この世界は、賢者の石に依存する
おおよそ200年前、人類と魔族による大戦が勃発した。両者は古くから対立を繰り返しており、数百年に1度の頻度で大規模な戦争が起きている。戦争が起こるきっかけは単純で、勇者と魔王となる候補がほぼ同時期に生まれるタイミングで起きると言われている。
先大戦は珍しく人類側が圧勝した。魔族側の被害が総人口の6割減だったのに対し、人類側は総人口の1割にも満たない程度の被害で済んだ。その功績に大きく関わるのが賢者の石である。
当時の魔法理論は今ほど発達していないため、戦いと言えば接近戦か弓による遠距離戦の2択であった。このような状況で魔法での攻撃という選択肢がある人類側は、戦況を優位に進めることができた。被害も少なく、このまま終戦すると誰もが思っていたが、その事件は突如人類側で起こった。
人類同士の戦争である。賢者の石による影響は欲にも大きく影響した。我こそが人類の統治者と名乗りを上げた者が大勢現れ、各地で戦争を起こしたのだ。この人類同士の戦争で人類は総人口の7割が犠牲となった。大戦における総死者数として計上されているものの、被害の殆どは同士討ちによるものである。結果的に人類も魔族も尋常ではない被害が発生し、大戦は自然と消滅する結果となった。
事態を重くみた人類の各国代表は、賢者の石に関して3つの協定を結んだ。
使用の禁止。
製造の禁止。
監視機関の設置。
この国において紫陽花がこの監視機関となる。
紫陽花は賢者の石に関する意思決定と全般的な活動をしている。賢者の石の回収を始め、使用方法や製造に関関する書物を禁書として登録・保管、言論統制による情報拡散の抑制など、活動は多岐に渡る。
この行動をよく思っていない組織が反紫陽花派である。紫陽花は賢者の石を独占している。これが反紫陽花派の声明である。紫陽花の情報統制は完璧ではない。漏れた情報、活動の状況、さらには先大戦の記憶の風化から、間違った結論に行き着くことは不思議なことではない。
紫陽花は独占を否定しているが、反紫陽花派はこれを認めていない。両者は平行線のまま現在に至っている。ランザ公爵はこの反紫陽花派の一員であり、熱心な活動家でもある。
「ユーさん、本当にここから入るんですか?」
フィーネが心配そうに質問してくる。それもそのはず、我々は堂々とランザ公爵邸の門扉へと向かっている。
「コソコソ入るのは泥棒っぽいじゃないですか」
「それに、ちゃんと出席連絡を渡していおいたので大丈夫です」
「私たちは家で待ってなくて本当によかったの?」
「ネルフィナもまだ体力が本調子じゃないわよ?」
「今後の事を考えると、紫陽花の敵を知っておいたほうがよいと考えたからですね」
「ちょっと危険かもしれませんが」
「止まれ!夜遅くに何用だ!」
衛兵に止められた。ナインに変身したということは俺の顔も割れていると思ったが、衛兵までは情報が行き届いていないようだ。顔パスで通れると思ったが、俺は渋々腕章を見せた。
「ハイドランジア魔法会の者です」
「出席連絡はしておいたつもりでしたが、まだ準備中でしたかね」
衛兵はびっくりした表情をしたまま思考が停止している。敵地に真正面から入ろうとする者への対応が頭になかったのだろう。思考停止した衛兵をよそ目に、別の衛兵が慌ただしく連絡を取り合っている。
「お、おまたせいたしました、公爵閣下がお待ちです」
「どうぞこのまま真っ直ぐお進みください」
「ありがとうございます」
衛兵はとても息があがっていた。その様子から、この来訪の仕方が想定外だったのがわかる。
「衛兵さん、ずいぶんと慌ててましたね」
「そうですね、まるで門扉以外のところから来ることを想定していそうな雰囲気をしてましたね」
「まあ、わからなくもないですが」
我々は広大な敷地をいくばくか歩き、大きな建物へとたどり着いた。建物の扉は開いたままだ。中は宴会の準備だけが整然と残されている。卓には大量の料理が並んでいるが、どれ1つとして手をつけられた形跡がない。照明はすべて消えており、建物の奥には暗闇が広がっている。
「ここまでわかりやすいと、逆に警戒心がなくなりますね」
「絶対罠よね、これ」
「俺もそう思いますが、もしかしたらもてなしてくれるかもしれませんよ?」
俺は中央卓の椅子に腰を掛けた。それに続き、他のみんなも腰を掛けた。
「料理は絶対に口にしてはいけませんよ。毒が入っているかもしれませんからね」
「全然もてなしてもらえるって思ってないじゃない」
「フィリンさん最近ツッコミが鋭くなってきましたね」
「これは、ボケがいがありますね」
フィリンは勝ち誇った顔をしている。
「みなさん気を引き締めてください、そろそろ主賓者が出てきますよ」
「既に包囲されていると思ってください」
「周囲の暗闇にはおおよそ30人います」
周囲に隠れていた者達が一斉に指先に火を灯す。それと同時に、建物内のすべての照明が点灯し、一気に明るくなった。
「まぶし…!」
「ようこそ紫陽花」
そう言うと、ランザ公爵は手を上げた。周囲を取り囲んでいた者達が一斉に杖を構え、一斉に魔法を発動した。我々の座っていた場所が一瞬にして大規模な爆発で吹き飛んだ。小さい建物であればすべてが吹き飛ぶほどの威力。爆発の余波で、周囲の家具がすべて吹き飛び、地面には大きな穴が開いた。
「いやー、危なかったですね」
ギリギリのところで我々は地下に退避した。先程の爆発で発生した地響きで小さい破片が天井からパラパラと落ちてくる。
「ユーさん、ここは…」
おびただしい量の鉄格子が目に入る。中のいる者達は突然現れた我々を前に、唖然とした表情でこちらを見ている。
「奴隷収容所ですね」
「フィリンさんとネルフィナさんが収容されていたかもしれない場所です」
ナインの報告から、この場所が相当広いことを聞いていたが想像以上である。
100人…いや、200人。正確な数はまったくわからないが、非常に多くの奴隷が収容されている。
「こ、こんなに奴隷を雇って、公爵はいったい何をする気なんですかね…」
「検討はついていますが、本人から直接聞こうと思っています」
「そのときまで、心の準備をしておいてください、ネルフィナさんとフィーネさん」
「え?私は?」
「フィリンさんは精神が強そうなので大丈夫です」
ネルフィナは奴隷を見つめながら静かに口を開いた。
「ユーさん、私、奴隷のみなさんを解放したいです…」
自分がこうなっていたかもしれないと考えると、自然とそういう考えに至ることはわからなくない。
「ネルフィナさんの気持ちはわかりますが、今は危険なのでダメです」
ネルフィナの表情が曇る。
「ですが、安心してください」
「この件を片付けてから解放します」
「今しばらくの辛抱です」
「さあ、あちらさんは我々の姿を確認しに降りてくるはずです」
「我々は上に進みましょう」
ナインから中の造りを聞いておくべきだった。完全に迷子になってしまった。
この階層を彷徨っている最中に様々な奴隷を見たが、その殆どは洗脳魔法の影響をうけており、鉄格子の中でじっとしていた。洗脳魔法をうけていない奴隷もいたが極少数だ。
領主の家でフィリンに洗脳魔法をかけていたところから、この洗脳済みの奴隷は全部ルビアシ領からと見て間違いなさそうである。それがこれだけの人数。周囲が森と山に囲まれ、俗世から隔離されたという立地から、ルビアシ領は想定していたよりも大規模な奴隷生産場だった可能性がある。
「やっと階段が見つかりましたね」
「上の階でみんなが待っています。気を引き締めていきましょう」
「敷地に入ったときからずっと気は引き締まっているわ」
フィーネとネルフィナは頷く。
「ずっと気を引き締めていると疲れませんか?」
「疲れるけど、こういう場所初めてだもの」
フィーネとネルフィナは再度頷く。
「なるほど…。じゃあ、気を抜くところもこれから覚えていきましょう」
「今は気を抜いて大丈夫ですよ」
「どっちよ」
上の階層は先程の階層とは異なり広い部屋が1つだけになっている。ナインの報告にあった魔法訓練所である可能性が高い。床や壁、天井は金属で覆われており、ここなら魔法で建物が壊れることがない。高威力の魔法を訓練するには最適な場所になっている。
「みなさんはこの位置で待機しててください」
「何があっても俺に近づかないでください」
「魔法の余波がここまで影響するかもしれませんが、そのときは風魔法で防いでください」
「わかったわ」
ユーは一歩ずつ進む。広場の中央に着いたところで、周囲の暗闇に潜んでいた者達が指先に火を灯した。
「先程はうまく逃れたようだな」
「おかげ様で、わかりやすい魔法だったんでね」
ランザ公爵が勝利を確信したような表情でこちら見ている。
「しかし、たった1人で現れるとは、仲間のネコはどうした」
「ネコはネコらしくお家でお留守番ですね」
「後ろの女性たちは君の連れかね」
「ええ、美人でしょう?手を出さないで貰えますか」
「我々は紫陽花にしか興味はない、後ろの女性たちは丁重におもてなしさせていただくよ」
お互い隙を伺っており、一瞬の沈黙が訪れる。
「紫陽花に一方的に攻撃をしかけた訳は?」
「訳?紫陽花が我々に行っていることを忘れたか」
「毎年、何人もの命が悪魔や魔物によって犠牲になっている」
「我々のような力なき物にとって賢者の石は唯一の武器であった」
「その武器を奪い、独占しているのが紫陽花だろう」
「このままでは、我々は自然に蹂躙される一方だ」
「紫陽花は住民に目を向けたことはあるか」
「先大戦の協定だかなんだか知らないが、もっと足元を見るべきだ」
「既に各地域の防衛は限界を迎えつつある」
「わしは賢者の石を取り戻す」
「我々が安全、安心に暮らしていける、そういう世界へと変えていくために」
「一方的な攻撃と言っていたな」
「あれは賢者の石を不当に独占し、我々を苦しめている紫陽花への反撃だよ」
ランザ公爵は勢いよく手を上げた。先程と同様、爆発魔法の一斉発動だ。
俺1人に標的を絞っての多人数による一点集中魔法。先程よりも収束している。
「窮鼠猫を噛むだよ紫陽花」
「ユーさん!!!」
フィーネの心配そうな声が聞こえると同時に、爆発魔法が一気に炸裂した。
周囲の金属に歪みが発生するほどの威力。粉塵が巻き上がり、周囲は一切の視認ができない状況となった。私は風魔法で飛んでくる破片をすべて弾き、2人が怪我しないようにするので精一杯だった。
「なかなかの威力と精度ですね」
「これは一長一短では身につかない」
「相当訓練しましたね」
ユーは風を発生させ、粉塵を一掃する。ランザ公爵は顔が青ざめており想定外の状況であることがわかる。
「あ、あれだけの魔法を相殺しただと!」
「ば、ばかな。そんなことできるわけない!」
「あれだけの数の魔法を相殺するのはいくら俺でも無理ですね」
「なので、距離を空けさせていただきました」
「な、何を言っている!」
「貴様はそこから動いていないではないか!」
「はい。動いていませんね」
「さあ、問題です。今、何が起こったでしょうか?」
「戯言を…!」
「みなのものこの場所はどうなってもよい全力でいけ!」
「フィリンさん!全力の風魔法で防いでください!」
ランザ公爵は勢いよく手を上げる。先程までとは桁違いの威力の爆発魔法が炸裂した。
私は全力で風魔法を発動した。風で弾ききれなかった破片が顔をかすめる。壁の金属はところどころめくり上がり、床の金属に至っては熱と威力によって融解してしまっている。
「ユーさ…」
ユーは空中で静止している。先程まで立っていた場所にあたかも床があるように。
これが領主から私たちを救ったユーの本当の実力。まさに向かうところ敵無しといった様相でその場に立ち、埃を落としている。
「さすがに、距離を空けても少し届いてしまいましたね」
ランザ公爵は釈然としない表情でユーを見ている。
「回答者無しなので説明しましょう」
ユーは空中を1歩ずつ歩いていく。まるで地面があるかのように。
「この世界では自然魔法、生物魔法が一般的ですが」
「太古から存在するにもかかわらず、ほとんど使える者がいない魔法があります」
「空間魔法です」
「俺もよくわかってはいませんが、空間魔法は時空を操る魔法です」
「時空は我々の目には見えませんが形を変えることができます」
「俺は目の前にいるようですごく遠い場所にいるように時空を歪ませました」
「これが先程の距離を空けたと言った答え、下位空間魔法・空間圧縮です」
「まあ、要するにあなた達の魔法はすべて俺には到達しないということです」
「そろそろ、大人しくしていただけますか、ランザ公爵」
名前を呼ばれて我に返ったのか、ランザ公爵は苦渋の表情をしている。
ユーは歩みを止めることなく1歩ずつランザ公爵に近づく。
「く、来るな!近寄るな!」
「わ、わしは、わしはまだ!」
「皆のものプランBだ!」
周囲の人達が一斉にざわつく。プランBは統率が全く取れていないようだ。
「どうした、早くいかんか!」
明らかに周囲の人達が躊躇している。誰一人として命令に従っているとは考えづらい状況である。
「ちっ!役に立たない者共め!」
ランザ公爵は両手の人差し指を奴隷に向けた。
「お前たちがいけ!」
「い、いや!ランザ公爵閣下!それは使わないお約束じゃ!」
「うるさい!大義のためだ」
人差し指が向けられた2人は、口では否定しながらもユーに近づく。
「さあ、やれ」
「そ、それだけは…!お許し…」
「やれ」
「はい。ランザ公爵閣下」
突然人が変わったかのように2人の口調が変わり、左右からユーに抱きついた。
「まさか、おいやめろ!」
「手を動かせないのであれば洗脳魔法を解くこともできまい」
「我々の勝ちだ紫陽花!」
ユーに抱きついている2人が爆発した。話には聞いていたが、初めて見た。
これが自爆魔法。
たった2人でもこの威力。全身の魔力を一気に解放するということの恐ろしさがわかった気がする。
「…!2人とも見ちゃダメ!」
私は2人の目を覆うように抱きついた。自爆魔法の余波によって黒焦げになった死体が飛んできた。四肢の一部は爆発で無くなり、見るも無惨な姿になっている。これは心の準備をしていたとしても到底見せられるものではない。
「空間魔法が扱えるとはいえ、接触状態の魔法を防ぐことは…でき…な…」
ランザ公爵の顔色が変わる。
「せっかく空間魔法を説明したのに、まったくもって理解していませんね」
「しかも、洗脳魔法による自爆魔法を戦略に組み込む外道だったとは」
「この200年で初めてですねナイン」
そこには先程と何ら変わらないユーの姿があった。
「イレブンに同感にゃ」
天井に潜んでいたと思われるナインが降り立った。私たちの行動を見守っていたようだ。
「国民が危険にさらされているのは紫陽花も十分理解している」
「賢者の石があれば国民は安全、安心に暮らしていける」
「それは俺も同意だ、納得もできる」
「お前がやろうとしていることが本当に住民のためであれば、紫陽花は全力で支援する」
「賢者の石も回収したりはしない」
「だが、お前は賢者の石を保身に使ったな」
「俺に敵わないと思い、奴隷を犠牲にしてでもこの場を切り抜けようという先程の行動」
「それは本当に住民のためか?」
「お前には不自然な点がいくつかある」
「住民を守る大義名分なら、奴隷でなくてもよいだろう」
「何故、奴隷なんだ?」
「住民を守る大義名分なら、既に戦力は十分だろう」
「何故、賢者の石を欲するんだ?」
ランザ公爵は口を開かない。
「洗脳魔法を相殺できないような初級魔法使いでも、上級魔法使いレベルの強さになる」
「さらにその上級魔法使いはとても言うことを聞く」
「賢者の石と奴隷、これほどまで便利な組み合わせは他にない」
「独裁的な軍事力を持って、お前は何をしようとしている?」
「わしは…、住民を…、この世界を…」
「手中に収めたいんだろ」
「賢者の石の力に目が眩んだ者の浅はかな考えは手に取るようにわかる」
「お前は住民のためになんて微塵も思っていない」
「賢者の石という武力での絶対的支配、その結果得られる絶対的権力」
「お前の目的はそれだろ」
ランザ公爵はジリジリと後退りする。
「反論しないということは図星か」
ランザ公爵は背を向けて逃げる体制をとった。
「それ以上動くと首を掻っ切るよ」
ナインの鋭い爪がランザ公爵の首元に突きつけられる。
「チェックメイトだ」
「ランザ公爵」




