三択目
翌朝。
智春は欠伸を噛み殺しながら、ブレアとエリックに挟まれてマルボルク学園の正門をくぐった。
「昨日の話、覚えていますよね?」
隣を歩くエリックから念を押され、智春は鬱陶しそうに眉を寄せる。
「朝から説教すんな。覚えとるわ」
「どんな話だったか言ってみてください」
「……原還のなんちゃらには気ぃつけろ」
「ほとんど覚えていないじゃないですか」
エリックが額へ手を当てると、少し前を歩いていたブレアが振り返った。
「もう期待するだけ無駄よ。せめて今日は、誰も殴らずに教室まで辿り着いてちょうだい」
「なんやねん。人を歩く災害みたいに言いやがって」
「昨日一日を思い返してから言いなさい」
反論しようと口を開いたところで、広場から甲高い叫び声が響いた。
「誰か助けてぇ! か弱い乙女が襲われてるわぁ!」
その声に智春の足が止まる。
声のした方へ目を向けると、数人の獣人が誰かを取り囲んでいた。
「あいつら、女まで……ほんましょうもない奴らやな」
声を低くした智春の前へ、エリックが素早く腕を伸ばした。
「智春くん! あれは放っておきましょう」
「黙って見てられるかい」
「いえ、そうではなくて──」
最後まで聞かずに腕を振り払い、智春は獣人たちへ向かって歩き出した。
「どけお前ら。女相手に何を……」
智春が獣人の1人をどかして女を見る。
「なっ!なんやお前!」
そこにいたのは、やたらデカいイノシシの獣人だった。
広すぎる肩。
丸太みたいな脚。
黒髪をオールバックに流し、顔には濃いめの化粧。
そして。
腰には堂々とふんどしを締めている。
近づくと、無駄に良い匂いが漂う。
「うふ♡」
イノシシが頬に指を当てて首を傾げる。
智春は言葉が詰まる。
「な、なんやこいつ……差別化意識しすぎて奇をてらいすぎやろ……」
イノシシの獣人は、首をかしげて微笑んだ。
「あら。あなた……嶽山智春って言ったかしら?」
「なんで俺の名前知ってんねん」
「昨日から学園中で話題よ。魔法が効かない、『異物』だって」
「へえ。名前が売れるんはええことやな」
「全然よくありませんけどね……」
追いついたエリックが、諦めの混じった息を吐く。
智春は改めて巨大なイノシシを見上げた。
「で、お前は?」
「自己紹介が遅れたわね」
イノシシは豊かな胸板へ片手を添え、誇らしげに顎を上げた。
「私はジョン・パットンよ。パト子って呼んでね♡」
「おいおい、思い切ったキャラ作ったな。扱い切れるんか?」
「大丈夫よ。扱えなかったら私が勝手に暴れるから」
智春とパットンが向かい合っている間にも、周囲の獣人たちの顔はみるみる険しくなっていた。
「おい」
パットンは腰に手を当て、周囲の獣人たちを意に介さず話を続ける。
「見たら分かると思うけど、私は男の体に女の心なの」
「お前、自認は女のくせにふんどし履いとんかい」
「これは鍛え抜かれた体を見せつけたい男の魂よ」
「お前、心は女ちゃうんかい! 一貫性なさすぎるやろ!」
パットンはゆっくりと微笑んだ。
「体と心が乖離してる時点で、一貫性なんかないわ。一貫性がないことに一貫性があるのよ」
智春は口を半開きにしたまま固まった。
「ふ、深い……」
「別に深くないわよ」
すぐ横から、ブレアが冷ややかに切り捨てた。
「おい!!」
周囲の獣人たちの声にはさっきより怒りがこもっている。
「で? そのオカマが、なんでこんな学校通ってるねん」
「決まってるでしょ?」
パットンは胸に手を当てた。
「乙女として、強い男に守ってもらうためよ。だから……」
「ごらぁ! いつまで無視してんだ!」
獣人たちの怒鳴り声が、中庭の空気を震わせる。
パットンはようやく彼らへ顔を向けたものの、先ほどまで浮かべていた笑みは消えていた。
「あんたたちみたいな雑魚に用はないの。早くアイゼン様を呼んできなさい」
「お前ら、朝から元気やな」
智春が獣人たちへ向けて手を振る。
「ほら、もうすぐ授業始まるぞ。はよ教室戻れ」
「てめぇもだよ!」
「俺は文字読まれへんから、行ってもしゃあないねん」
「開き直ってんじゃねえ!」
獣人が牙を剥き、地面を強く踏みつけた。
「クソが……舐めやがって……」
「お?」
智春の口角が上がる。
「なんや、やる気か?」
「智春!」
ブレアがすぐに腕を掴んだ。
「昨日、エリックから何を言われたの!?」
「自重せえって」
「分かっているならやめなさい!」
「向こうから来とんねん、しゃあないやろ」
智春はブレアの手を軽く外すと、パットンの前へ一歩出た。
「下がっとけ、パト子。強い男らしく守ったるわ」
「あら、紳士ね。でも気をつけてね、智春ちゃん……」
獣人たちが、ぞろぞろと出てくる。
校門の影。路地の角。屋根の上。
笑いながら集まる視線が、全てこちらに向いている。
「こいつら、数だけは多いから」
「またか! ゴキブリかこいつらは!」
「はぁ……」
背後でエリックが額へ手を当てる。
「これから、こんな人と一緒に行動するのか……」
獣人たちが腰を落とす。
一斉に智春へ飛びかかろうとした、その瞬間。
「とまれ!!!!」
空気を割るような声が落ちた。
獣人たちの動きが止まり、ざわめきが消える。密集していた群れが左右へ分かれた。
その間にできた道を、銀狼の獣人がゆっくりと歩いてくる。
煙の匂いが、甘い香りを押し退ける。
朝の光を受けた銀色の毛並みが淡く輝き、鋭い視線が、真っ直ぐ智春へ向けられている。
その姿に、パットンの顔が一気に明るくなった。
「アイゼン様!」
アイゼンは露骨に眉を寄せる。
「お前もいたのかよ……まあいい。大人しくしとけ、パットン」
「はい♡」
パットンは即答し、素直に一歩下がった。
アイゼンは智春と向かい合ったところで、ポケットから煙草の箱を取り出した。中身を軽く振り、一本だけ突き出す。
「一本どうだ?」
「ああ、もらおか」
口へ咥えると、アイゼンが人差し指を立てる。指先に小さな赤い炎が灯り、智春の煙草へ火を移した。
二人の間で煙が重なり、風に流されて消えていく。
「嶽山智春……だな?」
智春は煙を吐き、顎をわずかに上げた。
「ああ。お前は、アイゼン言うたか?」
「自己紹介はいらねぇみたいだな。テメェは、なんで俺らに喧嘩を売るんだ?」
「別に理由はないなぁ。俺は売られた喧嘩を買っただけや」
「テメェ……馬鹿だろ」
「ぁあ!?」
アイゼンは智春の声など気にも留めず、煙草を口へ運んだ。
「右も左も分からねぇ転校生を締めるのも忍びねぇからな。選ばせてやる」
周囲の獣人たちが息を潜める。
パットンも口を閉じ、ブレアとエリックは二人の間へ視線を向けていた。
アイゼンが低い声で告げる。
「明日以降、金輪際この学園の敷居を跨がねぇか。獣人族全員を敵に回した挙げ句、最後は俺に殺されるか」
智春は煙草を指で挟み、鼻で笑った。
「しょーもない二択やな」
「ふっ。テメェが悪いんだぜ? 俺たちを本気にさせちまったからな」
それだけ告げると、智春へ背を向けた。
「じゃあな。今日は勘弁しといてやる。テメェが底抜けの馬鹿じゃねぇことを祈ってるぜ」
アイゼンは一歩踏み出そうとした。
その瞬間、その肩が掴まれた。
そして。
振り向く間もなく、智春の拳が顔面へ叩き込まれた。
鈍い音が中庭に響き、咥えていた煙草が火の粉を散らして宙を舞った。
「もう、喧嘩始まってるんやんな?」




