7話 復讐者2
お茶を飲み、お菓子を食べる。
「ベル、ばあやの味に近づいてきたよ」
「ありがとうございます」
ベルがばあやに教わって焼いた菓子は、素朴で美味しい。料理人が作る贅沢な菓子とは、また違う味わい。
器用さはばあやよりも上だから、上達も早い。
「これからもばあやを見習って、立派なメイドになってね」
「はい」
彼女は笑顔だ。彼女にとって、大切な妹がここにいる。
妹が生きていることが大切なのだ。生きていればどんな形でもいい。
唯一の家族に対する思い。
「わからないなぁ」
「なにか至らないところがございましたか?」
「ううん。この子のこと」
足元を見る。
間違って踏んでしまうといけないからと、リファがビスケットを置いて印を付けたので、一目でどこにあるか分かる。
あの時からヘバは動いていない。
「そこまでして殺したいのかな」
「そうですね。もしもリファが殺されたら、私も相手を許せません」
「家族って、こうまでするほど大切なモノ?」
「場合によります」
「そうだね。ボクは両親よりもばあやとじいやの方が好きだからね」
両親は、いい親ではなかった。
まだ伯父さんとかイトコの方が家族っぽいかなっていうぐらい。
理由は色々あるけど、ボクがボクでなければ、操り人形のような、一人では何も出来ない人間が出来上がっていただろう。
だけどそれは、こんな印を持って生まれてしまったボクがここで生きていくためだった。
「さて、ヘバ」
ボクは床に声をかける。
「そろそろ一度吐き出して、前にあげたのを食べてなさい」
人食い沼のヘバは、一昨日食らったばかりの男をはき出せと言われて、不満たらたらに身を震わせ、それでもちゃんとはき出した。
あまり知能が高い子ではないけど、最近は少しだけ命令しやすくなってきた。いい子だ。
不満を覚え、それでも従うのは知恵の一つ。躾ければ成長するペットはとても可愛い。
「きゃっ」
ベルが飛び退き、リファがロバスの背に隠れる。
まだ三日目だけど、ひどい姿だ。皮膚が溶けただれ、血が滲み、所々肉が見える。うめき、転がり、引きつりながらうっすらと目を開け、ボクを見た。
「まだ三日目。これがひどいと一年続くよ。中にいると最後まで死なない。新しい獲物が入ってきたら、食われるのを中断して先が伸びる。中にいたのを見たよね? あれはまだ半分ほど残っている」
彼はまだ五感はあるはずだ。目が見え、音が聞こえる。ボクの声は届く。
「ひと思いに殺してあげようか?」
ボクが彼の前にしゃがみ込んで問う。
「ころ……してくれ」
「殺してあげてもいいよ。でも、まだ三日目。殺せてあまり関係のない赤ん坊の一人ぐらいだね。赤ん坊の肉を好きな子は多いから、きっと喜ぶ」
彼の目が泳ぐ。
なんて汚い顔だろう。
「どうする? 殺して欲しい?」
彼はもう何も言わない。
「そこまでしていいほど憎いんだ」
彼は頷いた。
深い恨みがこもった、覚悟を決めた目をしていた。
彼一人では、全員殺せないから。
「わたし……の……ことは……あいつらに……おなじほどの……苦しみを……」
一人では終わる前に自分が死んでしまうから、ボクの所に来た。
「キミは、本当にボクを信じているんだね」
自分が体験して、ボクの力に確信を持ち、信頼が強くなった。
「ボクは、ボクを信じてついてくるイヌは好きだよ」
本当に、盲信して主のために死ぬ犬のようだ。
「じゃあ、そこにいるから自分で這って口に入るといいよ。そうしたら、お膳立てしてあげる」
ビスケットが床から飛び出る。
間違えて食べてしまったらしく、少しばかりご機嫌斜めだ。
彼はそれを見て、そこに手を向けた。
ボクはいい領主だ。
民の願いは叶えよう。
今の彼は、ボクの街に貢献するために住んでいる住民だ。
そして、彼の生まれた村は、ボクが支配する地ではない。
彼は瞼を痙攣させ、ゆっくりと目を開いた。
清潔な真っ白いシーツに包まれ、苦痛など感じない様子で周りを見回す。
「ここは……」
「ボクの屋敷。使用人の部屋だよ」
見張らせていたペットから、目を覚ましそうだと連絡を受けてやって来た。
「なぜ……あの村は」
「あの村はまだあるよ。まだやっていない」
ボクはくつくつと笑う。
「どうしてっ」
「キミが予想以上にいい選択をしたから、また選ばせてあげようと思って」
「いい……選択?」
ボクは綺麗に元に戻ったとは言えない彼を見下ろす。
「もしも自分を殺してくれ、なんて言ってたら、もう一度ヘバの腹の中に落としてやろうと思ってたんだ。キミが入ったのは、別の子の中だよ。けが人とかを入れておく子。ヘバと違って、治しては食べるってやり方をするから、治った頃に別の生き物を生け贄にして人間を取り出す。生息している地方では、神と崇められているんだよ。自分達の神だけが神だと主張している神殿が否定しているけどね」
ボクは彼に鏡を見せてやる。
髪の毛は溶けているが、そのうち生えてくる。それ以外は元通りだ。
「とりあえず、今のところは外に出しておいてあげるよ。
外に出たらあの姿じゃ歩けないから、治してあげた。
禿げちゃったけど、そのうち生えてくるし、それまで隠すための帽子をあげるよ。
これから、選んで自分で動かなきゃいけないからね」
ボクはニヤニヤ笑いながら呆けた彼の顔を覗き込む。
「ロバス」
「はい」
ロバスは一枚の紙を手にしていた。
彼は満面の笑みを浮かべながらそれを差し出した。
そのロバスの背後には一人の美女。
彼の魔女の内でも、一番優秀な子を連れてきているはずだ。
「キミのために、ボクがいくつか案を立てたよ。
一つ目は、当初の予定通り、キミが食われ、彼らも食われる。
二つ目は、使えそうな子を貸して逃がさないようにしてあげるから、一人ずつ自分の手で殺す。
三つ目は、告発するんだ」
彼は差し出された紙を見つめた。
「これは……」
彼は顔を上げて、不思議そうにボクを見つめた。
疑うような目ではないのが気に入った。
「異端の悪魔崇拝を告発するんだ。
これはボクのペットだけど、元はなかなか高位の悪魔でね」
「いえ、私は今も高位の悪魔ですが」
「少し誘惑すれば人間なんて勝手に自ら処刑台に進んでくれる」
ボクは審問を受ける立場ではない。
悪魔を支配している方なのだ。ダメなのは、支配される方。
悪魔は遊び心で国の一つ滅ぼすこともある。だからその配下になる人間は、すべての人間にとって裏切り者であり、許されてはいけない大敵だ。
だけどボクは神の子で、神から授かった力で悪魔を使役している。つまり神の意志なのだ。
だから悪魔を支配している神子は、神子の中でも優秀とされるらしい。
「知っている? いくら悪魔崇拝していても、個人なら一人処刑になるだけ。
でも『悪魔崇拝者達の団体』っていうのは、子供だろうがすべて殺されるんだよ。悪魔に目を付けられた者は、将来その悪魔に使役される可能性が高いからね。
悪魔に目をつけられるのに、老人も赤ん坊も関係ないんだ」
老若男女すべて殺される。
関係ない者がいるかもしれないが、そんな村に住み続けている以上、悪魔から益を得ているのに変わりなく、処刑される対象となるのだ。
だって区別がつかないから。
それで見逃して、万が一のことがあるぐらいなら、一族と一緒にまとめて死なせてやる方が親切だ。復讐心を抱くこともない。
ただ、その認定を受けるためにはかなり調べられるのだが、ロバスを使えば簡単だ。悪魔にとって、姿を変えるぐらい造作もない。別の悪魔として誘惑すればいいのだ。
「少し時間は掛かるけど、キミの目的、村の全滅は可能だよ」
もしも村に一人でも大切な人が残っているのなら、その人も処刑されることになるから使えない手だけど、彼にそんな人が残っていないから、こんなことになったのだ。
そして彼はボクの街でもう十年も住んでいて、関わりがないに等しい。
「キミの大切な人はキミからの仕送り目当てに、悪魔への生贄として殺された被害者となり、家族のために離れて暮らして働いていたキミは悲劇の主人公になる。
大切だった家族は哀れなる被害者であり、名誉は傷つけられない。悪魔は生贄なんかでは出てこないからね。出てくるのは、悪魔を呼んで騒いでいる気配に気付いて出てくるだけっていうのは、ある程度の人には知られているから。
だからキミの家族に不名誉はない。
そして生き残っている村人達はすべて憎むべき異端者」
村社会というのは恐ろしい一面を持っている。
他の場所で他人にやったら犯罪だが、村の中で身内が相手だと犯罪でないことが多い。
身内をかばい、泣き寝入りさせられることが多々ある。
たとえ人を殺しても、殺した側が上だと思うのであれば、村人達は被害者の弱者を非難して、隠蔽される。確かな証拠がなければどうしようもない。
そんな状況で彼が誰かを殺したたとしても、せいぜい数人だけ。
ただの恐ろしい人殺しにされるだけで、世間は誰も彼の悔しさと憎しみを知ることはない。
だが、そういった結束の固い村の特色を利用すれば、怪しい集団に見せかける事も実にたやすい。
「人々から石を投げられ、焼き殺される。善良な他の場所に住む人達を焼き殺そうとしたかも知れない罪で。
なにせ息子が医者になって裕福になり、いつか村から出て行くが約束されていたキミの家族は殺され、仕送りをくすねられていた。
そんな連中だから、すごく説得力があるだろう?」
悪魔が不愉快だと、つまらない何の特色もない街を一つ焼いてしまうのは珍しいことではない。
悪魔が好きなのは、人間の叡知だ。
技術が発展しているとか、芸術が素晴らしいとか、そういうすべてを壊すのはもったいないと思われる場所は絶対に壊さない。だが、そういう街は少ないのだ。
だからいつ狙われるか、人々は怯えて暮らしている。
わざわざ身近に呼び込んで、そのついでで気晴らしに焼かれてしまう、ということも珍しくはないから、悪魔と関わる者は憎まれるのだ。
「本当の罪よりも建前の罪の方しか人々の口には上らないだろうけど、それでも身勝手な理屈で罪のない者達を殺した罪を世間に知らしめ、女も子供も関係なく法で裁かれるようにするのは、間違いなく可能だよ。
火あぶりなんて生温いと思うかも知れないけど、あれもけっこう苦しい死に方なんだって」
彼はじっとボクが持つ告発書を凝視していた。ボクの言葉をちゃんと聞いているかどうかは怪しい。
「キミは、法が裁いてくれるならその方がいいみたいだったからね。一応、すぐに出来るところまでは用意してあげた。
何を選んでもいいよ。キミの自由だ」
彼は憎むべき者達を法が裁いてくれなかったから絶望した。
彼は人殺しをすでに訴えている。証拠がないから無視されて、絶望して最終的にここに来た。
彼にボクのことを漏らしたお馬鹿さんはちょっとだけ反省してもらったけど、相手は見ていたようだからちょっとだけで許してあげた。
「私は、何をすればいいのでしょうか」
「キミはこれを書き写してサインするだけ。これは国王陛下にむけて届けるんだ。
そうしたら国王陛下が勝手にやってくれるよ。
出来ることと言ったら、証言をして、民衆に混じって石を投げ、すべて灰になるまで見届けるぐらいかな。
自分たちのことは棚に上げ、泣き叫び、子供だけはと懇願する様を見られるよ。
きっかけは悪意を持って人を殺した子供達なのにね」
そう。一番の切っ掛けは、子供が子供を殺したことらしい。つまり、彼の妹が兄からの仕送りでいい暮らしをしていたために、嫉妬から殺してしまったのだ。
そしてそれが母親に知られ、医者の卵として大きな街で信頼されている息子に泣きつかれる前に、大人達が殺した。
そして穏やかな正確だったという彼に、ここまでさせたのだ。
自分がしたことを忘れて、すがり、叫び、踏みつけにされる。
他人にするのは平気だが、それが我が身に起こった場合、納得できないのが人間というものだ。
死に際に反省できる人間なんてまずいない。反省したようなそぶりを見せても、せいぜいこんな事をしてこんな事になった結果を悔やんでのことだ。
他人のための反省ではない。自分を哀れんでの反省だ。
「でも、キミはそんな村で育ったのは事実だから、さすがに医者は続けられないね」
彼はきょとんとした。
殺されるものと思っていたのだろう。
「生きていくのが辛いから死にたいって言うなら止めないけど、ボクは税金で補助して育てた医者の卵を殺してやるほど親切じゃないよ。
ボクに噛みつく害獣になったならともかく」
噛みつくつもりがないのなら、殺す必要はない。
ボクの住むこの街は医療に力を入れている。
優秀な人材を育てるために優秀な人材には投資する。
一定期間、指定範囲内の場所で医者として働くことを条件に。
特にボクの領土はとても安全で、とてもとても住みやすいから、そのまま居着くことも多い。
自分の村に戻るより、家族を呼び寄せた方がずっといい生活が送れる。
彼はまだ医者としては新米だった。ようやく呼び寄せようと思ったところだったらしい。
「村の人たちはボクの管轄外だけど、キミは間違いなくボクのモノだ」
「じゃあ、どうすれば……」
医者として育てたのに、医者になれない。契約があるから働かなければならない。
「どうせ帰るところもないんだ。ロバス、オニスをじいやの所に連れていって。
キミは今日からオニスを名乗るといいよ。この屋敷の執事見習いとして」
「執事……ですか」
「そう。ちょうどね、探してたんだ。
ばあやよりも、じいやの方が男で年上だからね、早く死んじゃうんだ。
だからじいやの代わりをずっと探してたんだ。
キミが上手くできたら、じいやにしてあげる。教養の点では問題ないから、そう難しいことではないよ。ばあやの体調が急に悪なった時も安心できるし。
必要なことが出来なかったら、捨てればいいだけだしね」
まあ、それでもロバスよりはマシな執事になるだろう。
頭がいいから補助金を出して医者にしたんだし、あとは気配りが出来るようになればいい。
じいやはまだ十年は元気だろう。それまでには十分間に合う。
帰る場所もない、家族もいない、ボクのことも知っている捨て身で復讐を決行した男なら、裏切る可能性は低いだろう。
ばあやの代わりも育っているし、これで将来安泰だ。
うん。ボクの人生は順風満帆。
後顧の憂いをなくすためにも、彼の希望は叶えてあげよう。
村一つ、合法的に駆除させるぐらい、ケトルには赤子の手をひねるようなもの。しかも国民からは感謝される。
「さて、ボクは帽子屋さんにでも行くかな」
オニスの帽子を選びに。
ついでに皆の様子を見てこよう。
ボクはいい領主だから、ちゃんと領民の様子を把握していなければならないから。