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底しれぬマルボルク

「止まれ、ごらぁ!」


「止まるか、ボケ!」


 嶽山智春は、怒号を背負って校舎脇を駆け抜けていた。


 追ってくるのは、広場を埋め尽くしていた獣人たち。そのうちの一人が走りながら掌を突き出すと、火球が智春の背中へ放たれた。


 爆炎が弾け、智春の姿が砂煙に呑み込まれる。


「よっしゃ! 当たったぞ!」


 獣人たちから歓声が上がった。

 だが次の瞬間、智春は煙の中から何事もなかったように飛び出した。


「あっぶな!」


 無傷の智春を見て、獣人が舌打ちする。


「ちっ……なんなんだあいつ。なんで魔法が効かねぇんだ?」


 別の獣人が肩を鳴らして前に出た。


「それならそれで問題ねぇ。ボコボコにぶん殴ればいい話だろ?」


 獣人がニヤリと笑う。


「あぁ、そうだな」


 智春は校舎の角を曲がり、中庭へ飛び込んだ。


 だが、その足が止まった。

 中庭では、先回りしていた獣人たちが待ち構えていた。


「……は?」


 振り返れば、今しがた通ってきた道も追手に塞がれている。

 前後左右を囲まれ、逃げ道はどこにもなかった。


「おいおい……勘弁してくれよ」


「もう逃げられねぇぞ、人間」


 獣人たちが智春を中心に円を作り、ゆっくりと距離を詰めてくる。


 その様子を、渡り廊下の上からブレザーを着た少女が、腕を組んで見下ろしていた。


「国王の目が節穴でないといいけれど。さて、なんとかできるかしら」


 その視線の先で、智春は獣人たちに囲まれながら拳を振るっていた。


 智春は振り下ろされた拳に合わせて踏み込み、そのまま腹に蹴りを叩き込む。


「ぐふっ!」


 吹き飛んだ体が後続にぶつかり、二、三人まとめて崩れ落ちた。


 だが、包囲は崩れない。

 入れ替わるように別の獣人が踏み込み、太い腕を横薙ぎに振るう。


 智春は上体を沈めて拳をかわし、低い体勢から鳩尾へ肘を突き上げた。獣人の体がくの字に折れたところへ拳を叩き込み、群れの外まで弾き飛ばす。


「次!」


 智春が叫ぶと、背後から鋭い爪が振り下ろされた。

 横へ跳んでかわした直後、爪が地面を深く抉る。


「あんなん食らったら腕ちぎれてまうな……」


 抉られた跡を見ている間に、別の獣人が背後から智春の両腕を締め上げた。


「捕まえたぜ!」


「やばっ!」


「そのまま押さえとけ!」


 先ほど地面を抉った獣人が、爪を光らせながら距離を詰めてくる。


「安心しろよ。死なねえ程度に切り裂いてやる!」


 獣人が爪を振り下ろそうとした瞬間、智春はガラ空きになった顎を蹴り上げた。


 そして、その勢いのまま背後の獣人の後頭部を抱え込み、反動を利用して一気に腰を落とした。

 獣人の顎が、智春の肩へ叩きつけられる。


 鈍い衝撃とともに牙が砕け、白い破片が宙を舞った。


「あーあー。自慢の歯が台無しや」


 智春は拘束を振りほどき、崩れ落ちた獣人を群れの中へ蹴り飛ばした。

 だが、倒れた獣人の隙間を埋めるように、すぐに次が踏み込んでくる。


 その乱闘を、大勢の生徒が校舎の各階から見下ろしていた。

 窓枠に腕をかけて覗き込む者。渡り廊下の手すりに腰を乗せ、楽しそうに笑う者。


「やるじゃねえか人間!」

「獣ども! 人間なんか殺しちまえ!」


 智春は息を荒くしながら叫ぶ。


「くそが! なんやねんこの学校は!」


 智春は怒鳴り返しながら、迫ってきた獣人の顔面を殴り飛ばした。

 そして、荒い息のまま口元を歪める。


「……えらいおもろいとこに来てもーたな」


 一人を投げ飛ばした智春は、肩で息をしながら周囲を見回した。

 視界の端から端まで、獣人で埋め尽くされている。


「とは言ったものの……」


 智春は舌打ちをした。


「しんどいな。くそ、さすがに多すぎるやろ!!」


 振り抜いた拳が一人を吹き飛ばす。

 生まれた空白は、すぐに新たな獣人で埋まった。


 渡り廊下の上から見下ろしていた少女が呟いた。


「そろそろ限界かしら」


 智春は迫り来る獣人を殴ってはいるが、動きに余裕はない。

 汗が首筋を伝い、目元がわずかに潤んでいるようにも見える。


「少しかわいそうになってきたわね……」


 少女は組んでいた腕を解いた。


「しょうがない。一度だけ助けてあげるわ」


 そのまま柵を越え、少女は迷いなく飛び降りた。黒い翼が大きく開き、落下の勢いを殺す。


 少女は振り上げられた獣人の拳と、それを迎え撃とうとした智春の間に着地した。


 振り抜かれるはずだった拳が、空中で止まる。その異変に、周囲の獣人たちの動きが止まった。


 少女は獣人に向き合い、淡々と言った。


「今日は、この辺にしておきなさい」


 前に出ていた獣人が、苛立ちを隠さず唾を吐く。


「あ? なんでてめえが人間を庇うんだ?」


「いろいろ事情があるの。許してあげてちょうだい」


 獣人は鼻で笑う。


「テメェに指図される筋合いはねぇ。どけよ、お姫様」


「私の言うことが聞けないの?」


「魔族なんかにビビってられるか! いいからどきやがれ!」


 獣人が掌を突き出した。

 赤い炎が膨れ上がり、少女へ向かって放たれる。


「おい! 女に向かって何しとんねん!」


 智春が前に出ようとした瞬間。

 少女が片手を上げ、智春を制した。

 そして、静かに詠唱する。


「マギー・ガスポード」


 少女が手をかざすと、飛来した炎が止まった。


 そして、少女が指先をわずかに動かすと、炎が反転した。膨れ上がった火柱が、そのまま獣人へ叩き返される。


「なっ──」


 爆ぜるように炎が走り、獣人たちはまとめて吹き飛んだ。


「ぐぅぁぁあ!」


 その光景を見て、智春の眉がわずかに持ち上がる。


「へぇ……」


 焼け焦げた獣人たちが、呻きながら体を起こした。


「クソが……もう容赦しねえぞ……」


 獣人たちが牙を剥き、一斉に前へ出ようとした、その時。


 低い声が落ちた。


「やめとけ、お前ら」


 群れが左右へ分かれ、その間から銀色の毛並みを持つ狼の獣人が歩み出た。


 少女が、その姿を見て小さく息を吐いた。


「少しは話の分かりそうな人が来たわね」


「勘違いするなよ。魔族とはまだ揉めるなって、上から言われてるだけだ」


「まだ……ね」


 銀狼は周囲の獣人たちへ目を向けた。


「行くぞ」


「でも、こいつが俺らを──」


 言いかけた獣人を、銀狼は鋭く睨みつける。


「あ? 文句あんのか?」


「い、いえ……」


「いいから行くぞ」


 銀狼は立ち去る前に智春へと向き直った。

 智春と銀狼、二人の視線がぶつかる。


「今日は姫の顔を立てて引いてやるが……」


 低く、獣のような声が響く。


「次、俺たちに喧嘩売れば、その命もらうぞ」


「売ってきたんはお前らやけどな」


 銀狼の目が、さらに鋭くなる。


「……気に入らねえ野郎だ」


「奇遇やな。俺はお前のこと、気に入りそうや」


 智春は怯えるどころか、楽しそうに笑っていた。

 銀狼は鼻を鳴らすと、智春に背を向ける。獣人たちは不満そうに唸りながらも、その後に続いた。


 群れを率いて去っていく銀狼の背中を見ながら、智春が呟く。


「あいつ……なかなか強そうやな」


「はぁ。朝から騒々しいわね」


 少女がため息をつくと、改めて智春は向き直った。


「で、お姫様ってなんやねん。お前、何者や?」


「察しが悪いわね」


 少女は真っ直ぐに智春を見る。


「私はイオセブ・ブレア。あなたと同じ調査員よ」


「調査……? あぁ、なんかそういう話やったな」


 智春は砂埃を払うように手を軽く振り、適当に頷いた。


「呆れた。あなた忘れてたの?」


 ブレアは一歩だけ距離を詰め、二人にしか聞こえないほど声を落とした。


「私たちはね、各国が追っている犯罪組織、《原還の盟》。その構成員が、この学園……いや、この都市で暗躍してるという情報を掴んだの。だから姫である私が、魔族を代表してこの学園へ来てるのよ」


「……ああ」


 智春はしばらく考えた後、ようやく頷いた。


「そういや、クソ王がそんなこと言うとったな」


「わかってないでしょ……まあいいわ」


 ブレアは智春の全身を一度だけ見て言う。


「魔法が効かないあなたなら、盾ぐらいにはなるでしょ」


「人を生贄扱いしやがって」


 智春は口を尖らせるが、すぐに肩をすくめた。


「まぁええわ。あのアホの国王が、あと一人、人間の調査員がおる言うとったな。あと、勇者を頼れって」


「勇者は二年よ。この学園の人間たちを束ねてるわ」


「どんな奴なんやろな。早く会ってみたいわ」


「勇者に関してはロクな噂は聞かないわね」


「勇者やのに?」


「勇者なのによ」


 ブレアは視線を外さず、少し間を置いて続けた。


「それより、あと一人の調査員が誰かわからないわね。名前は聞いてないの?」


 智春は目を逸らした。


「……」


 ブレアはため息をついた。


「忘れたのね……あなたって本当に……」


「ごめんて!」


 智春は両手を合わせるように軽く前に出した。


「それと、さっきは助けてくれてありがとうな」


 智春は手を差し出す。


「まぁこれから頼むわ」


 ブレアは一瞬だけ迷って、差し出された手を握り返した。


「ええ、よろしくね」


 ブレアはすぐに手を離し、釘を刺す。


「言っておくけど、助けるのは今回だけだからね!」


「わかったわかった」


 ブレアは呆れたように息を吐き、校舎を見上げる。


「はぁ……派手に暴れたせいで、ずいぶん目をつけられたみたいね」


 赤レンガの塔の頂上には、ひとりの影が立っていた。誰とも並ばず、吹き抜ける風の中から、黄金の目がただ智春だけを見下ろしている。


 最上階の渡り廊下では、黒い角と黒翼を持つ男が手すりに寄りかかっていた。その足元には、一匹の黒い蛇がとぐろを巻いている。


 割れた窓の暗がりから覗くのは、赤く光る二つの瞳。顔は見えないが、鋭い牙を光らせ愉快そうに笑っていた。


 屋上の縁には、角を生やし、赤い肌に無数の傷を刻んだ大男が立っている。巨大な棍棒を片手で軽々と肩に担ぎ、眼下の騒ぎに豪快な笑みを浮かべていた。


 向かいの校舎には、何人もの女生徒を従えた女の姿がある。細い指がわずかに動くたび、陽光を受けた一本の糸がきらめいた。


 さらに、その下の階からも視線が注がれている。


 廊下の幅を埋めるほど巨大な体と、太く短い二本の角を持つ獣人。


 開け放たれた窓辺に立ち、長い黒髪を揺らしながら煙草を咥える人間。着崩した制服の胸元で、金色の紋章が輝いている。


 離れた工房棟では、背の低い男が葉巻の煙を吐きながら、作業の手を止めていた。


 種族も、学年も、立っている場所も違う。

 だが、その視線はすべて、ひとりの転校生へと向けられていた。



「言っておくけど、遊びじゃないのよ。下手をすれば、本当に死ぬかもしれないわ」


 智春は巨大な学園を見上げた。

 そして、遥か上からこちらを見下ろす正体不明の強者たち。


 智春の口元が、ゆっくりと吊り上がった。


「なんやそれ……ワクワクしてまうやんけ」

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