第十六章 真王の刻印
「……な、なんですか、この鉄の怪物は……っ!?」
ローウェル領の採石場跡。ステルスモードを一時的に解除し、岩陰に片膝をついて姿を現した〈ヴァルキュリア〉を見上げ、アレン・ローウェルは腰を抜かして地面にへたり込んだ。
「俺の相棒だ。驚いている暇はない、乗るぞ」
玲はアレンの襟首を軽く掴むと、手慣れた動作でコックピットへと担ぎ込んだ。可変機の複座シートに押し込まれたアレンは、周囲に並ぶ無数のホログラムディスプレイと、計器類の明滅に完全にパニックに陥っていた。
「ひっ、あ、あの、レイさん!? どこへ行くんですか!? 僕は明日、トトさんの家の屋根を――」
「王都だ。ノルン、キャノピー閉鎖。ステルスモード再起動。最大戦速で中央大聖堂の真上へ向かう」
『了解。コックピット内圧正常。光学迷彩および熱源隠蔽、最大展開。アシュフォード王都中央大聖堂まで、飛行時間――三分十五秒』
キィィィィィン――!!
凄まじいG(重力加速度)がアレンをシートに縫い付ける。だが、慣性制御システムのおかげで、生身の彼が潰されることはない。
戦闘機形態となったヴァルキュリアは、透明な死神となって異世界の空を音速で疾走した。アレンはただ、ディスプレイに映し出される、見る間にミニチュアのように小さくなっていく地上の景色を、声を失って見つめることしかできなかった。
アシュフォード王国の中心――王都の象徴である、純白の中央大聖堂。
その最奥、現王族すら立ち入りを制限されている地下深くの「聖廟」に、玲とアレンは音もなく潜入していた。
ヴァルキュリアを大聖堂の尖塔の影に完全ステルス状態でホバリングさせ、ノルンの電子ハッキングで警備の魔導障壁を無効化しての電撃侵入だった。
「ここは……王都の大聖堂……!? なぜ、僕たちがこんな場所に……」
アレンが恐怖で歯を鳴らしながら、白耳の静寂に包まれた地下迷宮を見回す。
二人が立たされたのは、歴史の重みを湛えた巨大な「漆黒の石板」の前だった。石板の表面には、複雑怪奇な古代の魔導回路が刻まれており、中央には王家の獅子の紋章が虚空を睨んでいる。
「アレン。これが何か知っているか」
玲は腕を組み、冷徹な目で黒い石板を見上げた。
「これは、この国の建国時に初代の王が遺したとされる『真王の石板』だ。アシュフォードの正統なる直系の血脈しか、決して開くことも、起動させることもできないと言われている。……現王や、あのセオドールを含めた現在の王族どもが、己の権威を証明するために何度もこの前に立たされたが、石板はただの一度も光を放たなかった」
「そんな……僕にどうしろと言うんですか」
「簡単だ」
玲はアレンの背中を、ぽんと前へ押し出した。
「お前が本物の王かどうか、この石板に値段をつけさせてやる。手を触れてみろ」
「む、無理ですよ……! 僕はただのカブ作りの貧乏男爵で――」
アレンは涙目で首を振ったが、玲の射すような視線に押され、恐るおそる、震える右手を黒い石板へと伸ばした。
彼の手のひらが、冷たい石の表面に触れた――まさに、その瞬間。
ゴオオオオオオオオオッ!!!
大聖堂の地下深くが、まるで歓喜に震えるように激しく鳴動した。
「な……んだ、これは……っ!?」
アレンが驚愕して手を引こうとしたが、石板が凄まじい吸引力で彼の手のひらを固定していた。
次の瞬間、三百年間一度も目覚めなかった漆黒の石板が、内側から凄まじい金色の光を放ち始めた。刻まれていた古代の回路に、眩いばかりの魔力が奔流となって駆け巡る。
ピキィィィン! と澄んだ音が響き、石板の中央に刻まれた「獅子と剣」の紋章が、アレンの手の甲に刻まれていたローウェル家の古い家紋と完全に同調し、空間に巨大な光の刻印として浮かび上がった。
石板が、起動したのだ。
現王家の誰もが開けられなかった「初代王の遺産」が、辺境の貧乏貴族の血によって、あまりにも容易く、完璧に解き放たれた。
「本当に……起動しやがった」
その圧倒的な奇跡の光光を前に、百戦錬磨の玲すらも、小さく息を呑んだ。アレン・ローウェルという男の中に流れる血の真実が、世界そのものによって肯定された瞬間だった。
「おぉ……あぁ……なんという、なんということだ……!」
その時、地下聖廟の暗がりから、一枚の古い祭服をまとった老人が、震える足取りで姿を現した。
中央教会の最高幹部の一人でありながら、腐敗した現王家と公爵どもの搾取に心を痛め、ずっと歴史の真実を追い求めていた良識ある大司祭、マルクだった。
マルク大司祭は、眩い金色の光の中に佇むアレンの姿と、完全に起動した初代王の紋章を見つめ、そのシワだらけの目から大粒の涙をボロボロと流した。
「三百年の時を経て……ついに、ついに『真王の石板』が目覚められた……! 予言は、教会の裏記録は、すべて真実であったか……!」
マルク大司祭は、アレンの前に進み出ると、これまでの人生で一度もしたことがないほど深く、床に額を擦りつけるようにして膝をついた。
「偽りの王たちには決して開けられなかった、初代王の御印……。これを開きし御方こそ、歴史の闇に不当に葬られた、まことの直系の末裔……」
大司祭は顔を上げ、畏敬と心からの忠誠を込めた目で、アレンを見上げた。
「アレン・ローウェル様……。この歪んだ王国を救うため、天があなた様を遣わされた。あなた様こそ、我がアシュフォード王国が仰ぐべき、真の王です……!!」
「え、えええええええええっ!? お、大司祭様!? 頭を上げてください、何かの間違いですってば!!」
国最高峰の聖職者に跪かれ、アレンは完全に頭を抱えてパニックの極みに達していた。
しかし、彼の退路は、たった今、完全に断たれたのだ。
玲は光り輝く石板の前に立ち、混乱する「真の王」の肩をガシッと掴むと、不敵極まる笑みを浮かべた。
「実感が湧いたか、アレン。――てめえがどれだけ拒もうが、世界がお前を王だと叫んでる。観念して、俺たちの神輿に座れ」
武力、物資、そして神聖不可侵の「大義名分」。
現体制を完全に崩壊させるためのすべてのピースが、王都の地下深くで、ついに完璧に揃った。
金色の光が、地下聖廟の冷たい空気を白熱させていた。
起動した古代の回路が、アレンの手のひらを通じてその脈動を伝えてくる。大司祭マルクが床に額を擦りつけ、涙ながらに平伏するその異常な光景の真ん中で、アレンはただ、光り輝く自らの両手を見つめていた。
「これではっきりしたろ、アレン」
玲は石板の光に照らされながら、アレンの隣に歩み寄った。その声には、いつもの冷徹な戦略家の響きだけでなく、一人の人間としての、重く、揺るぎない確信が込められていた。
「現在の王家がどれだけ歴史を書き換えようが、世界そのものが仕掛けた『鍵』までは誤魔化せなかった。簒奪された三百年の闇の果てに、その石板を動かしたのは、中央のどの高貴な貴族でもねえ。山奥で継ぎ当てだらけの服を着て、民のために借金を抱えてきた、あんただ」
「……レイ、さん……」
「あんたが本物の王なんだよ。もう、勘違いだなんて言い訳は通用しねえ」
アレンは息を詰まらせた。
信じられない。いや、信じたくなかった。自分のような器の小さな男が、一国の運命を背負う「王」であるなど。だが、手のひらから伝わる温かい魔力の奔流も、空間に浮かび上がる獅子と剣の光の紋章も、すべてが彼に「お前が真実だ」と突きつけている。
認めざるを得なかった。
アレン・ローウェルという歪な辺境の貴族の身体には、かつてこの国を興し、民を愛した初代王の血が、確かに、濃密に流れているのだということを。
「頼む、アレン。この国の、王になってくれ」
玲はアレンの正面に立つと、その目を真っ直ぐに見据え、静かに、だが誠心誠意の声を絞り出した。
普段はぶっきらぼうで、他人に命令されることを何よりも嫌い、ただ孤高に空を飛んできた男が、初めて見せる「懇願」の姿だった。
「俺はな、この世界に召喚されてから、胸糞悪い権力者ばかりを見てきた。己の見栄と保身のために、パンを焼いてくれただけの子どもを躊躇なく消すような、あの王子をな。魔法という暴力を持つ少数が、持たない多数を虫けらのように踏みつける。そんな腐りきった構造を、俺は丸ごとぶっ壊すと決めた」
玲の右手の甲で、消えかけた契約紋が微かに赤く、かつて受けた虐待の記憶のように痛みを訴える。
「だけど、武力で城を砕くだけじゃ、何も変わらねえんだ。俺が力で玉座を奪えば、それはただの新しい独裁者の誕生だ。民はまた、新しい恐怖に怯えてうつむくだけだ。だから――あんたが必要なんだよ」
玲はアレンの、泥と木屑の染みついた、決して美しくはないが温かい手を、両手で強く握りしめた。
「あんたには力もない、金もない。だけど、民を家族だと思って、自分の飯を削ってまで人を守れる『優しさ』がある。領民にあんな顔で笑わせられる貴族なんて、この国のどこを探したっていやしない。俺と十一機の鋼鉄は、あんたの牙になる。国境を塞ぐ絶対の盾になる。だからあんたは、その内側で、二度と誰も踏みつけられない、誰も飢えない国を創るための、まことの王になってくれ」
「アレン様……どうか、神崎殿のお言葉を、我がアシュフォードの民の声をお聞き入れくだされ……!」
床に伏していたマルク大司祭が、震える声で訴えかけた。そのシワだらけの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたが、その瞳には、教会の最高幹部としての、そしてこの国を憂う一人の老人としての、命懸けの決意が宿っていた。
「現在の中央は、現王家と大公爵どもの際限なき強欲によって、もはや崩壊の寸前にございます! 贅沢な宮廷の裏で、毎日のように飢えた民の死体が路地裏に打ち捨てられ、逆らう者は魔法の炎で灰にされる……。神聖なる大聖堂の地下で、私は何十年も、その不条理に血の涙を流してまいりました!」
大司祭はアレンの継ぎ当てだらけの上着の裾を、縋るようにして掴んだ。
「あなたが目を背ければ、この暗黒の世は永遠に続き、さらに何万もの『持たざる者』が、虫けらのように踏みつぶされて死んでゆきます。この腐敗した世の中を救えるのは、正統なる血統を持ち、何よりも民を慈しむお心を持たれた、あなた様しかおいでにならんのです……! どうか、どうかアシュフォードの真の主として、お立ちください……!!」
二人の男の、魂を削るような言葉。
その重みが、アレンの細い肩に容赦なくのしかかる。
アレンは目を閉じ、激しく葛藤した。
故郷のローウェル領の景色が浮かぶ。冷害に泣いていたトトさんの顔、薬を届けて泣いて喜んでくれた老婆、そして「アレン様!」と無邪気に手を振ってくれた、飢えを知らない子どもたちの笑顔。
自分がここで「嫌だ」と逃げ出せば、自分はあの平和な山奥で、カブの心配をしながら細々と生きていけるかもしれない。だがその間にも、王都のどこかで、リルという名の少女のような犠牲者が、冷たい石畳の上で理不尽に命を散らしていくのだ。
『領民を家族と思え』
亡き父の遺言が、聖堂の金色の光の中で、激しく木霊した。
ああ、父上。あなたが僕に遺したかったのは、この国のすべての『家族』を救えという、あまりにも優しく、あまりにも重い、王としての命だったのですね。
長い、嵐のような沈黙の後。
アレンはゆっくりと目を開けた。その瞳からは、先ほどまでの怯えや困惑は、完全に消え失せていた。辺境の貧乏男爵の皮が、真王の光によって完全に焼き尽くされていた。
アレンは静かに、だがはっきりと、石板から手を離した。
光が収まり、地下聖廟に再び厳かな静寂が戻る。
「……分かりました」
アレンの声は、優しく、それでいて地響きのように深く大聖堂の地下に響き渡った。
「トトさんの家の屋根修理は、村のみんなに任せることにします。……僕が目を背ければ、僕の知らないところで、大切な家族が死んでいく。そんなのは、絶対に嫌です」
アレンは玲の手を、今度は自分の方から、力強く握り返した。
「レイさん。あなたの言う通り、僕には魔法の才能もないし、人を従える力もありません。だけど、あなたが僕の牙になってくれるなら……僕は、この国のすべての『持たざる者』の、いちばん頑丈な盾になりましょう。もう二度と、あんな悲しい理不尽で、子どもたちが泣かなくて済むように」
アレンはマルク大司祭の前に歩み寄ると、その細い手を優しく取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
「大司祭様、頭を上げてください。僕はまだ、ただの貧乏男爵です。だけど――約束します。あなた方が命を懸けて見つけてくれたこの血を、僕は、民を救うためだけに使い切ってみせる。アシュフォード王国の、本当の王になってみせます」
「おぉ……あぁ……!」
マルク大司祭は再び感極まり、アレンの手を握りしめて咽び泣いた。
厳かな中央大聖堂の地下深く、初代王の石板の前で。
ついに、歴史の闇に眠っていた「本物の王」が、自らの意志でその冠を戴く決意を固めた。
玲はその光景を見つめながら、不敵に、そして心からの満足を込めて口の端を上げた。
大義名分は、今ここに、完全なる意志として覚醒した。
「上等だ、アレン。――さあ、待たせている千二百人の戦士たちに、俺たちの本当の『王』を拝ませてやろうじゃないか」
異世界を揺るがす革命の歯車が、最速のスピードで、王都の中心から外側へと、爆発的に回り始めようとしていた。




