沈黙チーズと沸騰する正義
ハラペコニアの王都へ向かう街道。昨夜の晩餐会の喧騒と、アルフレッドの「椅子射出事件」による、いえ今までの諸々の事態が祟り、精神的疲労が重なった結果、ついに私の堪忍袋の緒が「無言」という形で結ばれた。
「…………(一言も喋りたくない。空気が揺れるのも不快だわ)」
私は馬車の窓外を眺め、扇子を固く閉じたまま、完全なる「静寂モード」に突入した。
「セレスティーヌ様! どうされたのですか!? もしや喉の病!? 悪しき病魔が貴女様の声を封じているのなら、私が喉の奥まで正義を叩き込んで浄化を……!!」
アルフレッドが、デシベルの暴力のような声で馬車を揺らした。私の眉間がピクリと跳ねる。
「……アルフレッド。セレスティーヌ様の沈黙は黄金、いえ、宇宙の真理ですわ。それを乱すその騒音……迅速に、舌ごとパッキング(切断)して差し上げましょうか?」
ベレッタが影から現れ、どこから取り出したのか、ドラゴンの鱗をも噛みちぎるという『特製・鋼鉄猿轡』を、アルフレッドの口に電光石火の速さで装着した。
「むぐっ!? むぐぐぐぬっ!!(正義! 正義の拘束!!)」
「静かに。……セレスティーヌ様、ようやく訪れたこの『聖なる静寂』のお供に、フォンデュ城の宝物庫から迅速に拝借してきた『千年熟成・ブルー・クリスタル・チーズ』をどうぞ」
喋れなくなった筋肉と、無言で私を仰ぐ狂信的なアサシン。
私はようやく訪れた平和な空気の中で、青く輝くチーズを一口含んだ。……芳醇。鼻に抜けるチーズの香りと、ベレッタが用意した特製チーズワインの酸味が、私のささくれ立った神経を優しく撫でていく。
「…………(……悪くないわ。このまま一生、あいつが喋らなければいいのに)」
しかし、平和は長くは続かない。
「フンガァァァーッ!!」という、もはや生物の限界を超えた鼻息と共に、アルフレッドが鋼鉄の猿轡を筋肉の膨張だけで粉砕。その衝撃波で街道沿いの岩山が崩落し、轟音と共に土砂崩れが発生した。私の静寂は、物理的な破壊音によって一瞬で幕を閉じた。
長旅の汚れと、三頭に増えた「雑巾馬」ボブたちの異臭が限界突破した頃、一行は古びた温泉街「スチーム・ヴィレッジ」に到着した。
「何よ、このお湯。温度が0.5度低いのよ。それにこのアロマ、安っぽいバニラの香りが鼻につくわ。もっと『私のプライドをくすぐる高貴な香り』に作り替えなさい」
私が露天風呂の縁で不満を漏らすと、ベレッタの職人魂が再点火した。
「……承知いたしました。セレスティーヌ様。迅速に、源泉そのものを再構築して参りますわ」
ベレッタは短刀一本で温泉の地脈を突き刺し、源泉を強引に掘り起こして「源泉100%」という名の大地の奔流を私の浴槽へ引き込んだ。さらに、周囲の霊山から「千年人参」や「不死鳥の薬草」を根こそぎ刈り取り、それらをすり潰して浴槽にドバドバと投入。
「セレスティーヌ専用・最強の回復薬(ポーション浴)』、完成いたしました。これに浸かれば、細胞の一つ一つが王族の輝きを取り戻すはずですわ」
「……あら、毒々しい緑色だけど、お肌がピリピリして……確かに『効いてる感』はあるわね」
一方、アルフレッドは「温泉街なら、どこの水溜まりも温泉に違いない!」という独自の理論を展開していた。
「おお! あちらに見える湖、実に見事な湯気が上がっている! 正義の入浴、いざ!!」
彼が飛び込んだのは、火山の熱で煮え繰り返る「沸騰湖(推定温度120度)」。普通の人間なら瞬時に茹で上がる地獄の釜だが、アルフレッドは「少々刺激的な温度ですが、正義の筋肉が喜んでおりますぞ!」と爽やかに平泳ぎを開始した。
住人たちは呆然と立ち尽くして、アルフレッドの奇行を凝視していた。
茹で上がった魚たちが水面に浮いていく中、彼は何事もなくサウナ以上の発汗を楽しみ、さらに輝きを増して湖から上がってきた。
「ふぅ、良い湯でした! セレスティーヌ様、見てください、私の筋肉がポーション効果で一段とキレを増しましたぞ!!」
「……寄らないで。暑苦しいし、あんたの体から『出汁』が出てるわよ」
私は薬草塗れの温泉に浸かりながら、茹でたてのように赤ら顔のアルフレッドと、私の入浴湯を小瓶に詰めようとしているベレッタを眺め、再び深い溜息をついた。
……汚れは落ちたけれど、精神的な汚れは溜まる一方だわ。




