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翌日。
思い切り泣いて喚いて、気分が晴れたかといえば、そうでもなかった。まだ問題が片付いたわけではないからだろうと思う。少し頭も重い。
泣きすぎたことによる目の腫れは、昨夜アンが適切な処置をしてくれたようで、少し腫れぼったいくらいになっていた。化粧をすれば、おそらく誰にも気付かれない。アン以外は。
マルクもあの2人の顔も見たくはないが、用意した客室で大人しくはしていないのだろうなと思うと憂鬱になる。しかし、ヒューベルトを1人にするわけにもいかず、足取り重く食堂に向かう。
果たして、マルクと共に2人もいて、既に朝食を食べ始めていた。テーブルの上は…もう見なかったことにしよう。
正式に認められたわけでもないのに、何故、我が物顔で振舞えるのか不思議でならない。厚顔無恥にもほどがある。
当主であるマルクの許可さえあればいいと思っているのか。
ヒューベルトはと、息子の方を見ると、そんな3人をひどく冷めた顔で見ていて。
息子だけはまだ食事を始めていなかった。私を待っていたのだろう。
「おはよう、ヒュー」
「おはようございます、母上」
「おはよう、アリッサ! 君が遅いから、もう食べ始めちゃったよ」
「…おはよう」
「それで、」
「朝食を運んでくれるかしら?」
「はい、奥様」
マルクが何かを言いかけたのを遮って、使用人に声をかけた。
遅いと言われたアリッサだが、朝食は8時と基本決まっていて、時間通りに来ている。ヒューベルトもだ。
食事は、決められた時間に合わせて作られている。むしろこの3人のように早く食卓についてしまうと、準備不足で使用人たちの負担になるのだ。マルクも、分かっているはずなのに。
だから、今日は朝から慌ただしかったのだと、常にないばたつきに納得する。
「ごめんなさいね、みんな。後で別途手当を支給するわ。それから、今後は待たせておいていいわ」
「…ありがとうございます、奥様」
「え、何で? そんな無駄な、」
余計な口出しをしようとしたマルクをひと睨みで黙らせる。誰のせいだと思っているの。
席について気付いたが、ヒューベルトと私、他の3人の席は位置的にテーブルの端と端になっていた。使用人の気遣いに感謝する。
「アリ」
「ヒュー。今日の予定は?」
「今日は、作法と教養だけです」
「あのさ、」
「そう。進み具合は早くない? 難しくない?」
「今のところ、だいじょうぶです」
ヒューベルトとの会話の合間に不愉快な割り込みが入るが、相手にはしない。私も息子も。
その間に、使用人たちが朝食を運んできたので、食事を始める。
さすがに食事中に話しかけることはできなかったらしいマルクは、他の2人に呼ばれ、そちらに意識を向ける。
いつになく騒がしい食卓に、うんざりした。
昨夜、頼んでおいた手紙類は出しておいてくれたとのことなので、本日中に来客があるはずだ。
それまでに、子爵家に届いた封書、領地の報告書などを片付けようと書斎に行こうとすると、マルクに呼び止められた。
「アリッサ」
「話なら夕方頃に改めて聞くわ」
「なあ、何で怒ってるんだよ」
「忙しいの」
「ダーシャとリーズのことなら、」
「…だから、その話は後でって言ってるのが、聞こえないの?」
纏わりつく夫を一瞥して冷たく言い放つと、ようやくそのうるさい口を閉じた。
書斎の扉をマルクの目の前で閉め、邪魔されないよう鍵を掛けた。
昼前に、シューリヒト前子爵夫妻が到着した。予想通りの時間だ。出迎えて、客室へ案内する。
マルクは両親が訪れた理由を分かっていないようだが、久々に会えて嬉しそうにしていた。息子を見る目が冷たいことにも気付かず。
詳細も含めた話し合いは、私の父母が到着してからということで了承してもらい、その間は自由に過ごしていただくことに。
用意していた昼食を共にしたが、あの2人のマナーに前子爵夫妻は眉どころか顔を顰めていた。諫めないマルクにも。
食事途中で夫妻が揃って席を立たれたのは、無理からぬこととアリッサは思う。そんな両親に怪訝そうな表情をしていた夫は、どうしようもない。
弟からは先触れがあり、メレフ子爵家の到着はやはり夕刻辺りということで、弁護士と書記官をそのくらいの時間にしておいて正解だった。
そして夕刻に差し掛かった頃、到着した私の両親は、弟のラディムも一緒に連れていた。ほぼ同時に着いた馬車の対応はジェフに任せている。
「アリッサ…」
「お父様、お母様…それにラディムまで」
「メレフ子爵家に関わることです。私が来るのは当然でしょう」
「…ありがとう」
「アリッサ、わたくしたちは何があっても、あなたの味方よ」
そう言った母に抱き締められ、泣きそうになる。昨日からどうも涙腺が緩んでしまっていけない。
全員揃ったところで、始めることにした。
応接間には、私とマルク、シューリヒト前子爵夫妻、メレフ子爵家の面々、それに弁護士と書記官がいる。
「何が始まるんだい、アリッサ? わざわざ君のご両親まで呼んで」
「黙れ、マルク」
「何ですか、父上まで。そんな怖い顔で」
暢気な夫は、この期に及んで状況を理解していないと見える。何度目かの失望を覚えながら、アリッサは口を開いた。
「まずは、皆さま。ご足労いただきましてありがとうございます。手紙で簡単にお伝えしていましたが、マルクの不貞が発覚しました。事は家に関わるものと判断し、皆さまをお呼びした次第です」
「いやアリッサ、昨日も言ったけど、不貞なんかじゃ、」
「黙れと言っているのが、聞こえないらしいな、マルク。強制的に黙らせてやろうか?」
「ち、父上…」
「続けてくれ、アリッサ」
シューリヒト前子爵が、不要な口を閉じさせてくれたのはありがたい。マルクにいちいち付き合っていては話が進まない。
「夫、マルクが昨日連れてきたのは、ダーシャという同年代くらいの女性と、リーズという4歳の女の子です。そして、この子爵家で面倒を見るという宣言をされました。
私としましては、まず神殿での親子鑑定を要求します」
神殿では、血縁関係かどうかを判定する手段がある。不貞が確実でも、血の繋がりがあるかどうかはまた別の話だ。
しかし、それを聞いたマルクは怒りに目を剥いた。
「アリッサ! いくらなんでもそれは彼女に対する侮辱だ!」
「いいや、妥当な判断だ」
「父上?! 何故、そんなひどいことを…?!」
「お前は…、いやその前に聞く。そのダーシャとかいう女はどこの令嬢だ?」
「いえ、貴族ではなく平民ですが」
やはりか。
平然と答えるマルクはその意味を分かっていないのだろう。
「平民だと言うなら尚更、何故そんな簡単なことも分からんのだ。その女性に監視、いや護衛でもいい。つけていたのか?」
貴族令嬢は常時、誰かの”目”に晒されている。忍んだつもりでも、必ず誰かの目に留まる。侍女、侍従などの側仕えだけではなく、下働きや出入り業者など、見られている自覚はなくとも、あるものだ。
つまり、隠し事などできない。
平民とは決定的に違うところだ。
「それはないけど…」
「他の男の種をお前と偽り、子爵家の財産目当てという可能性もあるわね」
「母上まで! 彼女はそんな女じゃない!」
「だとしても、鑑定は受けてもらうわ」
「アリッサ!」
「受けないのなら、今すぐ出て行ってもらうだけよ。子爵家に滞在させる理由もないし」
あなたが言ったのよ。この家で、あの2人を住まわせると。
子爵家で世話をすると。
その意味すら、分かっていなかったあなたに発言権などない。
「アリッサの言うとおりだ。お前は、今まで何を学んできた? お前たちが暮らしていけるのは、勤勉な領民たちのおかげだということを、もう忘れたのか?」
前子爵の言葉に、激高しかけたマルクも反論できない。
別段、前子爵は息子の不貞に対し怒りを感じているからということでも、私の味方をしてくれているわけでもない。
それも全くないわけではないだろうが、あくまでも、優先すべきことは”家”であることをよくよく理解しているだけだ。
その合理的なところを、私も信頼している。
「明日午前中に、その女性と子どもを連れて、神殿に行け。これは命令だ」
「…はい」
「わたくしが見届けますわ」
「母上?」
「なんだかんだ、その女性に言い包められたらいけませんから」
「そうだな。頼む」
「お任せください」
見届け人を弁護士か、私の家族にと思っていたが、義母でも問題はない。
誠実なお人柄と、不正を嫌う方であることは私も知っている。
私の母と長年の親友であることも大きい。
母を裏切るような真似を、この方がするはずがないと信じているから。
話し合いは続きます。




