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夜間利用者

 最初に見つけたのは、


 警備員だった。


 午後十時四十七分。


 市立中央図書館。


 閉館から一時間半が経っていた。


 館内に利用者はいない。


 職員も、


 残っているのは二人だけだった。


 警備員の村瀬は、


 一階の閲覧室を巡回していた。


 照明は半分落としてある。


 机。


 椅子。


 本棚。


 昼間は人で埋まる場所が、


 夜になると妙に広く見える。


 村瀬は、


 一番奥の机で足を止めた。


 女がいた。


 若い女だった。


 二十代くらい。


 長い髪。


 紺色のワンピース。


 窓際の席に座り、


 本を読んでいる。


 村瀬はしばらく女を見た。


 閉館時の巡回では、


 誰もいなかった。


「すみません」


 女が顔を上げる。


「閉館しています」


『はい』


「……ご存じでした?」


『はい』


「では、退館をお願いします」


 女は本を閉じなかった。


『できません』


「何がです?」


『外に出られません』


 村瀬は入口を見る。


「体調悪いですか」


『違います』


「足?」


『違います』


「では」


 女は本から顔を上げた。


『出ようとすると、戻ります』


「戻る?」


『ここに』


 村瀬は少し黙った。


「いつからです?」


 女は考えた。


『昭和六十一年』


 村瀬は無線を取った。


     *


 黒田と三宅が到着した時、


 女はまだ同じ場所にいた。


 三宅が閲覧室の入口から中を見る。


「普通に読んでますね」


「そうだな」


「閉館してるんですよね」


 図書館職員が頷いた。


「九時です」


「侵入経路は?」


「分かりません」


「防犯カメラは?」


「映っていません」


 黒田が聞く。


「閉館前からいた可能性は?」


「職員が全席確認しています」


「トイレとか」


「そちらも」


 三宅が女を見る。


「河原の人と違って屋内ですね」


 黒田が横を見る。


「分類するな」


 二人は閲覧室へ入った。


 女が顔を上げる。


 黒田が声をかけた。


「こんばんは」


『こんばんは』


「警察です」


『はい』


「少し話いいですか」


『どうぞ』


「閉館してるのは分かってる?」


『分かっています』


「外に出られない?」


『はい』


「試してみてもらっていいですか」


 女は本を閉じた。


 立ち上がる。


 椅子が、


 少しだけ動いた。


 三宅がその足元を見る。


 影はある。


 女は普通に歩いた。


 閲覧室を出る。


 廊下。


 玄関。


 自動ドアが開く。


 女が一歩外へ出る。


 消えた。


 三宅が目を見開く。


 黒田が振り返る。


 閲覧室。


 窓際の席。


 女が座っていた。


 閉じたはずの本が、


 また目の前にある。


 三宅が言う。


「戻りましたね」


「戻ったな」


 女が少し困った顔をした。


『こうなります』


     *


 その夜は、


 それ以上のことはしなかった。


 職員が聞く。


「どうしましょう」


 黒田が答える。


「何か危ないことしました?」


「いえ」


「本壊したとか」


「ありません」


「誰か襲った?」


「ありません」


 三宅が女へ聞く。


「いつも夜だけですか」


『はい』


「昼間は?」


『いません』


「どこにいるんです?」


『分かりません』


「寝てるとか?」


『分かりません』


「昭和六十一年から?」


『たぶん』


「毎晩?」


『全部は覚えてません』


 三宅は少し考える。


「名前は?」


『高瀬美知子』


「覚えてるんですね」


『名前は』


 黒田が職員を見る。


「今日はもう閉めるんですよね」


「はい」


「この人、出せないですよね」


「……そうですね」


「じゃあ、とりあえず危ない場所だけ行かないようにお願いして、明日市役所に回した方がいいんじゃないですか」


 職員は少し戸惑った。


「そのまま置いて帰るんですか」


 黒田は高瀬を見る。


「帰れないので」


 三宅が聞く。


「高瀬さん」


『はい』


「閉館後、書庫とか事務室には入らないでもらえます?」


『行きません』


「非常口とか、警報鳴るところも」


『分かりました』


「本は」


 職員が口を挟む。


「館内閲覧なら貸出処理はいりません」


 三宅が職員を見る。


「夜でも?」


「……そこは決まってません」


「ですよね」


 黒田が言った。


「明日決めてください」


     *


 翌朝。


 図書館職員が、


 高瀬美知子について調べた。


 名前は見つかった。


 一九八六年。


 当時二十三歳。


 市内在住。


 市内の書店に勤務。


 十一月二十七日、


 交通事故で死亡。


 場所は、


 中央図書館から約四百メートル離れた交差点。


 死亡したのは病院。


 図書館内ではなかった。


 その日の貸出記録も残っていた。


 三冊。


 そのうち一冊は、


 現在も書庫にあった。


 なぜ図書館に現れるのか。


 分からない。


 なぜ外へ出ると戻るのか。


 分からない。


 死亡した場所とも一致しない。


 市の異常事案担当者は、


 それをそのまま記録した。


《発生原因不明》


     *


 検査が行われた。


 高瀬本人の同意を取った。


 カメラ。


 温度計。


 重量計。


 音響測定。


 簡単な接触試験。


 高瀬は椅子に座っていた。


 研究員が聞く。


「触ってもいいですか」


『何を?』


「腕です」


『いいです』


 触れる。


 普通の人間より、


 少し冷たい。


 ただし、


 触れる。


「痛みは?」


『あります』


「温度は?」


『よく分かりません』


「食事は?」


『しません』


「睡眠は?」


『分かりません』


「本は触れますね」


『はい』


「何ページ読んだか覚えてます?」


『だいたい』


「一度読んだ本は?」


『内容は覚えています』


 研究員が少し興味を示した。


「記憶保持能力に変化がある可能性が――」


 高瀬が本を見る。


『続き、読んでいいですか』


「どうぞ」


 研究員は記録用紙へ戻った。


     *


 問題は、


 高瀬そのものではなかった。


 図書館だった。


 閉館後の施設に、


 利用者が一人残る。


 それをどう扱うのか。


 市役所で会議が開かれた。


 図書館長。


 施設管理。


 警備。


 法務。


 異常事案担当。


 研究担当。


 議題には、


《中央図書館夜間人型異常存在に係る施設運用》


 と書かれていた。


 施設管理担当が聞く。


「危険性は?」


「現在確認されていません」


「蔵書の損傷」


「ありません」


「設備への干渉」


「なし」


「警備上は?」


 警備会社の担当者が答える。


「存在自体より、想定外の区域へ移動される方が困ります」


「本人は?」


「指示には従っています」


 図書館長が資料を見る。


「外へ移動させることは?」


「試しました」


 車椅子。


 担架。


 複数職員による誘導。


 いずれも敷地境界を越えた時点で、


 閲覧室へ戻る。


「強制的な退去は実質不可能です」


 法務担当が言った。


 施設管理担当が聞く。


「では閉館時刻を適用しない?」


「適用しないというより、退去できない人に退去を求め続けても意味がありません」


「でも利用者ですよね」


「本人が利用しているのであれば」


 図書館長が言った。


「本は読んでいます」


「貸出は?」


「館内閲覧のみです」


「利用カードは?」


「ありません」


「作れます?」


 少し沈黙。


 図書館長。


「住所がありません」


 法務担当。


「今それを決める必要あります?」


「ないですね」


 会議は続いた。


 誰も、


 幽霊を図書館から排除すべきか、


 という話はしなかった。


 話しているのは、


 閉館後の閲覧室を、


 どう管理するかだった。


     *


 その日の昼。


 署の休憩室では、


 テレビがついていた。


 三宅が弁当を食べながら見ている。


 画面には、


 久守地区の山が映っていた。


『昨年、未成年者の監禁事件と山岳型異常存在の出現が確認された久守地区では――』


 排水設備。


 斜面。


 神社。


 映像が切り替わる。


 スタジオ。


 司会者。


 大学教授。


 元官僚。


 それから、


 一人の若い男。


 画面下に名前が出る。


久世宗一 評論家


 年齢は三十代半ば。


 眼鏡。


 落ち着いた話し方。


 派手さはなかった。


 司会者が聞く。


『久世さんは、今回の行政対応についてどうお考えですか』


 久世は少し考えてから答えた。


『住民の安全を確保する必要があったことについては、異論はありません』


 三宅がテレビを見る。


 黒田は新聞を読んでいる。


『また、少女が本人の意思に反して拘束されていた件についても、これは信仰とは切り離して考えるべきです』


 司会者。


『では、行政の対応は妥当だったと?』


『そこは少し違います』


 久世は続けた。


『私は、最近の異常存在への対応を見ていて、少し気になることがあります』


『我々は彼らを、危険か、無害か、利用できるかという、人間側の尺度だけで評価することに慣れすぎているのではないでしょうか』


 別の出演者が聞く。


『ですが久守地区では、実際に土砂災害の危険があった』


『はい』


『排水工事によって、それを抑えた』


『その判断自体を否定しているわけではありません』


 久世は画面の中で、


 久守の山を見る。


『ただ、山の存在は明確に「穿つな」と意思表示しています』


『それに対して人間側は、自分たちの生活を守るために工事を続行した』


『それが法的、行政的に正しいということと、倫理的にも当然であるということは同じでしょうか』


 司会者。


『では人間側が退くべきだった?』


『そういう選択肢も、検討対象には含めるべきだったと思います』


 三宅が箸を止めた。


「こういう考え方もあるんですね」


 黒田は新聞から顔を上げない。


「あるんじゃない」


「先輩は?」


「何が」


「久守の工事」


「俺、工事してないし」


「そういう意味じゃなくて」


「じゃあ分かんない」


 三宅はテレビを見る。


『人間が先にいるというだけで、常に優先される根拠になるのか。それは一度考える必要があると思います』


 三宅が言う。


「言ってることは、分からなくもないですよね」


 黒田は新聞をめくった。


「そうなんじゃない」


「興味ないんですか」


「昼休み終わるよ」


 三宅が時計を見る。


「あと七分あります」


「じゃあ食え」


     *


 中央図書館の会議は、


 二週間かかった。


 最終的に、


 高瀬の夜間滞在を前提とした運用が決まった。


 午後九時。


 一般利用者退館。


 閉館。


 警備開始。


 高瀬が出現した場合、


 一階閲覧室のみ利用可能。


 書庫。


 事務室。


 機械室。


 立入禁止。


 非常口付近への接近を避ける。


 火気使用禁止。


 当然だった。


 閲覧した本は、


 翌朝までに指定棚へ戻す。


 設備異常を確認した場合は、


 警備員へ報告。


 図書館長が、


 高瀬本人へ説明した。


『私のために、夜も開けるんですか』


「開館はしません」


『違う?』


「閉館しています」


『でも読める』


「あなたが退館できないので、閉館後の滞在方法を決めました」


 高瀬は少し考えた。


『特別扱い?』


「そういうつもりはありません」


『では何ですか』


 図書館長も考えた。


「施設管理です」


 高瀬は頷いた。


『分かりました』


「守れますか」


『はい』


「ではお願いします」


     *


 運用開始から三か月。


 問題は起きなかった。


 むしろ、


 小さな変化があった。


 朝、


 指定棚の横に、


 メモが置かれるようになった。


《三一二ページが外れかけています》


 職員が確認する。


 本当に外れかけている。


《第二巻が棚にありません》


 探す。


 別の棚へ誤って戻されている。


《窓際の照明が何度か点滅しています》


 設備担当が確認。


 安定器の劣化。


 図書館長が夜、


 高瀬へ聞いた。


「このメモ、あなたですか」


『はい』


「ありがとうございます」


『いえ』


「よく気づきますね」


『夜は静かなので』


 高瀬は本へ戻った。


     *


 図書館に幽霊がいる。


 という話は、


 いずれ外へ漏れた。


 新聞。


 テレビ。


 ネット。


 最初は、


《閉館後の図書館に女性の幽霊》


 という扱いだった。


 だが、


 実害が何もなかったため、


 報道はすぐ別の方向へ移った。


《公共施設に死者が滞在することの是非》


《異常存在に公共サービスを利用する権利はあるのか》


《貴重な研究対象を通常利用者として扱ってよいのか》


 意見は分かれた。


「危険になる前に排除すべきだ」


「死者を税金で保護する必要はない」


「研究機関へ移すべきだ」


「本人の意思を尊重すべきだ」


「そもそも幽霊に本人という概念があるのか」


 図書館には問い合わせが増えた。


 見学したい。


 夜間に入れてほしい。


 撮影したい。


 話を聞きたい。


 図書館はすべて断った。


 通常の開館業務に支障が出るからだった。


     *


 テレビでは、


 また久世が話していた。


『今回の事例は、非常に興味深いと思います』


 司会者。


『というと?』


『高瀬さんは、人間に危害を加えていない』


『施設にも損害を与えていない』


『そして意思疎通ができる』


『にもかかわらず、一部では「幽霊だから排除すべき」という意見があります』


 久世は少し首を振った。


『私は、それは違うと思います』


『人間と違う存在だからというだけで、存在する場所を奪うべきではない』


 別の出演者。


『ただ、公共施設ですよ』


『はい』


『人間のために作られた施設です』


『それは現在の制度がそうなっている、というだけでしょう』


『死者に利用権を認めるべきだと?』


『少なくとも、本人が害を与えていないなら、人間側が当然に退去を命令できるという発想には慎重であるべきです』


 三宅は、


 署の廊下に置かれたテレビを見ていた。


 黒田が後ろから来る。


「何してるの」


「久世さんです」


「誰」


「この前テレビ出てた人ですよ」


「覚えてない」


「怪異を大事にしようっていう人」


「そう」


 三宅はテレビを見る。


「今回は結構普通のこと言ってません?」


「普通なんじゃない」


「先輩、毎回それですね」


「何が」


「意見ないんですか」


「図書館が決めたんだろ」


「はい」


「じゃあそれでいいんじゃない」


 三宅は少し不満そうにテレビを見る。


「でも、この人が言ってることと図書館の判断って、結果的には同じですよね」


「そうなんじゃない」


「じゃあ久世さん正しい?」


 黒田は少し考えた。


「何について?」


 三宅が黙った。


「……難しいですね」


「仕事戻るぞ」


     *


 番組の最後。


 司会者が久世へ聞いた。


『では、異常存在が人間へ危害を加える場合はどうでしょう』


 久世は少し間を置いた。


『もちろん被害を減らす努力は必要です』


『ただ』


『そこで最初から、人間側が残ることを前提にする必要があるのかは、考えるべきだと思います』


『人間が退く?』


『場合によっては』


『住宅地でも?』


 久世は頷かなかった。


 否定もしなかった。


『もし、その存在が人間より遥か以前からその土地にいたのだとしたら』


『なぜ人間の生活だけが常に優先されるのか』


『その説明は必要でしょう』


 そこで番組はCMに入った。


     *


 その夜。


 中央図書館。


 午後十一時五十分。


 高瀬は、


 いつもの席で本を読んでいた。


 閲覧室の隅にあるテレビでは、


 録画された討論番組が流れている。


『我々は、未知への畏敬を失いつつあるのではないでしょうか』


 久世の声。


 高瀬は、


 一度もテレビを見なかった。


 警備員の村瀬が巡回してくる。


「こんばんは」


『こんばんは』


「今日はそれですか」


 高瀬の本を見る。


『はい』


「面白い?」


『面白いです』


「もう十二時ですけど」


『はい』


「その本、今日中に終わりそうです?」


 高瀬は残りのページを見る。


『あと少し』


「じゃあ、読み終わったら指定棚にお願いします」


『分かりました』


 村瀬は照明を確認する。


 一つだけ点滅している。


「これ、前から?」


『今日からです』


「分かりました」


 メモを取る。


 テレビでは、


 まだ久世が話している。


『人間が未知を、自分たちの都合だけで分類していいのか――』


 村瀬がリモコンを取った。


「誰も見てないですよね」


 高瀬が顔を上げる。


『見てません』


「消しますね」


『はい』


 テレビが消える。


 閲覧室が静かになる。


 高瀬は、


 本の続きを読んだ。


     *


 午前七時四十分。


 開館準備。


 職員が指定棚を見る。


 本が二冊。


 きれいに揃えて置かれている。


 その横にメモ。


《三階西側の窓が少し開いています》


 職員が確認に行く。


 本当に開いている。


 閉める。


 設備管理表へ記入。


 異常事案台帳も更新する。


 対象。


 中央図書館―〇三。


 分類。


 人型異常存在。


 出現時間。


 閉館後。


 会話。


 可能。


 人的被害。


 なし。


 物的被害。


 なし。


 施設規則違反。


 なし。


 夜間滞在。


 現行運用を継続。


 備考。


 館内設備の異常報告あり。


 職員は、


 最後に一行を書き加えた。


《夜間閲覧者 一名》


 午前九時。


 図書館が開く。


 人が入ってくる。


 新聞を読む老人。


 参考書を開く学生。


 子供に本を選ぶ母親。


 パソコンを使う会社員。


 窓際の席には、


 誰もいない。


 夜になれば、


 また一人増える。


 それだけだった。

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