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29_最後の贈り物


 春の陽光が、別宮の庭園を眩いばかりに照らし出していました。

 東屋の陰から漏れるリオンの無邪気な笑い声と、それに応えるレインハルト様の低く穏やかな声。

 二歳を過ぎたリオンは、今や自分の足でしっかりと地面を踏み締め、レインハルト様の指を握りながら、芝生の上を力強く歩いています。


 わたしは揺り椅子に深く腰掛け、揺り籠で眠る双子を愛おしく見つめました。

 わたしたちの愛が着実に実を結んでいる証のように思えて、わたしは幸せな吐息を漏らします。


 けれど、この穏やかな風景の背後には、以前にはなかった「違和感」が静かに、けれど確実に潜んでいました。


 ふと庭園の端に目を向けると、そこには等間隔に立つ護衛騎士たちの姿がありました。

 彼らは微動だにせず、周囲の揺らぎを監視しています。


 あの日の誘拐事件以来、屋敷の警備は「静かに過剰」になっていました。

 騎士団の数は倍増し、庭園の木々の影には常に監視役たちが潜んでいる。

 空気がわずかに震えるのは、レインハルト様が幾重にも重ねた防御結界が、外の世界からのすべてを拒絶しているから。


 この美しく平和な庭園は、今や王国で最も堅牢な、そして最も美しい「監獄」となっていました。


「……奥様、お耳に入れておきたいものが届いております」


 静寂を破ったのは、侍女長のアンナでした。

 彼女は銀のトレイを恭しく捧げ、その上には見たこともない豪華な装飾が施された、封緘ふうかんされた箱が載っていました。


 箱に押された蝋印は、この国のものとは明らかに異なる異国風の意匠――ノルディア国の王家の紋章でした。

 レインハルト様がリオンを抱き上げたまま、鋭い眼差しでその箱を見つめます。


「……ノルディア国から君への贈り物? はぁ……。嫌な予感しかしないな」


 レインハルト様が指先で封を切ると、中から金の装飾が施された極上の羊皮紙が現れました。

 そこには、完璧に礼儀正しい、けれどどこか傲慢な響きを持つ公式の言い回しが並んでいました。


『次期公爵夫妻に、最大限の敬意を。

 両国の友好を深める証として、ぜひ我が国の宮廷へお招きしたい。

 来たる祝宴にて、公爵夫人との謁見を心より願うものである』


 それは一見、ありふれた外交の招待状でした。

 けれど、羊皮紙の下から滑り落ちた「同封物」を見た瞬間、レインハルト様の顔色が、氷のように冷たく、けれど一瞬で激情を孕んだものへと変わりました。


 小さな箱の中から現れたのは、一つのミニアチュール――細密肖像画。

 そこには、つい最近の、庭園で微笑むわたしの姿が、恐ろしいほど見事に描かれていました。

 これがなぜ、異国の王子の手元にあるのか――。

 さらに、箱の底には一瓶の香油が添えられていました。

 蓋を開けずとも分かる、わたしの好む白百合の香りをさらに濃密にしたような、挑発的な香り。


 そして、羊皮紙の余白に記された、礼儀の皮を被った「私信」。


『噂は誇張ではなかった。貴方の国は、宝を隠しすぎる。

 夫人を一目見ることが、我が国の……いや、私の悲願だ』


「……っ」


 わたしは一瞬、眩暈のような感覚に襲われました。

 異国の宮廷。

 祝宴。

 ……外交に同行すれば、わたしはもう一度、あの門の外へ出られるのでしょうか。

 この「黄金の檻」を抜け出し、広い世界を、自分の足で見ることができるのでしょうか。


 そんなわたしの淡い期待を、レインハルト様の冷徹な一言が遮りました。


「就任もしていないのに、応える必要はないよ、シャル。しかし……君を見たこともない者が、君を欲しがる世界になった。……もはや、僕一人の嫉妬で済む段階ではないらしい」


 レインハルト様はその招待状を燃やそうと指先に魔力を灯しましたが、思い止まったようにそれを握り締めました。


「……父上に渡さなければ。これはもはや、外交問題だ」


 その日の夜。


 寝室には、夜風に揺れるカーテンの音だけが響いていました。


 わたしは寝台に横になり、机に座るレインハルト様の美しい横顔を眺めていました。

 彼はわたしの結婚指輪――アミュレットを自らの手に握りしめ、静かに詠唱を繰り返している。


 指輪から溢れ出す黄金の光が、寝室の壁を、床を、そしてわたしの身体を、さらに強固な魔力の鎖で編み上げていく。

 結界の更新。

 彼は異国の王子の言葉に突き動かされるように、わたしを閉じ込める檻の強度を、さらに極限まで高めていました。


 レインハルト様がふと手を休め、机の端に残された「贈り物」を見つめるのが見えました。

 あのミニアチュール。

 あまりにも見事に、美しく描かれていたその肖像画を、彼はどうしても燃やすことができなかったのです。


 彼は、自分の知らない誰かが描いたわたしの姿を、まるで呪いのように、あるいは自分だけが独占すべき真実を盗み取られたかのように、じっと、昏い目で見つめていました。


(……レインハルト様、そんな悲しいお顔をなさらないで……)


 わたしは声をかけようとして、言葉を飲み込みました。

 机の端で、あの香油の小瓶が、月の光を反射して怪しく光っています。


 外の世界が、わたしを求めている。

 そして、わたしを守る騎士あるじは、その世界すべてを敵に回してでも、この檻の鍵をより深く、重く閉ざそうとしている。


 わたしはこの温かな牢獄の闇の中で、夫の腕の中にいる限り安全なのだと信じたくて――だからこそ、少しだけ恐ろしくなったのでした。









【第二部 完】




第二部、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。


幸福な結婚式から始まった第二幕でしたが、甘さだけでは終わらず、少しずつ影と不穏さが差し込んでいく部になりました。

レインハルトとシャルロットが手にした幸福が、どれほど尊く、どれほど危ういものなのか。

私自身、書きながら改めて感じていました。


続く第三部では、公爵位を継いだレインハルト夫妻がノルディア国へ出国し外交デビューを果たすところから始まります。

そして、公爵邸に放たれる女スパイに翻弄されたレインハルトがあわや不貞の危機に……(!?)


第三部は、4月11日より再開予定です。

二週間ほどお休みをいただきますが、そのぶん次の部をしっかり整えてお届けできたらと思っています。


引き続き、レインハルトとシャルロットの物語を見守っていただけたら嬉しいです。

配信告知は活動報告でさせていただきますので、ブクマで追っていただけるとご案内が届くかと思います。

引き続きよろしくお願いいたします。

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