第十五章 証拠の重み
「王、ですか……? いやいや、何かの間違いですよ。絶対に勘違いです」
アレンは薄いハーブティーの入った器をせわしなく弄びながら、困ったように何度も首を横に振った。
「見てください、この屋敷を。雨漏りはするし、僕の服は継ぎ当てだらけだ。先祖代々、この山奥で借金を抱えながら、泥にまみれてカブや芋を植えて暮らしてきたんですよ。華やかな王都の宮廷なんて、僕たちには遠いおとぎ話です。そんな大層な血筋なわけがありません」
アレンの反応は、玲にとって予想の範囲内だった。自分が本物の王族だと言われて、すぐに「左様か」と納得する辺境の貧乏貴族などいるはずがない。
「勘違いでも、ただの夢物語でもねえよ」
玲は静かに言い、ジーナに目配せをした。ジーナは頷くと、持参してきた重厚な革の鞄から、何冊もの古い書物や、厳重に封印されていた羊皮紙の束を机の上に並べた。
「これは、私たちが王国全土のレジスタンス網を使って、中央の教会や大公爵家の隠し書庫から命懸けで盗み出し、写し取ってきた秘密文書の数々さ。――アレン男爵、あんたの先祖の本当の名前がここに記されている」
玲は、ノルンが解析したデータを基に、一枚の大きな家系図の写しをアレンの前に広げた。
「今から三百年前、この国で大々的な宮廷クーデターがあった。当時の正統な王位継承者だった直系の長男――アンリ・ヴァン・アシュフォードは、魔法の才能が乏しいという理由と、当時の有力貴族たちの陰謀によって、暗殺されかけたんだ」
「アンリ……?」
「暗殺を辛うじて生き延びたアンリは、追っ手を逃れるために『ローウェル』と姓を変え、歴史の表舞台から姿を消した。それが、あんたの先祖だ。そして、直系がいなくなった玉座には、他家から都合のいい婿を迎え入れた傍系の『娘筋』が座った。それが、今の中央で偉そうに踏みつけている現王家と大公爵どもの正体だ」
玲は指で古い歴史書の記述を一つずつなぞりながら、冷徹に、そして確実に説明を付け加えていった。
「現王家が主張する『至高の魔法の血統』なんてものは、簒奪を隠すために後から書き換えられた真っ赤な嘘だ。ここに、当時の教会の裏記録が残っている。簒奪された直系の血脈は、アシュフォードの法において、今なお最優先の王位継承権を持つ。――つまり、あんたの中に流れている血だ」
「そんな……いくら書物を見せられても……」
アレンは青ざめながらも、まだ現実を受け止めきれずにいた。あまりにも自分の日常とかけ離れすぎている。
そのとき、玲はアレンの目をじっと見据えて、問いかけた。
「アレン。あんたの父親が亡くなるとき、何か遺さなかったか。書庫の鍵とか、古い本とか」
アレンは跳び上がるほど驚き、目を見開いた。
「な、なぜそれを……!? 誰にも話していないはずなのに!」
「俺の『相棒』が、この屋敷を上空からスキャンした際、書庫の奥にある隠し棚の存在を検知した。そこには、中央の宮廷魔導士が使うような特殊なインクで書かれた、古い魔導書か歴史書のようなものがある」
アレンは震える手で首元から古びた鍵を取り出し、ふらふらとした足取りで執務室の奥にある書庫へと向かった。玲とジーナもその後を追う。
アレンが鍵を差し込み、埃を被った隠し棚から引き出しの奥に眠っていたあの重厚な古文書を取り出してきた。
「これ、ですか……? 父は死に際、これを読めと言いましたが、僕には難解な古文字が読めなくて、ずっと放置していました」
玲はその本を受け取り、ページをめくってジーナの持ってきた秘密文書の写しと並べた。
本の最初のページには、ローウェル家の家紋の裏に、隠されるようにしてアシュフォード旧王家の「獅子と剣」の紋章が薄く刻まれていた。そして、そこにある歴代の署名と、レジスタンスが集めた「消された直系の系図」のインクの波形、名前、年代が、完全に、寸分の狂いもなく一致していた。
「ローウェル家の家訓である『領民を家族と思え』という言葉。それはな、かつてアシュフォードを建国した初代の王が、最初の法に刻んだ言葉そのものなんだよ。あんたの親父さんは、自分たちが何者であるかを知っていた。だからこそ、力も金もない辺境にあっても、王としての誇りと慈悲をあんたに繋いだんだ」
並べられた三枚の紋章。三百年前の秘密文書。そして、父が遺した本物の王家の証拠。
言い逃れのできない圧倒的な「真実」の重みが、アレンの目の前に突きつけられていた。
アレンは、机の上の書類と、自分の荒れた、泥の染みついた手を交互に見つめた。
頭が激しく混乱し、心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響いている。
「本当に……僕が……」
アレンは力なく椅子に腰掛け、乾いた笑いを漏らした。
バルトロを制圧した鋼の悪魔が、わざわざこんな山奥まで自分を騙しに来るメリットなどない。すべての証拠が、自分が「本物の王」であることを示している。
だが、それでも。
アレンは継ぎ当てだらけの自分の袖を引っ張り、情けないほどに困惑した顔で、玲とジーナを見上げた。
「いやあ……信じられないですね……」
ぽつりと、アレンは呟いた。
「だって、王様ですよ? 僕は明日、トトさんの家の屋根の修理を手伝いに行く約束をしているんです。来月の借金の返済のために、畑のカブをどう売ろうか悩んでいるような男なんです。そんな僕が、本当の王様だなんて……。いくら証拠を見せられても、やっぱり、全然実感が湧かないですよ」
困り果て、苦笑いするしかない青年男爵。
しかし、その姿を見て、玲の口元には微かな、だが確かな笑みが浮かんでいた。地位に目が眩む俗物なら、ここで歓喜して跪いただろう。だが、この男はどこまでも「民と同じ地平」に立っている。
「実感が湧かねえなら、これから湧かせてやるさ」
玲は静かに言い放ち、作戦室にいる千二百人の戦士たち、そして上空で待つ十一機の鋼鉄の巨人の気配を背に、新たな一歩を踏み出すべくアレンの手を握った。
国を揺るがす奇妙な革命の歯車が、辺境の執務室で、ついに噛み合った。




