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そのとき私の幸せは崩れた  作者: 篠月珪霞


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9/13

8

──昨日は本当に疲れた。

話し合いだけでも気疲れしたが、それだけではここまで疲労感は覚えなかっただろう。目が覚めたのは、朝食の時間をとっくに過ぎた9時頃で。

慌てて身支度するも、前子爵たちの指示で起こさなかったと聞き、気配りに感謝した。

私1人分で使用人たちには申し訳ないが、軽食を用意してもらい、私室で摂ることにする。食べながら昨夜のことを思い返していた。


夕食後、必要な手続きをするため応接室に戻ったのだが、入室した途端、マルクが謝罪してきた。

前置きもなく唐突にだったので、面食らった私は普通の反応だと思う。

謝罪自体はいい。許すかどうかは別として。

ただ、私はそれを受け取るつもりもなかった。

誰かに指摘、説明された上で、ようやく理解してからの謝罪に、何の価値があるだろう?

それも、心から反省しての謝罪ではないと、明らかに分かるものに。


ずっと、借りただけだと言っていたマルク。汚れだけではなく、繊細なレースに破れやよれなど、元のものとは程遠い状態にしておきながら、借りただけと。口から出るのは身勝手な言い訳ばかり。

あのドレスを見たとき、込み上げてきたのは、怒りより哀しさだった。出逢った頃の、懐かしい思い出まで踏み躙られたことの。

私の大事なものだと、思い入れのあるものだと知ってからも、謝罪の一言もなかったというのに、何故急に態度を変えたのか。

浮かんだ答えはひとつだけ。


──賠償金の減額。


本当に自分が悪いと思ったのなら、謝罪なら、話し合いの中でもいつでも機会はあった。なのに、このタイミング。

他に理由は考えられなかった。


だから、頭を下げたままのマルクを素通りした。完全に見なかったことにして通り過ぎたのだ。

今までマルクがどんな失敗をしても、大抵は『仕方ないわね』で済ませてきた。まだ私の裁量で、補完や処理が可能だったからというのもある。

今回も謝れば許されると思っていたのだろう、まさか無視するとは思わなかったに違いない。何が起こったか分からないと、呆けていたから。

許してくれ、だなんて。どこまで人を虚仮にするつもりなのか。


その後、書類の確認とサインをするまでの間、ずっと近くで囀っていた。

何故無視するのか。謝ってるじゃないか。話を聞いてくれ。君は優しい人だろう?等々。

前子爵夫妻共々、徹底して無視していたのだが。


”君がそれほど心が狭い女性だとは思わなかった。ダーシャに借金を背負わせるようなことをして、リーズが可哀想だと思わないのか?”


極め付きの台詞に前子爵が無言で立ち上がり、マルクを殴ったのには少し驚いた。荒事とは無縁の方だと思っていたから。

倒れたマルクは当然嚙みついたが、前子爵の指示でダンに引きずられていき、部屋を追い出された。その後のことは知らない。


しかし、よくもあれだけ被害者面できたものだと思う。

可哀想? 思うわけない。

そもそも、誰のせいで、賠償という名の借金を背負うことになったのか。少なくとも、元凶が言うことではない。

そんなマルクたちは、朝食後、早々に神殿に送り出されたそうだ。ほぼ同時刻に、前子爵が当主変更の書類を提出しに出発したとか。


国内に神殿は全部で5カ所。王都に大神殿、4公爵内に各所あり、シューリヒト子爵家から一番近いのは、寄親でもあるカルヒネン公爵領内だ。貴族院ではないが、貴族家に関わる事務手続きも公爵領でできるようになっているので、マルクも前子爵も向かった先は同じと言える。

一番近いとはいえ、馬車で片道およそ3時間といったところ。親子かどうかを調べるのにそれなりの時間がかかるらしいので、帰ってくるのは夕刻頃とみていい。

あの3人がいないうちに、やっておかねばならないことを頭の中で整理しながら食事を終えた。





執務室で各手配をしていると、ノックの音がした。誰何すると前子爵だったので、アンに開錠してもらう。まだマルクたちが帰宅するような時間ではないが、念には念を入れ、施錠していたのだ。

前子爵は書類提出と確認といった事務手続きだけなので、戻りが早かったのだろう。とはいえ、もう15時を回っている。


「仕事中にすまない」

「いいえ、お気になさらず。手続き完了のお知らせですか?」

「それもある。問題なく通った故、これからは当主代行としてよろしく頼む」

「はい、もちろんです」

「それから、遅くなってしまったが──謝罪をな」

「謝罪、ですか?」


前子爵に謝ってもらうようなことはないはず、と心当たりが思いつかずに首を傾げた。

改まった顔をした前子爵はアリッサを真っ直ぐに見ている。


「…息子の愚行によってアリッサの、ひいてはメレフ子爵家の信頼を損ねたこと、親として詫びたい」


すまなかった、と前子爵は頭を下げる。そういうことかと得心がいった。苦渋に満ちた顔に、見ているこちらも胸が痛む。


「……頭を上げてください。お義父様のお気持ちは、理解しているつもりです」


話し合いでも散々諭され、叱責されたというのに、”アレ”だったのだ。夫妻の心労たるや、如何ばかりか。察して余りある。

前子爵は厳格で公平な方だ。マルクの教育も手を抜いていたわけではない。夫人もだが、むしろ厳しく育てられていたように思う。アリッサは傍で見てきて、それを十二分に知っていたから。


「…あいつは本当に阿呆だな」


ぽつりとした呟きは、誰かに聞かせるというより独り言のようだった。

だからそれには反応せず、お茶でも用意させようとアンに目配せする。前子爵にだけ立たせたまま話を続けるのは、あまりにも失礼なので。


「お話、それだけではないのでしょう? よろしければこちらにどうぞ。…アン、これもお願い」

「かしこまりました」


急ぎのものは午前中に手配済み、追加はたった今、ジェフに託けるようアンに渡した。

執務室に簡易で置いているソファに前子爵を誘導し、腰を落ち着ける。アンは仕事が早いので、そう時間はかからず戻ってくるはずだ。


「──あの2人のことだが」


対面で座ってすぐに、前子爵は切り出した。敢えて名前を出さなかったのは、私への配慮もあるかもしれないが、それで通じるからだろう。

この家において、異分子はあの2人だけだ。今のところは。


「今後の処遇については、私が説明しておいた。マルクに任せると、後々面倒なことになりそうなのでな」

「それは……ありがとうございます」


正直に言うと、誰が話をするかは悩みの種のひとつではあった。先送りにできるものでもなく。

マルクは問題外。私は、今はまだ余計な感情が入りかねなかった。かといって、執事や侍女からの通達では、あの2人が軽んじる可能性があった。

前子爵ならば、感情に流されず、決定事項を淡々と告げられたと信じられる。


「お義父様から見て、あの2人はどうでしたか?」

「そうだな…」


前子爵が思考を巡らせたところで、アンがティーワゴンを運んできた。慣れた手つきでお茶を供する。

カップを手に取り、馴染んだ香りを味わった。


「良くも悪くも、平民だな。計画性のなさ、見通しの甘さは言うまでもないが」

「…そうですね」


そうでなければ、マルクの言葉を鵜呑みにして、当然あるはずの背景を知ろうともせずに、住んでいた家を引き払ったりなどしない。

マルクがどこまで話をしていたか加味してもだ。


「親はともかく、子の方は随分と甘やかされているな」

「私もそう感じました」


あの様子では、令嬢教育は難しいと思うくらいには。


「今日の結果次第ではあるにしても、あれでは親共々使用人になるしか道はなかろう。子が成人するまでだが」


そうなった場合は、賠償も予定より早く終わるだろう。ダーシャ1人ならば、リーズが成人までに払い終わるくらいだった。


正規の雇用であれば、住み込みにかかる経費は必要ない。といっても、それはジェフやアンなどの上級使用人、護衛などのごく一部である。基本は通いで来てもらっている。

だが、あの2人に関しては違う。

この屋敷の使用人部屋を1室空け、子爵家として不要な人員の受け入れを余儀なくされたのだ。使い物になるかどうかも分からない人間を。必要経費を給与から相殺するのは当然と言えた。


「帰ってくるまで、まだあと数時間はありますね」

「ああ。──それから、もうひとつ」

「なんでしょう」

「しばらくの間、我々の滞在許可をもらいたい」

「それは構いませんが…」


滞在理由は、マルクの監視だろうか。

アリッサとしては抑止力にもなる前子爵の存在はありがたいけれど、夫妻の心痛が増すのではないかという懸念がある。


「あの子どもの、令嬢教育如何で滞在日数は短縮されるから、どちらにしてもそれほど長くはないはずだ」


前子爵はリーズがマルクの子である前提で、そして結果も予測した上での申し出だということか。

そういうことであれば。


「分かりました」






それから、マルクたちが帰宅したのは夕食も間近な時間で。いやに遅いなと思いつつ、結果を確認するために出迎えた。

満面の笑顔が雄弁に語っていたので、敢えて聞くまでもないと踵を返してもよかったが、取り敢えず留まった。


「アリッサ! やっぱりリーズは僕の子どもだったよ。言った通りだろう?」

「…そう」


予想していたから、驚きはない。では、用意していたものは無駄にはならなかったか。


「それより、帰りに買い物しようと店に寄ったら、何も買えなくてさ」

「そうでしょうね」

「え、どういうこと?」


午前中に仮ではあったが、商業ギルドへ手紙を出していた。前子爵が帰宅後には、追加で。準備していて正解だった。


『シューリヒト子爵家は、マルク・シューリヒトからアリッサ・シューリヒトへ当主変更の予定。今後、アリッサ・シューリヒトの許可なき購入品は、如何なる理由があろうと当家の支払い義務は発生しない』


何を買うつもりだったかは知る必要もないが、今後は好きにさせない。





いやぁ…今回の連載、自転車操業なので…(´・ω・)

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― 新着の感想 ―
さあ、手始めに兵糧攻め(物資等…)で追い落としましょう! マルクのプライドをへし折っておやりなさい。
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