ドラゴンの熱狂と略奪という名のスパイス
馬車がたどり着いたのは、大陸でも指折りのワインの名産地、シャドー・ボルト。
風に乗って漂う芳醇な葡萄の香りと、熟成された樽の匂い。本来ならワイン通の私として、由緒正しき醸造所を巡り、最高のヴィンテージをテイスティングして回りたいところだ。
けれど、今の私を支配しているのは、高尚なアルコールではない。
街の入り口に誇らしげに掲げられた、あの赤い「N」の紋章。
「……見つけたわ。マック・ナイト、シャドー・ボルト店」
今日この日は、全大陸のジャンクフード愛好家が血眼になる記念すべき日。期間限定メニュー、『ドラゴン・スパイシー・ナゲット』の発売日なのだ。
「いい、二人とも。よく聞きなさい。このナゲットを食べるまで、私の『逃亡生活』は終わらないわ。これを口にせずして、隣国のグルメフェスへ向かうなんて、歴史に対する冒涜よ」
「おお、セレスティーヌ様! 食という名の生命の神秘に挑まれるそのお姿、まさに聖女の如き慈愛に満ちておられる!」
「セレスティーヌ様の胃袋を、迅速に、至高の刺激で満たして(デリバリーして)差し上げなければ……!」
暑苦しい二人の返事を聞き流し、私は馬車を店の前に乗り付けた。しかし、そこには私の予想を遥かに上回る、絶望的な光景が広がっていた。
「……売り切れ? たった今、完売したっていうの?」
店員が申し訳なさそうに掲げた看板。そこには無情にも『SOLD OUT』の文字。
私はその場に膝をつき、両手で顔を覆った。
「嘘よ……私の、私のスパイシーな午後が……」
実際には「面倒な並びを回避しようとして出遅れた」だけなのだが、私の(演技混じりの)嘆きは、二人の狂信者のスイッチを同時に押し下げた。
正義と裏工作の同時多発テロ
「……セレスティーヌ様! お嘆きにならないでください!」
アルフレッドが、鼻息を荒くして私の肩を掴んだ。
「偽物のナゲットなどいりません! 私が今から、本物のドラゴンの肉を狩って参ります! 貴女様の高潔な魂に相応しい、真の強者の肉を捧げましょうぞ!!」
「え、いや、本物は硬そうだから——」
止める間もなく、アルフレッドは四足雑巾の脇腹を蹴り、砂塵を上げて背後の険しい山々へと消えていった。
「……あのアホは放っておきましょう、セレスティーヌ様」
ベレッタが、影の中から低く、冷徹な声を漏らした。
彼女の瞳は、店の裏口から悠々と去っていく一台の豪華な馬車を射抜いていた。
「……完売させた犯人は、あの地方貴族のようですわね。独占欲に駆られ、民の楽しみを奪うあの豚……。セレスティーヌ様の楽しみを汚した罪は、万死に値しますわ」
「ベレッタ、騒ぎは起こさないでよ? 殺しも禁止。死体の処理は私が面倒だから」
「分かっております。……迅速に、回収して参りますわ」
ベレッタの姿が、陽炎のようにかき消えた。
それからの彼女の動きは、まさに『ウーバー・デス』の筆頭アサシンとしての真骨頂だった。
地方貴族の護衛など、彼女にとっては道端の小石にも等しい。音もなく走る馬車に飛び乗り、御者を指先一つで眠らせ、護衛の視線を一瞬で奪う。
彼女の目的は、金品でも命でもない。ただ一つ、貴族が買い占めた熱々のナゲットの箱。
隠密、盗み、逃走。
一流の暗殺術を「ファストフードの略奪」に全振りした彼女は、数分後には何食わぬ顔で私の隣に戻っていた。
収穫祭と、タダ飯の真理
一時間後。
私は馬車の外に用意させたテーブルで、ベレッタが奪還してきた『ドラゴン・スパイシー・ナゲット』の箱を開けていた。
「……素晴らしいわ、ベレッタ。まだ温かい。この、鼻を刺す唐辛子の刺激と、怪しい肉の脂身……これこそが私の求めていたものよ」
「お褒めに預かり光栄ですわ、セレスティーヌ様! 貴女様がナゲットを頬張るその咀嚼音、迅速に私の脳内録音機へ……ああっ、素晴らしいですわ……!」
ベレッタが恍惚とした表情で身悶えしていると、山の方から地響きが聞こえてきた。
「戻りましたぞー!! セレスティーヌ様ー!!」
アルフレッドが、ボブの背中に全長五メートルほどの『本物のワイバーン(小型ドラゴン)』を丸ごと担いで帰還した。ボブは重さで脚を震わせ、今にも絶命しそうな顔をしている。
「さあ! 真のドラゴンの肉です! 焚き火で豪快に焼き上げましょう!」
「……アルフレッド、それ、ただの爬虫類臭くて硬そうだからいらないわ。こっちのナゲットがあるから」
「なんと! 私が戻るまでの間に、絶望を乗り越え、自らの手で(実際は略奪だが)福を掴み取られたとは! どこまで不屈の精神をお持ちなのだ、セレスティーヌ様!」
アルフレッドは相変わらず、自分の都合のいいように私の高潔さを讃えて涙を流し、ベレッタは私がナゲットを飲み込む瞬間の喉の動きを聖書の一節のように拝んでいる。
私は、奪い取った……もとい、迅速に届けられたスパイシーな肉をワインで流し込み、至福のため息をついた。
「……ふう。やっぱり、タダで食べるものは何でも美味しいわね」
ベレッタがついでに奪い去ってきた、双月サンドやグラグラコロッケサンド、黒蜜炭酸水もやっぱ最高ね。
食べ切れないので、ベレッタと一緒に味わった。アルフレッドは相変わらず、拒否。
山積みにされた本物のドラゴンの死体と、気絶した地方貴族の騒ぎを背後に残し、私たちの馬車は再び国境へと向かって走り出す。
次はどんなグルメを、この「付属品」たちの手でタダで食べられるかしら。私の期待は、隣国のグルメフェスへと膨らんでいくばかりだった。




