ようこそ掃き溜めへ
おい、おかしいやろ。
転生してまで学校に通わなあかんのは、まぁ我慢したるわ。
でも、こういうのは全寮制のごっついエリート校に通うんが相場ちゃうんか?
なんやねん、これ。
あっちでは、うんこ座りした狼人間みたいなんがタバコ吸うとる。
あ、こいつガン垂れてきやがった。
しばいたろかな。
こっちでは、ツノ生えた鬼みたいな奴と、えらい背の低いおっさんが殴り合っとるし。
屋上からは、偉そうに見下ろしてくる奴らもおるなぁ。
壁はヒビだらけ。
窓は割れたまま。
廊下の隅には乾いた血。
なんやねん、この掃き溜めみたいな学校は。
ワクワクしてまうやんけ。
*
数百年前、悪魔族の侵攻によって大陸は戦火に包まれていた。
それまで互いに刃を向け合っていた人類と魔族も、このときばかりは背を預け合わざるを得なかった。
そこへ獣人、エルフ、ドワーフをはじめとする諸種族も加わり、かつて敵同士だった者たちは、共通の脅威を前に手を取り合った。
長き戦いの末、悪魔族は大陸から退けられた。
生き残った各種族は国境を定めて和平を結び、二度と互いに刃を向けることなく、ともに生きていく道を選ぶ。
その誓いの証として築かれたのが、交易都市・ヴォルノクライである。
そこに、種族間交流の象徴として一つの学園が建設された。異なる種族が同じ場所で学び、互いを知り、戦争のない次代を担っていくための学び舎だった。
理想は、そこにあった。
のだが。
*
城壁のような巨大な校舎が中庭を囲み、その内側から赤レンガの塔が空を突き刺している。
渡り廊下で繋がれたそれらは、学び舎というより巨大な要塞のようだった。
正門の内側には広大な石畳の広場があり、その中央には水の出ない噴水だけが残されていた。
その縁に腰をかけ、狼の獣人がブレザーの前を開けたまま煙草を吸っている。
広場にはあちこちから怒号と笑い声が響いていた。
角、牙、鱗、羽など。
人ならざる姿をした生徒たちが、互いの胸ぐらを掴み、拳を叩き込んでいる。
周囲を囲む連中は止める気などなく、笑いながら囃し立てている。
この学園では、喧嘩は事件ではなかった。
日常であり、娯楽であり、景色となっていた。
その暴力の真っ只中を、ひとりの男が構わず歩いていく。
着崩した学ランから白いTシャツを覗かせ、短く荒れた茶髪が風に揺れる。周囲から向けられる視線を、吊り上がった目で悠然と見返している。
男が噴水の前を通り過ぎようとすると、狼の獣人が露骨に足を伸ばして進路を塞いだ。
「おい、止まれ」
男は足を止めた。
「あ?」
「お前、見ねえ顔だな。新入りか?」
「ああ、嶽山智春。今日からマルボルクや。よろしく頼むわ」
智春は獣人の指に挟まれた煙草へ目をやると、当然のように片手を差し出した。
「そんなことより、タバコ一本くれへんか?」
「あ? 人間のくせに調子に乗るなよ」
獣人はその手を払いのけると、噴水の縁から腰を上げた。
立ち上がった獣人は智春より頭一つ大きかった。わざとらしく肩を回すと、牙を剥いて笑った。
「新入りに教えてやるよ。このマルボルク学園はな、力こそが正義だ。欲しかったら、てめえの力で手に入れてみろよ!」
智春は小さく息を吐いた。
「はぁ、話の早い奴で助かるわ」
「あ? どういう──」
獣人が言い切る前に乾いた衝撃音が響き、拳が顔面にめり込んだ。
そのまま校舎の壁に叩きつけられ、赤レンガにひびが走る。獣人は呻き声も出せず、ずるりと崩れ落ちた。
智春はしゃがみ込み、獣人のポケットを探る。煙草の箱を抜き取ると、慣れた手つきで火を点けた。
「これが、この学園のやり方なんやな?」
智春は煙を吸い込み、満足そうに吐き出した。
「しかしこの世界の空気、ほんまスパイスくさいな。タバコの味がわからんわ」
改めて荒れ果てた校舎を見渡し、口角を上げた。
「なかなかおもろいとこやんけ。あのクソ王の話に乗った甲斐があるわ」
校舎へ向き直り、扉に手をかけようとした、その時だった。
「待ちやがれ!」
怒号が背中を叩いた。
「次はなんやねん」
振り返ると、ハイエナの獣人が四人、牙を剥き出しながら並んでいた。
「見てたぞ、てめえ。俺ら獣人に喧嘩売っといて、生きて帰れると思うなよ?」
「売ってきたんはそいつやけどな」
「細けえことはいいんだよ。人間ごときが俺らに逆らうとどうなるか……その体に教えてやるよ!」
一人が拳を握り込み、地面を蹴った。
「遅いわ」
智春は振り抜かれた拳を、体をわずかに傾けてかわした。
そして、すれ違いざまに腕を取り、腰を落とす。勢いを殺さず、獣人の体を肩越しに投げ飛ばした。
「ぐふっ!」
背中から地面へ落ちた獣人の肺から、空気がまとめて吐き出される。
その隙を狙い、別の獣人が背後へ回っていた。太い脚が、智春の脇腹へと突き刺さる。
鈍い衝撃が走り、智春はわずかに体勢を崩した。
「痛いやんけボケ」
智春はゆっくりと振り返り、そのまま無造作に歩き出した。確かな手応えを感じたはずの獣人は、思わず声を漏らした。
「入ったと思ったが……効いてないのか?」
「痛い言うとるやろ」
「なめるなぁ!」
距離が詰まった瞬間、鋭い爪が智春の顔面へと突き出された。
だが、その動きは途中で止まった。
智春は獣人の手首を掴み、握り潰すように力を込める。
そして、智春の拳が鳩尾に沈んだ。
獣人の息が止まり、膝が折れる。下がった顎へ智春の膝が跳ね上がり、獣人は仰向けに倒れた。
残った二人が、目を見開いた。
「な、なんだ、こいつ……」
「普通じゃねえ。クソが、燃やしてやる!」
二人が同時に詠唱を始めた。
短い呪文が重なり、空気が震える。
獣人の掌で炎が膨れ上がっていく。
もう一人の周囲では風が唸り、地面に散らばった砂と小石を巻き上げていく。
「死ねぇ!」
風の刃が空気を切り裂き、火球が赤い尾を引いて智春へ迫った。
「──で?」
智春は無造作に拳を振り抜いた。
触れた瞬間、火球は掻き消え、荒れ狂っていた風も跡形なく消失した。
「は……?」
二人の獣人は、何事もなかったように立つ智春を呆然と見つめた。
「魔法が……効いてねえ……」
「ち、違う。消された……?」
智春が一歩踏み出すと、二人は反射的に後ずさった。
「そ、そんなの聞いたことねえぞ!」
「クソ! もっと人数呼んでこい!」
片方の獣人が踵を返し、校舎の中へ駆け込んでいった。
智春は咥えたままだった煙草を吸い、煙を吐いた。
「なんや。結局、数に頼るんか?」
「ち、調子に乗るなよ、転校生! 獣はな、群れで狩るんだ。これは喧嘩じゃねえ。狩りだ!」
智春は短くなった煙草を地面へ落とし、靴底で火を消した。
「しょーもな。要は、タイマンじゃ敵わんから囲むだけやろ」
口角を吊り上げ、残った獣人との距離を一歩詰める。
「おら、かかってこい。何人でも相手したるわ」
そのとき、校舎の奥から、いくつもの足音が重なって聞こえてきた。
「後悔するなよ?」
先ほど走り去った獣人が戻ってくる。その背後には、牙や爪を剥き出しにした仲間たちが続いていた。
そして。
校舎の影から。
渡り廊下の上から。
中庭の柱の裏から。
獣人たちが、ぞろぞろと姿を現した。
智春のこめかみを、一筋の汗が流れた。
「思ってたより多いな……」
さらに増える。
窓からも。
噴水の裏からも。
壊れた校舎の扉からも。
「いや、ちょっと待て……」
虎、熊、象、鳥など。
様々な獣人の目が光り、牙が並び、爪が石を削る。
気づけば、広場を埋め尽くす獣人に囲まれていた。
一人、二人、三人……。
智春は数えるのをやめた。
「さすがに多すぎるやろ!!」
智春は深く息を吸った。
そして次の瞬間。
全力疾走。
「やってられるか!」
「待てえぇぇぇ!」
「止まれ、ごらぁ!」
「止まるわけあるか、ボケ! 初日から袋にされてたまるか!」
獣人の群れから全力で逃げる智春。
その背中を、渡り廊下の上から見下ろす影があった。
黒いブレザーに身を包んだ少女。
長い黒髪が風に揺れ、額には二本の角がある。背中には黒い翼が畳まれ、赤い瞳が逃げていく智春を追っていた。
「あれが聞いていた調査員かしら。人間の王も随分と変なのをよこしたわね」
少女の口元が、わずかに緩んだ。
「でも、魔力に耐性のある体……使い道はありそうね」
渡り廊下の下から、智春の叫びが響いた。
「やってられるかあああ!」
嶽山智春、マルボルク学園、転校初日。
絶賛、命の危機。




