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8/10

明日のことが分かる男

 最初の通報は、


 交通事故ではなかった。


「明日の朝、


 事故が起きます」


 午前九時十二分。


 警察署。


 受付に立っていた男は、


 そう言った。


 年齢は、


 三十代後半。


 背広。


 短い髪。


 小さな鞄。


 会社員に見えた。


 受付の警察官が聞く。


「どこでです?」


「市道四〇七号。


 北川交差点」


「時間は?」


「午前七時四十一分」


「どんな事故ですか」


「大型トラックが横転します」


 受付の警察官は、


 男を見る。


「見たんですか」


「はい」


「何を?」


「明日のことを」


     *


 男の名前は、


 真壁亮介。


 三十八歳。


 市内在住。


 会社員。


 異常能力に関する申告歴あり。


 分類。


《短期未来視》


 最長観測期間。


 約七十二時間。


 精度。


 条件付きで高い。


 詳細。


 不明。


     *


 真壁の予知は、


 すでに何度か確認されていた。


 三年前。


 勤め先の倉庫で、


「午後三時に棚が倒れる」


 と言った。


 作業を止めて確認すると、


 固定金具が外れていた。


 交換中、


 棚の上部が大きく傾いた。


 一年前。


 近所のアパートで、


「二階から火が出る」


 と消防へ通報。


 住人への確認中、


 台所の延長コードから発煙。


 半年前。


 駅前の歩道で、


「看板が落ちます」


 と警察へ相談。


 調べると、


 固定ボルト二本が破断していた。


 真壁が嘘をついている可能性は、


 低かった。


     *


 北川交差点。


 翌朝。


 午前七時三十分。


 警察車両。


 道路管理者。


 交通誘導。


 三宅が交差点を見る。


「本当に来るんですかね」


「トラック?」


「事故」


 黒田が時計を見る。


「来ない方がいいだろ」


「それはそうですけど」


 午前七時三十八分。


 大型トラックが一台、


 交差点へ近づく。


 三宅が身構える。


 違った。


 そのまま通過。


 七時四十分。


 何もない。


 三宅が時計を見る。


「あと一分」


 七時四十一分。


 東側から、


 大型トラック。


 青信号。


 右折。


 その瞬間。


 荷台が大きく傾いた。


「止めろ!」


 誘導員が笛を吹く。


 対向車は、


 手前で止められていた。


 トラックが横転。


 金属音。


 積荷が道路へ散らばる。


 誰も巻き込まれなかった。


 三宅は、


 しばらく横転したトラックを見ていた。


「……一分もずれてない」


 黒田が言う。


「みたいだな」


     *


 原因は、


 積荷の固定不良だった。


 本来なら、


 対向車線の乗用車二台を巻き込む位置に倒れていた。


 だが、


 事前の交通規制で、


 人的被害はなかった。


 ニュースになった。


《未来予知で交通事故防止》


 真壁の名前は、


 本人の同意を得て公表された。


     *


 それから、


 真壁への相談が増えた。


 警察。


 消防。


 市役所。


 企業。


 病院。


 学校。


 個人。


「明日、事故はありますか」


「この工事は大丈夫ですか」


「手術は成功しますか」


「地震は来ますか」


「息子は帰ってきますか」


「株価は上がりますか」


 真壁は、


 すべてに答えられるわけではなかった。


 未来が見える条件は、


 本人にも分からない。


 見ようとして見える時もある。


 突然見える時もある。


 何も見えない時もある。


 ただ、


 見えたものについては、


 よく当たった。


     *


 市は、


 真壁との情報提供協定を結んだ。


 強制ではない。


 真壁が危険な予知を確認した場合、


 専用窓口へ連絡する。


 情報は、


 警察、消防、道路、医療など必要な機関へ共有。


 予知だけを根拠に、


 直ちに強制措置は取らない。


 他の情報と併せて判断する。


 真壁は、


 最初それで納得していた。


     *


「明日、


 小学校の体育館で事故があります」


 三宅が電話を受けた。


「場所は?」


『西第二小学校』


「時間は?」


『午後二時十五分前後』


「何が起きます?」


『天井から何か落ちます』


「何か?」


『照明だと思います』


 市が学校へ連絡。


 体育館の使用を中止。


 点検。


 照明器具の吊り金具に亀裂。


 交換。


 事故なし。


     *


「今夜、


 南町で火事が起きます」


 消防が巡回。


 古い飲食店の配電盤から異臭。


 使用停止。


 火災なし。


     *


「明日の午前、


 市立病院のエレベーターが止まります」


 事前点検。


 制御装置の異常。


 修理。


 停止なし。


     *


 真壁の予知は、


 当たらなくなっていった。


 正確には、


 予知された出来事が、


 起きなくなった。


     *


「最近、


 外れてますよね」


 三宅が資料を見る。


 研究員が首を振る。


「外れたとは限りません」


「でも事故起きてないですよ」


「事故が起きると予知したから、


 対策したんでしょう」


「はい」


「なら比較できません」


 三宅は少し考える。


「予知が当たってるから起きなかった?」


「可能性はあります」


「じゃあ、外れてる可能性も?」


「あります」


「どっちなんです?」


「分かりません」


「便利ですね、その言葉」


「便利だから使ってるわけじゃありません」


     *


 真壁本人は、


 少しずつ変わった。


 以前は、


「確認してください」


 と言っていた。


 それが、


「止めてください」


 になった。


 さらに、


「今すぐ止めてください」


 になった。


     *


 ある日。


 真壁が市役所へ来た。


「駅前イベントを中止してください」


 週末。


 市中心部で、


 秋祭り。


 来場予定、


 約二万人。


 担当者が聞く。


「何が見えました?」


「事故です」


「場所は?」


「駅前広場」


「時間帯」


「午後四時ごろ」


「内容は?」


「人が倒れています」


「何人?」


「たくさん」


「原因は?」


「分かりません」


「火災?」


「分かりません」


「建物倒壊?」


「分かりません」


「車両?」


「分かりません」


 担当者は記録する。


 真壁の声が強くなる。


「中止してください」


「情報は関係部署へ共有します」


「共有じゃ遅いんです」


「まず安全確認を」


「何度当てれば分かるんですか」


 担当者が顔を上げる。


「信用していないわけではありません」


「同じですよ」


「違います」


「事故が起きてからじゃ遅いでしょう」


「だから調べます」


「中止すればいい」


「二万人規模の催事です」


「人命より祭りですか」


「そういう話ではありません」


「じゃあ止めてください」


 担当者は、


 少し間を置いた。


「真壁さん」


「はい」


「あなたの予知を、


 重要な情報として扱っています」


「なら」


「でも、


 決定は予知だけでは行いません」


 真壁は黙った。


     *


 イベントは、


 中止されなかった。


 代わりに、


 警備増員。


 仮設物の再点検。


 電源設備確認。


 飲食ブースの火気確認。


 車両進入規制。


 救護所増設。


 混雑導線変更。


 午後三時五十分。


 三宅と黒田は、


 駅前広場にいた。


「先輩」


「何」


「あと十分です」


「そうだな」


「怖くないですか」


「怖いよ」


「普通にやってますけど」


「仕事だから」


 午後四時。


 何も起きない。


 四時三分。


 救護所へ一人。


 高齢男性。


 熱中症。


 軽症。


 四時七分。


 別の女性が転倒。


 擦り傷。


 四時十二分。


 仮設ステージ裏で、


 電源ケーブルから煙。


 スタッフが気づく。


 電源遮断。


 消火器使用。


 火災にはならなかった。


 三宅が無線を聞く。


「これですかね」


「分からない」


「予知では人がいっぱい倒れてたんですよね」


「そうらしいな」


「じゃあ防げた?」


「かもな」


「違った可能性も?」


「あるんじゃない」


 三宅が少し笑う。


「研究員みたいになってきましたね」


     *


 真壁は、


 結果を聞いても納得しなかった。


「中止すれば、


 もっと確実だった」


 担当者が答える。


「事故は起きませんでした」


「だからです」


「対策が有効だった可能性があります」


「俺が言ったからでしょう」


「はい」


「なら最初から、


 俺の判断に従えばいい」


 担当者は黙った。


 真壁も、


 自分が何を言ったか気づいたようだった。


 少しだけ声を落とす。


「……違うんです」


「はい」


「俺は、


 偉くなりたいわけじゃない」


「分かっています」


「死ぬのが見えるんですよ」


 真壁は、


 机を見る。


「その人たちが」


「はい」


「それなのに、


 会議とか、


 確認とか、


 手続きとか」


「必要です」


「分かってます」


 真壁は言った。


「分かってるけど、


 見えてる側からしたら耐えられないんですよ」


     *


 三日後。


 真壁から、


 緊急連絡が入った。


 午後十一時二十八分。


「明日、


 百人以上死にます」


     *


 市役所。


 深夜。


 関係部署が集められた。


 警察。


 消防。


 危機管理。


 道路。


 病院。


 学校。


 異常事案担当。


 研究員。


 真壁。


 地図が広げられる。


 真壁が指差す。


「ここです」


 市東部。


 住宅地。


 病院。


 中学校。


 大型商業施設。


 工場。


 人口、


 約二万七千。


「時間は?」


「午後三時十二分」


「何が起きる?」


「分かりません」


「映像は?」


 真壁は、


 目を閉じる。


「道路」


「どの道路?」


「何本も」


「建物は?」


「ある」


「壊れてる?」


「よく見えない」


「火は?」


「ない」


「煙」


「少し」


「水は?」


「……ある」


 危機管理担当が聞く。


「洪水?」


「分かりません」


「地震?」


「揺れは見えない」


「倒れている人は?」


「いる」


「何人?」


「百人以上」


「死亡を確認できる?」


 真壁が苛立つ。


「動いてないんです」


「全員?」


「かなり」


「午後三時十二分に死亡?」


「そうです」


「その時点で倒れているだけの可能性は?」


「だから!」


 真壁が机を叩いた。


「死ぬんです!」


 部屋が静かになる。


「今すぐ避難させてください」


 危機管理担当が言う。


「対象範囲を絞ります」


「全部です」


「二万七千人います」


「だから避難させろって言ってるんです」


「病院もあります」


「患者も出せばいい」


「重症患者の移送自体に危険があります」


「残して死なせるんですか」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ何なんです」


 真壁が立ち上がる。


「俺には見えてるんですよ!」


 誰も答えない。


「あなたたちには見えてない!」


 真壁は、


 全員を見る。


「だったら、


 俺の言う通りにしてください」


     *


 研究員が、


 静かに聞いた。


「真壁さん」


「何ですか」


「あなたが見た未来で、


 住民は避難していましたか」


 真壁が止まる。


「……分かりません」


「警察は?」


「います」


「消防」


「いる」


「道路封鎖は?」


「してる」


「では、


 それは今から我々が対策した後の未来かもしれません」


「違う」


「なぜです?」


「死んでるから」


「それは理由になりません」


「じゃあ何なんですか」


「あなたの予知が、


 介入前の未来なのか、


 介入後の未来なのか、


 我々には分からない」


 真壁は黙った。


「だから、


 できる限り情報を増やします」


「その間に死んだら?」


「その可能性を減らすために、


 今ここにいます」


     *


 午前一時。


 対策開始。


 地域の地下設備。


 河川。


 下水。


 ガス。


 電力。


 工場。


 危険物。


 交通。


 気象。


 地盤。


 すべて確認。


 予知地点の中心付近に、


 一つの異常が見つかった。


 市東部を通る、


 古い雨水幹線。


 前日の点検記録では異常なし。


 しかし、


 夜間の追加検査で、


 地下の一部に大きな空洞。


 上部道路。


 病院への主要アクセス道路。


 商業施設の駐車場入口。


 さらに、


 ガス管。


 三宅が資料を見る。


「陥没?」


 技術職員が答える。


「可能性高いです」


「百人死ぬほど?」


「条件が重なれば」


「どんな?」


「道路陥没」


「はい」


「ガス管破断」


「はい」


「車両事故」


「はい」


「周辺渋滞」


「はい」


「救急搬送遅延」


「……それで百人?」


「病院まで影響すれば」


 黒田が聞く。


「分かったなら、


 どうするんです?」


 技術職員。


「掘ります」


 三宅が黒田を見る。


「また掘る」


「最近多いな」


     *


 午前四時。


 対象道路を封鎖。


 ガス停止。


 周辺住民へ、


 限定的な避難情報。


 病院。


 救急搬送ルート変更。


 商業施設。


 臨時休業。


 中学校。


 休校。


 全面避難ではない。


 必要な区域だけ。


 必要な施設だけ。


 真壁は、


 それを見ていた。


「足りない」


 危機管理担当が答える。


「現時点ではこれで対応します」


「もっと広げるべきです」


「追加情報が出れば広げます」


「午後三時十二分ですよ」


「覚えています」


「あと十一時間です」


「だから動いています」


     *


 午前九時。


 掘削開始。


 空洞は、


 予想より大きかった。


 雨水幹線の一部破損。


 土砂流出。


 道路下に、


 幅九メートル。


 深さ六メートル以上。


 大型車が通れば、


 崩落する可能性が高い。


 ガス管は、


 空洞上部を通っていた。


 三宅が現場を見る。


「当たりですね」


 黒田が言う。


「原因はこれっぽいな」


「じゃあ真壁さんの言った通り?」


「事故起きてないけど」


「またそれですか」


     *


 午後二時五十分。


 補強作業。


 道路は封鎖されたまま。


 ガス停止。


 病院の搬送路変更済み。


 住民の一部避難。


 真壁も、


 現場近くの対策本部にいた。


 時計を見る。


 午後三時。


 三時五分。


 三時十分。


 真壁の呼吸が浅くなる。


「来ます」


 誰も笑わない。


 三時十一分。


 地面が、


 低く鳴った。


 三宅が顔を上げる。


「今の」


 次の瞬間。


 封鎖された道路が、


 沈んだ。


 数メートル。


 アスファルトが割れる。


 ガードレールが落ちる。


 土煙。


 補強途中の地盤が崩れる。


 三時十二分。


 真壁が、


 立ち尽くしていた。


 誰も巻き込まれなかった。


 ガス管は、


 すでに止められていた。


 車もない。


 歩行者もいない。


 病院への搬送も、


 別ルート。


 倒れている人間は、


 一人もいなかった。


     *


 真壁は、


 崩れた道路を見ていた。


「ここです」


 誰も答えない。


「俺が見た場所」


 危機管理担当が隣に立つ。


「はい」


「時間も」


「はい」


「でも」


 真壁は、


 道路を見る。


「誰も死んでない」


「今のところ」


 真壁は、


 しばらく黙った。


「俺が見たのは、


 何だったんですか」


「分かりません」


 真壁が少し笑った。


「それ、


 よく言いますね」


「そうですね」


「でも事故は起きた」


「はい」


「俺がいなかったら」


 担当者は答えなかった。


「百人死んでたかもしれない」


「可能性はあります」


「じゃあ俺は正しかった?」


「予知は役に立ちました」


「そうじゃなくて」


 真壁は、


 担当者を見る。


「俺が全部避難させろって言ったこと」


 担当者は少し考える。


「結果として、


 そこまでは必要ありませんでした」


 真壁は目を伏せた。


「そうですよね」


「でも、


 あなたの情報がなければ、


 調査自体が間に合わなかった可能性があります」


 真壁は、


 崩れた道路を見る。


「半分だけ正しかった?」


「そういう採点はしてません」


「役所らしいな」


 真壁は、


 少し笑った。


     *


 数日後。


 真壁は、


 市の窓口へ来た。


「協定、


 続けたいです」


 担当者が言う。


「もちろんです」


「ただ」


「はい」


「文言を変えたい」


「どこを?」


 真壁は、


 自分が提出していた様式を見る。


《予知内容》


《発生時刻》


《場所》


《推定被害》


 その下。


《必要な措置》


 真壁は、


 そこを指差した。


「これ」


「必要な措置?」


「俺が決めるところじゃないですよね」


 担当者は、


 少しだけ間を置いた。


「意見として書いていただくことはできます」


「じゃあ」


 真壁はペンを取る。


《推奨対応》


 と書き直した。


「これなら?」


「いいと思います」


     *


 それからも、


 真壁の予知は続いた。


 全部が大事件ではなかった。


「明日、


 駅前で自転車が盗まれます」


 警察官が聞く。


「何時ごろです?」


「午後六時」


「場所」


「北口」


「自転車の特徴は?」


「青」


 黒田が横から言う。


「青い自転車、


 何台あると思ってるんです」


 真壁が少し困る。


「そこまでは見えません」


 三宅が笑う。


「未来も意外と不便ですね」


「便利だと思ったことないですよ」


 真壁は答えた。


     *


 帰り際。


 真壁が黒田へ聞いた。


「黒田さん」


「はい」


「明日のこと、


 知りたいですか」


「別に」


 真壁が笑う。


「即答ですね」


「だいたい仕事なんで」


「休みの日なら?」


 黒田は少し考える。


「天気くらいなら」


「天気予報でいいでしょう」


「ですよね」


 三宅が横から言う。


「私は知りたいです」


「何を?」


「明日の昼ご飯」


 真壁が三宅を見る。


「自分で決めてください」


「そこは見えないんですか」


「見ようとも思いません」


 三宅が少し不満そうな顔をする。


 真壁は、


 署を出る。


 外は夕方だった。


 明日のことは、


 まだ起きていない。


 見えることと、


 決められることは、


 同じではなかった。


 それでも、


 見えたことを伝える意味はあった。


 真壁は、


 そのことだけは、


 前より少し分かっていた。

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