9
同行した前子爵夫人から、神殿の証明書を受け取って確認した。予想通りであったとしても、マルクの証言など当てにはならない。
大層お疲れのご様子だったので、道中大変だっただろうと察し、夫人には早々に休んでいただくことにする。
ダーシャについては契約書を用意していたので、後はジェフに任せることにした。娼館を選択はさすがにないだろうから。形だけは意思を確認するとしても。
下女は屋敷の主人に姿を見せることはない。ダーシャにしてもリーズにしても、宛がう部屋は普段私たちが行き交うような場所には配置していないから、2人を見ることはもうないと言っていい。
教育に使う部屋はさすがに使用人部屋とはいかないが、ヒューベルトと会うことがないよう、時間帯も場所も考えてある。
令嬢教育についての教師は事前に打診していた。貴族としての教育はされておらず、基礎の基礎からなので、その辺も鑑みての人選となっている。
了承の返事が早々に来ていたので、改めて正式に依頼する旨の手紙を送らなければならない。開始は5日後からくらいにしようか。
そこまで考えて、マルクの尻拭いを自然にしている自分に頭痛がした。何かトラブルが起きると泣きついてきた夫の、後始末は決まって私だった。立場的なものもあるけれど。
…今の私は当主代行として仕事をしているだけだと、割り切ることにしよう。でないとやってられない。
少し落ち着いた頭で今回の件を考えていたのだが、マルクは本当に私のためを思って、ダーシャと子供を作ったのかもしれない。
結婚前から、子供はたくさん欲しい、自分の子供には淋しい思いをさせたくないと言っていた。マルクに他にきょうだいはおらず、周囲に同年代の子供は私くらいだったから、尚更そう思ったのだろう。
だが、出産のとき立ち会って以来、子供のことは言わなくなった。2人目をという話を持ち掛けても、お茶を濁していた。
無事息子を産んだ後、自分が倒れるのではないかというような蒼白な顔で心配していたのを、よく覚えている。
何度も大丈夫?と聞かれ、私が死ぬかと思ったと、しばらくは何もさせてくれなかったほどだ。あの優しさは本物だったと思う。
私を大切にしてくれた、愛してくれたあの日々が、すべて嘘だとは思えないのだ。思いたくないではなく、そんな器用な真似がマルクにはできないだろうという意味で。良くも悪くも、単純な人だし。
ただ、私以外の女性と子供を作るという行為が、不貞にあたる、いや私に対する裏切りという認識がないだけ。
…それが致命的だともいえるのだが。
倫理観がとんでもなく壊れている自覚がないことも、方向性も人とはずれまくっていることも。
マルクの思考や心情を推測したところで、正解かどうかはともかく、理解したくもないことだ。到底、許す気にはなれない。いや、もう許す許さないの次元にない。
そんなことより、リーズがマルクの子と確定したので、ヒューベルトとも話をしなければ。
私が何より優先しなければならないのは、息子なのだから。
「ヒュー、今、いいかしら?」
「母上? どうぞ」
夕食後、ヒューベルトの部屋を訪ねると、息子は本を読んでいた。
私の姿を見て閉じた本は息子の手にはまだ大きく、ちらりと見たタイトルは礼法のものだ。教わったことをきちんと復習していた息子の邪魔をしてしまうことに、申し訳なさが過る。
「少し、話しがあるの」
「……あの2人のことですか?」
まだ5歳だというのに、家の中で何が起こっているのか、正確に把握はできていなくとも、異変は察知しているのだろう。
今は、何も分からないかもしれない。全てを話してしまうのは、幼すぎるかもしれない。そう、今でも迷いはある。
けれど、いずれは知られることだ。知ろうとせずとも、醜聞というものは耳に入ってくる。遅かれ早かれ、当人の耳にも。
そのとき、もし何も知らずにいたら、周囲の大人への不信感を抱かせるだろう。つまり、私たちに。
子供だからと親が侮ってはいけない。知らない方がいいなどと、親が判断してはならない。
私たちが思う以上に、子供というものは、大人たちを見ている。
だから、話した。
マルクの不貞から始まった事の顛末を。
リーズはマルクとダーシャの間にできた、ヒューベルトの異母妹であること。認知はしないこと。シューリヒト子爵家はヒューベルトが成人するまでは私が当主代行を務めること。
それを、嚙み砕いて説明する。
「ここまでで、分からないことはあるかしら?」
「いいえ」
「基本的にヒューベルトが何かをする必要はないわ。今まで通り、子爵家の跡取りとして勉学に励んでくれればいいの」
「はい。…母上が当主代行ということは、りこんはしないのですね?」
「……ええ」
今のところはという言葉は呑み込んだ。今、口にする必要はないからだ。
「父上と、あのリーズという子はどうなるのですか?」
「マルクには今まで通り、仕事をしてもらうわ。…リーズはしばらく教育を受けさせるけれど、あなたとは顔を合わせないようにするつもり」
「そうですか」
「…ヒューに、聞いておきたいのだけれど」
「はい」
「あの2人が、同じ家にいることに、何か思うことはある…?」
ヒューベルトからすれば、父親の愛人と娘が共に住むことになるのだ。会わないよう配慮しても、不測の事態というものはある。物事はどんなに備えていても、完璧も絶対もない。
もし息子が嫌だというのなら、前子爵と相談して契約の見直しと妥協案を模索しなくては。
感情を優先させることは、貴族としては褒められたものではないが、まだ5歳。たった5歳なのだ。
それにこれは、大人の都合でしかない。
問われたヒューベルトは少しだけ考える素振りを見せたが、きっぱりと言い切る。
「いいえ、特に何も。だって、もう関わることはないのでしょう?」
その答えは、貴族としては模範的だと言える。幼いながら、冷静な判断ができること、基盤が整っているのは悪いことではない。自分の感情より、家を優先しなければならないのが貴族だから。
…だが、本当に?
我慢はさせていないだろうか。言いたいことを言えずにいるのではないだろうか。
隣に座っている息子をじっと見ると、アリッサを見上げる目が少しだけ曇る。
「ですが、…あの」
「何かしら?」
ヒューベルトが躊躇いがちに言い淀むのに、やはり何か思うところがあるのかと耳を傾ける。
この2日、言いたいことも聞きたいこともあっただろうに、慌てず騒がず、ただ待っていた利発な息子だ。
「あの。…母上は、だいじょうぶですか…?」
「っ!」
息子の目には、私を案じる色しかなくて。
マルクと同じ色の目が、心配そうに。
その優しい目を見ていたら堪らなくなって、息子を抱き締めた。
「…母上…?」
ぎゅうぎゅう抱き締めていると、腕の中で息子が戸惑いの声を上げる。
…ああ、泣いてしまいそう。
余計に心配させてしまうだろうから、何とか押しとどめるけれど。
「大丈夫。…大丈夫よ」
領民も、家も大切。貴族としてそれは当然のこと。
けれど、ヒューベルトがいなければ、私は自分を保てなかったかもしれない。
あなたがいるから、頑張れる。
あなたがいるから、立っていられる。
何があっても、あなたを守ってみせる。
そう、決意を新たにした。




