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「…どちらも見覚えのあるドレスね。ひどく汚れているようだけれど」
そう言ったのは私の母だ。
シューリヒト子爵家に嫁ぐまで、私のドレスを主導して作っていたのは母なので、見覚えがあるのは当然と言える。
食事による汚れは、使用人たちが頑張ってくれたが、とうとう落ちなかった。
「こちらの2点ですが、昨夜、ヒューベルトの誕生日の際、マルクが私に断りなく持ち出し、あの2人に着させていたものです」
「…なんですって?」
一段と温度の下がった声が、夫人から発せられた。そして自分の息子に視線を投じると、冷ややかに尋ねる。
「お前は、妻の持ち物を盗む悪癖まであったのかしら?」
「盗んだわけではありません! ちょっと借りただけで…」
「アリッサに無断で?」
「っ! そりゃ、勝手に持ち出したのは、悪かったかもしれませんが…」
不貞腐れたように言い訳するマルクは、何を問題視されているか分かっていない。そんな息子の言い分を夫人は最後まで聞かずに、母の方へ向き合った。
「あのドレス、あなたがアリッサのために作ったものよね、エミリー」
夫人にも覚えがあったのだろう。私の母に問いかけた。
「そうよ、ヘリナ。緑のドレスは、アリッサの20歳の誕生日に、水色の方は、たぶんだけど、あなたの息子と顔合わせしたときに作ったものじゃなかったかしら。それだけは残したいって、随分前にアリッサが言っていたから」
それを聞いた周囲の目が一斉にマルクに向く。非難と侮蔑を込めた目を向けられ、居心地悪そうにしている。
「いや、だって、その……他にリーズに合うサイズのドレスはなかったみたいだし…」
「お前は、今のアリッサに合わないサイズのドレスを持っていることに、何の疑問も感じなかったの?」
「ちょうどいいのがあるな、としか…」
「……へえ、そうなの」
しどろもどろなマルクに、冷たい怒りの籠った夫人の短い相槌。その短さに怒りの深さが分かる。
我が事のように怒ってくれる2人の母に、アリッサは少しだけ慰められる気がした。
アリッサにとって思い出の品であっても、もう10年も前のことだ。マルクが覚えていなかったことは仕方ない。
だが、アリッサの部屋に勝手に入り、物色し、無断で他人に貸し与え、汚損したことはまた別の話だ。
「何ですか、みんなして! たかがドレスを借りただけでしょう!! アリッサもアリッサだ! こんな場所で吊るし上げるように言わなくてもいいだろう?!」
全員に責めるような目で見られて、耐えられなくなったらしいマルクが叫ぶ。
ふーっふーっと息を切らして私を睨む。
「どこまで阿呆だ、お前は」
「父上!!」
「まさかアリッサが、ドレスを無断で借用したことに怒って、この場に持ってきたとでも?」
「それ以外に何があるというんですっ」
「阿呆が」
吐き捨てるような口調だった。あまりにも愚かな息子に対しての。
「お前は、たった今交わされた会話すら理解できんのか。ヘリナが言っただろう、アリッサのためにメレフ前子爵夫人が作ったものだと」
ドレスを保管しているクローゼットは、きちんと分けていた。
実家から持ってきたものと、嫁いでから作ったものと。
侍女には周知してある。
マルクは、確認さえ怠ったということだ。
いずれにしても、リーズに合うドレスは他になかっただろうが。
「それが何だっていうんですか! 思い入れのあるドレスだからだとでも?!」
「…………ヘリナ」
ここまで言っても理解できない息子に、はぁ、と前子爵は疲れたような溜息をつき、夫人へ視線を向ける。後は任せたということだろう。
「……一応聞くけれど、マルクあなた学園の領地経営科、ちゃんと卒業したわよね?」
「そんなこと何の関係が、」
「それでどうして、分からないの?」
被せるように夫人が問う。本当に、何故分からないのかが分からない。
確か学園の成績は、良くも悪くも普通といったところだった。
成績が全てではないが、落第せずに卒業できているのだから、基礎はできているはずなのに。
「……エミリーが、いえ、メレフ前子爵夫人が作ったドレスということは、生家から持参してきたものだということ。共有財産ではなく、ましてやシューリヒト子爵家所有のものでもなく、アリッサ個人の所有。つまり、アリッサの個人資産よ。
お前がしたことは、ただ思い入れのあるドレスを無断借用したというだけではなく、アリッサの財産を侵害したのだと言えば分かるのかしら?」
夫人も、呆れと疲れを滲ませている。気持ちは痛いほど分かる。
言葉の裏を読む貴族とは思えない、話の通じなさに疲れてきたのだ。私も。
そこでようやく意味を呑み込んだマルクが、口を開けて呆ける。
「…は? 財産を侵害? 借りただけで?」
「…お前の目は節穴なのか? それとも、色惚けして、視力まで落ちたのか?」
「なっ!」
マルクが反論するより先に、前子爵が深く深く溜息をついた。
「──お前にはあのドレスが、元の状態だった時と、資産価値が同じように見えると?」
そうだとしたら、お前の目は平民以下だなと、前子爵は断じる。
2着のドレスは近くで見ずとも、広範囲に汚れが広がっているのが見てとれる。
特に水色のドレスは、リーズが手掴みで食事をした後、手拭き代わりにしていたので、色合いも相俟ってひどいことになっている。
改めて見たのだろうマルクが、言葉を失うくらいには。
「い、え…それは、」
「もしそうなら早く言え。この場で除籍してやる」
「は?!」
「そんな目利きでは、下手な商人や悪徳貴族に標的にされかねないからな」
前子爵の懸念は正しい。私もあらゆる意味で、マルクが信用できなくなっている。
破滅するのが自分だけならいい。
子爵家や領民まで巻き添えになってはたまらない。
「それで、返事は?」
「…同じには、見えません」
「お前、除籍されるのが嫌でそう言ってるわけではないだろうな」
「そんなことは」
「……まあいい。平民になると、賠償も難しくなるからな」
「賠償?!」
「何を驚いている。まさか、謝罪だけで許されるなどと思っていたわけではあるまいな?」
マルクのその様子に、周囲は冷めた目で見ている。ちらりと私に視線を向けられるが、取り成すつもりはない。
そもそも、借り物なのに、遠慮なく汚す神経が分からない。いや、借り物だから、なのかもしれないが。
「阿呆はさておき。…1着で大体、平民の年収5年分くらいか?」
「そうですわね」
「では、2着分と慰謝料も含め、年収15年分くらいといったところか」
「慰謝料?!」
そこでまたマルクの悲鳴のような声が上がる。
「…ダン」
「はっ」
いい加減、限界だったのだろう前子爵が、背後にいた護衛にマルクを拘束させた。ご丁寧に猿轡もかませて。
「この件に関して、責任の大きさはマルクにあるため、賠償の8割は奴に負担させる。残り2割をダーシャという女に払わせる。──書記官ニルス」
「はい」
「先ほどの、リーズが血縁だった場合の条項、一部訂正願いたい」
「はい、どのように」
「ダーシャが当家との雇用を結ばない場合、娼館へ身柄を引き渡すと」
「?!」
うーうーと抗議したそうにマルクが呻いている。
蛇足であるが、書記官は入室してからずっと、この部屋でのやり取りを必要に応じて書面に控えていた。弁護士も呼んだのは、最終的にそれを纏めたものに法的効力を持たせるため。
「何の取柄も能力もない女が、他に稼げる方法はなかろう。当家の下女であれば町で働くよりは高給だが、断るというなら、それしかあるまいよ」
マルクは少しも理解できていないようだが、これでも温情も温情だ。
前子爵が、メレフ子爵家の面々を見て、お互い頷き合っている。私も異存はない。
「さて確認だが、アリッサ」
「はい」
「婚姻の継続について、もう決めてあるか?」
「!」
このまま夫婦としてやっていくのか。それとも、離婚するのか。前子爵が言っているのはそういうことだ。
俯いていたマルクが勢いよく顔を上げたのが分かる。縋るような眼差しで見ているのが。
「──現時点で、離婚は考えておりません」
そうか、と前子爵が重々しく頷く。その隣でマルクがあからさまに安心したような顔をしているが、誤解しないでほしい。
マルクのためじゃない。
ヒューベルトの、息子のためだけに、今は離婚を選ばないのだ。
「最後になるが」
そう前置きした、前子爵が部屋にいる全員を見回す。まだ何かあっただろうかと、アリッサは首を傾げる。
話し合うべきことはもう終わったと思っていたのだが。
「本日の話し合いにおいて、マルクが著しく当主の資質に欠けていることが分かった。よって、すべての権限を剥奪。
ヒューベルトが成人するまで、アリッサを当主代行とする」
下位貴族のドレスなので、これくらいかなーと。
やっと話し合いが終わった\(^o^)/




