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19_脳を溶かす「甘い毒」

 レインハルト様の身体が、わたしの薄いドレス越しに密着しました。

 彼の纏う、白檀の香りと、冷たく澄んだ魔力の匂い。

 それがわたしの嗅覚を麻痺させ、思考を霧の中に誘う。


「……驚かせてしまったね。……けれど、シャル。君は、何も心配しなくていいんだ」


 彼はわたしの耳元に顔を寄せ、低く、甘い声で囁きました。

 その声は、耳の奥から脳へと直接響き渡るような、抗いがたい魔力を含んでいました。


「騎士団も、密偵も……すべては、君がこの屋敷で、誰にも邪魔されずにリオンと笑い合える時間を守るための『掃除人』に過ぎない。……外には君を穢そうとするものが多すぎる。……僕はただ、それを君の視界から、永遠に遠ざけておきたいだけなんだ」


「……でも、そこまでしていただくのは……わたしのために、貴方の手を……」

「……僕の手? ……ああ、これかい?」


 レインハルト様は、わたしの頬を撫でていた自分の手を、愛おしげに見つめました。

 その指先が、わたしの耳朶を甘噛みするように弄り、そのまま首筋へと滑り降ります。


「……この手は、君を抱きしめるためにある。……そして、君を脅かすとげを抜くためにあるんだ。……君は、その指先で僕の魔力を受け取り、ただ僕に愛されていればいい。……それ以上のことは、何も考えなくていいんだよ、シャル……」


 彼の唇が、わたしの首筋の、脈打つ場所に深く押し当てられました。

 吸い付くような、熱い接吻。

 そこから、彼の膨大な魔力がじわりとわたしの体内に流れ込み、アミュレットの輝きと共鳴して、わたしの不安を一つ一つ塗りつぶしていくのを感じました。


「あ……、ん……。レインハルト様……」

「……そう、その声だ。……僕を呼ぶ君の声だけが、僕の正気を繋ぎ止めてくれる。……シャル、君は、僕という檻の中で、一生幸せな夢を見ていると約束してくれただろう?」


 レインハルト様は、わたしの顎をくいと持ち上げ、無理やり視線を合わせました。


 その黄金の瞳の奥には、底知れない執着と、すべてを飲み込むような深い情愛が渦巻いています。

 もはや、密偵がどうだとか、騎士団がどうだとか、そんな世俗的なことはどうでもよくなっていく。

 目の前にいる、この完璧な美しさを備えた夫が、わたしのすべてを求めている。

 その事実だけが、わたしの世界を支配し始めました。


「……さあ、シャルロット。……僕を見て。……君の瞳に映るのは、僕一人だけでいい」


 彼はわたしの唇を、食むように優しく、けれどどこまでも深く奪いました。

 蜜のような甘い接吻。

 その熱に、わたしの思考は完全に溶け去り、真っ白な闇へと堕ちていきます。


「……あの日、君を奪おうとした奴らのことなんて、もう忘れていい。……君の身体に残った僅かな恐怖も、僕の愛で、すべて上書きしてあげよう。……君の中には、僕以外の記憶なんて、一片も残させはしない……」


 彼の掌が、わたしの胸元を、そしてまだ平らな、けれど新しい命を育み始めたお腹を、慈しむように、そして呪うように撫で上げました。


「……嬉しいよ、シャル。……君の身体が、僕によってこんなにも瑞々しく熟れていく。……君を僕の魔力で縛り、僕で満たし……そうして君を、世界で一番幸せな囚われの女神にしてあげる」

「あ……、ぁ……っ。レインハルト様……、わたし……あなたの……」

「……そう、君は僕のものだ。……永遠に、僕の腕の中から逃げられない。……いいかい、シャル。……僕を愛していると言って。……他の一切を捨てて、僕という地獄を選んでくれると……誓って」


 その甘く、残酷な問いかけに、わたしの心は歓喜に震えました。

 理性を捨て、思考を捨て、ただ彼の独占欲という名の海に溺れていくことの、なんと心地よいことでしょうか。

 わたしは、彼の首筋に腕を回し、その耳元で、彼が最も望む言葉を、熱い吐息とともに紡ぎました。


「……愛しておりますわ、レインハルト様。……わたし、貴方の檻の中で……一生、幸せに暮らしますわ……」



 レインハルト様は、満足げに低く喉を鳴らすと、わたしを軽々と横抱きにしました。

 彼はそのまま、月光の射し込む廊下を、迷いのない足取りで寝室へと歩み出しました。


「……良い子だ、シャル。……今夜は、君の身体の隅々まで、僕の愛を刻み直してあげよう。……夜が明ける頃には、君はもう、余計なことなんて一文字も思い出せなくなっているはずだ」


 廊下を歩く彼の足音だけが、静寂の中に響きます。

 その足音は、かつてわたしを震わせた冷たい魔導師のものではなく、愛しい獲物を巣へと持ち帰る、至高の幸福に満ちた王者のものでした。


 別宮の寝室に辿り着き、彼が魔法で扉を閉ざした瞬間。

 わたしの世界は、外界から完全に遮断されました。

 そこにあるのは、紫の薔薇の香りと、レインハルト様の濃厚な魔力、そして、逃れられない愛欲の熱だけ。


 わたしは、彼の腕の中で、静かに目を閉じました。

 明日になれば、またわたしは、何も知らない「幸せな公爵夫人」として、彼に微笑みかけるのでしょう。


 彼が守り抜こうとする、この楽園の中で。


 わたしたちの愛は、もはや光も影も区別がつかないほどの深淵へと、より深く、より熱く、堕ちていくのでした。









第二幕『聖域の崩壊』、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。


甘く穏やかに見えていた蜜月の裏側で、少しずつ広がっていた歪みや執着、そして守るための愛が、ついに檻として形を持ち始めた幕でした。

シャルロットにとっては幸福であるはずの場所が、同時に外界から閉ざされた楽園にもなっていく。

レインハルトにとっては愛そのものだったものが、少しずつ狂気や支配と隣り合わせになっていく。

そんな二人の危うさを書きたかった章でもありました。


途中かなり不穏で重たい展開も続きましたが、ここまで読んでくださったこと、本当に感謝しています。


第三幕では、さらに物語が大きく動いていく予定です。

守られた楽園の中で深まっていく愛と執着が、この先どんな形で世界を壊し、あるいは繋ぎ止めていくのか。

引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

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