不干渉地帯のノスタルジー
アステリア国の物理的な壁を越え、ハラペコニア国の厳重な関門が見えるまでの数キロメートル。そこは「不干渉地帯」と呼ばれる、どこの国の法も届かない、静寂と不毛な荒野が広がる場所だった。
日が落ち、私たちは自国の地を踏む最後の夜を、この何もない荒野で過ごすことになった。
「……はぁ。まさか、自国での最後の食事が、こんな吹きさらしの地面の上だなんてね」
私は、ベレッタが敷いた毛皮のクッションに座り、パチパチと爆ぜる焚き火の火を見つめた。
振り返れば、王都の塔をあのアホに粉砕されてから、ろくなことがなかった。
馬の形をした雑巾に揺られて腰を痛め、ドライブスルーで喧嘩をし、アジトを更地にされ、銅貨三枚でドヤ顔をされ、泥を聖獣として崇める狂信者たちに追いかけられ……。
私の記憶の中にある「逃亡生活兼観光旅行」は、どこを切り取ってもバイオレンスと不衛生と精神的苦痛に満ちていた。
「……でも、不思議ね。思い返すと、退屈だけはしなかったわ」
あの時、ギムレットを脅して手に入れた金貨の重み。アルフレッドが毒キノコを食べて発光していたシュールな光景。泥のイモ料理人を完膚なきまでに論破した時の、あの心洗われるような爽快感。
私の脳内にある「回想録」は、お城での静止画のような退屈な毎日よりも、ずっと鮮やかな色彩を帯びていた。
「ああ……! 嗚呼、セレスティーヌ様!!」
突然、夜の静寂を切り裂いてアルフレッドが叫び声を上げた。見れば、彼は滝のような涙を流し、鼻水を銀色の面頬に付着させて震えている。
「苦楽を共にした思い出が、セレスティーヌ様の冷え切った心を溶かし、成長させたのですね! 貴女様が今、過去を慈しむような慈愛の眼差しをされた……私は、私はこの瞬間を一生忘れませんぞ!!」
「ちょ、勝手に感動しないで。私はただ、これまでの損失を計算して——」
「はああああああっ!! この感動、正義の炎として天に捧げましょう!!」
アルフレッドは感極まり、その硬い額で周囲に生えていた立ち木に次々と頭突きを見舞った。
ドガァン! バキィィッ!
なぎ倒された巨木たちが、彼の超人的な腕力で一本の巨大なキャンプファイアへと組み上げられていく。それはもはやキャンプの焚き火ではなく、隣国の関所から「アステリア軍の襲撃か?」と疑われかねないほどの巨大な火柱となった。
「……セレスティーヌ様」
火柱の影から、ベレッタが音もなく這い寄ってきた。彼女は胸元に手を当て、恍惚とした表情で私を見上げている。
「隣国へ入っても、私の心臓はセレスティーヌ様のステップ台……。いえ、貴女様が踏み締める大地そのものになりますわ。お聞きください、この高鳴り……」
ベレッタは、闇の中で自分の心臓の鼓動に合わせるように、十数本のナイフをジャグリングしながら不気味な多重演武を始めた。
ドクン、ドクン、シュパッ、シュパッ……。
キャンプファイアの爆ぜる音と、アルフレッドの男泣き、そして暗殺者の心音BGM。
……カオスだわ。自国最後の夜が、こんなに不気味で騒がしいなんて。
私は、騒がしい二人を無視して、火に照らされたハラペコニア側の空を見上げた。
あちらの空の向こうには、私がこの地獄の旅を耐え抜いてきた唯一の理由、グルメフェスティバルの会場がある。
「……感傷なんて、これくらいで十分よ。私が今考えているのは、隣国に入って最初に食べる『幻の黄金イチジクのタルト』のことだけよ。あの、サクサクのパイ生地と、濃厚なカスタード……」
私は、手元に残った最後の一切れの干し肉を噛み締めながら、独り言ちた。
「あのタルトを一口食べるためなら、アルフレッドがもう一つや二つ、街を更地にしたところで構わないわ」
「仰いましたな、セレスティーヌ様! その覚悟、受け取りました!!」
「迅速に、タルトの職人をパッキング(誘拐)して参りますわ!!」
「……余計なことはしないでって言ってるのよ」
夜は更け、巨大な火柱は静かに灰へと変わっていく。
明日の朝、私たちはついに隣国の土を踏む。
アステリア国の姫としての地位も、塔の中の平穏も、すべてを過去に置いて。
最強の筋肉と、最凶の暗殺者、そして四足の雑巾を連れた「毒舌の美食家」は、新たなる食欲の戦場へと足を踏み出す準備を整えた。




