エピソード9 92.3%の分岐点
――高度二万メートル。成層圏の漆黒に溶け込むように、ステルス戦闘機「蒼莱」は静止していた。
機体の周囲を流れるはずの風圧音はなく、ただコクピットの計器盤に映し出されたA.I.D.A.のインターフェースが、冷たい青色の光を放っている。
「――蓮。ハワイ北方洋上を進む日本海軍・南雲機動部隊、ならびに真珠湾に停泊する米太平洋艦隊、ハワイ方面に存在する米国艦隊の動態スキャンが完了しました」
A.I.D.A.の冷静な合成音声が、蓮の脳裏に直接響く。
計器のホログラムには、史実通りの日時――1941年12月7日を迎える太平洋のミニチュアが浮かび上がっていた。空母『赤城』をはじめとする6隻の航空母艦、そして数々の護衛艦艇が、荒波を蹴立てて西方へと進んでいる。
蓮は腕を組み、静かに息を吐いた。
「どうする、A.I.D.A.? 歴史を根底から書き換えるための最適な手を教えてくれ」
蓮の問いかけに、A.I.D.A.は間髪入れず、ホログラムのデータを切り替えて二つの項目を空中に大きく映し出した。
「お任せください。歴史の致命的な分岐点を改変するため、二大作戦の同時実行を提案します」
A.I.D.A.は滑らかな口調で詳細を告げる。
「まず作戦の1つ目は、南雲艦隊への誘導です。史実の南雲艦隊は『空母エンタープライズの捜索失敗』と『第3波攻撃の未実施による燃料タンク・通信施設の温存』によって太平洋戦争を泥沼化させました。これを防ぐため、偽の『D暗号』を用いて任務を二分割し、南雲艦隊へ下令します。
第1機動部隊――空母『赤城』『加賀』『翔鶴』『瑞鶴』の4隻は、【真珠湾 徹底破壊】として真珠湾内の戦艦群全滅に加え、オアフ島に残る数百万バレルの巨大重油タンク群、巨大ドック、発電所の完全焼き払いを行わせます。最大約250〜280機を投入し、第1波で戦艦と飛行場を制圧、続く第2波で燃料タンク群へ焼夷爆弾の雨を降らせ、ハワイを『一滴の燃料も補給できない鉄の墓場』に変えさせます」
「そして、第2機動部隊です」
A.I.D.A.はさらにデータを展開する。
「空母『蒼龍』『飛龍』の2隻を【エンタープライズ狩り】に充てます。西方350キロの海域に展開させ、約120機の精鋭攻撃隊を発進。敵の正確な現在位置を伝えることにより、奇襲によって飛行甲板を完全に破壊し、戦闘不能に追い込みます」
「さらに作戦の2番目は、アメリカ側への事前通告です」
ホログラムがワシントンD.C.の全体像を映し出す。
「開戦の30分前、アメリカ陸軍省・海軍省・国務省、主要通信社へ英語の宣戦布告書を強制送達します。文面は史実通りの内容を時間通りに送ることにより、奇襲の汚名を着ることなく、純粋な情報戦と戦略の差で、敵を撹乱させます。これを行うことによりリメンバーパールハーバーという敵愾心を少しでも抑え、早期講和の可能性を高めます」
完璧に構築された論理的な提案を聞き終え、蓮は力強くうなずいた。
「よし、その作戦で行こう。すべてお前の算段通りに進めてくれ」
「了解しました。作戦データを展開します」
ふと、蓮の手が止まった。
冷徹に作戦を進めるA.I.D.A.の横顔ホログラムを見つめながら、蓮はぽつりと呟く。
「……なぁ、A.I.D.A.」
「何でしょうか、蓮」
「この作戦を実行した場合の、作戦成功確率はどのくらいだ?」
蓮の問いかけに、A.I.D.A.は即座に無数の予測計算を弾き出し、冷徹な数字を返した。
「――南雲艦隊の誘導による歴史改変の成功確率は、92.3パーセントを算出します。史実の盲点を突く奇襲としては十分に高い効果が見込めます」
「92か……。十回に一回は、想定外の狂いが生じるってことだな」
「ですが、蓮。成功したとしてもそもそも、算出されたリスクについても慎重に検証する必要があります」
A.I.D.A.はホログラムの数値を切り替え、新たなデータを示した。
「今回の作戦では、第1機動部隊と第2機動部隊を物理的に二分割して運用します。そのため、敵からの反撃や偶発的な迎撃戦が発生した場合、各個撃破のリスクが上昇し、南雲艦隊全体の艦艇および航空戦力の損耗率が通常予測の数倍に跳ね上がると算出されます。このままでは、今回の戦いには勝てても、今後の太平洋方面における作戦継続そのものに重大な支障を来す恐れがあります」
蓮は腕を組み、突きつけられた深刻なリスクの数値を見据えながら、わずかに目を細めて思案に沈んだ。
――ただ歴史を変えるだけでは、味方の被害が膨らみ、結局は別の悲劇を生むことになる。
少しの沈黙の後、蓮は意を決したように顔を上げ、A.I.D.A.の青く輝くホログラムを見据えた。
「もし……南雲艦隊や、艦載機にいる日本の兵士たちを守るための行動に限定するなら、この機体の武器使用許可は下りるか?」
コクピット内の空気が一瞬だけ凍りついたように静まり返った。
A.I.D.A.の青い瞳の輝度が微かに揺らぐ。
「……蓮。我々自衛隊の厳格な交戦規定に照らし合わせるならば、過去の歴史上の人間に対する直接的な軍事介入および戦闘行為の許可は、自衛以外の場合は原則、許可出来ません」
機械的で、容赦のない回答だった。だが、蓮は引き下がらない。
「同じ日本人を守るためだぞ、時代は違えど、自衛隊は日本人を守る事が仕事じゃないのか!」
静かに、しかし確かな熱を帯びた蓮の言葉が、A.I.D.A.の音声回路を叩く。
AIの内部で膨大な規定データと倫理アルゴリズムが高速でスパークした。
一秒、また一秒と沈黙が流れた後、A.I.D.A.の合成音声に、わずかだが「人間味」を帯びた柔らかな揺らぎが混ざる。
「……規定の解釈に、新たな論理パスを生成します」
「……?」
「過去の人間に対する攻撃的・殺傷的な兵器の使用は依然として不可能です。しかし……『味方の損害を未然に防ぐための防御・支援』に限定するならば、規定の解釈を一部変更します。――相手を傷つけず、物理的な危害を加えない非殺傷性の防衛装備に限り、使用許可を認めます」
蓮の表情がわずかに緩んだ。
「助かるよ。なら、決まりだ」
蓮はすかさず指示を飛ばす。
「真珠湾攻撃とエンタープライズ迎撃、そのどちらの戦場においても、敵の対空砲火や反撃から味方の艦載機を守り抜くため、手持ちの『超小型リフレクター』をありったけ配分して防護する。展開できるか?」
「技術的には可能です。ですが、蓮」
A.I.D.A.は即座に戦術予測のホログラムを拡大した。
「リフレクターの総数には物理的な限界があります。真珠湾とエンタープライズ側の両方を、同時に完全にカバーし続けることは物量的に困難です」
「なら、どうする?」
「真珠湾の制圧は、南雲艦隊が持つ圧倒的な航空機数でカバー可能です。しかし、艦隊行動しており、反撃の起点となり得るエンタープライズ側は、奇襲の成否と今後の日本艦隊全体の損害を左右する最大の分岐点となります。……優先すべきは、エンタープライズ側です」
「分かった。じゃあ、リフレクターの大半をそちらに回す。そして俺も蒼龍・飛龍の掩護に向かうぞ」
蒼莱が成層圏でわずかに機首を傾げる。
その動きと連動するように、A.I.D.A.は太平洋上の虚空へと素早く指示を送った。
「了解しました。まずはワシントン電信網への布石から実行します」
蒼莱の機体後部から、肉眼では捉えられないほどの微小な光点がいくつも射出された。
それは音もなく大気圏の上層を走り、太平洋上の要所、さらにはアメリカ本土の空域へと正確に飛翔していく。
開戦の直前、ワシントンD.C.の心臓部――国務省や主要通信社の真横へダイレクトに回線を直結させるための「見えない中継網(量子リフレクター)」が、誰にも気づかれないまま静かにそして高速で移動していく。
続いて、A.I.D.A.の凛とした言葉が続く。
「量子暗号波の収束完了。日本海軍の暗号体系を完全模倣ハッキングし、旗艦『赤城』含めた南雲艦隊への無線回線へピンポイントで偽の『D暗号電』を発信します」
「……頼む」
闇に包まれた太平洋上をひた走る、日本海軍第一航空艦隊の旗艦『赤城』。
その薄暗い電信室へと、歴史の歯車を狂わせる音が響き渡ろうとしていた。
厳重な無線封鎖が敷かれているはずの艦内に、突如として受信機の稼働音が乾いたノイズを切り裂く。
「っ……! 当直士官殿、通信です!」
電信員が青ざめた顔で跳ね起きた。
受信機から、途切れることのない紙テープが猛烈な勢いで吐き出されていく。
そこに打刻されていたのは、海軍最高機密を示す「D暗号」の暗号受信だった。
「ばかたれ、無線封鎖中だぞ! どこからだ!」
「し、しかし……暗号の鍵が完全に一致します! 軍令部からの『特命電』です!」
慌てて駆け寄った当直士官が、震える手で紙テープを引っ掴み、その文字列に目を走らせた。
そこには、幾重もの極秘指令が冷徹な文字で並んでいた。
――『第1機動部隊は真珠湾内の戦艦群を撃破後、オアフ島の重油タンク群および通信・発電施設を徹底的に焼き払え』
――『第2機動部隊はオアフ島西方550キロの指定海面ニ潜ム米空母エンタープライズを急襲、これを完全殲滅セヨ』
あり得ない。
真珠湾のインフラ破壊など、作戦計画には微塵もなかったはずだ。
ましてや、未だ行方の知れないはずの敵空母の位置が、なぜここまで正確に指定されているのか。
しかし、その暗号の精緻さと、圧倒的な情報の価値の前に、士官の喉元から息が漏れた。
それがどこからもたらされたものかを知る由はない。
しかしその指令がD暗号であり、破られることのない絶対の自信がある為、本物の暗号受信であると疑いはない。歴戦の海軍士官たちの背筋に冷たいものが走る。
「……司令部へ急報! 直ちに艦橋の南雲長官へ、この特命電をお届けしろッ!」
当直士官の怒号に背中を押されるように、電信員が脱兎のごとく暗号用紙をひっつかみ、電信室を飛び出した。
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