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前子爵夫妻はマルクと話があるということで、応接室に残った。
食事については軽食を希望されたので、人数分を持ってこさせるよう手配する。
他の、私の家族たちはヒューベルトと一緒に食堂で夕食を摂ることにした。去り際、食事後に応接室に来るよう言われたが、作成した書類の確認等をするのだろう。
「頑張ったわね、アリッサ」
「お母様……」
母の労いの言葉が胸に沁みる。
私個人の感情はともかく、シューリヒト家の当面の方針は決まった。前子爵が私を当主代行に任命したのは意外ではあったけれども。
──話し合いを始める前からずっと、考えてはいた。離婚すべきかどうかを。信頼関係の破綻した夫婦が共にある意味などあるのかと。
離婚すれば、気持ちの整理はついたかもしれない。いずれは、マルクのことも何も思わなくなったかもしれない。だがそれは、必然的にヒューベルトとの別離を意味する。
もちろん、息子と離れたくはない。このままずっと、成長を見守っていきたい。母ならば、そう考えるのは自然ではなかろうか。
しかしそんな個人的感情を上回る、懸念事項があった。
もし離婚して私がこの家を離れたとき、マルクがヒューベルトを守ってくれるだろうかと。
リーズはマルクの独断で認知される可能性が高く、ダーシャは平民なので籍は入れられないにしても、女主人として遇するように言うかもしれない。そうなったとき、ヒューベルトは孤立してしまうのではないか。
正当な血筋である息子を、次期当主として、マルクがきちんと取り計らってくれるだろうかと。
あの、マルクが。
ほんの少しの時間だが、リーズたちへの対応を見ていて思ったのだ。
あの2人の無作法を許し、咎めず、好き放題させていた夫の対応を見て。
何より優先すべき子爵家の後嗣が、庇護すべき息子が、蔑ろにされる未来しか見えなかった。
アリッサとしては、あの3人の存在など視界にも入れたくない。けれど、そんなことは言っている場合ではないと思い直した。
息子を守るため、ひいては子爵家を守るために。
神殿での鑑定が終わったら、どちらにしても、ヒューベルトとも話をしなければならない。
「ヒューベルトのためとはいえ、あまり我慢はするな。気晴らしがてらでもいい、いつでも帰ってこい」
「…ありがとうございます、お父様」
「そうですよ、姉上。シェリーも会いたがってますし」
「そういえば、もう随分会ってないわ……ラウルとレナータも大きくなったんでしょうね」
「もう3歳になりました。元気にしていますよ」
シェリーはラディムの妻で、ラウルとレナータという男女の双子がいる。肩を竦めるラディムも、すっかり父親の顔をしていた。
何かと忙しく、会う機会を逸していた義妹。甥と姪も、赤ん坊の頃に会ったきりだ。
近いうちに会いに行こうとアリッサは思う。
「私はヒューベルトを呼んできますので、お父様たちは先に食堂に行っていてください。アン、案内をお願い」
「かしこまりました」
ダーシャとリーズは部屋から出さないよう、護衛の1人に見張らせている。食事も部屋で摂らせるように指示をして。
今日はもう遅いので両夫妻は泊まることになっているし、2人を自由になどさせておくつもりはなかった。
時計を確認して、ほっとする。いつもより30分ほど押しているくらいだった。あらかじめ、今日の夕食は遅くなるかもしれないとヒューベルトには伝えていたが、それほど時間がずれずに済んだ。
「…あの、奥様」
「どうしたの、ミア」
息子の部屋に行く途中、私を呼び止める声に振り向くと、ミアが泣きそうな顔で立っていた。様子がおかしい。何かに怯えているような…。
「その…アンさんから、聞いたんです。…あのドレス、奥様に無断で借りてたことと、…大事な、ドレスだったと…」
あのとき、私はダーシャ親子の対応をミアに任せていた。考えるまでもなく、着付けが可能だったのは彼女しかいなかった。
アンからも報告があったが、当初、他の侍女に適当なドレスを持ってくるようにマルクは言ったらしい。だが、侍女が私の部屋に無許可で入室するのを躊躇っているのを見て、痺れを切らしたマルクが持ってきたとのこと。
食事を始めていた2人がドレスに目を輝かせたのを見て、マルクが早く着付けをと急かしたのだと、見張りとして置いておいた護衛からも聞いていた。
「…申し訳ありませんでした! どんなに旦那様に急かされても、奥様に確認すべきでした…!!」
勢いよく頭を下げる、ミアの両手が小刻みに震えている。
「…そうね。確認は必要だったわね」
びくりと小柄な体が揺れる。叱責を受けると思ったのだろう。
「でも、どういう状況だったかは聞いたわ。ミア、あなたのせいではないことは知っている」
だから顔を上げてと言うと、決壊寸前だったミアの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
本来謝罪するべき当の本人たちより、巻き込まれた使用人たちの方が罪悪感を抱いている。ミアも、他の護衛も、マルクをとめられなかったことを、私に謝罪してきた。
マルクは、自分の行動で何が引き起こされるか、全く考えてなかったのだろう。前子爵がマルクを当主から下ろしたのは、負わなくてはいけない責任も、罪の意識もない、そういった面も含めてだったのだと改めて理解した。
まだ仕事はあるから、落ち着いたら戻るように告げ、足早に息子の部屋へとアリッサは向かった。
その日の夕食は、とても和やかで。昨日からのことが、まるで悪夢のようだと思うくらいに、久しぶりに家族と摂る食事は楽しかった。…食事のソースがテーブルのあちこちに飛んだり、ガチャガチャと割れるのではないかという食器の音が響いたり、ずずっとスープを皿から直接すするような音もしない。
あれが異常なのだと分かっていても、目の前で見せられた信じがたい光景はそうそう忘れられそうにない。
いや、思い出すのはやめよう。食欲がなくなってしまう。
ヒューベルトも、久しぶりに顔を合わせた祖父母と叔父に、いつもより気分が高揚していたようで声が弾んでいた。
私の家族からの誕生日プレゼントは既に届いていたので、直接お礼を言えるのが嬉しいようでもあった。
唐突に訪れた私の家族に対しての疑問もあるだろうに、何も言わず。うすうす察してはいるかもしれないにしても。
この後のことを考えると気が重いが、避けては通れない手続きだ。
せめてマルクが、大人しくしていてくれることを願うばかりである。




