イースト・ビレッジの洗礼
国境の喧騒を力技(と偽造)で切り抜けた私たちが最初にたどり着いたのは、ハラペコニア国境付近の村「イースト・ビレッジ」。
この村には「すべての建物がパンでできている」という、いかにも食いしん坊が泣いて喜びそうな噂があったけれど、実際に足を踏み入れてみれば、なんてことはない。ただ単にパン生地の熟成に適した「パン生地の名産地」というだけだった。
「……期待させておいて。壁を齧る準備をしていた私のワクワクを返しなさいよ」
私は、香ばしい小麦の香りが漂う村の入り口で、馬車の窓を叩きながら毒を吐いた。
しかし、この国は甘くなかった。村の広場には巨大な秤と調理台が置かれ、筋骨隆々の、しかしコック帽だけは立派な「料理の鉄人」が立ちはだかっていた。
「止まれ、異国人ども! 我が国ハラペコニアに入るには、相応の『舌』を持っていることを証明せねばならん。この『美食の洗礼』に不合格な者は、即刻国外追放だ!」
「あら、タダなら受け立つわ。」
鉄人が差し出したのは、この村特産の生地を焼き上げたシンプルなパンと、三種類の謎のソース。
「さあ、このソースに使われている隠し味をすべて当ててみせろ!」
私は鼻で笑い、優雅にパンをちぎってソースに浸した。一口含んだ瞬間、私の脳内にある「王宮最高級データベース」が超高速で演算を開始する。
「……ふん。左は発酵させた山羊の乳に、隠し味は『朝摘みのワイルドベリーの根』ね。真ん中は、岩塩と見せかけて、隣国の地下数百メートルから採れる『黒真珠の塩』。そして右……」
私はフォークを置き、鉄人を冷たく射抜いた。
「これ、隠し味に『焦がしたバターの澱』を混ぜているわね? 苦味で深みを出そうとしたのでしょうけれど、残念ながら火入れが三秒長すぎたわ。素材の良さを台無しにするその『無能な情熱』、まさにこの村の粘土質の土壌と同じくらい重苦しくて不快だわ」
「な、なんだと……!? 火入れの時間まで見抜くだと……!?」
「美食家を名乗るなら、まずは自分の慢心をオーブンで焼き飛ばしてきたら? あなたの料理、熱意だけは認めてあげるけれど、味覚のセンスはそこら辺を歩いている泥まみれの雑巾以下よ」
鉄人は、私のあまりに正確な知識と、魂を削り取るような毒舌のダブルパンチに、まな板の上に崩れ落ちた。
「ま、参りました……! 異国にこれほどの『神の舌』を持つ御方がいようとは……。どうぞ、お通りください!」
無事に入村を許可されたものの、私の機嫌はあまり良くなかった。
「……あんなに偉そうに言っておいて、結局パンしか出てこないなんて。舌が空いて死にそうだわ」
私がそうボヤいた瞬間、ベレッタの姿が陽炎のようにかき消えた。彼女の隠密の癖は、国を越えても治るどころか悪化していた。
数分後。ベレッタは、村中のパン屋から「最も発酵状態が良いもの」だけを厳選し、巨大な袋にしこたま詰め込んで戻ってきた。
「セレスティーヌ様……。迅速に、村の名産パンを全種類、一ミリの誤差もなく回収して参りました。……お召し上がりください」
「あら。あらあら、ベレッタ。気が利くじゃない。あの脳筋騎士に爪の垢を煎じて飲ませたいわね」
私が珍しく微笑み、彼女の頭を軽く撫でようとした、その時。
「……あ、ああっ! セレスティーヌ様に……褒められた……。私の……デリバリーが……天に……届……」
ベレッタは、嬉しさのあまり白目を剥き、幸せそうな笑みを浮かべたまま、その場に棒切れのように倒れて気絶した。
気絶したベレッタをアルフレッドが「おおお! 友情の気絶ですね! 私も感動しましたぞ!」と担ぎ上げ、私は馬車の中でベレッタが盗んできたパンを齧り始めた。
「もぐもぐ……。ふーん、思ったより普通のパンね。王宮の特注品に比べればキメが荒いし、香りも少し野生すぎるわ」
そうボヤきながらも、私の手は止まらなかった。結局、一つの袋を空にするまで食べ進め、私は満足げに口元を拭った。
「まあ、無料の試食コーナーでタダで食べる分には及第点よ。さあ、アルフレッド。次はもっと『高級』なものが食べられる場所へ行きなさい。パン生地なんて、私の前菜にもならないわ」
馬車は、気絶した暗殺者と、それを称える騎士、そして泥の岩を乗せて、美食の国の更なる深部へと走り出す。
私の舌を満足させる本物のご馳走は、まだ先にあるはずだった。




