支援と、空間を歪めるリフレクターの合わせ技により、米軍の防空網は完全に無力化されていた。
「見えた……! 喰らえ、米軍め……ッ!」
中田の部下たちは次々と通信施設や港湾ドックの上空へと到達し、寸分の狂いもなく爆弾を正確に叩き込んでいく。
各所のインフラが次々と破壊されていく中、中田は自らの機体を大きく翻した。
「部下たちが役割を果たした。……よし、残るは最大の急所だ。隊長としての俺の仕事だな」
中田の視線の先、オアフ島の心臓部に鎮座する巨大な施設――何百万バレルもの重油タンク群。
個人の功名心を捨て、命令のすべてを背負った中田は、迷うことなくその最奥へと急降下した。
「――消え失せろ!」
中田の放った爆弾が、最大規模の重油タンクのドームに直撃した。
瞬間――世界の色彩が音を立てて消え飛んだ。
蓄えられていた数百万バレルの重油が、一点の誘爆をきっかけに次々と連鎖反応を起こす。
それは爆発という言葉では生ぬるい、文字通りの地獄絵図だった。
紺碧の空をドす黒い猛煙と、数百メートルにまで達する幾重もの巨大な火柱が瞬く間に塗りつぶしていく。
タンクの鉄板は紙屑のように引き裂かれ、そこから溢れ出したドロドロの燃える重油が、周囲の軍港施設や波止場、そして逃げ惑う人々や海面を容赦なく飲み込み、すべてを赤黒い炎の底へと沈めていく。
米太平洋艦隊が今後の作戦行動を行うために不可欠だった「継戦能力」は、この瞬間、完全に根絶やしにされた。
すべての喧騒と地獄から切り離された成層圏の静寂の中、蒼莱のコクピットでA.I.D.A.が無機質な報告を告げる。
「――第二波攻撃隊、全目標への爆撃完了。重油タンク群およびインフラ施設の完全壊滅を確認しました。なお、敵の猛烈な迎撃に対し、リフレクターおよびビームによる対空砲弾の迎撃支援を実行――味方機の損耗率は、『ゼロ』を達成しています」
一機の被弾すら許さず、敵の防空網を完璧に無力化したうえでの全目標の壊滅。
蓮の表情に変化はない。ただ静かに眼下の紅蓮の港を見下ろしていた。
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