表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/7

第二章 灰の王子

「神崎玲、ただいまより、反逆する。――この鉄屑は、てめえの玩具じゃねえ!」


その宣言の後、城に流れたのは、長い沈黙だった。


騎士たちは剣を抜くべきか迷い、魔導士たちは杖を構えたまま動けず、民は息を呑んで鋼鉄の巨人を見上げていた。誰の目にも明らかだった――今この瞬間、城の運命を握っているのは、王族ではなく、あの鋼の騎士なのだと。


セオドールも、それを理解していた。


だからこそ、彼は最悪の選択をした。


「……っ、ふ、ふざけるな……っ」


杖を握る手が震えている。契約紋でいくら玲を灼いても、〈ヴァルキュリア〉はびくともしない。痛みでは、もう縛れない。王族の権威でも、もう縛れない。


追い詰められた小さな獣のように、セオドールの目が、忙しなく辺りを泳いだ。


そして――その目が、中庭の片隅で立ち尽くす、ひとりの少女を捉えた。


リルだった。


セオドールの顔に、醜い理解が広がっていく。


「……そうか。そういうことか」


彼は、玲が地下牢で口にした言葉を覚えていた。


――リルがいる。あの子が泣いてる城を、見殺しにしたくないだけだ。


「鉄屑が反逆したのは……お前のせいだな、小娘」


「……え」


リルが、青ざめた。


「使い魔に余計な情けをかけた、薄汚い台所女。お前がいるから、あれは僕に逆らうのだろう。ならば――」


「やめろ」


玲の声が、外部スピーカーから漏れた。初めて、その声に焦りが滲んでいた。


「やめろ、セオドール。その子は関係ない」


「関係なくは、ない」


セオドールが、杖をリルに向けた。


「お前の弱みは、その子だ。……ならば、弱みを断てば、お前はまた僕のものに戻る。違うか?」


「やめろッ!! 」


〈ヴァルキュリア〉が動いた。リルとセオドールの間に割り込もうと、巨体が地を蹴る。


だが――鋼鉄は、速くても。


魔法は、もっと速かった。




セオドールの杖の先で、白い光が爆ぜた。


それは音もなく宙を走り、まっすぐにリルの胸を貫いた。


リルは、声を上げなかった。


ただ、何が起きたのかわからない、というような、あどけない顔のまま――ゆっくりと、後ろへ倒れていった。


差し出すように伸ばされた小さな手の中には、布に包んだパンが、まだ握られていた。


きっと、また持ってきてくれたのだ。地下牢にいるはずの玲のために。彼がもうそこにいないことも知らず、いつものように、台所からこっそりと。


「リル!!! 」


〈ヴァルキュリア〉が、滑り込むように地に伏せた。鋼鉄の巨大な手のひらが、倒れていく少女の体を、地面に触れる寸前で、そっと受け止める。


ハッチが開く。玲は転がり落ちるように機体を降り、鋼鉄の手のひらの上へ駆け上がった。


「リル、リル、おい、しっかりしろ! 」


少女の体を抱き起こす。胸の傷は――もう、玲が幾度となく戦場で見てきたものだった。手の施しようがない、と一目でわかってしまう、あの傷だった。


「レイ、さま……」


リルの唇が、かすかに動いた。


「来て、くれた……地下牢、出られたんですね……よかった……」


「喋るな。喋るな、いいから、」


「あのね……パン、また……焼いたんです……今度の、は……ちょっと上手に、できたから……食べて、ほしくて……」


「ああ。ああ、食う。食うから。だから――」


「……レイさまが、空を、飛んでるとこ……かっこ、よかったな……」


少女が、笑った。


竜の群れを蹴散らした鋼鉄の騎士を見上げて、口を押さえていた、あの時のように。


そして、その小さな笑みを浮かべたまま――リルの手から、力が抜けた。


布包みが、鋼鉄の手のひらの上に、ことりと落ちた。


玲は、動かなくなった少女を抱いたまま、しばらく――何も言えなかった。


風が吹いた。リルの髪を、わずかに揺らした。


それきり、彼女は二度と、動かなかった。




「……たかが、使い魔の機嫌取りひとつで」


地上から、セオドールの声がした。


恐怖を押し殺すように、それでも勝ち誇ったように、震える声で。


「これで、お前の弱みは消えた。さあ、もう逆らう理由はないだろう、鉄屑。元の通り、僕に――」


玲は、顔を上げなかった。


ただ、静かに、リルの体を鋼鉄の手のひらの上に横たえた。落ちた布包みを拾い、彼女の胸の上に、そっと戻してやった。


「……レイさまが、空を飛んでるとこ、かっこよかったな、か」


呟きは、誰にも聞こえなかった。


「最後に見せられたのが、空じゃなくて……これか」


玲は立ち上がった。


その顔には――もう、何の感情も浮かんでいなかった。


怒りでも、悲しみでもない。十年の戦場でも、ついぞ越えなかった一線を、今しがた越えてしまった人間の顔。


ただ、無だった。


「セオドール」


玲は、コックピットに戻りながら、その名を呼んだ。


「お前は今、戦争で死ぬべきだった兵士でも、覚悟を決めた大人でもなく――ただ、パンを焼いていた子どもを殺した」


ハッチが閉じる。


「人を殺すのは、初めてじゃない。十年やってきた。何百と墜とした。だがな、セオドール」


〈ヴァルキュリア〉が、立ち上がった。


リルを乗せた手のひらを、傷つけぬよう、そっと地に下ろしてから。


「あれは全部、戦場だった。撃たなきゃ撃たれる、そういう場所での話だった。俺はずっと、それを言い訳にして、自分は人殺しじゃない、兵士だと、そう思い込んで飛んできた」


機体の単眼が、赤く灯った。


「お前は今、その言い訳を、俺から奪った」


「な……何を、言って……」


「初めてだ。――守るためじゃなく、許せないから、人を殺すのは」




セオドールが、逃げ出した。


杖を投げ捨て、王族の威厳もかなぐり捨てて、城の中へと、転がるように。


「衛兵! 騎士団! あれを止めろ! 殺せ! 殺せえ!! 」


騎士たちが動いた。だが、彼らの動きには、もう先ほどの忠誠はなかった。主君が何をしたのか、全員が見ていた。それでも命令だからと槍を構える者もいれば、剣を下ろして後ずさる者もいた。


玲は、彼らには目もくれなかった。


〈ヴァルキュリア〉が、城へ向かって歩き出す。一歩ごとに、大地が揺れる。


魔導士たちが炎の魔法を放った。火球が機体に着弾し、装甲の表面で爆ぜる。だが、対空ミサイルの直撃にすら耐える装甲が、その程度で傷つくはずもなかった。


玲は淡々と、機関砲の照準を、城の尖塔に合わせた。


セオドールが逃げ込んだ、王族の居館。


「逃げ場なんて、ねえよ」


引き金を、引いた。


轟音。尖塔が、根元から砕け散った。石材が雨のように降り注ぎ、悲鳴が上がる。


玲は、止まらなかった。


城壁を、鋼鉄の拳で打ち砕く。物見櫓を、なぎ倒す。城門を、踏み潰す。逃げ惑う兵士たちの足元を撃ち、武器を捨てて逃げる者は追わず――ただ、王子の城そのものを、徹底的に、解体していった。


それは、殺戮ではなかった。


破壊だった。


「見ておけ」


外部スピーカーから、玲の声が、崩れゆく城に響き渡る。


「これが、人ひとりの命を、自分の都合で消した代償だ」


「王族の権威がどうした。城がどうした。お前たちが守ってきたもの全部、鋼鉄の前では、これだけ脆い」


尖塔が、また一つ崩れる。


「覚えておけ。今日この城を見た者は、全員、語り継げ。――あの鋼の騎士に逆らうな、と。あいつの大事なものに、手を出すな、と」


それは、恐怖の刻印だった。


二度と、誰も――リルのような子どもを、自分の保身のために殺せないように。


その傲慢が、どれほどの破滅を招くのかを、世界に刻みつけるための。




セオドールは、崩れた居館の瓦礫の中で見つかった。


逃げ切れなかったのだ。玲が、逃がさなかった。


〈ヴァルキュリア〉の巨大な影が、瓦礫の上に倒れ込んだ少年の上に落ちる。鋼鉄の手が、ゆっくりと、その小さな体を地面に押さえつけた。潰すのではなく――逃げられないように。


「……っ、た、助けて……っ、僕は、王族だぞ……っ、僕を殺せば、王国が、お前を……っ」


「ああ。追ってくるだろうな」


玲は、静かに答えた。


「王国だろうが、帝国だろうが、竜だろうが、何だって追ってくればいい。俺は十年、世界の終わりと戦ってきた。今さら、ひとつふたつ国が増えたところで、どうってことはねえ」


「ま、待て、話せばわかる……っ、地位をやる、金をやる、女でも何でも……っ」


「いらねえよ」


機体の単眼が、瓦礫に這いつくばる少年を、冷たく見下ろした。


「お前が俺にくれてやれるもんで、欲しいものなんて、もう何ひとつ残ってねえ」


「……っ」


「あの子が焼いたパンを、もう一度あいつの手から受け取ること。それだけが、俺の欲しかったものだった。お前が、それを消した」


鋼鉄の手に、力がこもる。


「だから――終わりだ、セオドール」


セオドールが、最後に何か叫んだ。


その声は、鋼鉄が落ちる音に、かき消された。


灰の王子の物語は、そこで途絶えた。




城は、もう見慣れた城ではなかった。


崩れた石材と、立ち上る煙と、呆然と立ち尽くす生存者たちの群れ。それだけが残された。


〈ヴァルキュリア〉は、その廃墟の中心に、静かに佇んでいた。


玲はコックピットを降り、リルを横たえた草原へと戻った。


少女は、まるで眠っているようだった。胸の上には、彼女が最後まで握っていた布包みが置かれている。


玲は膝をつき、その包みを、そっと開いた。


中には、小さなパンが二つ、入っていた。


不格好で、片方は少し焦げていて。でも、確かに、誰かが心を込めて焼いたとわかる、そんなパンだった。


「……ちょっと上手にできた、か」


玲は、そのパンを、ひとつ手に取った。


そして――ひと口、かじった。


味なんて、わからなかった。


涙が、止まらなかったから。


十年間、仲間の死にも、故郷の崩壊にも、ついぞ流れなかった涙が、今、異世界の草原で、子どものパンの味と一緒に、際限なくこぼれ落ちた。


「……旨いよ。リル」


声が、震えた。


「すげえ、旨い。……ちゃんと、上手に焼けてた。お前は、すげえよ」


風が吹いた。


煙が流れ、空が見えた。燃えていない、青い空。リルが「かっこよかった」と言ってくれた、あの空。


玲は、パンを食べ終えると、立ち上がった。


生存者たちは、誰も近づいてこなかった。鋼の騎士の悲しみに触れることを、恐れるように。それでいい、と玲は思った。恐れられて、いい。もう、誰の使い魔でもない。誰の玩具でもない。


「行こうぜ、相棒」


〈ヴァルキュリア〉が、再び目を覚ます。


戦闘機形態へ。咆哮を上げて、鋼鉄が天へと駆け上がる。


眼下で、廃墟と化した城が、見る間に小さくなっていく。やがて地平線の彼方へと消えていく。


玲は、操縦桿を握り、行き先のない空へと機首を向けた。


帰る場所は、元の世界にも、この世界にもない。


待ってくれる者は、もういない。


それでも、飛ぶ。


飛ぶことしか、できないから。そして――今はもう一つ、理由ができた。


「二度と」


玲は、誰にともなく、呟いた。


「二度と、目の前で、あんな顔で笑う奴を、死なせやしねえ」


それは、誓いだった。


リルへの。そして、これから出会うかもしれない、誰かへの。


異世界の青空に、たった一機、鋼の影が走る。


人類最後のエースの、本当の戦いは――故郷を遠く離れたこの空で、ようやく、始まったばかりだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ