激辛の暴風とふわっふわっの難所
ハラペコニアは、物理法則すらも「美食」に支配されているのか。
私たちは今、馬車を囲む天然の要塞、通称「カプサイシン・デッドゾーン」に足を踏み入れていた。視界の端から端まで、目を開けることも呼吸をすることも困難な、超微粒子の「激辛スパイス粉末」が猛烈な嵐となって吹き荒れている。
「……ゲホッ、何よこれ。空気が凶器じゃない。私の喉が、まるで行き倒れの龍の逆鱗を逆撫でしたような痛みだわ」
私は馬車の中で、濡らした最高級のシルクで口元を覆いながら毒を吐いた。
「セレスティーヌ様、ご安心を! この辛味……これぞ、悪を焼き尽くす正義の闘志を燃やすスパイスですな! 私がその熱源、すべて吸い込んで差し上げましょう!!」
アルフレッドは馬車の屋根に立ち、大きく息を吸い込んだ。常人なら肺が内側から炎上して即死する量の唐辛子成分が、アルフレッドの超人的な呼吸器へと吸い込まれていく。
「は……は……は……はくしょぉぉぉぉん!!(正義ッ!!)」
アルフレッドが放った史上空前の「正義のくしゃみ」は、指向性を持った衝撃波となり、吹き荒れていた激辛の嵐を物理的に反対方向へと押し返した。一瞬にしてスパイスの霧が晴れ、青空が顔を出す。
「……ふぅ、スッキリしましたな」
「……セレスティーヌ様、お体の表面に付着した残存スパイス、迅速に(デス)分子レベルで除去いたしましたわ」
ベレッタが馬車の周囲を神速で駆け抜け、微細な粉末すら残さず清掃を完了させる。私は、道端に積まった「純度100%の激辛粉末」をじっと見つめた。
「……ねえ、謎姫。このスパイス、店に流せば、暗殺用……いえ、激辛マニア向けの超高級調味料として一財産築けるんじゃないかしら? 瓶に詰めておきなさい。売り上げは、私の精神的苦痛の慰謝料として、後ほど計上しなさい」
「は、はい!」
嵐を抜けた先に現れたのは、これまた奇妙な「スフレ山脈」だった。
山全体がふわふわのメレンゲのような地質でできており、一歩踏み出すごとに地面が「シュワッ」と沈み込む難所だ。
「……ちょっと、馬車の車輪が半分以上埋まっているわよ。このままだと、私たちがこの巨大なスフレの具材になってしまうじゃない」
「お任せください、セレスティーヌ様! 地面が柔らかすぎるなら、焼き固めて『正義の弾力』を持たせればいいのです!」
アルフレッドは雑巾を降りると、その身から発する異常な「正義の熱気(体温)」を足元に集中させた。アルフレッドが歩くたびに、ふわふわのメレンゲ地質は適度に熱が通り、香ばしく焼き固められた。
「これぞ『シフォンケーキの道』! 表面はサクサク、中はしっとり、正義の舗装ですな!!」
さらにベレッタが、馬車の四隅に不可視の鋼糸をかけ、周囲の硬い岩場と連結。
「セレスティーヌ様。沈み込みを防ぐため、常に浮力を維持する『スカイ・デリバリー(空中牽引)』を開始いたしますわ。……お嬢様の視点が揺るがぬよう、重力すらもパッキングして差し上げます」
馬車は、アルフレッドが焼き上げた道を走りつつ、ベレッタの糸によって空中に吊り下げられ、文字通り滑るように進んでいく。
「……ふん。乗り心地は悪くないけれど、雲が綿菓子じゃないのが減点ポイントね。ハラペコニアの自然界も、もう少しサービス精神を持つべきだわ」
馬車の片隅では、新入りの「眠れる姫」が、激辛の嵐が消え去り、山が焼き菓子に変わっていく光景を、魂の抜けたような目で見守っていた。
「……私、知ってる。おとぎ話では、困難は勇気と知恵で乗り越えるものなの。……熱気で山を焼いたり、くしゃみで天候を変えたりするものではないはずなのに……」
彼女が抱える「呪いの人形」が、ガタガタと震えながら同意するように首を振る。
だが、私の視線の先には、次なる目的の美食を求める感覚しかなった。
「さあ、お遊びはここまでよ。次はいよいよ、私の胃袋が王都をジャックする番……よね?」
三頭の雑巾は、焼き立てのスフレの香りを漂わせながら、スフレの頂点へと突き進む。




