side:ダーシャ
「ねえ、お母さん、なんでここから出ちゃだめなの?」
「ごめんね、お母さんにも分からなくて……マルクなら分かると思うんだけど」
「お父さん、いつ来るんだろ?」
「うーん、お仕事終わったらかな?」
可愛い娘は椅子に座って足をぷらぷらさせている。そんな仕草も愛らしくダーシャに映る。
マルクに引っ越しするよ!と言われ、子爵家に来たのはいいものの、なんだか歓迎されてない雰囲気。
使用人?の人たちも、みんな冷たいし。丁寧には接してくれるけど。
お昼ご飯を食べた後から、部屋から出ないように言われていて、扉の前には見張りみたいな人までいる。
何も悪いことはしてないのに、どうして?
昨夜はとても楽しかったのにと溜息をつく。
ぴかぴかに磨き上げられた食器に盛り付けられた、見たこともないご馳走。お姫様みたいな、綺麗なドレス。夢のような時間だった。
「お兄ちゃん、なまえ、なんだっけ?」
「ヒューベルトって言ってたわね」
「ヒューベルトお兄ちゃんかぁ」
「リーズはお兄ちゃん好き?」
興味津々な娘に問いかけてみると、首を傾げながら考えている。可愛い。
「町の子たちとぜんぜんちがうし、お話ししてみたいなぁ」
マルクと初めて逢ったときのわたしみたいなことを言っていて、くすりと笑みが漏れる。
お店でしつこく絡まれていたときに助けてくれたのだけど、領主だなんて思ってもみなかったあのとき、マルクが王子様のように見えた。
「仲良くなれそう?」
「うん!」
これから一緒に暮らすのなら、仲良くしてくれるに越したことはない。娘の返事にほっとする。
それはそれとして。
奥様の方は、何も聞いていなかったのだろうかと疑問に思う。
昨日着いたとき、わたしたちの姿を見てとても驚いていたようだった。
考えたところで、ダーシャに答えは導き出せない。それは自分がよく分かっている。
マルクは言葉足らずなところがあるから、きっと行き違いがあったのだろう。
そういえば、さっき食堂に来ていた夫婦らしき人たちは、この家のお客さんなのかしら?
リーズと他愛もない話をしながら時間は過ぎていき、やがて夕食が運ばれてきた。部屋で摂るようにとのこと。
マルクはどうしたのか聞いても教えてくれず、だんだん不安になってくる。
本当に、ここに来てよかったのかと。
奥様は優しい方だし、リーズは可愛いから大丈夫だとマルクは言っていたけど…。
落ち着かない挙動が出てしまっていたのか、リーズが気遣わし気に見ている。いけないいけない。娘に心配させるようなことをしちゃうなんて。
でも、まさかその不安が的中するなんて思いもしなかった。
その夜のことだ。
ノックの音がして、マルクかと思って開けてみると、そこには昼間見た夫婦のひとたちが護衛?の人といた。
「あの…なにか?」
「話があるので、時間をとってもらう。悪いが拒否権はない」
男性に高圧的に言われ、身体が委縮する。身をずらす形になったわたしをすり抜け、3人は入ってきた。
ソファに座った夫婦?がわたしも来るようにと言っている。温かみの欠片もない目で見られ、何とか移動して対面で座る。急に場違いなところに来てしまったような感覚に襲われ、そわそわする。
なんだか、怖い。マルクはどうしたのだろう?
「あの、マルクは…?」
「その前に、自己紹介しよう。私はマルクの父でこの家の前当主。隣は妻だ。後ろのは護衛なので気にせずともよい」
マルクのお父様?
あ、わたし名乗ってもいなかった!
「失礼しました! わたしはダーシャと言います。あちらは娘のリーズです」
「ああ」
娘はあちこちでうろうろしているが、諫めるべきだろうか。いや、それより初めて顔を合わせる祖父と祖母だ。挨拶をさせるべきだろう。
「リーズ。こっちにおいで」
「なにー?」
「こちらは、リーズのお祖父ちゃ、…お祖父様とお祖母様よ」
「おじいちゃんとおばあちゃん?」
「ほら、挨拶して」
「えっと、こんにちは! リーズです!」
「……ああ」
ぺこりと頭を下げるリーズに短い返事。やっぱり、なんだか…。
「さて、夜も遅い。早速本題に入らせてもらう。…まず明日の朝一で神殿に行き、親子鑑定をしてもらう。その子どもがマルクの子だという保証がないのでな」
「?! そんな…!」
「何だ。鑑定して不都合でもあるのか?」
「っいいえ…」
そうではない。不都合なんかあるわけない。だって、リーズは間違いなくマルクの子なのだから。
ダーシャはマルク以外とそういうことはしてない。
なのに。
「その鑑定結果次第だが、もしマルクの子でなかった場合、お前は騎士団へ突き出す。子は孤児院行きだ。
また、マルクの子であった場合だが、」
「ちょ、ちょっと待ってください! 騎士団って、どういうことですか?!」
「当然だろう? マルクの子でないなら、お前は詐欺師ということになるからな」
「そんな…」
愕然とした。疑われるのも心外だけど、犯罪者みたいに言われるなんて。
「続けるぞ。マルクの子であった場合、当家ではお前を下女として雇う準備がある」
「下女…?」
「下働きだ」
え? どうしてわたしが下働き?? マルクの話と違う…。
「ちなみに、当家の雇用を断った場合、娼館に行ってもらう」
娼館?!
衝撃に言葉を失っているダーシャに構わず、マルクの父という人は話を続ける。
「何故という顔をしているな。説明してやろう」
そして聞いた。
昨日、マルクが持ってきたドレスは、奥様の大切なものだったこと。無断で借りていたこと。
わたしたちが汚して、その汚れは落ちなかったということ。
その賠償として、わたしには借金ができていたこと。かなり大金の。
綺麗なドレスに目が眩んで、どこから持ってきたのかとか、何も考えなかった。考えもしなかった。
「…お母さん、だいじょうぶ? ぐあいわるいの? おじいちゃんにいじめられたの?」
顔を真っ青にして黙り込んでしまったわたしに、リーズが寄ってきて、マルクの父を睨む。小さいながら、母を守ろうと立ち塞がる姿に涙が出そうになる。
「違う、違うの、リーズ…」
声が震える。けれど。
「その点に関しては、同情の余地がなくもないが。…そもそも、妻のいる男の子を産むという選択をしたお前の自業自得だと、覚えておけ」
そうなのだ。いくらマルクに好意があったとしても。
どうしても子供が欲しいと懇願されても。
彼は領主で、既婚者であることに変わりない。
最終的に選んだのは、わたしで。
──自業自得。その通りなのだ。
その晩はなかなか眠れず、夜が明けて。
朝食を終えた後、マルクと彼の母という人がやってきた。神殿には、彼の母も同行するのだとか。
マルクは顔を腫らしていて、どうしたのかと問えば、父に殴られたと。
「いきなり暴力振るうなんて、ひどいよね」
「……そうね…」
マルクはいつも通りだった。昨日、マルクも同じような話があったはずなのに。
もしかして、わたしは、この人のことを見誤っていたのではないか。
昨日から、その疑いが晴れない。
馬車の中でも、絶えずリーズとはしゃいでいて。単純に旅行に行くかのように。
遊びに行くわけではないと、わたしでも分かるのに。
わたしとリーズ、マルクと彼の母という組み合わせで座っていたのだが、彼の母は一言も喋らない。ただ、じっとこちらを見ている視線が怖くて仕方なくて、早く神殿に着かないかとそればかりを願っていた。
3時間かけ、ようやく公爵領に入り、神殿に着いたときは疲労感でいっぱいだった。
帰りも同じなのだと分かっているが、居た堪れない空気からひとまず逃れられたことに、ほっとした。
神殿では、マルクとリーズの血が必要ということで、少しだけ我慢よ、とリーズに言い聞かせ、鑑定してもらう。
間違いなどあるはずがないが、もしマルクの子ではないと出たらどうしようと不安になる。
結果が出る1時間がとても長く感じて、祈るような気持ちになる。待つことしかできないから尚更だ。
マルクとリーズは確かに血縁であると証明されたときは、心の底から安堵した。
帰り道、マルクは得意げに彼の母にいろいろと語っていたが、覚えていない。途中で買い物に行こうと言い出した時は、止めるべきかどうか悩んだが、押し切られた。
ダーシャとリーズも馬車から下りてと促され、気が進まないものの、お店の中に入る。子爵家の馴染みのお店だという。
だがそこで、予想しなかった事態が訪れたようで。
「…は? 購入できない? どういうことだ?」
「申し訳ございません」
「いや謝罪じゃなくてさ、何で買えないのかってことなんだけど」
「申し訳ございません。当店では分かりかねます」
「はー…分かった。もういいよ」
他に客もいたので声を荒げるようなことにならなくてよかったが、どうしたのだろうか。
「他のお店行こう、ダーシャ。ほら、リーズも」
そう言って何件か回ったが、同じ返答、同じ対応だった。
訳が分からないとマルクは憤っていたが、彼の母はそんな息子に冷たい視線を投げかけるだけだ。
何か知っているのかもと思ったが、聞く勇気はなかった。
あくまで、躾は貴族基準ですので。。




