明日のことが分かる男
最初の通報は、
交通事故ではなかった。
「明日の朝、
事故が起きます」
午前九時十二分。
警察署。
受付に立っていた男は、
そう言った。
年齢は、
三十代後半。
背広。
短い髪。
小さな鞄。
会社員に見えた。
受付の警察官が聞く。
「どこでです?」
「市道四〇七号。
北川交差点」
「時間は?」
「午前七時四十一分」
「どんな事故ですか」
「大型トラックが横転します」
受付の警察官は、
男を見る。
「見たんですか」
「はい」
「何を?」
「明日のことを」
*
男の名前は、
真壁亮介。
三十八歳。
市内在住。
会社員。
異常能力に関する申告歴あり。
分類。
《短期未来視》
最長観測期間。
約七十二時間。
精度。
条件付きで高い。
詳細。
不明。
*
真壁の予知は、
すでに何度か確認されていた。
三年前。
勤め先の倉庫で、
「午後三時に棚が倒れる」
と言った。
作業を止めて確認すると、
固定金具が外れていた。
交換中、
棚の上部が大きく傾いた。
一年前。
近所のアパートで、
「二階から火が出る」
と消防へ通報。
住人への確認中、
台所の延長コードから発煙。
半年前。
駅前の歩道で、
「看板が落ちます」
と警察へ相談。
調べると、
固定ボルト二本が破断していた。
真壁が嘘をついている可能性は、
低かった。
*
北川交差点。
翌朝。
午前七時三十分。
警察車両。
道路管理者。
交通誘導。
三宅が交差点を見る。
「本当に来るんですかね」
「トラック?」
「事故」
黒田が時計を見る。
「来ない方がいいだろ」
「それはそうですけど」
午前七時三十八分。
大型トラックが一台、
交差点へ近づく。
三宅が身構える。
違った。
そのまま通過。
七時四十分。
何もない。
三宅が時計を見る。
「あと一分」
七時四十一分。
東側から、
大型トラック。
青信号。
右折。
その瞬間。
荷台が大きく傾いた。
「止めろ!」
誘導員が笛を吹く。
対向車は、
手前で止められていた。
トラックが横転。
金属音。
積荷が道路へ散らばる。
誰も巻き込まれなかった。
三宅は、
しばらく横転したトラックを見ていた。
「……一分もずれてない」
黒田が言う。
「みたいだな」
*
原因は、
積荷の固定不良だった。
本来なら、
対向車線の乗用車二台を巻き込む位置に倒れていた。
だが、
事前の交通規制で、
人的被害はなかった。
ニュースになった。
《未来予知で交通事故防止》
真壁の名前は、
本人の同意を得て公表された。
*
それから、
真壁への相談が増えた。
警察。
消防。
市役所。
企業。
病院。
学校。
個人。
「明日、事故はありますか」
「この工事は大丈夫ですか」
「手術は成功しますか」
「地震は来ますか」
「息子は帰ってきますか」
「株価は上がりますか」
真壁は、
すべてに答えられるわけではなかった。
未来が見える条件は、
本人にも分からない。
見ようとして見える時もある。
突然見える時もある。
何も見えない時もある。
ただ、
見えたものについては、
よく当たった。
*
市は、
真壁との情報提供協定を結んだ。
強制ではない。
真壁が危険な予知を確認した場合、
専用窓口へ連絡する。
情報は、
警察、消防、道路、医療など必要な機関へ共有。
予知だけを根拠に、
直ちに強制措置は取らない。
他の情報と併せて判断する。
真壁は、
最初それで納得していた。
*
「明日、
小学校の体育館で事故があります」
三宅が電話を受けた。
「場所は?」
『西第二小学校』
「時間は?」
『午後二時十五分前後』
「何が起きます?」
『天井から何か落ちます』
「何か?」
『照明だと思います』
市が学校へ連絡。
体育館の使用を中止。
点検。
照明器具の吊り金具に亀裂。
交換。
事故なし。
*
「今夜、
南町で火事が起きます」
消防が巡回。
古い飲食店の配電盤から異臭。
使用停止。
火災なし。
*
「明日の午前、
市立病院のエレベーターが止まります」
事前点検。
制御装置の異常。
修理。
停止なし。
*
真壁の予知は、
当たらなくなっていった。
正確には、
予知された出来事が、
起きなくなった。
*
「最近、
外れてますよね」
三宅が資料を見る。
研究員が首を振る。
「外れたとは限りません」
「でも事故起きてないですよ」
「事故が起きると予知したから、
対策したんでしょう」
「はい」
「なら比較できません」
三宅は少し考える。
「予知が当たってるから起きなかった?」
「可能性はあります」
「じゃあ、外れてる可能性も?」
「あります」
「どっちなんです?」
「分かりません」
「便利ですね、その言葉」
「便利だから使ってるわけじゃありません」
*
真壁本人は、
少しずつ変わった。
以前は、
「確認してください」
と言っていた。
それが、
「止めてください」
になった。
さらに、
「今すぐ止めてください」
になった。
*
ある日。
真壁が市役所へ来た。
「駅前イベントを中止してください」
週末。
市中心部で、
秋祭り。
来場予定、
約二万人。
担当者が聞く。
「何が見えました?」
「事故です」
「場所は?」
「駅前広場」
「時間帯」
「午後四時ごろ」
「内容は?」
「人が倒れています」
「何人?」
「たくさん」
「原因は?」
「分かりません」
「火災?」
「分かりません」
「建物倒壊?」
「分かりません」
「車両?」
「分かりません」
担当者は記録する。
真壁の声が強くなる。
「中止してください」
「情報は関係部署へ共有します」
「共有じゃ遅いんです」
「まず安全確認を」
「何度当てれば分かるんですか」
担当者が顔を上げる。
「信用していないわけではありません」
「同じですよ」
「違います」
「事故が起きてからじゃ遅いでしょう」
「だから調べます」
「中止すればいい」
「二万人規模の催事です」
「人命より祭りですか」
「そういう話ではありません」
「じゃあ止めてください」
担当者は、
少し間を置いた。
「真壁さん」
「はい」
「あなたの予知を、
重要な情報として扱っています」
「なら」
「でも、
決定は予知だけでは行いません」
真壁は黙った。
*
イベントは、
中止されなかった。
代わりに、
警備増員。
仮設物の再点検。
電源設備確認。
飲食ブースの火気確認。
車両進入規制。
救護所増設。
混雑導線変更。
午後三時五十分。
三宅と黒田は、
駅前広場にいた。
「先輩」
「何」
「あと十分です」
「そうだな」
「怖くないですか」
「怖いよ」
「普通にやってますけど」
「仕事だから」
午後四時。
何も起きない。
四時三分。
救護所へ一人。
高齢男性。
熱中症。
軽症。
四時七分。
別の女性が転倒。
擦り傷。
四時十二分。
仮設ステージ裏で、
電源ケーブルから煙。
スタッフが気づく。
電源遮断。
消火器使用。
火災にはならなかった。
三宅が無線を聞く。
「これですかね」
「分からない」
「予知では人がいっぱい倒れてたんですよね」
「そうらしいな」
「じゃあ防げた?」
「かもな」
「違った可能性も?」
「あるんじゃない」
三宅が少し笑う。
「研究員みたいになってきましたね」
*
真壁は、
結果を聞いても納得しなかった。
「中止すれば、
もっと確実だった」
担当者が答える。
「事故は起きませんでした」
「だからです」
「対策が有効だった可能性があります」
「俺が言ったからでしょう」
「はい」
「なら最初から、
俺の判断に従えばいい」
担当者は黙った。
真壁も、
自分が何を言ったか気づいたようだった。
少しだけ声を落とす。
「……違うんです」
「はい」
「俺は、
偉くなりたいわけじゃない」
「分かっています」
「死ぬのが見えるんですよ」
真壁は、
机を見る。
「その人たちが」
「はい」
「それなのに、
会議とか、
確認とか、
手続きとか」
「必要です」
「分かってます」
真壁は言った。
「分かってるけど、
見えてる側からしたら耐えられないんですよ」
*
三日後。
真壁から、
緊急連絡が入った。
午後十一時二十八分。
「明日、
百人以上死にます」
*
市役所。
深夜。
関係部署が集められた。
警察。
消防。
危機管理。
道路。
病院。
学校。
異常事案担当。
研究員。
真壁。
地図が広げられる。
真壁が指差す。
「ここです」
市東部。
住宅地。
病院。
中学校。
大型商業施設。
工場。
人口、
約二万七千。
「時間は?」
「午後三時十二分」
「何が起きる?」
「分かりません」
「映像は?」
真壁は、
目を閉じる。
「道路」
「どの道路?」
「何本も」
「建物は?」
「ある」
「壊れてる?」
「よく見えない」
「火は?」
「ない」
「煙」
「少し」
「水は?」
「……ある」
危機管理担当が聞く。
「洪水?」
「分かりません」
「地震?」
「揺れは見えない」
「倒れている人は?」
「いる」
「何人?」
「百人以上」
「死亡を確認できる?」
真壁が苛立つ。
「動いてないんです」
「全員?」
「かなり」
「午後三時十二分に死亡?」
「そうです」
「その時点で倒れているだけの可能性は?」
「だから!」
真壁が机を叩いた。
「死ぬんです!」
部屋が静かになる。
「今すぐ避難させてください」
危機管理担当が言う。
「対象範囲を絞ります」
「全部です」
「二万七千人います」
「だから避難させろって言ってるんです」
「病院もあります」
「患者も出せばいい」
「重症患者の移送自体に危険があります」
「残して死なせるんですか」
「そういう意味ではありません」
「じゃあ何なんです」
真壁が立ち上がる。
「俺には見えてるんですよ!」
誰も答えない。
「あなたたちには見えてない!」
真壁は、
全員を見る。
「だったら、
俺の言う通りにしてください」
*
研究員が、
静かに聞いた。
「真壁さん」
「何ですか」
「あなたが見た未来で、
住民は避難していましたか」
真壁が止まる。
「……分かりません」
「警察は?」
「います」
「消防」
「いる」
「道路封鎖は?」
「してる」
「では、
それは今から我々が対策した後の未来かもしれません」
「違う」
「なぜです?」
「死んでるから」
「それは理由になりません」
「じゃあ何なんですか」
「あなたの予知が、
介入前の未来なのか、
介入後の未来なのか、
我々には分からない」
真壁は黙った。
「だから、
できる限り情報を増やします」
「その間に死んだら?」
「その可能性を減らすために、
今ここにいます」
*
午前一時。
対策開始。
地域の地下設備。
河川。
下水。
ガス。
電力。
工場。
危険物。
交通。
気象。
地盤。
すべて確認。
予知地点の中心付近に、
一つの異常が見つかった。
市東部を通る、
古い雨水幹線。
前日の点検記録では異常なし。
しかし、
夜間の追加検査で、
地下の一部に大きな空洞。
上部道路。
病院への主要アクセス道路。
商業施設の駐車場入口。
さらに、
ガス管。
三宅が資料を見る。
「陥没?」
技術職員が答える。
「可能性高いです」
「百人死ぬほど?」
「条件が重なれば」
「どんな?」
「道路陥没」
「はい」
「ガス管破断」
「はい」
「車両事故」
「はい」
「周辺渋滞」
「はい」
「救急搬送遅延」
「……それで百人?」
「病院まで影響すれば」
黒田が聞く。
「分かったなら、
どうするんです?」
技術職員。
「掘ります」
三宅が黒田を見る。
「また掘る」
「最近多いな」
*
午前四時。
対象道路を封鎖。
ガス停止。
周辺住民へ、
限定的な避難情報。
病院。
救急搬送ルート変更。
商業施設。
臨時休業。
中学校。
休校。
全面避難ではない。
必要な区域だけ。
必要な施設だけ。
真壁は、
それを見ていた。
「足りない」
危機管理担当が答える。
「現時点ではこれで対応します」
「もっと広げるべきです」
「追加情報が出れば広げます」
「午後三時十二分ですよ」
「覚えています」
「あと十一時間です」
「だから動いています」
*
午前九時。
掘削開始。
空洞は、
予想より大きかった。
雨水幹線の一部破損。
土砂流出。
道路下に、
幅九メートル。
深さ六メートル以上。
大型車が通れば、
崩落する可能性が高い。
ガス管は、
空洞上部を通っていた。
三宅が現場を見る。
「当たりですね」
黒田が言う。
「原因はこれっぽいな」
「じゃあ真壁さんの言った通り?」
「事故起きてないけど」
「またそれですか」
*
午後二時五十分。
補強作業。
道路は封鎖されたまま。
ガス停止。
病院の搬送路変更済み。
住民の一部避難。
真壁も、
現場近くの対策本部にいた。
時計を見る。
午後三時。
三時五分。
三時十分。
真壁の呼吸が浅くなる。
「来ます」
誰も笑わない。
三時十一分。
地面が、
低く鳴った。
三宅が顔を上げる。
「今の」
次の瞬間。
封鎖された道路が、
沈んだ。
数メートル。
アスファルトが割れる。
ガードレールが落ちる。
土煙。
補強途中の地盤が崩れる。
三時十二分。
真壁が、
立ち尽くしていた。
誰も巻き込まれなかった。
ガス管は、
すでに止められていた。
車もない。
歩行者もいない。
病院への搬送も、
別ルート。
倒れている人間は、
一人もいなかった。
*
真壁は、
崩れた道路を見ていた。
「ここです」
誰も答えない。
「俺が見た場所」
危機管理担当が隣に立つ。
「はい」
「時間も」
「はい」
「でも」
真壁は、
道路を見る。
「誰も死んでない」
「今のところ」
真壁は、
しばらく黙った。
「俺が見たのは、
何だったんですか」
「分かりません」
真壁が少し笑った。
「それ、
よく言いますね」
「そうですね」
「でも事故は起きた」
「はい」
「俺がいなかったら」
担当者は答えなかった。
「百人死んでたかもしれない」
「可能性はあります」
「じゃあ俺は正しかった?」
「予知は役に立ちました」
「そうじゃなくて」
真壁は、
担当者を見る。
「俺が全部避難させろって言ったこと」
担当者は少し考える。
「結果として、
そこまでは必要ありませんでした」
真壁は目を伏せた。
「そうですよね」
「でも、
あなたの情報がなければ、
調査自体が間に合わなかった可能性があります」
真壁は、
崩れた道路を見る。
「半分だけ正しかった?」
「そういう採点はしてません」
「役所らしいな」
真壁は、
少し笑った。
*
数日後。
真壁は、
市の窓口へ来た。
「協定、
続けたいです」
担当者が言う。
「もちろんです」
「ただ」
「はい」
「文言を変えたい」
「どこを?」
真壁は、
自分が提出していた様式を見る。
《予知内容》
《発生時刻》
《場所》
《推定被害》
その下。
《必要な措置》
真壁は、
そこを指差した。
「これ」
「必要な措置?」
「俺が決めるところじゃないですよね」
担当者は、
少しだけ間を置いた。
「意見として書いていただくことはできます」
「じゃあ」
真壁はペンを取る。
《推奨対応》
と書き直した。
「これなら?」
「いいと思います」
*
それからも、
真壁の予知は続いた。
全部が大事件ではなかった。
「明日、
駅前で自転車が盗まれます」
警察官が聞く。
「何時ごろです?」
「午後六時」
「場所」
「北口」
「自転車の特徴は?」
「青」
黒田が横から言う。
「青い自転車、
何台あると思ってるんです」
真壁が少し困る。
「そこまでは見えません」
三宅が笑う。
「未来も意外と不便ですね」
「便利だと思ったことないですよ」
真壁は答えた。
*
帰り際。
真壁が黒田へ聞いた。
「黒田さん」
「はい」
「明日のこと、
知りたいですか」
「別に」
真壁が笑う。
「即答ですね」
「だいたい仕事なんで」
「休みの日なら?」
黒田は少し考える。
「天気くらいなら」
「天気予報でいいでしょう」
「ですよね」
三宅が横から言う。
「私は知りたいです」
「何を?」
「明日の昼ご飯」
真壁が三宅を見る。
「自分で決めてください」
「そこは見えないんですか」
「見ようとも思いません」
三宅が少し不満そうな顔をする。
真壁は、
署を出る。
外は夕方だった。
明日のことは、
まだ起きていない。
見えることと、
決められることは、
同じではなかった。
それでも、
見えたことを伝える意味はあった。
真壁は、
そのことだけは、
前より少し分かっていた。




