表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/7

第一章 召喚された鉄屑

目を開けると、空が違った。


青い。燃えていない。雲が、白い。


「……は?」


玲はコックピットの中にいた。〈ヴァルキュリア〉は人型のまま、緑の草原に膝をついている。装甲のあちこちに被弾痕は残っているが、致命傷の感触が消えていた。墜ちていたはずだ。海に叩きつけられるはずだった。


なのに、ここは――どこだ。


ハッチを開けて顔を出す。風が頬を撫でる。土と草の匂い。硝煙の混じらない、生まれて初めて嗅ぐような清潔な空気だった。


そして玲は、自分の機体を取り囲む人垣に気づいた。


甲冑。ローブ。剣。槍。中世の絵本から抜け出してきたような格好の連中が、十数人。みな、青ざめた顔で〈ヴァルキュリア〉を見上げ、武器を構えている。


その中心に、ひとりの少年が立っていた。


歳は十五、六。金の髪を撫でつけ、白絹に金糸の刺繍をあしらった上着を着ている。指輪をいくつも嵌めた手に、宝石の埋まった杖を握っていた。顔立ちは整っているが、それを台無しにするほど傲慢に唇を歪めている。


少年は杖の先を玲に突きつけ、よく通る声で言い放った。


「我が召喚に応えよ、僕のしもべよ! 偉大なる第三王子セオドール・ヴァン・アシュフォードの使い魔となる栄誉を授ける!」


「……使い魔?」


「跪け! そして名を名乗れ! ……む、それはなんだ、鉄の巨人か? ふん、魔導鎧マギ・アーマーの出来損ないにしては大きいが、まあいい。僕の使い魔にふさわしい器ではある」


玲は混乱していた。言葉が、わかる。明らかに知らない言語のはずなのに、意味が頭に直接入ってくる。


「待て、状況がわからない。ここはどこだ。俺は墜ちて――」


「口を慎め!」


セオドールと名乗った少年が、杖を振った。


刹那、玲の右腕に灼けるような痛みが走った。手の甲に、見たこともない紋様が浮かび上がっていく。光り、肉に刻まれ、焼き付くように定着する。


「ぐ……っ、なんだこれは!」


「使い魔の契約紋だ。それが刻まれた以上、お前はもう僕のものだ。命令には絶対服従。逆らえば――こうなる」


セオドールが軽く杖を振っただけで、紋様が再び発熱した。今度は痛みが全身を貫いた。玲はコックピットの縁を掴んで、辛うじて崩れ落ちるのを堪える。


「……っ、てめえ……」


「ははっ、いい声で鳴くじゃないか。さあ降りてこい、鉄屑。お前の主人に挨拶をさせてやる」


玲の中で、何かが冷えていくのを感じた。


十年の戦場で、彼は多くの上官に従ってきた。理不尽な命令も飲んできた。仲間を見殺しにする作戦にも、歯を食いしばって従った。それが軍人だと思っていた。


だが――これは、違う。


これは、命令じゃない。


ただの、嗜虐だ。




連れて行かれたのは、丘の上にそびえる白亜の城だった。


正確には、連れて行かれたのは玲ひとりで、〈ヴァルキュリア〉は草原に放置された。「あんな鉄の塊、動かんだろう」とセオドールは鼻で笑った。動く、と玲は言わなかった。言う義理もなかった。


城内で、玲は薄汚れた地下の一室に押し込められた。藁の寝床。鉄格子。水の入った木桶がひとつ。


「ここがお前の部屋だ。光栄に思え」


「……囚人かよ」


「使い魔だ。賢い使い魔は、与えられたものに感謝する」


セオドールはそう言い残して去った。鉄格子が施錠される音が、やけに大きく響いた。


玲は藁の上に座り込み、右手の甲に刻まれた紋様を見つめた。触れると、まだ熱を持っているように感じる。


異世界。召喚。使い魔。


荒唐無稽だが、状況証拠は揃いすぎている。あの空、あの空気、あの言葉。そして何より――この紋様の痛みが、すべてが現実だと告げていた。


「……生き延びた、と言えるのか、これは」


戦場で死にかけ、気がつけば別の檻の中。皮肉なものだ。


その夜、食事は与えられなかった。


翌日も、セオドールは現れなかった。


代わりにやってきたのは、ひとりの少女だった。




「……あの。これ、よかったら」


鉄格子の隙間から、布に包んだパンと、小さなチーズの塊が差し入れられた。


玲が顔を上げると、十二、三歳ほどの少女が立っていた。粗末な麻のワンピース。すり切れたエプロン。城の使用人だろう。怯えたような、それでいて懸命に勇気を振り絞ったような目をしていた。


「……いいのか。主人に怒られるぞ」


「セオドール様は……使い魔の方に食事を出すと、無駄遣いだって。でも、あの、わたし、あなたが二日も何も食べてないの、見てられなくて」


玲はしばらくその少女を見つめてから、ゆっくりとパンを受け取った。


「……ありがとう。助かる」


少女は、その言葉に小さく目を見開いた。まるで、礼を言われることに慣れていないかのように。


「名前は?」


「……リル、です。台所の」


「リルか。俺は玲。神崎玲」


「カンザキ……レイ、さま」


「様はいらない。使い魔だぞ、俺は」


玲が口の端で笑うと、リルもおずおずと微笑んだ。


その小さな微笑みを見て、玲はふと、墜落の瞬間に抱いた子どもじみた願いを思い出した。


――誰かに「お前のおかげで助かった」と、言われてみたかった。


叶わなかったその願いの代わりに、今、目の前の少女が「見てられなくて」と言って、パンを差し出してくれている。


くだらない。たかがパン一切れだ。


それでも玲は、その一切れを、十年で食ったどんな飯よりも旨いと感じてしまった。




事態が動いたのは、それから三日後だった。


城が、慌ただしくなった。兵士が駆け回り、鐘が鳴り、女たちが泣き始める。


リルが鉄格子に駆け寄ってきた。顔が真っ青だった。


「レイさま、たいへんなんです……っ。隣の領の軍が、攻めてきて……っ。竜です、飛竜ワイバーンの群れが空から……!」


「飛竜」


「城の魔導士たちも、騎士団も、ぜんぜん歯が立たなくて……。このままじゃ、城が……みんながっ」


そのとき、地下牢の扉が乱暴に開いた。


セオドールだった。だが三日前の傲慢さは消え失せ、髪を振り乱し、目を血走らせている。


「鉄屑! 貴様、戦えるんだろう!? あの鉄の巨人で、竜を墜とせ!」


「……命令か?」


「命令だ! 契約だ! 逆らえばどうなるか、わかっているな!」


セオドールが杖を掲げる。紋様が、また熱を持ち始める。


玲は、痛みに耐えながら――静かに笑った。


「いいぜ。戦ってやる」


「な……素直じゃないか。さすが僕の――」


「だが、お前の命令だからじゃない」


玲は立ち上がり、鉄格子を握った。その目には、地下牢に来てから初めての、戦場の男の光が宿っていた。


「リルがいる。あの子が泣いてる城を、見殺しにしたくないだけだ」


「な、何を……っ」


「契約紋がどうした。痛みがどうした。俺は十年、もっと痛いものを背負って飛んできた。お前みたいなガキの遊びに、俺の操縦桿は握れねえよ」


玲はセオドールを押しのけ、地下牢を出た。引き止める声を背に、彼は城の外へ、草原へと駆けた。


放置された〈ヴァルキュリア〉が、朝日を浴びて佇んでいる。


「待たせたな、相棒」


コックピットに滑り込む。慣れた感触。生体認証。起動シークエンス。眠っていた鋼鉄の魂が、唸りを上げて目を覚ます。


ディスプレイに、空を埋め尽くす飛竜の群れが映った。数十。城の上空を旋回し、火を吐き、騎士たちを薙ぎ払っている。


玲は操縦桿を握り、深く息を吸った。


「人類最後のエースが、竜退治ってか。……上等だ」


〈ヴァルキュリア〉が大地を蹴った。人型から、戦闘機形態へ。雷鳴のような加速で、鋼鉄の騎士が天へと舞い上がる。


異世界の青空に、初めて――ジェットエンジンの咆哮が轟いた。




戦いは、一方的だった。


飛竜は速い。だが、音速には遠く及ばない。〈ヴァルキュリア〉は群れの中を縫うように飛び、機関砲で次々と竜を撃ち落としていく。火を吐こうとする竜の懐に潜り込み、空中で人型に変形し、装甲の拳で叩き伏せる。


城壁の上で、騎士たちが呆然と空を見上げていた。魔導士たちが、ありえないものを見る目で言葉を失っていた。


「な……なんだ、あれは……」

「鋼の、騎士……?」

「飛竜が……あんなに、容易く……」


リルは、城の中庭から空を仰いでいた。鋼鉄の機体が陽光を弾き、竜たちを蹴散らしていく。彼女は、その機体が誰のものか、すぐにわかった。


「レイさま……っ」


最後の一頭が、断末魔を上げて谷に墜ちていく。


空が、静まった。


〈ヴァルキュリア〉が城の前にゆっくりと降り立つ。人型の鋼鉄の巨人が、片膝をつき、辺りを睥睨する。


歓声が、上がった。


「勝った……勝ったぞ……!」

「あの鋼の騎士のおかげだ……!」

「我らは、助かったのだ……!」


その歓声の中、玲はコックピットの中で、静かに目を閉じていた。


――お前のおかげで助かった。


直接そう言われたわけではない。だが、城を満たすその声は、確かに、玲が十年間ずっと聞きたかった言葉だった。


胸の奥が、じんと熱くなる。


それは、契約紋の痛みとは、まるで違う熱だった。




だが――その熱を、踏みにじる者がいた。


「やったぞ! 見たか! 僕の使い魔だ! 僕が召喚した使い魔が、竜を退治したのだ!」


城門から飛び出してきたセオドールが、両手を広げて叫んだ。


「皆、頭が高い! これは僕の力だ! 第三王子セオドール・ヴァン・アシュフォードの、偉大なる召喚術の成果だ!」


歓声が、戸惑いに変わる。


「鉄屑! 降りてこい! 民にお前の主人を披露してやる! 跪け、そして僕の手の甲に口づけをして、忠誠を――」


玲は、コックピットの中で目を開けた。


外部スピーカーのスイッチに、指をかける。


そして、〈ヴァルキュリア〉が――立ち上がった。


ゆっくりと。城を、人々を、そしてセオドールを見下ろすように。全高十数メートルの鋼鉄の巨人が、傲慢な王子の前に、影を落とす。


「な……っ、何をしている、鉄屑! 跪けと言っただろう!」


セオドールが杖を掲げ、契約紋を発動させる。


玲の右手に、灼熱が走った。


激痛だった。今までで、いちばん強い。


だが――玲は、操縦桿から手を離さなかった。


「言ったはずだぜ」


外部スピーカーから、鋼鉄越しの声が、戦場全体に響き渡る。


「お前の命令で動いてるんじゃない、ってな」


「黙れ! 契約だ! お前は僕の使い魔だ! 絶対服従の――」


「契約?」


〈ヴァルキュリア〉の鋼鉄の腕が、ゆっくりと持ち上がった。


「俺はな、セオドール。十年間、命令される側だった。理不尽な命令も、間違った作戦も、全部飲んで飛んできた。なぜだと思う」


「な、何を……」


「その先に、守りたいものがあると、信じてたからだ」


機体の指が、セオドールの眼前に突きつけられる。彼の小さな体が、鋼鉄の指一本の前で、震えていた。


「だがお前の命令の先には、何もねえ。お前の見栄と、お前の保身と、お前の傲慢しかねえ。そんなもののために操縦桿を握るほど、俺は安い兵士じゃねえんだよ」


「貴様……っ、王族に向かって……っ!」


セオドールが、半狂乱で杖を振り続ける。契約紋が、玲の腕を、肩を、全身を灼く。だが玲は、笑っていた。


「ああ、痛えよ。すげえ痛え。――それがどうした」


玲は、ゆっくりと右手を掲げた。契約紋の刻まれた、その手を。


「この程度の痛みで縛れると思ったのが、お前の間違いだ」


そして玲は、外部スピーカーに向かって、はっきりと宣言した。


「神崎玲、ただいまより、反逆する。――この鉄屑は、てめえの玩具じゃねえ」


城が、静まり返った。


王子の使い魔が、王子に牙を剥いた。


その異常な光景を前に、騎士も、魔導士も、民も、誰ひとり動けなかった。


ただひとり、中庭のリルだけが――こみ上げる何かを堪えるように、両手で口を押さえ、鋼鉄の騎士を見上げていた。


「……レイ、さま……」


異世界の青空の下。


人類最後のエースパイロットの、長い反逆の戦線が――今、幕を開けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ