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第六章 土くれの値段

「戦の前に、まず、飯だ」


翌朝、玲が最初に口にしたのは、それだった。


火を囲んでいた仲間たちが、きょとんとした顔で彼を見た。昨夜、忠誠を誓ったばかりの「鋼の頭目」が、最初に発した命令が、それだったからだ。


「……飯、ですか」とジーナが、戸惑いながら聞き返す。「いや、あんた、敵の領主軍を壊滅させたんだぞ。今すぐ次の砦でも攻めるのかと――」


「攻めねえよ。腹を空かせた兵で戦に勝った試しはねえ」


玲は、痩せこけた四百人の体を、ぐるりと見渡した。


「ジーナ。あんたら、家族は、どこにいる」


その問いに、ジーナの表情が、ふっと曇った。


「……隠れ里に。年寄りと、女子供と、戦えない連中だけでな。山の奥に、誰にも見つからねえように、息を潜めて暮らしてる。俺たち四百は、その里を守るために、武器を取った戦える者の数だ」


玲は、深く頷いた。


四百の兵には、その背後に、何倍もの「守るべき者」がいる。彼らが命を懸けて戦うのは、思想のためでも、復讐のためでもない。山の奥で待つ、家族のためだ。


それは、玲には、痛いほどよくわかる理屈だった。


リルのために、王子に牙を剥いた、自分と同じだ。


「案内しろ、ジーナ。その隠れ里に」


「……何をするつもりだ」


玲は、〈ヴァルキュリア〉を見上げ、口の端を上げた。


「補給だ。――盛大な」




隠れ里は、山の懐に抱かれた、貧しい集落だった。


崖に張り付くように建てられた、粗末な小屋の群れ。痩せた畑。涸れかけた井戸。そこに暮らしていたのは、千人を超える、年寄りと、女と、子どもたちだった。


里に〈ヴァルキュリア〉が降り立つと、人々は悲鳴を上げて逃げ惑った。鋼の巨人など、領主軍の新兵器だと思ったのだろう。


だが、その足元から、見慣れた顔――四百の戦士たちが、生きて帰ってきたのを見て、里は、混乱から歓喜へと変わっていった。


母が、息子に駆け寄る。妻が、夫を抱きしめる。子が、父の足にしがみつく。


「生きてた……生きて、帰ってきた……!」

「あの軍が来たって聞いて、もう、駄目だと……っ」


涙と、抱擁と、安堵の声が、貧しい里を満たした。


玲は、〈ヴァルキュリア〉のコックピットから、その光景を、静かに見ていた。


(……これだ)


これが、彼が守ると決めたものの、本当の姿だった。


ふと、足元に、小さな影が立っているのに気づいた。


五つか六つの、痩せた男の子だった。ほかの子が親に駆け寄る中、その子は逃げもせず、ただ鋼の巨人を見上げていた。手には、不格好に削った、木彫りの何か――小さな鳥の形をしたものを、握っている。


玲はハッチを開け、機体を降りて、その子の前に膝をついた。


「お前、怖くねえのか」


男の子は、首を横に振った。


「……だって、お父ちゃんを、連れて帰ってきてくれたんでしょ。なら、いいやつだもん」


玲は、一瞬、言葉に詰まった。


その純真な物言いが、どうしようもなく、リルを思い出させた。


「……ああ。そうだな」


玲は、その小さな頭に、そっと手を置いた。


「腹、減ってるか」


男の子は、こくり、と頷いた。


「待ってろ。今から、すげえ量の飯を、出してやる」




玲は、里の広場に立ち、意識を集中した。


すると、空中に、あの半透明の文字が浮かび上がった。〈補給市〉。第五章で解禁された、底の見えない購買インターフェース。


「ノルン。今の点数は」


『領主軍の撃破報酬で、相当量が蓄積されています。具体的には――』


ノルンが告げた数字を聞いて、玲は頷いた。十分だ。


「全部、使い切る」


玲は、品書きをスクロールし、片端から、注文を入れていった。


穀物。塩漬けの肉。乾燥した果実。チーズ。大量のパン。


熱を出した子のための、解熱薬。傷の膿んだ者のための、塗り薬。咳の止まらない年寄りのための、薬湯。


冬を越すための、厚い毛織りの服。すり減った靴。布団。


涸れた井戸を補うための、清浄な水。


玲が注文を確定するたびに、〈補給市〉の光が瞬き、里の広場に――物資が、現れた。


文字通り、虚空から、積み上がっていった。


山と積まれた食料の袋。木箱に詰まった薬。畳まれた衣服の束。


里の人々は、その光景に、声を失った。


「な……何だ、これは……」

「食い物が……こんなに……」

「魔法、なのか……? いや、こんな魔法、見たことも……」


玲は、呆然と立ち尽くす人々に向かって、言った。


「食え。着ろ。薬を使え。今日から、ひもじい思いも、寒い思いも、しなくていい」


最初に動いたのは、あの木彫りの鳥を持った男の子だった。


おそるおそる、パンを一つ手に取り、ひと口、かじる。


そして――顔を、くしゃくしゃにして、笑った。


「……あまい。パン、あまいよ、お母ちゃん!」


その一言が、里の堰を切った。


人々が、食料に群がる。子どもが歓声を上げ、年寄りが涙を流し、母親が子に薬を飲ませる。貧しい隠れ里が、一夜にして、宴の場に変わっていった。


ジーナが、信じられないという顔で、玲の隣に立った。


「……あんた、いったい、何者なんだ」


「ただの、飛行機乗りだよ」


玲は、宴を見つめながら、答えた。


「ただ、ちょっと、便利な店を持ってるだけの、な」


ジーナは、しばらく玲の横顔を見つめてから――ふっと、肩の力を抜いた。頬の古傷が、初めて、笑みの形に歪んだ。


「……四百人を、死なせないために、十年足掻いてきた。それでも、誰一人、腹いっぱい食わせてやれなかった。なのに、あんたは、たった一日で……」


彼女は、声を詰まらせた。


「ありがとう、頭目。……あんたについていく。今度は、本気でだ」




宴は、夜まで続いた。


だが――玲は、まだ満足していなかった。


里の隅に、ひときわ重い病に臥せった老人がいた。咳が止まらず、熱も下がらない。玲が用意した薬では、足りなかった。


「ノルン。もっと強い薬は、ねえのか」


『〈補給市〉に、上位の治療物資が存在します。ただし――』


玲は、品書きを呼び出し、注文しようとした。


その瞬間、文字が、赤く点滅した。


>  点数が不足しています。


「……は」


『パイロット。点数を、使い切りました。本日の大量補給で、領主軍の撃破報酬は、完全に枯渇しています』


玲の顔が、強張った。


そうだ。この力は、無限ではない。「戦って勝つ」ことでしか、点数は手に入らない。そして今、目の前には、薬を必要とする老人がいるのに、その点数が、ない。


「くそ……っ。じゃあ、また戦に出て、稼いで来いってか。それまで、この爺さんに待ってろと?」


玲は、苛立ち紛れに、品書きを睨んだ。


そのとき――視界の片隅に、これまで見ていなかった項目が、目に入った。


>  〔売却〕――品物を点数に換えます。


「……売却?」


『おそらく、購入の逆機能でしょう』とノルンが言った。『不要な物品を、点数に変換できる。しかし、パイロット。我々に、売れるような価値ある物品は――』


「ねえな。ガラクタしかねえ」


玲は、半ば自棄になって、足元に転がっていたものを拾い上げた。


ただの、その辺の石ころ。里の地面の、ありふれた小石だった。


「こんなもん、売れるわけ……」


試しに、その石を、売却の枠に放り込んでみた。


冗談のつもりだった。


だが――次の瞬間。


〈補給市〉の文字が、激しく明滅した。




>  ────査定中────

>  品目:〈異界産・希少鉱石〉

>  ……当市場の参照世界には存在しない、未知の鉱物組成を確認。

>  稀少度:最高位。

>  査定額:………………


並んでいく桁が、玲の目を疑わせた。


たかが、その辺の小石一つに。広場の食料を、何百回と買い直せるほどの、途方もない点数が、加算されていた。


「……は?」


『……パイロット』とノルンの声が、珍しく上ずった。『これは……理解の範疇を、超えています』


玲は、半信半疑のまま、次々と、足元のものを売却の枠に放り込んでいった。


ただの庭土を、一握り。

道端に生えた、名もない雑草を、一本。

そして――先ほどの男の子が落としていった、あの不格好な木彫りの鳥を、一つ。


そのたびに、〈補給市〉は、勝手に、ありがたい定義を付けていった。


>  〈異界産・特級肥沃土〉――参照世界に存在しない土壌組成。

>  〈異界産・自然界非実在植物〉――いかなる既知の生態系にも属さぬ植物体。

>  〈異界知性体・手製工芸品〉――異世界の住人が手ずから作りし、一点物の芸術品。


桁が、また、跳ね上がる。


跳ね上がり続ける。


ほんの数分で――玲の点数は、もはや数えるのも馬鹿らしい、天文学的な数字に、膨れ上がっていた。


玲は、しばらく、その光る数字を、ぽかんと見上げていた。


「……ノルン。これ、どういうことだ」


『仮説を、提示します』


ノルンの声は、いつもの冷静さを、辛うじて取り戻していた。


『〈補給市〉は、価値を、「参照世界」を基準に査定しています。そして、その参照世界では――この世界の、ごくありふれた石、土、植物、工芸品が、「存在しない、未知の至宝」として扱われている』


「……つまり」


『この世界では、ただのガラクタが。〈補給市〉の向こう側では、お宝なんです。逆に、向こうのありふれた弾薬や食料は、この世界には存在しない。――両者の間で、価値が、完全に、ひっくり返っている』


玲は、足元の、ありふれた小石を見つめた。


たかが石。たかが土。たかが、子どもの彫った鳥。


それが、別の世界では、王の宝物庫に飾られるほどの価値を持つ。


「……笑っちまうな」


玲は、力なく笑った。


「俺はずっと、踏みつけられてる連中を見てきた。価値のない者として、扱われてる連中を。だが――価値なんてもんは、結局、誰が値段をつけるか、それだけで決まる、ってことか」


ガラクタも、見る世界が変われば、至宝になる。


踏みつけられた者も、見方を変えれば――。


「ノルン。これで、点数の心配は、もう要らねえな」


『はい。事実上、無尽蔵です。あなたは今、この世界の、いかなる富豪をも、いかなる国家をも、遥かに凌ぐ購買力を、手にしました。武器も、食料も、薬も――望むものは、何でも、いくらでも、買えます』


無尽蔵の補給。


一機の鋼鉄と、四百の兵と、そして――無限の物資。


革命の駒は、これで、出揃ったかに見えた。




だが――玲の顔は、やはり、晴れなかった。


彼は、天文学的な数字の並んだ〈補給市〉を、じっと睨んでいた。


「ノルン。前にも言ったよな。タダより高えものはねえ、って」


『はい』


「この店は、俺の世界のガラクタ……いや、この世界のガラクタを、馬鹿みてえな値段で買い取ってる。なんでだと思う」


『不明です。ですが――推測は、できます』


「言ってみろ」


『価値とは、需要です。向こう側が、この世界の石や土を、それほど高く買うということは――向こう側は、それを、強烈に、欲している。喉から手が出るほどに』


ノルンは、一拍置いて、続けた。


『誰かが、この世界の物質を、大量に、集めようとしている。〈補給市〉は、その「収集」の窓口かもしれません。そして、あなたは――気づかぬうちに、その収集に、協力させられている』


玲の背筋に、冷たいものが走った。


便利な力。無尽蔵の富。だが、それは、与えられたものだ。


そして今、その力を使えば使うほど――この世界の石が、土が、植物が、工芸品が、どこかへと、吸い上げられていく。


「……俺は、この世界を救おうとしながら」


玲は、低く呟いた。


「同時に、この世界を、少しずつ、どこかに売り渡してるのかもしれねえ、ってことか」


『現時点では、仮説です。ですが、警戒に値します』


玲は、長い間、沈黙した。


それから――顔を上げ、宴に沸く里を見渡した。


腹いっぱい食べて眠る子ども。薬で熱の下がった老人。あたたかい服に袖を通し、涙ぐむ母親たち。


無尽蔵の力を疑うことと、目の前の命を救うこと。その二つは、矛盾しない。


「ノルン。覚えておけ。請求書の中身は、いつか必ず突き止める。この店の向こうに、何がいるのかもな」


「だが、それまでは――使う。容赦なく、使い倒す」


玲は、〈補給市〉を操作し、先ほど買えなかった上位の治療薬を、迷わず注文した。臥せった老人のもとへ、それが届けられる。


「ただし、一つ、決めておくことがある」


玲は、ジーナを呼び、里の人々に向かって、宣言した。


「いいか、よく聞け。今日から、飯と薬と服は、いくらでも出す。だが、お前たちを、俺の店に、ぶら下がって生きる連中にする気はねえ」


人々が、顔を上げる。


「畑は、自分たちで耕せ。井戸は、自分たちで掘れ。子どもには、字を教えろ。俺の店は、お前たちが立ち上がるまでの、杖だ。一生もたれかかる、椅子じゃねえ」


「俺が欲しいのは、俺に養われる民じゃねえ。自分の足で立って、自分の意志で戦う、自由な民だ。――いつか、俺の店がなくなっても、ちゃんと生きていける、そういう連中だ」


里に、静けさが満ちた。


そして、誰からともなく――頷きが、広がっていった。


ジーナが、玲の隣で、また、頬の傷を笑みの形に歪めた。


「……あんたは、つくづく、王様には向いてねえな、頭目」


「だろうな」


玲は、肩をすくめた。


「向いてる奴が、ろくなもんじゃねえってのは、もう、たっぷり見たからよ」


二つの月が、宴の灯りと、無尽蔵の物資の山を、静かに照らしていた。


腹を満たし、命を救う、束の間の平穏。


だがその平穏の裏で、ありふれた土くれが、見えざる誰かのもとへと、吸い上げられていく。


無尽蔵という名の、底の見えない取引。


その本当の値段を、玲が知ることになるのは――まだ、ずっと先のことである。


そして、この平穏もまた――長くは、続かない。


領主軍を一つ、壊滅させたのだ。


その報せは、間もなく、もっと上の貴族たちの耳に、届こうとしていた。

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