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第五章 鋼の救出

それを見つけたのは、偵察を始めて、四日目の夜明けだった。


『パイロット。起きてください』


ノルンの声が、仮眠を取っていた玲を叩き起こした。


「……どうした」


『大規模な熱源の集中を、北東一八キロに観測。約四百名の人間が、一箇所に密集しています。そして――それを包囲する形で、別の約二百名の集団が展開中。包囲側からは、強い〈異常エネルギー〉反応が複数』


玲は、一瞬で覚醒した。


「魔導士か」


『推定で、十数名。包囲されている四百名からは、異常エネルギー反応が、ほぼ検出されません。装備も、簡素です』


ディスプレイに、戦況図が描き出される。武器を持たぬ四百の民が、廃村らしき場所に立てこもり、その周囲を、魔導士を擁する正規軍が、ぐるりと取り囲んでいる。


それは、戦いではなかった。


これから始まろうとしている、一方的な処刑だった。


「四百……これだけ集まってるってことは」


『はい。これは、単なる暴動ではありません。組織化された、相当規模のレジスタンスと推定されます。観測した限り、この国家で確認できる中で、最大級の』


玲が、探し求めていたものだった。


バラバラに潰されるのではなく、四百もの数を一つにまとめ上げた、大きなレジスタンス。


それが今、まさに、灰になろうとしている。


『領主軍は、夜明けと同時に総攻撃を開始する構えです。猶予は、ほとんどありません。――パイロット。どうしますか』


玲は、もう、答えを出していた。


第四章の酒場で、目の前の男を見殺しにしたとき。あのとき堪えたのは、「次の千人を救うため」だった。


今、目の前に、その千人がいる。


「ノルン。起こすぞ、相棒を」


玲はコックピットに身を沈め、起動レバーを握った。


「もう、堪えなくていい。――今度は、間に合わせる」




夜明けの光が、廃村を照らし始めた。


領主軍の魔導士たちが、一斉に杖を掲げる。詠唱が、朝の空気を震わせる。立てこもる民の上に、巨大な火球が、いくつも生まれていく。


四百の民は、ただ身を寄せ合い、その死を待つことしかできなかった。鍬を、鎌を、棒切れを握りしめて。それが魔法に通じないことを、誰もが知りながら。


老人は言った。魔法は戦争ではない、一方的な虐殺だ、と。


民と魔導士の間には、越えられぬ壁がある、と。


その火球が、放たれようとした――まさに、その瞬間。


東の空が、咆哮した。


朝日を背に、何かが、音速で迫ってくる。魔導士たちが、火球の制御を忘れて空を見上げた。


「な――」


戦闘機形態の〈ヴァルキュリア〉が、軍の頭上を、雷鳴とともに通過した。


衝撃波が、隊列を吹き飛ばす。


そして上空で、鋼鉄が、人型へと姿を変えた。朝日を弾く銀色の巨人が、戦場の中心に、地響きとともに降り立つ。


「魔法は、戦争じゃねえんだったな」


外部スピーカーから、低い声が、戦場に響き渡った。


「一方的な、虐殺だ、と。――だったら、教えてやるよ。逆から、踏みつけられる側の気持ちってやつをな」


魔導士たちが、我に返り、〈ヴァルキュリア〉に向かって魔法を放った。炎が、雷が、氷の槍が、四方から殺到する。


それらは、すべて――装甲の表面で、虚しく爆ぜた。


対空ミサイルの直撃に耐える鋼鉄に、人ひとりが放つ魔法など、火の粉に等しい。


玲は、機関砲の照準を、魔導士たちの集団に合わせた。狙うのは、彼らだけ。武器を捨てて逃げ出す一般兵は、追わない。あの城のときと同じ、彼の流儀だった。


「壁を越えられねえのは――どっちだ」


引き金を、引いた。


それは、戦いと呼べるものではなかった。三十年前、三百人を半刻で灰にした「壁」が、今、逆側から、鋼鉄によって踏み砕かれていく。詠唱は途中で途切れ、杖は地に落ち、ローブの群れは潰走した。


ほんの数分で、すべてが終わった。


魔導士を率いた領主軍は、壊滅した。


そして――立てこもっていた四百の民は、声もなく、その光景を見ていた。


自分たちを灰にするはずだった執行者たちが、逆に、薙ぎ払われていく光景を。


絶望が、呆然に変わり、呆然が、信じられないものを見る眼差しに変わっていった。




戦場に、静寂が戻った。


そのときだった。


『……パイロット。異常を検知』


ノルンの声に、わずかな戸惑いが滲んだ。


「どうした」


『説明が、つきません。――当機の、推進燃料が、回復しています』


「……は?」


『推進燃料、六二パーセントから、上昇中……七〇……八五……一〇〇パーセントに到達。実体弾薬、再装填を確認。ミサイル、残数ゼロから――八発に回復。すべて、物理的な補給なしに、です』


玲は、絶句した。


弾も、燃料も、消費する一方のはずだった。この世界に補給などないと、ノルン自身が断言したはずだった。


なのに――今、空であったはずの弾倉が、満たされている。


「ノルン、何が起きてる」


『不明です。観測される現象は、当機の科学体系では、起こり得ません。……強いて分類するなら』


ノルンは、一拍置いて、告げた。


『〈異常エネルギー〉――あなたが「魔法」と呼ぶ、あの現象と、同質の反応を伴っています』


そのとき、玲の視界の片隅に――見たこともない光が、灯った。


コックピットの空間に、半透明の文字が、浮かび上がっている。機械の表示ではない。ディスプレイの中でもない。まるで、空中に直接、刻まれたかのように。


そこには、読めるはずのない――だが、なぜか意味のわかる文字で、こう記されていた。


>  ────討伐報酬を確認────

>  領主軍(魔導兵団)の撃破を確認しました。

>  報酬として、補給を実行します。

>  また、条件を達成したため、〈補給市〉が解禁されました。


「補給、市……」


玲が呟くと、文字が切り替わった。


そこには、さながら商人の品書きのように――弾薬、燃料、整備部品、そしてこの世界の物資に至るまで、無数の品目が、それぞれの「価格」とともに、ずらりと並んでいた。


『……パイロット』とノルンが、慎重に言った。『これは、購買インターフェースのようです。何らかの「点数」を対価に、物資を入手できる仕組みと推定されます。撃破した敵に応じて、その「点数」が加算されている』


玲は、その光る品書きを、長い間、見つめていた。


普通なら、喜ぶべきところだ。補給の心配がなくなった。それどころか、戦えば戦うほど、強くなる。一機きりの限界という、最大の足枷が外れた。


だが――玲の顔は、晴れなかった。


「ノルン」


『はい』


「俺はな、十年戦場にいて、一つだけ学んだことがある」


玲は、光る文字を睨んだまま、言った。


「タダより高えものは、ねえ」


『……同意します』


「これを、誰が、何のために、俺に与えてる。召喚の仕組みか? あの契約紋か? それとも――俺を、駒として使いたい、別の誰かか」


コックピットの中で、玲の手は、契約紋の刻まれた右手の甲を、無意識に押さえていた。


「便利に使わせてもらう。だが、忘れねえ。これは、贈り物じゃねえ。――いつか、必ず、請求書が来る」


『賢明です、パイロット。記録しておきます』


光る品書きは、玲の意志に応えるように、すっと消えた。


便利な力。だが、底の見えない力。


それを抱えたまま、玲は、ハッチを開けた。




廃村の前に、〈ヴァルキュリア〉が、片膝をついて佇んでいる。


その鋼鉄の足元に、四百の民が、声もなく集まっていた。


彼らは、武器を握ったまま、動けずにいた。歓喜していいのか、ひれ伏すべきなのか、あるいは新たな脅威として恐れるべきなのか――誰にもわからなかった。


その群れの中から、ひとりの女が、進み出た。


歳の頃は、二十代の半ば。短く刈った黒髪、頬に走る古い傷、痩せているが、その目には、四百を束ねてきた者の鋭さがあった。手には、刃こぼれした剣を一振り。


「……あんたが、噂の『鋼の悪魔』か」


女は、〈ヴァルキュリア〉から降りてきた玲を、まっすぐに見据えた。


「城を壊した、化け物。台所の娘っ子のために、王子を踏み潰した、って言われてる」


「悪魔と呼ぶのは、勝手だ」と玲は答えた。「あんたが、ここの頭か」


「ジーナだ。鍛冶屋の娘で、今は――この四百人を、死なせないために、足掻いてる女だよ」


ジーナは、剣を握る手に、力を込めた。警戒は、解いていなかった。


「助けてもらった礼は、言う。だが、聞かせてもらおうか。なんで、よそ者のあんたが、俺たちを助けた。慈善か? それとも――俺たちを、別の主人の下で働かせるためか」


鋭い問いだった。彼女は、踏みつけられ続けた者だからこそ、「無償の救い」を信じていなかった。救いの後には、必ず新しい鎖が来る。それが、彼女の知る世界の理だった。


玲は、その問いを、正面から受け止めた。


「半分は、慈善だ。あんたらを、見殺しにしたくなかった。それだけだ」


「……半分は」


「もう半分は――取引だ。」


玲は、四百の民を見渡しながら、続けた。


「俺は、この国を変えるつもりだ。魔法を持つ奴が、持たない奴を踏みつける。この仕組みを、丸ごと、ぶっ壊す。だが、一機じゃ無理だ。土地もいる、人もいる、戦う意志もいる」


「だから、あんたらに、提案する」


玲は、ジーナの目を、見据えた。


「俺の旗の下に、来い。レジスタンスを、俺の指揮下に置く。見ての通り、俺には魔法を撃ち落とす力がある。あんたらに、ずっと欠けてた、たった一つの牙だ。それを、貸す」


ジーナの眉が、跳ねた。


「……つまり、新しい主人になる、ってことか。貴族の代わりに、あんたに仕えろと」


「違う」


玲は、はっきりと否定した。


「俺は、あんたらをひれ伏させたいんじゃねえ。俺が欲しいのは、奴隷じゃなく、兵士だ。自分で選んで、自分の意志で戦う、兵士だ」


「だから、強制はしねえ。ここに残って、また潰されるのを待つのも、自由だ。だが――もし、踏みつけられたまま死ぬのが、嫌なら」


玲は、右手を差し出した。契約紋の刻まれた、その手を。


「俺の下で、戦え。今度は、勝てる戦を」


戦場に、長い沈黙が流れた。


ジーナは、玲の差し出した手を、じっと見つめていた。その手の甲に刻まれた、奇妙な紋様を。


それから、彼女は――背後の、四百の仲間たちを振り返った。


痩せた顔。くたびれた服。だが、その目は、もう、うつむいてはいなかった。執行者が薙ぎ払われる光景を見た彼らの目には、三十年、誰も抱けなかったものが――希望が、宿っていた。


ひとりの老人が、震える声で言った。


「……ジーナ。俺は、もう、逃げるのに、疲れたよ」


別の若者が、続けた。


「俺も、戦いたい。せめて一度くらい、踏みつけられる前に――こっちから、立ち向かいたい」


声は、一つ、また一つと、増えていった。


ジーナは、目を閉じた。


そして、再び開いたとき――彼女は、刃こぼれした剣を地に置き、玲の前に、片膝をついた。


「……ジーナ以下、解放戦線、四百名」


その声は、震えながらも、はっきりと響いた。


「あんたに、忠誠を誓う。鋼の――いや、俺たちの、頭目に」


四百の民が、それに続いた。剣を、鍬を、鎌を地に置き、一斉に膝をつく。


うつむいて生きてきた者たちが、初めて、自らの意志で、頭を垂れた。


それは、隷属の姿勢ではなかった。


選び取った、誓いの姿だった。




その夜、解放戦線の野営地で、ささやかな火が焚かれた。


四百人が、初めて、追われる恐怖なしに迎える夜だった。


玲は、火から少し離れた岩の上に座り、二つの月を見上げていた。


『パイロット』


耳元で、ノルンが囁いた。


『四百名の戦力、確保。土地の足がかり、確保。補給問題、解決。本日一日で、計画は大きく前進しました。――ですが、一つ、指摘させてください』


「言ってみろ」


『あなたは今日、四百名に「忠誠を誓われ」ました。彼らはあなたを「頭目」と呼んだ。あなたは今、四百の人間の生死を握る、指揮官になった。……かつて、あなたが憎んだ、あの王子のように』


玲は、火を囲む人々を見つめた。


笑い声が、聞こえてくる。乏しい食料を分け合い、子どもをあやし、明日を語っている。長い間、彼らから奪われていた、人間らしい夜だった。


「ノルン。約束、覚えてるか」


『はい。あなたが、踏みつける側に堕ちそうになったら、撃ち落とせ、と』


「変わってねえよ、その約束は」


玲は、静かに言った。


「あいつらは、頭を下げた。だが、俺はあいつらの上に立ったんじゃねえ。あいつらの、前に立ったんだ。一番危ねえ場所に、一番先に立つ。それが、俺の頭目の役目だ」


「あの王子は、安全な場所から、命令だけ下した。リルを、後ろから殺した。俺は――その逆をやる。それだけだ」


『……記録しました』


ノルンは、少し間を置いて、付け加えた。


『パイロット。一つ、補足です。本日解禁された〈補給市〉。その品目を精査したところ、武器・物資だけでなく――「食料」「医薬品」「衣服」といった、生活物資も含まれていました』


玲は、火を囲む四百の民を見た。


痩せた体。穴の空いた服。病を抱えた者。


「……買えるのか。あいつらの、飯や、薬が」


『はい。点数が許す限りは』


玲は、しばらく黙ってから、ふっと、笑った。


「タダより高えもの、だったよな」


『はい』


「だがな、ノルン。請求書が来るのが俺一人なら――今は、使い倒してやる。あいつらに、まずは、腹いっぱい飯を食わせる。あったかい服を、着せてやる」


立ち上がり、玲は野営地へと歩き出した。


うつむいて生きてきた者たちの、初めての夜。


その夜を照らす火の中へ、鋼の頭目は、ゆっくりと足を踏み入れていった。


国を獲るための、最初の四百。


そして、補給の枷を外した鋼の騎士。


革命の歯車は――今、確かに、回り始めた。


だが、その歯車を回す「報酬」の出どころを、玲はまだ、知らない。


便利すぎる力には、必ず、与える者がいる。


その正体が明かされるのは――まだ、ずっと先の話である。


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